40 教会の奥で
セレスティス教会、聖枢院執務区画のフロアは、常に静けさに包まれていた。
上質なスチールブルーの絨毯が敷かれた廊下は急いで歩いても足音ひとつ立たず、防音に優れた各部屋の入口には、セレスティス教会のダイヤのシンボルが刻まれたブラックウォルナットの扉が、固く閉じられ並んでいた。
「コルネリア君のレベルが上がって、今日から『聖枢卿ヴァレリウス』の護衛兼専属秘書になったよ〜」
相好を崩し、金髪碧眼の紳士が嬉しそうにパチパチと拍手する。毅然とした雰囲気のコルネリアは、微動だにせず背筋を伸ばしたまま、器用に片眉だけを釣り上げて口を開いた。
「これまでの仕事に、仕事が増えるんですね?」
明るいアッシュブラウンの髪を一つに束ねたコルネリアは、ダークブルーの瞳で、その紳士――ヴァレリウスを見下ろした。
シンプルな紺色の法衣を纏った威圧感たっぷりのコルネリアに、近づき過ぎたヴァレリウスは見上げるように首を反らして反論する。
「そんな言い方しないでよ! ほら、今まで極秘扱いで読めなかった資料も、読み放題になったんだよ? 喜んで欲しいな」
無邪気に笑ってそう告げる彼は、教会都市国家の最高意思決定機関『聖枢院』に名を連ねる者であることを示す、漆黒の位階布を身に着けていた。
執務机の上で山積みになった資料を、ずいっとコルネリアの方に押しやりながら、彼はウインクを寄越した。
ヴァレリウスは、自分の父よりも年上のはずだが、猫を被る必要がある場面以外ではずっとこの調子だ。
彼女は、胸中で盛大にため息をついた。
(これはやはり、労働強化だな)
コルネリアは表情も変えずに、自らの机に全ての資料を運んだ。
(ずいぶんと古い資料も混ざっているな……)
丁寧に一冊ずつ表紙を確認していく。それらは主に、『遍在の檻』に関する資料だった。
そのうちの一冊のタイトルを見て、コルネリアの手がピタリと止まる。
『「器」の管理計画』
コルネリアはヴァレリウスに拾われる前は、聖騎士として僻地巡礼に同行していた。
幸いなことに自然と生まれることがあるという、教会の外部由来の『移しの器』には、出会うことなく任期を終えた。
教会の外で、『移しの器』の資格がある蒼鉛色の髪と目を持つ子どもが見つかった場合は、それまでの扶養費の幾ばくかと引き換えに、家族から教会へと身柄を移される。
(――どう考えても、それは人買いの所業だ)
パラリと乾いた音を立てて、ページをめくる。
自らの仕事を進めつつ、その様子を横目で見ていたヴァレリウスは、彼女が最初にその一冊を選ぶことはわかっていた。
(コルネリアちゃんは、とーっても分かりやすいよね! それがいいところ、なんだけど)
彼はニヤリとした笑みをすぐに引っ込めて、また自分の仕事に戻っていく。
しばらく室内には、コルネリアが資料のページをめくる音だけが響いていた。
「――!?」
突然、コルネリアが息をのみ、彼女の机が軋んだ音を立てた。
「ヴァレリウス様……これは一体」
さらに資料を読み進めた彼女は、勢いよく立ち上がると、その資料を片手にヴァレリウスに詰め寄った。
「ヴァレリウス様、こんな……このようなことは許されません! 一体誰が……いいえ、あなたは何故、この事を知りながらずっと放置していたのですか!」
「コルネリアちゃん、怖い怖い! 殺気が漏れてるよ!」
ヴァレリウスは椅子に座ったまま、彼女を押し留めるように両手を広げて前後に動かした。
「この少女は、家族から引き離されてたった二年で『移しの儀』を行っている。こちらの少女は、短い期間に立て続けに出産して亡くなっている。そもそも『移しの器』は『神』にのみ身を捧げるものではないのか……? 一体誰の子どもを……」
口元を押さえてコルネリアが黙る。
「コルネリア」
ヴァレリウスの揺るぎない声に、コルネリアはびくっと体を竦ませた。
「コルネリアは、本当に気づかなかったのかい……? 君は巡礼で、外部の『移しの器』を見たことがある?」
「……」
「――教会にはなんで、途切れることなく『移しの器』がいるんだろうねえ?」
口元に笑みを浮かべ、静かにコルネリアに目を向けて、ヴァレリウスが質問を重ねる。
柔らかな口調で尋ねられる内容に、コルネリアは答えることもできず、体の芯が冷えていく思いがした。
「なぜ、これまで疑問に思わなかった? 考えるのを止めなければ、答えにたどり着いたはずだ。教会が、どのようにして『移しの器』を確保してきたのか」
ヴァレリウスが立ち上がる。コルネリアは、小柄な上司の威圧感に思わず一歩後ずさった。
「だが……教会では皆がそうだ。皆が、祈りを捧げることであの地下のど真ん中で眠る憐れな『器』のことを、考えないようにしている」
「……」
コルネリアは、何ひとつ反論できなかった。
「これを変えるのは、僕にだって容易じゃない。準備が要るんだよ」
執務机に視線を落とし、自嘲気味に笑うヴァレリウスの声には、わずかに苦さが混ざっていた。
一度言葉を区切ると、彼はコルネリアに尋ねた。
「いつも言っているだろう?」
「……考えるのをやめるな。動くときは静かに」
ヴァレリウスは、コルネリアの答えに満足したように、笑顔になる。
「そうだ。今は情報を集め、考えを巡らせたまえ。僕が動くときまで」
続きは、また明日。10:45頃に。




