表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ペルソナの影  作者: 一宮 沙耶


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/12

8話 捜査 Day1

ホーム転落事故。

処理としては、珍しくもない案件だった。

物理的に押された痕跡はない。鑑識の報告はシンプルだった。

衣服に引きずられた痕も、強く掴まれた痕もない。


「事故だな。」


誰かがそう言う。だが、違和感もある。

被害者のスマホ。死亡直前のメッセージ。


「ごめん。やっぱり無理だ。終わりにしよう。」


送信者は三島 将生。


「こいつが犯人かもしれない。」


若い刑事が言った。恋愛のもつれ。別れ話。絶望して転落。よくある話だ。


「いや、違うな。」


主任は首を振った。


「何がですか?」

「出来すぎてる。」


部屋が静まる。


「このタイミングで、この内容。まるで落とすための一文だ。」


さらに、もう一つ。被害者のスマホには、別の履歴が残っていた。


「明日、駅で話そう。」


これも、三島から。


「呼び出して振ってる?」

「雑すぎるだろ。」


主任は呟く。三島の供述。


「そんなメッセージは送ってない。」


スマホの解析結果。送信時刻、位置情報、全てが一致している。


「じゃあ、本人が嘘を?」

「いや。」


主任は、画面を見つめたまま言った。


「送らされた可能性は?」

「え?」

「スマホは本人しか触れないとは限らない」


空気が変わる。


「なりすまし?」

「あるいは・・・。」


主任は一度言葉を切った。


「もっと厄介な何かだ。」


さらに、決定的な情報。現場の監視カメラ。


「映ってないんですよ。誰も。」

「被害者の周囲に、不審な人物は?」

「いません。少なくとも、それらしい動きはない。」


つまり押していない。だけど落ちている。矛盾。


「じゃあ、どうやって?」


誰も答えられない。そのとき、別の資料が机に置かれた。


「これ、現場近くの聞き込みです。」

「何かあったか?」

「一人だけ、妙な証言が。」


全員の視線が集まる。


「押された気がするって顔だったって」

「顔?」

「はい。実際に押された瞬間は見てない。ただ・・・。」


刑事は紙を見ながら続けた。


「誰かのせいにしたがってるような顔だったって」


沈黙。


「それ、証言として弱いな」

「はい。でも・・・。」


主任は、現場写真を見ながら呟く。


「おかしい。」


血痕の位置、靴の向き、転落角度。

すべてが事故として処理するには、微妙にズレている。


「三島以外の容疑者も出てきたんだな。」

「はい。」


部下がファイルを差し出す。


「四名全員、目の前で見ている位置にいました。」


主任は、眉をひそめた。

多すぎる。そして、都合が良すぎる。

三島は取調室で話していた。


「押された、って聞きましたけど。」

「誰が押したんだ?」

「分かりません。ただ、彼女、名前を呼んでて。」

「あなたの?」

「はい。」


迷いがない。だが、目が揺れている。

聞いたではない。そう思い込んでいる目だ。


次は桜井 咲希に聞く。


「桜井さん、当日のことを教えてください。」


落ち着いた声。無機質な空間。

私は、軽く頷いてから口を開いた。


「はい。」


背筋を伸ばす。姿勢を整える。

こういう場では、“正しくあること”が一番重要。


「私は、渋谷駅のホームにいました。仕事帰りで、人は多かったです。」

「被害者は見ていましたか?」

「いいえ。」


即答。


「気づいたときには、もう落ちていました。」


刑事がメモを取る。


「悲鳴などは?」

「聞いていません。」

「周囲の異変は?」

「特には。」


完璧な流れ。無駄がない。


「では、質問を変えます。」


刑事が少しだけ身を乗り出す。


「押していませんね?」


私は、迷わず答える。


「はい。押していません。」


事実だ。


「近くにはいたんですよね?」

「はい。」

「どのくらいの距離で?」

「手を伸ばせば届くくらいです。」


一瞬だけ、空気が止まる。


「かなり近いですね。」

「そうですね。」


でも問題ない。距離が近いことは、罪じゃない。


「その距離で、何も見えなかった?」

「はい。」


視線は逸らさない。


「誰かが動いた様子も?」

「ありません。」


完璧。論理的にも破綻していない。でも、刑事が、ゆっくりと言う。


「監視カメラでは、あなたの手が前に出ているようにも見える。」


一瞬。本当に、ほんの一瞬だけ。思考が止まる。


「そうですか。」


すぐに整える。


「でも、それは“押した”とは違いますよね?」


冷静に返す。


「人混みですし、バランスを取る動きかもしれません。」


理屈は通っている。刑事は、少しだけ黙る。


「あなた、自信がありますね。」

「はい。」


迷いはない。


「私は、直接的に関与していませんから。」


その言葉は、正しい。でも、その瞬間。頭の奥に、映像が走る。

ホーム。人混み。そして、自分の手。前に出ている。

触れていない。はず。でも——距離が、異様に近い。


「・・・・。」


ほんのわずかに、呼吸が浅くなる。


「どうしました?」


刑事の声。


「いえ、何も。」


私は微笑む。


「続けてください。」


でも、止まらない。記憶が、勝手に再生される。

あの瞬間。誰かが押した。そう思っていた。

でも違う。自分も同じ方向に動いていた。

その事実だけが、じわじわと浮かび上がる。


「桜井さん?」


呼ばれて、意識を戻す。


「はい。」

「最後に一つ。」


刑事の目が、まっすぐこちらを見る。


「あなたは、本当に何もしていないと言い切れますか?」


私は、少しだけ考える。そして、答える。


「はい。」


迷いなく。


「私は、押していません。」


それは、嘘じゃない。でも。


「関係もしていません。」


それも、正しい。はず。なのに。喉の奥に、違和感が残る。

何かが、引っかかっている。


「以上です。」


椅子から立ち上がる。ドアの前まで歩く。

そのとき、ポケットの中で、スマホが震えた。

足が、止まる。見ない方がいい。分かっているのに。


画面を見る。知らない番号。短いメッセージ。


「一番最初に動いたの、あなたですよ。」


思考が、凍る。次の一文。


「自分で気づいてないだけで。」


ゆっくりと顔を上げる。取調室の鏡。

そこに映る自分が、ほんの一瞬だけ、違うタイミングで笑った気がした。


次は佐藤 芽衣。


「佐藤さん、当日のことを教えてください。」


柔らかい声。事務的。でも、少しだけ警戒しているのが分かる。

私は、軽く首を傾けた。


「当日、ですか?」

「はい。渋谷駅での件です。」

「ああ、あれ。」


少しだけ笑う。


「びっくりしましたよね。」


刑事のペンが止まる。


「あなたは現場にいた?」

「いましたよ。」

「どこに?」

「近くです。」


曖昧。でも嘘じゃない。


「どれくらい近く?」

「手、伸ばせば届くくらいかな。」


空気が一瞬だけ張る。


「かなり近いですね。」

「そうですね。」


私は、にこっと笑った。


「でも、何もしてませんよ。」


先に言ってあげる。楽でしょ?刑事が少しだけ目を細める。


「こちらから聞きます。」

「どうぞ?」


楽しそうに答える。


「押しましたか?」

「いいえ。」


即答。間もない。


「見ましたか?」

「うーん。」


少し考えるふり。


「ちゃんとは見てないです。」

「ちゃんと、とは?」

「誰が押したか、とか。」


視線を天井に向ける。


「でも、落ちる瞬間は見ましたよ。」

「その時、何を思いました?」


少しだけ、間が空く。


「綺麗だなって。」


沈黙。刑事の手が止まる。


「綺麗?」

「はい。」


普通に頷く。


「人って、落ちるとき、一瞬ふわってするじゃないですか。」


手で軽く動きを再現する。


「なんか、ああいうの好きなんですよね。」


空気が、明確に変わる。


「怖くはなかった?」

「別に。」


即答。


「だって、もう終わってるし。」


その言い方に、温度がない。刑事が、ゆっくりと息を吐く。


「では、質問を変えます。」

「はい。」

「あなたは、彼女を押していない?」

「押してないですよ。」


にこっと笑う。


「だって、もっといい方法あるのに。」


一瞬、空気が凍る。


「どういう意味ですか?」

「そのままの意味です。」


肩をすくめる。


「直接やるのって、リスク高いじゃないですか。」


完全に素で言っている。


「だから私は、そういうのはしません。」


私はという言い方。刑事の目が鋭くなる。


「つまり、やるとしたら別の方法を取ると?」

「はい。」


あっさり。


「その方が確実だし、綺麗に終わるから。」


沈黙。録音機の音だけがやけに大きい。


「あなた、あの件に関与していないと?」

「してないですよ。」


即答。でも、そのあと。少しだけ、首を傾ける。


「でも・・・。」


刑事が反応する。

「でも?」

「ちょっとだけ、思いました。」


部屋の空気が止まる。


「何を?」


私は、指先を見る。綺麗な手。何もついていない。なのに。


「前に、出たらどうなるかなって。」


静かに言う。


「ほんの一瞬だけ。」


呼吸が、浅くなる。


「そのあと、どうしました?」

「何もしてません。」


顔を上げる。


「でも、気づいたら落ちてました。」


それは事実。


「でも、不思議ですよね。」


少しだけ笑う。


「触ってないのに、触ったみたいな感じが残ってるんです。」


刑事の顔が固まる。


「感触が?」

「はい。」


楽しそうに言う。


「柔らかくて、ちょっと逃げる感じ。」


完全に、あの瞬間の感覚。


「でも私、やってないんですよ?」


にこっと笑う。


「おかしいですよね。」


沈黙。誰も、すぐに言葉を返せない。

そのとき、ポケットの中でスマホが震える。

私は、ちらっと見る。止められない。画面を開く。

知らない番号。


「一番楽しんでましたね」


心臓が、ほんの少しだけ強く打つ。次の一文。


「だから一番深く触れてる。」


指先に、あの感触が蘇る。私は、ゆっくりとスマホを閉じた。

顔を上げる。いつもの笑顔。でも、はっきり分かった。

私は、やってない側じゃない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ