45 誘導
アロエットは、ファルコの体力が間もなく限界であることに気がついていた。
弟は、オルティス学園の重たいローブを路地に入って早々に脱ぎ捨て、できるだけ身軽になり必死に走っていた。
身に宿した力の影響で、アロエットは体力が尽きるという感覚を、ずいぶん前に失ってしまった。しかし、ファルコはただの十五歳の少年である。
先ほどから、足を止めては上からクロスボウで狙われ、追い立てられるように走り出すことを繰り返していた。
まともに当たれば頭蓋を砕かれて終わりだ。
(少しだけでも、集中する時間が稼げれば……!)
せめて、クロスボウの射線が切れる場所があればと、アロエットは周囲を確認しながら弟とノクティスを連れて走った。
そのときだった。
目の前の交差した路地を、目にも止まらぬ速さでコルヴスが飛び出してきた。
「……お兄様!!」
アロエットは思わず声を上げた。
(なぜ、こんな場所で! ……いえ、これが偶然なはずがない!)
急ブレーキで止まった兄に、アロエットは焦りも隠さず短く用件を伝える。
「ファルコを連れて逃げて!」
コルヴスもこの状況のまずさに気づき、「わかった!」とだけ返すと、弟を肩に担ぎ上げて素早く出発した。
(学園の外で『遍在の檻』の欠片が、すべてそろってしまった……いや、集められたのか!)
「……喋るなよ! 舌を噛むぞ!」
「うんっ、兄さん、屋根の上にクロスボウ、路地から何か来てる」
荒い息遣いでそれだけ言うと、ファルコは黙った。
肩に担がれたファルコの背中にノクティスは止まっている。
コルヴスは体内の力を、全身を強化するイメージで配分し直した。
(あの白い髪の奴は……今の状態では、そのうち追いつかれるな)
長い直線で後方をチラリと確認し、コルヴスはそう計算した。ヒュッと風を切る音がして、ガツンッとコルヴスのすぐ傍の石畳にクロスボウの矢が着弾し、火花が散る。
(クロスボウの奴と白い髪の奴は、こちらについてきている。残りの一人はアロエットの方か)
姿の見えないもう一人に不安を覚えつつも、そちらはアロエットに任せるしかなかった。
ファルコは呼吸を整えつつ、首を上げて後方を見る。兄の背後を走る白い髪をなびかせた黒装束の女は、先ほどより接近してきていた。
「兄さんは、このまま走って! 『低く飛べ!』」
ファルコは短く詠唱し、ノクティスを後方の追手に向けて飛ばす。これなら、上からクロスボウでは狙いづらいはずだ!
「!」
前方から飛来したノクティスに虚を突かれ、追跡者の足が緩む。しかし、すぐさまチェストリグに取り付けられたナイフを、右手で引き抜いて構えた。
「避けろ!」
ファルコが叫ぶと、ノクティスはそのナイフを避けるように左に旋回して、後方から再び彼女の前に回り込む。
「うっ!」
翼が顔に当たり、追跡者の足が止まる。
「ノクティス! 戻れ!」
ファルコがノクティスを呼び戻し、「よくできました!」と背中に着地したノクティスを褒める。
分かれ道に差しかかったところで、再び上からクロスボウが放たれた。
(誘導されている!)
コルヴスは、迷う時間も与えられないまま、クロスボウによって進行方向をとっさに選択させられていた。
(どこに誘導されている……? 無理に突破しようとすると、直撃しかねないぞ!)
ずり落ちそうになる弟を抱え直し、コルヴスは考える。
(アロエットとの再合流までは、このまま走るしかない!)
現状では、追跡者たちの裏をかくだけの余裕は、コルヴスにもファルコにもなかった。
♢
いつの間にか、路地には長い影が伸びていた。
後方から追ってきているであろう『もう一人』は、いまだ姿を現さない。
アロエットは緩いカーブの先、アーチの奥に伸びた階段の影に駆け込むと、ファルコが作ってくれたアンクレットを壊さないように外し、ローブのポケットにしっかりとしまった。
目を閉じ集中してイメージを描く。
『遍在の檻』はそれに応え……彼女が目を開いたときには視線がグッと高くなっていた。
前足を動かすと、石畳を蹄が叩くカツッという音がする。
アロエットは、下半身が美しいライトグレーの馬体となり、上半身を夜空色のローブで包んだケンタウロスの姿へと変わっていた。
階段のすぐそばで、靴音がした。
(――きた!)
アロエットは階段の陰から飛び出すと、靴音がした方向に相手をはね飛ばすつもりで突進する。
「っ! クソッ!」
黒装束の男は、想定外の姿をしたアロエットの突撃を避けることしかできなかった。
アロエットは男が怯んだ隙に、そのまま目の前をすり抜けるように駆ける。
ファルコを担いだまま逃げるコルヴスを追いかけ、アロエットは路地に蹄の音を響かせて走り出した。
先ほど兄弟と別れた地点を通り過ぎ、コルヴスの走っていった方向へと疾風の如く駆けていく。
分かれ道に差しかかると、そこには必ずクラウンボルトの目印があった。アロエットは迷わず分岐を駆け抜ける。
(どこに誘いこまれているのかしら)
これまで走った方角と距離から考えると、もうそろそろ東区の端を出ようとしているはずだ。
学園と現在地を結んだ、その延長上にあるもの——
「ペリグリン邸……」
あの日、あの夜から一度も帰ることが叶わなかった、アロエットの――家族の家。
追手が何者かわかった時点で、すぐに気づくべきだった。全速力で駆ける足が、さらに速度を増していく。
アロエットの目が、前方の小柄な断罪人を捉えた。
続きは、また明日。18:30頃に。




