48 帰還
アロエットたちを追うクロスボウの男を、かすかに視界に捉える位置で、コルヴスは馬上の断罪人の攻撃をかわしながら走っていた。
「当たるように攻撃してるのにね。とても素早い兎さんね?」
フードからこぼれ出た彼女の白い髪が、夕日を浴びて輝いた。薄い水色の瞳が細められる。
姿勢を低くし距離を取ると風の刃が飛んでくる。近づくと、遠心力が加わったサーベルが弧を描いてコルヴスを狙った。
コルヴスは隙を見て体勢を整えると、また全速力でアロエットたちを追いはじめた。
「あなたたちは、本当に驚くほどタフね……でも、それはあなたたちの力ではないわ。その力は、ただの人間が触れていいものじゃないの」
彼女の声は静かだが、彼女の怒りとともに、突き刺さるようにコルヴスの耳に届いた。
手綱を繰り突っ込んできた彼女のサーベルの切っ先が、コルヴスの外套の背中を引っかけて切り裂いた。
「あなたは、生きたまま教会に連れて行ってあげる。逃げられないようにしてからね? 『切り裂け、風よ』」
コルヴスは身をひるがえすと、飛び退りながら盾をイメージし自身の前に展開した。
ヒュヒュンッと風が通り過ぎ、コルヴスの後方で石畳に当たってヂッ、ヂッと音を立てた。
コルヴスは見えない盾を維持したまま、這うような低い姿勢で片手を石畳に付け、次の攻撃に備える。
マキュラは攻撃をいったん止めて、コルヴスを見下ろした。口元に優美な笑みをたたえながらも、薄い水色の瞳は何も映していないガラス玉のようだった。
「面白いわね。詠唱もなく、自由にイメージを形にする力。『遍在の檻』は、人間の意識と深く結びつくものなのかしら……? ねえ、あなたの兄弟姉妹は、今どうしてると思う?」
「……!」
それが、アロエットやファルコを指すものではないと、コルヴスはすぐに理解した。
わずかに首をかしげて、マキュラは続けた。白い髪が風になびく。
「あの日から一度も目を覚ますことなく、今も眠っているそうよ」
コルヴスは苦渋の表情を隠せなかった。それでもマキュラから視線を外さない。
コルヴスの表情に釘付けになったように、彼女はうっとりとした様子でそれを眺めた。
マキュラは肩にサーベルを乗せ、コルヴスに向けてゆっくりと馬を進める。
「……あなたが見捨てなければ、あの小さな女の子だけでも助かったかもしれないわね……?」
マキュラの憐れみを帯びた声が、コルヴスの耳朶を打った。
ベッドの上で、目を閉じて苦しそうに横たわっていた妹の姿を思い出し、コルヴスの目が大きく見開かれた。
マキュラは、激しい後悔に揺れるコルヴスの瞳をじっと見つめた。琥珀色の陽の光が真横から差し込み、彼の明るい緑色の目に金色が混ざり合う。
まるで、あの晩の『遍在の檻』を彷彿とさせる厳かな金……今すぐにでもそれを舐め取ってしまいたい衝動を抑え、彼女は自身の唇をなぞるように、艶かしく舌を動かした。
コルヴスは瞬きをして、動揺した表情を消すと無防備に立ち上がった。
「それでも行かなくちゃ……この力は、僕の家族のために使わせてもらう。さようなら」
言い終わると同時に、コルヴスは石畳の境目の外まで一気に飛び越え、マキュラに背を向け走り出した。
マキュラが風の刃を打ち出そうとした瞬間、馬が何かを嫌がるように足元をふらつかせた。
濡れたように光る石畳。
(――凍っている!)
マキュラは、少年が片手を付いた低い姿勢を取っていたことを思い出した。
薄い氷は石畳に広範囲に広がっていた。
上空から、虫の羽音が聞こえた。
マキュラが素早く頭上を確認すると、彼女を中心とした半径数メートルの円環の内に、金色に輝く無数の小さな矢が降り注ぐところだった。
♢
アロエットは、蹄を打ち鳴らして石畳の道を駆けながら考えていた。
この戦いに勝利するためには、自分が確実に前衛として機能する必要がある。
(そのために、1.武器が要る 2.「後衛」を乗せたままでは戦えない)
1と2を満たすために、彼女たちのかつてのペリグリン邸を目指すのは、ありだ。
アロエットはさらに加速した。
前方に、旧ペリグリン邸の外壁が見えてくる。
「あれー? やる気になってくれた?」
後方から馬で追っているフュイが、夕日を受けて美しく揺れるアロエットの尻尾を眺めながら、どこか嬉しそうに呑気な声をかけてくる。
アロエットは、それには反応せずに、ただゴールを目指して駆け抜ける。
この男は先ほど、わざわざアロエットをからかうために、馬に鞭を入れるかのようなあんな矢を射かけてきたのだ。
思い出すだけで顔が熱くなる。
(わたくしの受けた辱めの代償は、きっちり払って頂きますわよ……!)
アロエットは、深い赤色の目に怒りの炎を灯した。
アロエットの怒りを察知したファルコはちらりと後方を見、姉に対し大変嫌な視線を向けるフュイに気づいたようで、反射的に「吹け、風よ!」と、彼の顔に風をぶつけていた。
「ぐあっ!」
後方で男の悲鳴が聞こえ、馬の速度が落ちた。
「ファルコ、逆上させても今はまともに反撃できないから、そこまでにしておいて。でも、ありがとう」
「ごめんなさい。ノクティス『戻れ』」
男がもたもたしている間に、ファルコはノクティスを呼び戻す。
そして、ついにアロエットとファルコは壊れて開いたままの門をくぐり、彼らのホームに帰りついた。
♢
ヴェスは応急処置を終えると、旧ペリグリン邸に向けて再び馬を走らせた。
右腕の方が深い切り傷になっていたが、ヴェスは頬についた掠り傷程度のそれを酷く忌々しく感じた。
「父親の真似事か……虫唾が走る奴らだ」
吐き捨てるように言い、頬ににじんだ血を肩口で拭うと、ヴェスはこらえきれないように残虐な笑みを浮かべた。
やがて、ヴェスもフュイに続いて旧ペリグリン邸の門をくぐった。
続きは、また明日。10:45頃に。




