46 合流
マキュラは、後方から異様な気配が迫ってくるのを感じた。
振り返るが、まだその姿は見えない。しかし、追っている前方の獲物の走り方にわずかに変化が現れた。
(緊張が少し解けたわね? もう一匹の兎さんが追いかけてきている。しかも、『遍在の檻』の力を使った……)
マキュラは、胸中で喜びと怒りが混ざったまま、無意識に笑みを浮かべる。
やがて、彼女の耳に馬の蹄の音が聞こえた。もう一度振り返り、マキュラは目を疑った。
ガガガガという激しく石畳を叩く音は、確かに全速力の馬のそれだったが――馬の胴体に、少女の上半身が生えたものが、後方から途轍もないスピードで迫ってきていた。
屋根の上から、フュイの笑い声が聞こえた気がした。
彼女の魔術の射程圏内に入ったのだろう、ケンタウロスを模した少女は、紺色のローブをはためかせながら、右手を前方に突き出し左手をその肘の内側に添えた。
空間をなでるように右手が動き、複数の金色の矢がマキュラ目掛けて放たれる。
マキュラは、彼女が構えた時点で、魔術を防ぐか相殺するか一瞬考えたが、あの本体の勢いでは仮に魔術に対応できても、そのあとはね飛ばされるだけだ。マキュラは、いったん路地から脇道に飛び込むように退避した。
「切り裂け」
通り過ぎたその背に向け、マキュラは足止めになる程度の風の刃を放ったが、それはローブの表面でかき消されるように弾かれた。
「……へえ、素敵なローブをお召しなのね。面白いわ」
マキュラは片眉を上げてそう言うと、元の道に戻る。標的に担がれていた少年が、ケンタウロスに乗り換えるところだった。
♢
アロエットにファルコを託したコルヴスは、再び全速力で走りはじめた。
「追跡者たちは、あの夜の続きをお望みのようね」
アロエットは、コルヴスの後方を走るために少し速度を落とし、そう切り出した。
ドカカ、ドカカと石畳の上でリズミカルに蹄が鳴る。
「……そのようだね」
全力で走るコルヴスには、会話する余裕はなさそうだった。アロエットは、ファルコへの説明をはじめた。
「お兄様は、訂正や補足をお願いしますね。まず、わたくしたちを追っているのは、ペリグリン邸を襲った教会の『断罪人』だと推測できるわ。服装に見覚えがあるでしょう? そしていま、わたくしたちは追跡されながら、ペリグリンの家に向けて誘導されている」
「うん」
ファルコは質問を挟むことなく、短く返事をして言葉の先を促してくる。
「彼らは、わたくしたちを大罪人だと考えている。わたくしたちは、最も大事な……彼らにとっての神を壊して持ち去った者たちだから」
「……うん」
「でも、教会の命令ではない。広場であれだけのことをして……向こうは退路を断っている。ずっと有利に立ち回っている断罪人が、わたくしたちに本気で攻撃してこない。彼らが、これからペリグリン邸で何をしようとしているか。あまり想像したくはないけれど、こちらを追い詰めて――最終的に命を奪おうと考えているとみていいわ」
「……」
ファルコは返事に詰まったように、黙って頷いた。
「選択肢は二つ。1.このまま三人で逃げて、また一から潜伏生活 2.三人で戦って断罪人を全員殺す……状況によっては、2の上で潜伏生活ということも」
ここをごまかしても仕方がないため、アロエットはファルコに向けて意図的に『殺す』という言葉を使った。
「……うん」
「1であれ、2であれ、わたくしたちの誰か……あるいは三人とも死ぬことは、もちろんあり得るわ」
「……」
「2を選ばずに済むなら――わたくしは絶対に選ばない。けれど、1を選ぶには、『わたくしたちの今の偽りの身元をたどられていないこと』が条件になるわ」
そう口にしながら、断罪人たちが自分たちのルーツをたどっていないことなど、あり得ないだろうと思った。
「もし、身元がわかった状態でわたくしたちが逃げれば、その罪をかぶるのはお義父様、お義母様方よ」
アロエットの声に、苦渋がにじむ。
ファルコの手に力が入ったのがわかる。コルヴスも、おおむね同じ考えなのだろう。そのまま黙ってアロエットの前を走っていた。
ファルコは、長く黙ったままだった。
コルヴスの規則正しい呼吸音と、アロエットの蹄の音だけが狭い路地に響いていた。
選択のときは迫っている。
アロエットは、悩んだ末にファルコに言った。
「ファルコ。あなたは、『遍在の檻』の力を持っていない。彼らが回収したいのは『遍在の檻』を持つわたくしたちよ。いま、貴方がここから離脱したら……彼らも見逃してくれるかもしれないわ」
努めて明るい声でアロエットは言った。この絶望的な状況で、何かひとつだけでも希望にすがりたかった。今の彼女にとっては、それは背中の弟が無事に逃げ延びてくれることだった。
「アロ姉さん」
ファルコは、彼に似合わぬ硬い声音で、彼女の体に抱きつく腕の力を強めて言った。
「僕は、姉さんと兄さんの家族だよ。ノクティスだって。頑張って二人の力になるから。だから」
言葉を区切って、ファルコは続ける。
「どっちの選択肢になっても、僕はずっと一緒にいる。これは、甘えじゃない……僕だけ助かってもダメなんだ。兄さんと姉さんを置いて逃げるなんて、絶対に考えられない! 二人の役に立ちたい!」
弟の声は震えていたが、その決意は固かった。
いつも、どこか客観的な発言をする弟の、精一杯の気持ちを込めた言葉が、アロエットに真っ直ぐ届いた。
「……そうよね。わたくしが間違っていたわ。ごめんなさいね」
弟の言葉を受けて、胸に込み上げるものがあったが、いまはその感情をギュッと押さえつける。
(――どれほどの代償を払うことになっても、全員で生きてここを突破する)
アロエットは覚悟を決めた。
まもなく、路地の終わりというところで、コルヴスは急減速した。後ろから突っ込みそうになったアロエットは、斜め前に出て止まる。
文句を言おうと思ったアロエットは、兄の視線の先を追い……兄の急停止の意味を知った。
開けた視界のその先に、馬に乗った断罪人の男が待ち構えていた。アロエットがケンタウロス姿で振り切ったと思った、あの男だ。
「ここまでの激走、ご苦労だったな」
抑揚のない男の声が、三人を労う言葉を口にした。
続きは、また明日。20:30頃に。




