17 月に手を伸ばす
月明かりが、仄かに部屋を照らしていた。
アロエットは、窓に薄手のカーテンを引き、ベッドの上からその涼やかな淡い光を眺めていた。
別れ際のリアの様子を思い出す。
つないでいた手は、最後まで冷たいままだった。彼女は気丈に笑顔を見せていたが、アルバの……かつての『移しの器』の言葉を、どのように理解したのだろう。
(そもそも、なぜアルバ様は、外部の者も出入りできる保養院にいるのかしら。証言能力を欠くと判断されて、匿われなくなった? 彼女が何者か、知っている人は……おそらく、施設長は知っているわね)
それであれば、施設長のアルバに対する丁重な接し方も納得がいく。
アルバの白いレースの目隠し姿が、アロエットの脳裏に浮かぶ。
彼女が狂言を繰り返し、味方のいない教会の中で、長い歳月をかけて機会を待ち続けてきたのだとしたら、何と途方もない計画だろうか。
今日の彼女の様子ですら、自分たちが仮に施設長に報告したとしても、記憶が一時的に混乱したと処理される範囲内だった。
(でも、アルバ様は間違いなく、わたくしとリアを「機会」だと捉えている――)
アロエットの手を、震えながら強く握りしめたアルバの細い手。学園での帰り道につないだ、リアの冷えきった手。
ベッドから天井に向け、アロエットは手を伸ばす。
この手が震えていたとき、受け止め温めてくれた姉は、今も教会のどこかに保護されているはずだ。
ベッドの上に、ぽすっと軽い音を立てて手を下ろし、目を閉じる。
あの日も、今日のようによく晴れて月がきれいな夜だった。
♢
――アロエットは、カーテンの内側に潜り込むようにして、女子の寝室の窓から、月を眺めていた。
左腕の、透明な水晶のような突起は、触ればその違和感がわかるものの、痛みも感じさせずに、そこに埋め込まれていた。そのことが、アロエットを一層不安にさせていた。
全ての計画の最終説明を受け、この装置の留置を了承したのは自分だ。
それでも、この計画自体から降りるという選択が難しくなったというだけで、こんなにも恐ろしく感じるとは、アロエット自身も驚いていた。
水晶に反射する月の光が、ぼんやりとにじむ。
微かにベッドがきしむ音がした。寝返りの音かと思ったが、ルナリアがベッドから起き出す気配を感じた。アロエットは、慌てて目元を袖で拭って、息を潜めるようにカーテンの中でじっとしていた。
「アロ……?」
ルナリアの、遠慮がちな声が聞こえた。
「ルナリア、起こしちゃった? ごめんね」
アロエットは、いつもの声音を心掛けながら、小声で返事をした。
ルナリアはカーテンの向こうで、それもアロエットから離れた位置から話しかけているのがわかる。
アロエットと同じ年齢の、少しだけ誕生月が早いこの姉は、自分から他人に働きかけるのは、とても苦手なのだ。
(それでも、知らん顔で寝ることはできなかったのね……ルナリアだものね)
ルナリアは、寡黙で、難しい魔術の本ばかり読んでいるけれど、兄弟妹たちを、いつも優しい目で見ているのを、みんな知っていた。一番初めの養子。ずっとみんなを見守ってきたお姉さんだ。
絨毯を踏むかすかな音が遠ざかっていく。アロエットは内心ほっとしつつ、少し寂しさも覚えた。
続けて、ズ……ズ……と、重ためのものを引きずる音がした。
慌ててカーテンをめくり、音のした方を見ると、椅子を両手に持った姉が、こちらに戻ってくるところだった。
「ルナリア、無理しないで」
慌てて椅子を二つとも持とうとすると、一つはしっかりルナリアがつかんだままだったので、二人で椅子を運んだ。
先ほどの窓の下に、丸みのある、背もたれ付きのシンプルな白い椅子が二つ並んだ。
それから、二人でカーテンに潜り込むように窓の外を見る。月が明るいので、星はあまり見えなかった。
「アロエットでも、怖いことが、あるんだね」
ルナリアは、ぽつりぽつりとアロエットに話しかけた。何も言わずとも、ルナリアにはお見通しらしい。
「それはそうよ! ……ルナリアも怖かった?」
ルナリアは、兄姉弟妹の中では最も早くこの装置の埋め込みを決断し、一番に施術を受けていた。
「怖いことは、沢山あるけど、これは、怖くない」
右の上腕にある装置に触れながら、彼女は月を見上げた。そのブラウンの瞳が、楽しそうに細められた。
アロエットは、ルナリアが嘘や強がりを言わないのを知っていたので、驚いてその顔をまじまじと見つめた。
「なあに?」
「……ううん。そっか。魔術師になるんだもんね」
見つめる妹を不思議そうに見返すルナリアに、アロエットは頬を緩めた。
「わたしが、お父様よりすごい魔術師になって、アロエットが、その装置いらなくなったら、取り除いてあげる」
急に真面目な顔をして、ルナリアはアロエットにそう言った。
「え! 嫌よ。ルナリアが『すごい魔術師』になるなら、わたくしも凄い魔術師がいいわ」
アロエットは笑って、ルナリアに張りあうようにそう言った。
ルナリアも「そうなんだ」と嬉しそうに笑った。
月明かりの下で、赤い髪の少女と赤い瞳の少女は、眠たくなるまで楽しい未来の話を語りあった。夢のように優しく、温かな時間だった――
♢
アロエットは目を開き、薄いカーテン越しの月の光を見た。
その光の下に、寄り添ってくれる人は、もうここにはいない。
ルナリアだけではない。シグナスも、カイルムも、小さなライラも、みんな教会の奥深くへ連れ去られてしまった。
母も、教会の祭壇に飾られたままだ。父の遺体は、もう、見つけることも叶わないだろう。
(わたくしが迷い、足を止めれば、残された家族も失ってしまう。守らなければ)
アロエットを突き動かすのは、失った家族との温かな思い出だった。
(……アルバ様も、まだ抱えているものがあるかもしれない)
教会のことを、もっとよく知らなければならない。
(――ルカのことも、もっと知らなくては)
アロエットは、唇をかみしめた。
情報を集めなければ。
お読みいただき、ありがとうございました。
明日も、10時頃更新予定です。
【4】は、しっとりした話だったので、【5】は元気よくいきます。
(※次の土曜までにep.17-22更新予定です。よろしくお願いします)




