26 脱出
黒装束の青年が見えたと同時に、アロエットは彼に向けて金色の矢を放っていた。
男は何かを確認するように部屋を見回して、ろくに構えもせずにアロエットの攻撃を黒い刃で弾いて霧散させると、瞬きひとつの間に、うずくまっていたルナリアの横に立っていた。
「ルナリア!」
「やめて!」
シャノンが金の鎖を作り出し、影のようにするりと動く侵入者を捕らえようとするが、黒いブレードは再び「ぶちり」と鎖を断ち切った。
返す勢いを利用するように、ルナリアの右上腕の内側にあった水晶の魔道具を、刃の先端が正確に叩いた。装置を守るために重ねて掛けられていた防護魔術は、一瞬の抵抗の後、ブレードの効果に打ち消されて装置ごと砕け散った。カシャン、とグラスが割れるような音がした。
「……ひっ! きゃああああぁぁ!」
小柄な身体から放たれたとは思えない絶叫と共に、彼女の中の『遍在の檻』が金色の粒子となって抜け出していく。
ルナリアの体は受け身も取れずに、崩れるように床に投げ出された。大事に手入れされていた赤い髪が、乱れて床に広がった。
「ルナリア、そんな……! ルナリア!」
アロエットは、口元に両手を当て、ふらりとルナリアに向けて数歩踏み出した。
「アロエット! カイルムだ!」
コルヴスの声に注意を促され、慌てて振り返ると、既に男の体は空いているベッドを利用して軽々と跳躍し、部屋の奥で寄り添っていた弟たちに襲いかかろうとしていた。
着地前にコルヴスが放った風の刃が、侵入者を捉えるが、黒装束の表面でその威力がかき消えた。男の持つ武器も、身に着けた防具も対魔術師仕様のものだった。
シャノンが三度、男に向けて鎖を放つ。今度は足首に絡まり、男がわずかにバランスを崩した。
「雷よ貫…… ぐっ!!」
男に杖を向け、難易度の高い魔術を唱えようとしたファルコが、腹部にブレードの柄を突き込まれて床に転がる。
「そんな危ない魔術はやめてください。加減できませんよ!」
足首に絡まっていた鎖を断ち切り、苛立った声で男が言った。
アロエットが隙を突いて放った矢は、上半身をひねって避けられてしまった。
ファルコは腹部を押さえ、えづきながら床で丸まっている。支えを失って床に倒れたカイルムの左上腕に、ブレードの切っ先が押し込まれる。
「カイルム!」
「ぐああああぁぁー!」
装置が破壊された微かな音と同時に、カイルムは仰け反り、叫び声を上げた。やがて、力を失ったように彼は床の上で静かになった。
「……カイ……ルム!」
ファルコは涙を流しながら、カイルムの体にすがりついた。
開いた扉から、煙が流れ込みはじめた。
(一階が燃えている……お父様……)
この世に地獄があるのなら、今まさに、ここがそうだとアロエットは思った。
装置が壊され、二人から解放された『遍在の檻』は、金色の粒子となって『移しの器』に引き寄せられるように、母の体にゆっくりと入っていくのが見えた。
魔力が『器』に注がれ続け、母の意識が徐々に沈められていく気配を感じる。アロエットには、それを止める術がない。
「はぁ、はぁっ……」
喘ぐように呼吸をしている母が、大きな魔術を使おうとしていることが、『遍在の檻』を取り込んだアロエットにはわかった。
何かを察知したように、男は窓際から飛び退いた。直後にギチリと硬質な音を立てて、丸く切り取られるように壁と窓の一部が消失した。
苦しい息の下から、母が動くことのできる子どもたちの名前を呼ぶ。
「……コルヴス、アロ、ルカ……ファルコ」
呼ばれた後の、アロエットの判断は早かった。うずくまっていたファルコの襟首を掴むと、壁の穴から夜の闇に向けて飛び出した。
「ここ、二階……! きゃああああ!」
甲高い悲鳴を上げるファルコとともに、アロエットの体が闇に投げ出される。風の音が聞こえたのは一瞬で、すぐに地面が近づいた。
♢
「……ここまでが、わたくしが見たあの夜の寝室ですね。わたくしとファルコは、同時に脱出したし、このあたりの情報はほとんど同じじゃないかしら。気づいたことがあれば付け足してね」
「うん。補足できる情報はなかったみたい。何か思い出したらあとで言うね」
妹も弟も、できるだけ普通に振る舞おうとしていたが、その声も表情も硬かった。ファルコは気持ちを落ち着けるように、ノクティスの首輪のあたりをなでていた。
あの夜を振り返ることは、自分たちにとって大きな苦痛を伴う行為だった。
「二人とも、ありがとう」
コルヴスは、二人をいたわるように声をかけた。
「あらためて、こうやって振り返ってみると、わたくしはルカの動きをまったく把握できていませんね。動きがなかったから、気に留めていなかったようです」
後悔をにじませた声で、アロエットはそう言った。
「そうか……僕も多分、ルカの動きは思い出せそうにない。あの夜、二人が脱出したあとからだね」
コルヴスは目を閉じて、そのときのことを思い出しながら話しはじめた。
♢
手にしたばかりの『遍在の檻』という名の武器は、教会の精鋭には通じなかった。
ルナリアとカイルムが倒れ、最も『遍在の檻』となじんで巧みに操作できていた母も、子どもたち二人の分を引き受ける形となり、動きが鈍ってきた。
「……コルヴス、アロ、ルカ……ファルコ」
母が、必死で自分たちの名前を呼んだ。それは事実上、彼女からの撤退命令だった。
アロエットはファルコを連れて、電光石火の如く二階から離脱していった。迷いのない、鮮やかな跳躍だった。ファルコの悲鳴が聞こえ、遠ざかっていく。
コルヴスは、壁の穴に向けて一歩踏み出そうとした黒装束の男の足に、対象を切り裂くイメージの魔術を放つ。
「おっと!」
男は魔術の範囲を軽々と飛び越えると、そのまま床を転がり、ふらつきながら立っていた、背の高いシグナスの背後をとり、盾とした。
「「!」」
コルヴスもシャノンも、咄嗟に攻撃の手を止めた。
シグナスの表情が歪む。彼は、何度か魔術を放とうとしていたが、上手くいかないようだった。
シグナスはベストの内側に隠し持っていたナイフを逆手に抜き、男の右側面へと体をねじりながら叩き込んだ。男が右半身を引き、ナイフが空を切った。同時にシグナスは男の左足へ後ろから滑り込ませるように蹴りを放ち、後方への転倒を誘った。
狙い通りに倒れた男に、シグナスがナイフを手に飛びかかる。男は、倒れたと見せかけ体を丸めて利き足を畳んでいた。男は床に両腕を固定し、シグナスに強烈な蹴りを放つ。まともに食らったシグナスは、体を二つ折りにし、後方に倒れそうになるのを踏みとどまっていた。
男は、シグナスが体勢を整える前に、ブレードでナイフを弾き飛ばすと、背後から首を抱えるように床に引き倒した。再びシグナスが男の盾となる格好になる。
「万全ではないだろうに、ご令息とは思えない強さだな! ……だが、悪いな。こっちは仕事なんだ」
男は膝裏にシグナスの腕を挟み込むように固定し、シャツ越しにシグナスの装置を探り当てると、装置を破壊した。
「クソッ――! ぐぅ、ああああ!!!」
男の拘束から解放されたシグナスは、しばらく叫びながらのたうち回っていたが、やがて静かになった。
「ああ……シグナス……」
母は、もはや声を出すのも辛そうな様子だった。
母の体には、装置を破壊された子どもたちから抜け出た『遍在の檻』が、無情にも次々と流れ込んでいく。
足元をふらつかせた母は、ライラが横たわるベッドに座り、その小さな体を抱き寄せた。ライラも、未だ体内の魔力に苦しめられ、母に身を預けるように目を閉じていた。
階下から上がってくる煙の勢いが、急激に増していた。
全身に黒を纏った男が、ベッドの上の二人に向かって歩きはじめる。
コルヴスは、鋭く切断するような風を男の頭部めがけて放つが、黒い刀身がそれを無効化する。付け焼刃の能力で、止められる相手ではなかった。
(どうすれば――どうすれば!)
そこに、足音もなく、一階を制圧し終えた黒装束の人間たちが、寝室に入ってきた。
『体が動くようになったら、速やかに家を脱出します』
母の声を思い出す。コルヴスは、弾かれたように壁の外に目をやり駆け出すと、その身を闇へと投げ出した。
落ちる直前、部屋の景色が目に入る。コルヴスを追う者、子どもたちの装置だけを狙う者、ベッドの上の母とライラ、そしてルカは――拘束を受ける様子もなく、黒装束たちとともに部屋に残っていた。
(――!?)
考える間もなく、着地点が迫る。頭上には、追手。コルヴスはネコ科の肉食動物のような身のこなしを脳内でイメージし……
『遍在の檻』はそれに応えた。
コルヴスは音もなく着地すると、人間離れした速さで主庭を走り抜け、真っ暗な木々の中に飛び込んだ。
続きはまた明日、10時頃に。
明日は本編に加えて、【6】の補足のストーリーをスピンオフで公開予定です(全四話)




