27 夜を飛ぶもの、駆けるもの
話が一段落し、図書室に静けさが戻る。
ノクティスは、艶々とした瞳で人間たちをみていた。
「……ルカは、教会の人間に囲まれて立っていたんだけど、抵抗をしている様子はなかったし、拘束もされていなかった」
テーブルの上で組んだ指に視線を落として、兄はそう言った。
「そっか。……でも、それだけで、ルカ兄さんが教会と仲間だったとは言えないと思うけど。諦めて大人しく捕まったのかも?それで、今は仲間のふりをしているとか!」
ファルコは兄をなぐさめるためではなく、その可能性は低くないと思い、口に出した。
「そうですわね。それだけでは根拠としては弱い。……ということは、お兄様が『ルカは教会の手先として動いた』と確信を得た情報が、他にあるのではございませんこと?」
アロエットは、責める意図はなく、ただ淡々とそう口にしている様子だった。
二人の視線を受け、コルヴスは観念したように頷いた。
しかし、脱出後の兄は、教会の人間に追われながら逃げていて、明け方には自分たちと合流していたはずだ。一体いつ、どこで、その確信を得たのか。
ふわふわとした羽毛に指を埋めながら、ファルコは、あの夜の続きを――ノクティスと初めて会ったときのことを思い出していた。
♢
ペリグリン邸の二階の窓から放り出されたファルコは、悲鳴を上げながら、足から着地しようとできるだけ体勢を整えた。衝撃を覚悟したが、弾力のある地面で跳ねてひっくり返った。
その手をアロエットが掴み、サッと助け起こすと、
「他にも侵入者がいるから、静かにね。納屋で使えそうなものを見繕っていきましょう」
と小声で、しかし鋭く言った。
「了解、です」
襲撃と、窓から飛んだショックと、殴られたお腹の痛みもこらえつつ、ごちゃ混ぜのまま、それでもなんとかファルコは姉についていった。
屋敷の一角では窓からオレンジ色の炎が漏れ出し、周囲の闇を一層濃くしていた。
アロエットは、まるで足元が完全に見えているかのように、ファルコの手を引いて納屋にたどり着いた。
音を立てないように気をつけながら、納屋に忍び込む。
二人はレインコートを上着代わりに着用し、適当な大きさの袋に、防寒に使えそうな古い毛布と、ナイフ、皮手袋、ロープを放り込んだ。
ファルコがその袋を背負うと同時に、アロエットの体が淡く金色の光を纏ったように見えた。暗い納屋ではよく見えないが、明らかにアロエットの顔の位置がぐんと高くなり、納屋の床で、蹄の音がゴトゴトと鳴った。
「さあ、早く乗って。鞍がないのは申し訳ないけど……しっかり掴まっててね」
(……馬? いや、これは!!)
ファルコは、『遍在の檻』の魔術の、規格外な創造力に感動して声を失った。
納屋にあった大きな箱を踏み台にして、ファルコは急いでその背に乗ると、姉にしがみついた。
火の勢いが増していた。
納屋を出たところで、アロエットは一瞬足を止めて屋敷を見つめた。ファルコは姉を抱きしめるように、しがみつく手に少しだけ力を込めた。
屋敷の方角から、シルエットになった人影が近づいてくる。
「走るわよ!」
「はい!」
ファルコがしっかり足でホールドすると、アロエットの蹄が、地面を力強く蹴った。
姉は、夜の森を悠々と走っているように思えた。規則正しい蹄の音が駆けていく。ファルコにとっては、ほぼ何も見えない真っ暗闇だった。
(あの状況から、いったい何人が逃げ出せただろう――)
寝室に入ってきた黒装束一人に、なす術もなく蹂躙された姉弟たちを思い出し、じわりと目に涙が浮かんだ。
「ファルコ! 何かが近づいてきてる。速度を上げるから、強く掴まって!」
突然、姉の緊張した声が、耳に届いた。
ファルコは姉の体にピタリと上半身をくっつけて、腕と足に力を込めながら、首だけで振り向いて後ろを見る。飛ぶように過ぎる梢の間から星が見えるばかりで、それより下は闇に包まれている。
パタタタ……
後方上空から、かすかな音が聞こえた。
(鳥の羽ばたき? こんな夜に――?)
アッと思う間もなく、背中の荷物に何かがぶつかるような衝撃があった。ファルコは、心臓が止まりそうなほど驚いたが、かなりの速度が出ている姉の背から振り落とされないよう、必死でしがみついていた。
「姉さん!」
ファルコには、震えながらそう叫ぶことしかできなかった。
アロエットは、ファルコに負担にならない程度に急停止して、彼の背後、荷物の上に止まっている、小さな姿で大きな気配のそれを確認した。
「鳥!? ……夜空色のハヤブサ……」
アロエットの声を聞き、背負った荷物の内側に亀のように首を縮めようとしていたファルコは、恐る恐る頭を上げて、首を後ろに回した。頬にふわりと滑らかな羽毛が触れる。
「な、何で、ハヤブサ」
恐怖が解けずに、つっかえながらそう呟いたファルコを、ハヤブサは首をかしげて見ていた。
ハヤブサを肩に乗せ、姉の背に乗ったファルコは、夜が明ける頃にようやく隠れ家の目印である山際の橋にたどり着いた。
一度、隠れ家の確認をしたものの、アロエットが今の姿のままでは入ることができそうにないため、人目を避けるように再び森の中に戻っていた。
「アロ姉さん、僕は降りるから一旦休んだら……?」
ファルコは姉を心配して声をかけるが、アロエットは首を横に振って答えた。
「追手は……おそらく大丈夫だと思うけど、すぐ動けるようにまだ乗っておいて。わたくしがこの姿でなければ、もう少しやりようもあるのだけど……戻り方がわからなくて、ごめんなさいね」
「姉さんが謝ることはないよ。僕のために、その姿になったんだから」
ファルコは、申し訳なさそうに頭を下げた。
空が白みはじめていた。
朝靄の中で、姉の姿はとても幻想的に見えるだろう。
ナイトシャツとレインコートを身に着けた姉の、腰の低い位置あたりから、美しい芦毛の馬の……肩から下が生えていた。その姿は、ファルコが昔、物語で読んだことのあるケンタウロスの特徴そのものだった。
「……馬になったつもりだったんだけどね」
アロエットは、悲しげにぽつりと漏らした。
「……馬だと僕と意思疎通できたか怪しいから、これでよかったんだよ、姉さん」
ファルコは大真面目に、姉をなぐさめるつもりでそう口にした。
朝を待つ森は、生き物の気配もなく静かに白い靄に覆われていて、ファルコは姉と二人ぼっちになってしまった気がした。
「誰かが、こちらに向かってきますわね」
ふと、東の方角に顔を向けてアロエットがそう言った。その声に、緊張や警戒はない。
朝靄を纏うようにそちらに歩みを進めると、アロエットは声を上げた。
「お兄様……!」
ファルコにも、ようやくその姿が見えた。
一晩中、森を走り続けたのだろう。ナイトシャツにはところどころ破れや汚れがあったが、二人と一羽の姿に驚きつつ笑顔を浮かべるコルヴスは、怪我もなく元気そうだった。
ファルコは、嬉しかった。他の家族も、予定通りにこの隠れ家に逃げ延びてくるかもしれないという希望が、くしゃくしゃに潰れていた心を満たしていった。
兄は、姉の姿を不躾に眺めてしまったことに、ハッと気づいたように謝った。
「……ああ、いや、すまない。アロエットもファルコも、無事で本当によかった! そして、その……これはライラのぬいぐるみの……?」
ファルコは、ハグの代わりに兄が伸ばしてきた手を、しっかりつかんで握手をした。兄の目線がファルコからその肩に止まるハヤブサへと移る。
「おそらく、それを真似た姿の……『遍在の檻』そのものですわね」
ファルコは、これはきっと、魔法生物に近いものだと考えた。八つに割られた『遍在の檻』の一つと思われるものが、特に誰に操られるでもなく、ただの大きな鳥のように自分の肩に止まっていた――
♢
ノクティスは、誰の、どんな意図の魔術なのか。それは、いまだにわからないままだ。
紺色の羽に、金色の星を散らしたような模様。絵本からそのまま飛び出してきたような体の色をしている。首を傾けて、無防備になでてほしそうに頬の辺りを差し出してくる様子に、ファルコは顔をほころばせた。
何かの拍子に、突然この形が失われてしまったり、『夜空の器』に合流してしまったりする可能性は当然あるとファルコは思っていた。それでもノクティスを失いたくないと、いつしか思うようになっていた。
ファルコは、ノクティスをなでる手を止め、コルヴスに体を向けた。
それを合図にしたように、コルヴスは話しはじめた。
「ファルコが最初の隠れ家に残したメッセージに、……ルカは返事をよこしていたんだ」
「――どういうことです?」
アロエットが、訝しむように目を細めてコルヴスに尋ねた。
「えっ……と?」
ファルコは混乱した。
家族の誰かが逃げ延びて、そこに来るかもしれないという希望を持って、ファルコは最初の集合場所に、リスクを承知で兄妹に向けたメッセージを残させてもらった。そして、いつか新しい移動先の隠れ家に、家族が現れるのをファルコは期待して待っていたのだ。
(なんで、コルヴス兄さんが、ルカ兄さんの返事を隠していたの……?)
姉と自分に頭を下げる兄を見て、ファルコは難しい顔をして考え込んだ。
逃走から最初の隠れ家での様子を、スピンオフでまとめています(全四話)
土曜日に完結予定です↓
『妹弟に対する、兄の心配はとどまるところを知らない』
https://ncode.syosetu.com/n4118mt/
続きは、明後日。




