59 できるだけのことを
アロエットはコルネリアのクロークに包まれたまま、馬車の座席に横たわり振動に耐えていた。
「お辛いですね。いま、オルティス学園へ向かっています。もうしばらく辛抱してくださいね」
がっしりとした体躯の男性従者は、馬車の床に控えるように座り、ハンカチでアロエットの額の汗をそっと拭った。
彼は、先ほどまで左脇腹の傷からの出血を止めるために、アロエットの患部を清潔な布で押さえ続けていた。
その声や手つきから、アロエットは自分への気遣いを十分に感じていた。
もう一人の従者は、後頭部を強く打った上に、膨大な魔力を使った反動で昏倒したコルヴスと、頭部を負傷したファルコを両脇に抱え、馬車の揺れから彼らを守っていた。
ファルコの頭に応急処置で巻かれた包帯は綺麗なままで、新たに血の色がにじんでいないことに、アロエットはほっとした。
(聖枢院ヴァレリウス卿……)
先ほど、兄に話しかけていた人物はそう名乗っていた。
あのままでは、全員が断罪人の手に掛かって、おそらく最後は命まで奪われていただろう。それを救ってくれた人物。
しかし、教会の人間であることには変わりはない。
(全面的に気を許してはいけない。できるだけのことをしよう――)
アロエットは怪我の程度の軽い右手を動かそうとし、痛みのあまり思わず息をのんだ。
「今は、体を動かさないでください……何か私にお手伝いできることがありますか?」
優しく声をかけられて、アロエットは少しばかりきまりが悪い思いがした。
一瞬ためらってから、おとなしく頼みごとを口にした。
「手紙を……一通、家に……代筆を……お願いします」
痛みを最小限にするため、一言ずつ区切るようにアロエットは小声でしゃべった。
「ええ! もちろんです……ああ、ちょうど振動が減りましたね」
馬車は石畳の道を離れ、草地をズシリと車輪で踏みしめながら、ゆっくり走りはじめた。中の怪我人を気遣い、御者がルートを変更したようだ。男は懐から小さなメモ用紙と鉛筆を取り出した。
「ありがとう……お願いします……『C』『ー』『C』『/』……」
男は、奇妙な手紙の内容に内心で首をひねりつつ、正確に書き記していく。
読み上げが終わったところで、アロエットに内容を確認してもらう。
「間違い……ありません。手紙を……その鳥に」
アロエットはノクティスに目線を送り、それから、ファルコを見る。
「そちらの……男の子の……左手首の飾り」
男はアロエットに見えるように、ファルコの左手首にはめられた逆位相の魔道具に触れて確認する。アロエットは頷いて続けた。
「ゆっくり……両サイドに引くと……外れます」
カチリと音がして、輪の一部が切れるように、ファルコの手首にあったノクティスの首輪が外れる。
「それを鳥の……首にはめてください……ノクティス」
呼ばれたノクティスは、アロエットを見つめて、じっと首輪がはまるまで大人しくしてみせた。カチリと小さな音がして、ノクティスから垂れ流しになっていた魔力の気配がピタリと止まる。
ずっと吹き荒れていた嵐が突然無風になったような感覚に、男も、向かいの座席の従者も、驚いたようにノクティスを見ていた。
「……良い子……手紙をそこに……結んでください」
「はい」
男は手紙を細く折ってから、ノクティスの首輪にそれをしっかりと結びつけた。
「こちらに鳥を……連れてきて……ありがとう」
男の籠手の上に乗り、ノクティスがアロエットのそばに来る。
痛みに耐えながらアロエットが右手を伸ばすと、指先にふわりとノクティスの羽が触れた。ふと緊張が解けて、アロエットは思わず優しい笑みを浮かべた。
ノクティスの頬のあたりを少しだけなでてやり、それから魔道具のスイッチを切るために、震える親指で首輪の小さな目印を押さえる。
(3……2……1……)
再び吹き荒れる魔力に、従者たちが思わず顔を歪めた。
「窓を……開けてください」
男はブラインドを静かに巻き上げ、窓の革ストラップを留め鋲から外すと、ゆっくりとスライドさせて窓を開いた。
草の匂いと共に、ひんやりとした夜風が忍び込んでくる。
男の腕に止まったノクティスが、夜空を見上げた。
「父の元へ馳せよ」
アロエットの静かな詠唱に答え、ノクティスはふわりと羽の星を光らせ、馬車から勢いよく飛び出して行った。
アロエットは、しばし頭上の窓の外を見ていたが、こらえきれなくなったようにまぶたを閉じて眠ってしまった。
続きは、また明日。18:30頃に。




