30 罠
その日、ルカはいつにもまして早起きだった。窓の外はまだ暗く、部屋は少し肌寒かった。一度目が覚めると眠れなくなってしまう彼は、シーツに包まったまま考えていた。
(あのときの感覚は、絶対に誰かが近くにいたはずなんだ……)
先週、市街地の警ら活動中に遭遇した、あの感覚。
兄か、姉か。あるいは、窓から逃げ出した、夜空色のハヤブサか。
(気配がうまく掴めなかったのは、何か魔道具を使っていたのか? それなら、きっとファルコも近くにいるはずだ――教会から遠く離れ、安全に暮らす予定ではなかったのか?)
ルカは目を閉じて、兄姉弟からのメッセージを受け取ったときのことを、ぼんやりと思い出した。
教会に来たばかりの頃、教会の外に出ることができた日のことを。
♢
ルカは、馬車に乗せられて、三人の聖騎士とともに『隠れ家』にやってきた。
両手首には手枷がはめられ、同乗する聖騎士がそこから伸びる鎖を握っていた。ルカの脱走を警戒するように、馬車の後方には護衛が一騎配置されていた。
(まるで、極悪人のような扱いだな……確かに極悪人には違いないか)
あの夜から、五日が経過していた。
同行している聖騎士たちは、どこまで知らされているのだろうか。
父は、教会が神として崇める『遍在の檻』を八つに割り、そのうち四つを子どもたちに持ち逃げさせた。そのうえ、『夜空の器』をさらおうとし、五人もの教会の人間を殺し、合わせて七人の罪のない養子に人体実験を行った罪で処刑された。
罪状は、これから教会の上層部によって正式に決められるだろうが、おおむねこのような内容になるのだろう。
そして、その持ち逃げされた神のひとつを、自分は持っていた。
ルカは、ここに送り出される前に、ある男に淡々と告げられた言葉を思い出した。
『教会内に君の秘密が漏れた場合、立場の保証が難しくなります。そのときは、君の装置を壊して「遍在の檻」を回収せざるを得なくなるので、そのつもりで今日は慎重に動いてください』
その男が脅しではなく、単なる事実としてそう話していることは、ルカにもわかった。
あの夜、屋敷の罠と父の攻撃をかい潜り、兄姉弟妹たちの装置を壊しに来たのは、その男の手下だった。
ペリグリン邸の襲撃を裏で操っていた、研究部門の統括者。その感情の読めない目は、いつだってルカを被検体――特殊な状況に置かれた、珍しい被検体として見ていた。
ルカは、死ぬまで被検体にされるつもりは毛頭なかった。男の監視を離れたこの隠れ家の調査は、研究室の外に足場を作る、最大の機会だった。
「申し訳ありませんが、この先は君に先導してもらうことになります。仕掛けがあるなら、解除しながら進んでください」
手枷に繋がる鎖を持った聖騎士が、そう声をかけた。
「はい」と、ルカは背筋を伸ばして振り返り、はっきりと返事をした。ルカは簡素な修道服を着せられていたが、自分の見せ方くらいは知っていた。
ルカは、道の途中で足を止めた。
森に飲み込まれそうなひっそりとした台座の上に、一対のブロンズ像が飾られていた。それは、とても古い守り神を模して作ったものだと、父が話していたことを思い出す。
全身がくすんでしまったブロンズ像の、顔だけがわずかに綺麗になっているのを見て、ルカは心臓が跳ねた。兄姉弟の誰かが、確かにこの場所にたどり着いていた。二つの像が台座に戻っているということは、既に隠れ家を離れた後だろう。
内心ほっとしながら、ジャラリと鎖の音をさせて手を伸ばし、ルカが二体の像に触れる。
「ここなのか? ……何もないようだが」
聖騎士の一人が、怪訝な声を出す。
「はい。間違いありません。……『|ただいま、みんな《レーディイー、ファミリア》』」
魔道具への音声入力により、家を隠していた認識阻害の魔道具を停止させる。コトリと小さな音を立てて、二つの像は取り外せるようになったが、ルカはそれを置いて隠れ家へと続く道を進んだ。
(――もしも)
石窯を大きくしたような作りの白い壁の隠れ家は、絵本に出てくる魔女の家のようだった。
(もしも、私が死んだら。兄姉弟は悲しんでくれるだろうか)
隠れ家の美しいガラスのドアノブに伸ばした手の、指先が震える。命を賭けた芝居を打たねばならない局面で、思わず感傷的になってしまった自分がおかしかった。
不安な気持ちを押し殺すように、改めて覚悟を決める。
(どんな罠が発動するかはわからない。だけど……生き延びることができたら、私は前に進む!)
カチャッと軽い音がして、抵抗もなくドアは開いた。
続きは、また明日。18:30頃に。




