↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/53

16 スペア

 翌朝、教室での朝の支度が終わったタイミングで、リアがアロエットに話しかけてきた。

 今朝は、片サイドにボルドーのリボンとともに編み込みをしていて、それもまたリアによく似合っていた。


「ごきげんよう。アロエット様。昨日は、大変お世話になりました! ありがとうございました」


 リアが深くお辞儀をすると、編み込みも一緒にゆらんと揺れた。


「リア様、ごきげんよう。今日もとても素敵な髪型ですわね。昨日はとても有意義な時間を過ごせましたわ。ありがとうございます」


 アロエットは、手本のような令嬢の笑みでリアを見た。

 リアは軽く三つ編みの先に触れて「ありがとうございます」と、はにかんだ表情を見せた。


「……ところで、アロエット様は、体調はいかがですか?帰り道にご気分が優れないご様子でしたので……」


 リアは声のトーンを落として、そっとアロエットに聞いた。


「ご心配ありがとう。少し立ちくらみしてしまっただけですの。リア様はお優しいですね」


 アロエットが、ふわりと儚げな笑みを向けると、リアは驚いたように胸元に手を当てた。


「こ、光栄です……」


 慌てて小さく答えた彼女の頬が、見る間に赤く染まっていった。

 アロエットはそれを見て、悪戯が成功した子どものように、内心にっこりしていた。


「次の日曜のボランティアには、問題なく参加できると思いますので、またよろしくお願いしますわね」


 あまり儚(はかな)い素振りを見せると、リアがお誘いを遠慮するかもしれないと、アロエットは念を押すようにそう付け加えた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 勢いよく頭を下げ、予鈴とともに、リアは席に戻っていった。


          ♢


 そして、日曜日――



「そなた! 生きておったか! ……リアンナ!」


 二人が保養院の個室に入るなり、シスターアルバは椅子から立ち上がって叫んだ。

 自分が呼ばれたと思って、体をこわばらせていたリアを素通りし、意外なほど素早い動きで紺のローブを着たアロエットを抱きしめ、全身真っ白な老女はおいおいと泣き出した。

 驚いて固まった二人は、顔を見あわせた。


 アロエットは、しばらくシスターアルバの気の済むように、されるがままになっていた。


 先に硬直が解けたのはリアだった。

 シスターアルバの座っていた椅子を、アロエットの椅子の横に引き寄せ、「座ってお話ししましょう」と笑顔で誘導する。そして、なぜかリア自身の椅子もアロエットの反対隣りに「よいしょ、よいしょ」と動かしていた。

 丸い談話室のテーブルには、三脚の椅子がぴったりとくっついて並ぶことになった。


「お使いになって、シスターアルバ……」

「アルバ!」


 アルバはハンカチを差し出すアロエットに、顔を向けて訂正を要求する。


「……お使いになって、アルバ」


 アロエットは目を瞬かせたあと、すぐに令嬢の笑みを取り繕い、ハンカチをアルバに渡した。

 アルバは素直にハンカチを受け取り、白いレースの目隠し越しに涙を拭く仕草をした。

 リアは、こわごわとアルバに話しかける。


「えーと、ア、アルバ?」

「シスターアルバ!」


 リアもまた、アルバから顔を向けられて訂正を促され、小さく首をすくめた。


「シスターアルバ……」


 その顔には、「理不尽だわ!」という思いがありありと浮かんでいた。

 アロエットは、リアになぐさめの目線を送ってから、口を開いた。


「アルバ。わたくしはこの通り、生きておりますわ。ご心配ありがとうございます」


 アルバへと視線を向けたとき、アルバが突然、アロエットの目をその細い手で覆った。危害を加える様子ではなかったので、ここでもアロエットは、なすがままになっていた。

 ざわり、と体内の『遍在(へんざい)の檻(おり)』が反応したような気がした。


 リアは慌てて「シスターアルバ!」と声を上げたが、アロエットは手でリアを制して、アルバの様子をうかがった。


(目……? まぶたを閉じさせたい?)


 アルバの細い手が顔から離れたとき、アロエットはまぶたを閉じて、アルバに向けて優しく微笑んでいた。


「……」


 アルバはしばらくアロエットの顔を見つめていたが、やがて手を伸ばして、彼女の髪に触れた。その手は複雑に結い上げられた髪を、ほどこうとしているようだった。


「リア、アルバを手伝ってくださる?」


 アロエットは、目を閉じたままリアにお願いした。


「は、はい。……でも」


 心配ないと頷いてみせると、リアは立ち上がってアロエットの髪を丁寧にほどきはじめた。艶やかなライトグレーの髪を手櫛で整えながら、夜空色のローブの上に下ろしていく。

 リアは、しばらくアルバとアロエットの近くに立っていたが、静かに席に戻った。


 目を閉じたアロエットの手に、細く、乾いた冷たい指が触れる。


「リアンナ……わたくしは、わたくしは……。ごめんなさい……」


 アルバの話し方が変わった。少し不安げな、少女のような話し方に思えた。


「わたくしは、あなたを教会に差し出して、生き延びてしまいました……」


 テーブルの下、アロエットの膝の上で、アルバの手がアロエットの手を握りしめてぶるぶると震えている。

 アロエットの『遍在の檻』は、その震えに呼応するかのように体内でざわめいていた。

 リアの呼吸が、わずかに速くなった。

 二人とも、口を挟まずにアルバの懺悔(ざんげ)に耳を傾ける。


「あなたの後に、わたくしもそ(・)こ(・)に入る予定だった。覚悟をしていたの……いえ、本当は……とても怖かった! そこで、眠りにつくのは、怖い……!」


 この線が細い老人の、どこにそんな力があるのだろうと不思議に思うほど、驚くような力を込めて、アルバはアロエットの手を握った。アロエットは微かに眉をひそめたが、穏やかな表情を崩さずに相槌を打つ。


「でも、わたくしは、色(・)が(・)薄(・)か(・)っ(・)た(・)から。あの人が代わりに、あなたの後に選ばれてっ」


 アルバはうつむきながら、絞り出すようにそう言った。

 困惑しながらアルバの話を聞いていたアロエットは、一つの事実に思い至った。


(白髪になる前の、この方の髪の色は……)


 突然、アルバは勢いよく顔を上げて、アロエットと額を突きあわせるほどの距離に迫った。


「わたくしは、そのことに、……心の底から安堵してしまった! わたくしの番は来ない! わたくしは助かったって!」


 アルバの血を吐くような叫びが、二人の耳朶(じだ)を打った。


「あなたの名前は『彼紲(ひせつ)』なんかじゃないのに! リアンナなのに! ……皆、忘れてしまった」


 リアの椅子がガタリと音を立てた。


「リア?」


 アロエットが小声で問いかけると、少しの間を置いて、


「大丈夫です。すみません」


 動揺を隠すように、声の震えを抑えながらリアも小声で応えた。

 二人は黙ってアルバの言葉を待った。

 しかし、アルバはもう「ごめんなさい……ごめんなさい……」と小さく繰り返すだけだった。


 防音がしっかりした個室だったことに、アロエットは感謝した。まさか、アルバの口からこのような驚くべき発言が出るとは……


 コンコンコン!


 突然ノックの音が響いた。

 リアは椅子を倒さんばかりに慌てふためいて、「ひゃい!」と返事をして立ち上がる。

 扉を開けると、施設長自らがお茶のトレーを持って立っていた。


「……この教会は、呪われておる」


 いつの間にかアロエットの手を離し、テーブルへと体の向きを戻したアルバは、元の口調で吐き出すようにそう言って、背中を丸めていた。


          ♢


 アロエットは、リアとともに学園への帰途についていた。今回は、行きも帰りも日差しを理由に路地を歩いていた。これならば、何(・)か(・)があっても身を隠す場所は確保できる。

 リアは、もともと白い顔をさらに白くして、アロエットの隣を口数少なく歩いていた。見かねたアロエットが「どこかで休みましょうか?」と声をかけるも、彼女は「大丈夫です」と小さく首を振るだけだった。

 やがて、すれ違う人が途切れた瞬間にリアが口元に片手を添えて、アロエットに向けて囁いた。


「アロエット様は、『彼紲』……『彼紲の器』はご存じですか?」


 何か重大な秘密を口にするような、緊張した声だった。


「……ええ、存じ上げています。確か、『聖唱(せいしょう)の器』の前の『器』ですわね……?」


 アロエットもリアに倣って、リアの耳元に近づき、手を添えて囁いた。

 リアは頷いて話を続ける。


「シスターアルバは、アロエット様のことを……『彼紲の器』に成る前の、『移しの器』のリアンナ様だと思い込んでおいででした」


『移しの器』とは、その身に『遍在の檻』を宿す前の、『器』に成る資格を持つ人間のことだった。『器』に成れば、固有の名前を与えられ、死(・)ぬ(・)ま(・)で(・)祭壇の上に祀(まつ)られる運命にあった。


「……そのようですわね」


 アロエットは、アルバの魂の叫びを思い出して、沈んだ声を出した。


「私は、『器』に成ることは大変名誉なことで、その命が尽きるまで『遍在の檻』とともにあることができると、『器』に成る者はそのために生まれてきて、『器』に成ることこそが最上の幸せであると教わりました。でも、祭壇で穏やかに眠りについておられた『器』の方々は、本当は、恐怖の中で、苦しまれて、……っ、シ、シスターアルバは、一体何を、おっしゃって、いたんでしょう」


 最後は囁き声を保てなくなり、リアはガタガタと体を震わせて口元を両手で覆った。

 向かいから歩いてきた通行人が、リアの様子に心配そうに目を向けて通り過ぎていく。

 アロエットはリアの肩を抱いて通路の端に寄せると、身長差を利用するように、彼女を自らのローブで包み込み、通りすがる人々の目から覆い隠した。


「……リア、息をゆっくり吸って。ゆーっくり吐いて。……そう、上手。もう一度……」


 唇を震わせて深呼吸をするリアの頬は、涙で濡れていた。

 アロエットは、混乱の中にあるこの教会の少女を憐れみ、この震えるほどの苦しみから、ただ救いたいと思った。


 しばらくして、呼吸の仕方を思い出したように落ち着いたリアが、今度は慌てるようにアロエットを見上げてもぞもぞと動いた。


「取り乱してしまい、申し訳ございませんでした……もう、平気です」


 小さな声でそう訴えるので、彼女を腕の中から解放する。

 アロエットは、ローブのベルトループに下がっている時計を確認した。


「リア様。寮の門限が近くなって参りましたので、少しだけ急ぎ足で歩きましょう」


 そう言ってリアに微笑むと、アロエットは流れるような所作で手を差し出した。


「申し訳ございません……アロエット様を巻き込んでしまいました」


 リアは素直に差し出された手を取って、そう言った。

 放心したようなリアの声からは、それが門限のことなのか、それともアルバのことを指しているのかはわからなかった。

 二人は、手をつないで歩きだした。リアの手は、まだ先ほどの緊張が解けない様子で、少し冷たかった。


「わたくしから、本日のことを誰かに話すことはございません」


 アロエットは歩みを止めずに、静かに、しかし、決意を感じさせる声でリアにそう伝えた。


「……ありがとうございます」


 リアは、呟くようにそう返した。


「わたくしたちの身を守るためにも、他言無用ですわね」


 路地を急ぎ足で進みながら、アロエットの言葉に、リアは「はい」と小さく頷いた。



 間もなく夕暮れに染まる美しい教会都市、デーシデリア。


 アロエットが路地を振り返ると大聖堂の尖った屋根が、空を黒く切り取っていた。

 二人は手をつないだまま、それ以上言葉を交わすことなく、その長く伸びる影から抜け出すように、学園への道を急いだ。

お読みいただきありがとうございました。


各話の結末となるエピソードは、土曜日の午前10:00に更新予定です。

どうぞお楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。