53 狂犬
コルヴスやアロエットに油断があったわけではなかった。
大規模な魔術の発動で、汗だくでフラフラになっていた弟を屋敷の中に隠しながら、まもなく夜空のドームから現れるはずの断罪人を、テラスで迎え撃つ予定だった。
覆っていた夜空が巻き上がるように消えていき、断罪人たちの姿が足元から現れる。
フュイは低い姿勢でハンマーを両手で構え、マキュラは投げナイフを手にコルヴスを見ていた。
コルヴスは、武器庫から持ち出した艶やかな黒檀の杖を握り、アロエットと自分の前に見えない盾を作り出した。
アロエットは馬鎧で胴体の防御力を高め、金色の刃のバイデントを下段に構えていた。
魔術の幕の外と内で、音が繋がった瞬間だった。
「引き裂け」
ヴェスの低い詠唱が聞こえた。
狙われたのは、鳥の形に戻ろうとしていたノクティスだった。
そして、ノクティスに最も近い場所にいたのはファルコだった。
コルヴスとアロエットは、扇状に走る切り裂く術の進行方向に含まれており、対応に迫られた。
ノクティスが形を失う魔術を使用中に攻撃を受けるとどうなるのか、ファルコは知らなかった。
ファルコは反射的に大広間の影から飛び出して、羽ばたいて降りてくる輪郭のぼやけたノクティスを庇うように腕に抱いた。
瓦礫やもろくなったテラスの床を、ガッ、ザリザリと音を立てて削りながら、切り裂く爪が無慈悲に迫る。
コルヴスの見えない盾は爪の斬撃と相殺になった。アロエットは素早く斜めに飛び退いた。
そして、二人の背後で「うあっ」と小さな悲鳴が聞こえ、テラスに鮮血が飛び散った。
すべてが一瞬の出来事だった。
「ファルコ!」
コルヴスは振り返り、弟の元に走った。
アロエットは、ファルコとコルヴスを振り返ることなく、彼らを背中にかばうように三人の断罪人の前に進み出た。
「お前たちが崇拝する『遍在の檻』はここにある!」
アロエットは左手を胸に当て、ガツンとバイデントの柄で床を打ち鳴らし、声を張った。
ダークレッドの目が怒りを帯び、怪しく輝いている。
「『遍在の檻』の回収が教会の任務なのだろう! 力を持たないわたくしの弟を狙うのは私怨のため。お門違いな復讐心と、嗜虐心を優先するとは。お前たちは差し詰め薄汚れた狂犬だ!」
アロエットの魔力の気配がさらに強まる。まるで、全身に薄く金の光をまとっているかのようだった。
狂犬呼ばわりされたマキュラは、澄んだ水色の目を細めて不快感をあらわにした。
アロエットの挑発に、フュイはわざわざ武器を持ち直してまでパチパチパチと場違いな拍手を送る。
「凄い! 兄弟のために、慣れない挑発までして敵の目を引き付けるなんて……! 君って『器』みたいに高潔だね。いいよ、いいよ!」
彼は興奮した様子でそう言うと、アロエットに熱のこもった視線を送る。
アロエットはそちらを見ることもなく、視界を広く保ったまま再びバイデントを下段に構えた。
「潰せ」
ヴェスの湾曲した剣が、アロエットを指し示した。
アロエットの耳に激痛が走り、音が聞こえず息が吸えなくなった。
(握り潰される……! 『この力を下に、全て流して』)
アロエットのダークレッドの目に、金色の光が混ざる。
『遍在の檻』は、アロエットの願いに応えた。
テラスの床がゴゴッと音を立てるのと同時に、動けるようになった足で全力でその場から飛び退き、斜め前にガカカッと危なげなく着地する。
先ほどまで立っていた場所は、崩落して大きな穴が開いていた。
アロエットは、耳の違和感を解消するために一瞬だけ鼻を抑えると、再び下段の構えに戻して、ヴェスを睨みつけた。
コルヴスは、アロエットが三人の視線を集めているうちにファルコの元へ駆け寄り、魔術・物理に対する防御を半球状に展開した。
「兄さん……ごめん」
ファルコは力のない声で言った。
頭部からの出血があり、どこか意識が朦朧としている様子だった。
「大丈夫だよ。頭の傷をこれでしっかり押さえてて。動いちゃだめだ」
ハンカチを傷口に当ててやると、ファルコは一度だけ頷き、グッと手に力を込めて上から押さえた。
コルヴスは素早くファルコの服をまくり傷を確認する。
腹部に当たったと思われた攻撃は、引き裂かれたショルダーバッグの中に折りたたまれて入っていた魔力遮断の布が、完全に防いでいた。
コルヴスはホッと短い息を吐き、服を戻した。
自らの外套を脱いで丸めると、横たわるファルコの頭の下に敷き、少しでも傷口を高い位置にする。
そして、弟のショルダーバッグに入っていた魔力遮断の布を手に取り、立ち上がった。
「……ノクティス、ファルコを頼む」
ファルコの傍を離れないノクティスに、コルヴスは祈るような気持ちでそう言い残し、紺色の魔力遮断の布をマントのように羽織ると、胸元できつく結んだ。
続きは、また明日。18:30頃に。




