35 二人ぼっちの家族
アロエットは、図書室での報告に大変驚き、そして怒っていた。
空気は、ピンと音を立てそうなほど張り詰めていた。
「確か、今回のノクティスの偵察は、『試運転』とおっしゃっていたのではなくて? それがなぜ、大聖堂の中庭に忍び込むことに……?」
まるで陶器の人形のように、左右の調和の取れた微笑みをたたえて、アロエットは一切とがめるトーンを含まない、美しい声で言葉を紡ぎ出した。
しかし、その言葉にみぞおちの辺りをぎゅうぎゅうと押されるかのように、コルヴスとファルコは身を縮めていた。
「アロエット、これは半分はアクシデントなんだ」
顔色を悪くして、小柄な体をさらに小さくする弟を見かねた様子で、コルヴスは二人の間に割って入った。
「お兄様がついていながら、このような状況になった理由は、後ほど説明していただきます。今はファルコにお尋ねしています。半分はアクシデント、残り半分はなんですの? ファルコ」
「ル……ルル……ルカ兄さんの姿が見れたらいいなって、ちょっと思ってしまいました!」
(ここで適当な言い訳をしないのが、ファルコの良いところではあるんだけど……)
笑いそうになるのをこらえて、彫刻のような微笑みでアロエットは続ける。
「それで、中庭で、人の判別がつく高さまで降りて。上から観察したところ、小さな子どもが倒れていて、近寄って助ける方法を探していたら、その子どもに気づかれた……と」
丁寧に区切って確認をすると、自分でもその判断がよくなかったことに気づいたのだろう。ファルコは唇をキュッと噛んだ後に、「そうです」と短く答えた。
今日はあまりなでてもらえなそうだと悟ったように、ノクティスは早々に目を閉じて羽をふわりと膨らませていた。
アロエットは、弟はなぜ、ずっと変わりなく善良であり続けるのだろうかと、ふと考えた。色んな苦労をしてきたはずなのに、根はお人好しのままだ。
それでも、持っている体は一つ。命も一つなのだ。
「ファルコ。あなたの人柄には、本当に敬意を表します。でも、優先順位を間違えてはいけません。教会は……少なくともわたくしたちにとっては、やはり恐ろしいところよ。見つかって捕らえられたら、いま教会にいる家族のことを助ける人間はいなくなるし、わたくしたちのことを誰も助けられないわ。どうか、自分をもっと大切にしてほしい」
説教をするつもりだったのだが、アロエットの口から出たのは、弟を心配する言葉だけだった。
「はい。ごめんなさい」
説教よりも、姉に心配をかけてしまったことが深く刺さったのだろう。彼は反省した様子で、アロエットの目を見て、しっかりと返事をした。
(それでもファルコは、また何かを見つけては、お節介を焼いてしまうのだろうけれど……)
テーブルの上に置かれた手にそっと触れると、ファルコの手は冷たくなっていた。弟は緊張が高まると、すぐに手が冷たくなってしまう。
指先を温めるように手を覆っていると、ファルコがおずおずと口を開いた。
「あの……それで、その子のことなんだけどね」
「なにかしら?」
アロエットは、説教は終わりましたよとサインを送るように、穏やかな笑みをファルコに向けた。
「たぶん、僕たちの妹みたいなんだ。そして、『移しの器』の特徴を持ってる」
アロエットは、穏やかな笑みを浮かべたまま、思わず手に力が入ってしまった。
「っつ! 痛ててて! 姉さん痛い!」
指を思いきり手の甲の方へ曲げられたファルコの悲鳴に、ノクティスが驚いて目を覚まし、バサバサと羽を動かした。
「ごめんなさい」
アロエットは慌てて彼の手を離した。
それから、ぎこちなく水平に首を回して隣を見ると、コルヴスは真面目な顔で頷いて言った。
「ぱっと見の年齢からも、顔立ちからも、その可能性が高いと思う」
アロエットは、額に手の甲を当てて天を仰いだ。
フリーズしていた思考が戻って来て、アロエットは言った。
「待って。いったん落ち着きましょう」
自分が一番落ち着いていない自信はあったが、そう言わずにはいられなかった。
(あの晩、最終的にお母様は『遍在の檻』を、四つ分引き受けたはず。その身で、ご無事に出産なさっていた、ということね……)
アロエットは、あれからずっと、新しい命の行く末を考えないようにしていた。
分けられた『遍在の檻』を自ら受け入れてみて、無事に乗り越えられるとはとても思えなかったからだ。それをいまさら、必死に誕生していた命に対して、無邪気に喜んでいい立場ではない気がした。
アロエットの横では、ファルコがぐっと両手を握っていた。
「僕に二人目の妹が生まれてたなんて……」
「……ファルコ」
呟くように言うファルコに、アロエットは心配したように声をかけた。
「すごいよね! 小さいけど、立って歩いてたんだ! 髪と目の色のせいもあるだろうけど、母さんが小さくなったみたいだった! アロ姉さんにも見せてあげたかったな!」
突然、何かを思い出したように、ファルコが興奮して喋り出した。
呆気にとられたアロエットの横で、今度はコルヴスが、喜びのこもった声で語り出した。
「どちらかというと、ファルコを小さくしたような見た目だったけどね。一生懸命口を動かして、何かをしゃべっていたんだよ! たぶん口の動きからして、『ノクティス』と呼んでいたと思う」
途中まであきれた目で兄を見ていたアロエットだったが、コルヴスの説明を聞くなり、急に眉をひそめて質問をした。
「その子はノクティスを見て、『ノクティス』としゃべっていたと? 別の言葉と見間違ったのではありませんか?」
「僕にはそう言っているように見えたけど……。ノクティスも首をかしげて、その子の言葉を聞いていたから、『名前を呼ばれた』ことに反応していたと思う。絵本があって、ぬいぐるみも作られているのなら、たまたま知っていた可能性もあるんじゃないかな?」
コルヴスは、妹が何を気にしているのかわからない様子で、自分がそう判断した理由を説明し、手を伸ばしてノクティスの首元をなでていた。
アロエットは、ゆるく横に首を振った。
「それは奇妙なことですわ。ペリグリン家の人間にとっては、なじみ深い物語ですが、あの絵本は実はずいぶん古いものなので、今は入手不可といって差し支えない状況です。そして、ライラのぬいぐるみは、お母様の手作りですことよ?」
本好きのアロエットの、細かい知識が遺憾なく発揮される。
「そうなの?」
ファルコは、驚いたようにアロエットを見た。
恐らく本に関してではなく、ぬいぐるみのことを言っているのだろう。複雑なハヤブサの形のぬいぐるみは、金の刺繍で綺麗な星模様が入れられていて、職人の手仕事のような仕上がりだった。
「そうすると、あの子が『ノクティス』という名前を知っていた理由が限られてくるね……というか、ルカが教えたんだろうな。報告が後になってしまったけど、中庭から引き上げるとき、その子にルカが近づいていたみたいで、映像ノイズが入っていたんだ。ルカは、彼女の護衛か何かを担当しているのかもしれないね」
コルヴスは複雑な表情を浮かべてそう言うと、前髪を後ろになでつけた。
「ノクティスを見て『ノクティス』だってわかったのなら、ルカ兄さんが自分でわざわざ絵を描いて、お話を聞かせていたのかな?」
想像して面白くなってしまったのか、ファルコは「ふふふ」と笑った。
ファルコの反応はもっともで、ルカが絵を描いたり何かを作ったりするところを、アロエットはほとんど見たことがなかったし、ましてや年少組に進んで本を読み聞かせるような性格でもなかった。
つまり、好んでそれを行ったというよりも、何らかの意図を持って『ノクティス』の姿や物語を、その小さな女の子に伝えていたことになる。
「ルカは教会の中で、一人でペリグリン家の続きをやっているのかもしれないな……」
兄の言葉を聞いて、ファルコは「そう……かもね」と頷いていたが、アロエットはそれらの推測を受け入れるには、まったく気持ちの整理がついていなかった。
「一体なんのために、ルカは……」
教会に情報を流し、家族を壊して――今また家族の形を作ろうとしているのか。
その矛盾した振る舞いによって、深い眠りに沈められた家族を、彼はどのように考えているのか。
ルカに対する、ドロドロとした怒りの感情が、アロエットの胸中に渦巻いた。
アロエットはうつむいて、ゆっくりと息をはき出した。
(……ルカの矛盾した行動。そうせざるを得ない事情があるとしたら。それは、一人で背負うには重すぎるものではないかしら)
小さな妹と二人、教会で孤独に過ごす弟を思うと、アロエットはただ、哀しかった。
続きは、また明日。10:45頃に。




