表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ペルソナの影  作者: 一宮 沙耶


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/12

9話 捜査 Day2

翌日も取り調べは続く。

最初は小島 悟。


「小島さん、当日のことを話してもらえますか。」


低い声。抑えたトーン。でも、探っているのが分かる。俺は、少しだけ笑った。


「話しても、信じないでしょ。」


刑事は表情を変えない。


「それは内容次第です。」

「じゃあ、無駄だな。」


椅子に深く座る。


「どうせ、変なやつ扱いされるだけだ。」


沈黙。数秒後、刑事が言う。


「それでも構いません。話してください。」


仕方ない。


「誰かが押した。」


最初に、それだけ言った。刑事のペンが動く。


「誰ですか?」

「分からない。」

「見たんですよね?」

「ああ。」


即答。


「見た。」


間違いなく。


「あの瞬間、目の前で。」

「顔は?」

「思い出せない。」


部屋の空気が止まる。


「見たのに?」

「見たのに。」


苛立ちが混じる。


「そこだけ、抜けてる。」


刑事がじっとこちらを見る。


「他には?」

「腕。」

「腕?」

「誰かの腕が、前に出た。」


目を閉じる。あの瞬間を、無理やり引きずり出す。


「細かった。」

「男か女かは?」

「分からない。」


舌打ちしたくなる。


「普通、分かるだろ。」

「でも分からない。」


それが、一番気持ち悪い。


「じゃあ、あなたではない?」

「違う。」


即答。


「俺じゃない。」


それは確かだ。


「間に合わなかったから。」


刑事の手が止まる。


「間に合わなかった?」

「ああ。」


ゆっくりと目を開ける。


「俺も、やるつもりだった。」


空気が一気に変わる。


「どういう意味ですか?」

「そのままだよ。」


淡々と言う。


「押すつもりだった。」


沈黙。録音機の音だけが響く。


「理由は?」

「壊したかったから。」


迷いなく答える。


「全部。」


刑事がわずかに息を飲む。


「でも・・・。」


言葉を続ける。


「先にやられた。」


あの瞬間。確かに、誰かが先だった。


「だから俺はやってない。」


論理は単純。


「なのに・・・。」


ここで、初めて言葉が止まる。


「何かありますか?」


刑事の声。俺は、自分の手を見る。何もない。


「でも、感触がある。」


静かに言う。


「押したときの。」


部屋が凍る。


「やっていないのに?」

「ああ。」


はっきりと。


「柔らかくて、軽くて」


指が、わずかに動く。


「逃げるみたいな感じ。」


完全に、あの瞬間。


「おかしいだろ。」


自分で言う。


「俺はやってない。」


なのに。


「なんで残ってる?」


誰も答えない。刑事も、黙る。そのとき。


「もう一つある。」


俺は顔を上げる。


「何ですか?」

「全員、動いてた。」


空気が張り詰める。


「全員?」

「ああ。」


はっきりと言う。


「一人じゃない。」


あの違和感。一瞬だけ、重なった動き。


「同時だった。」


刑事の眉が動く。


「そんなこと、ありえますか?」


俺は、少しだけ笑った。


「普通はな。」

「でも?」

「見たんだよ。」


低く言う。


「俺は、ちゃんと見てた。」


はずだった。でも。


「なのに、思い出せない。」


拳を握る。


「一番大事なとこだけ、消えてる。」


そのとき、ポケットの中で、スマホが震えた。

嫌な予感。でも、分かってる。見ないといけない。

画面を開く。知らない番号。


「一番近かったのに、惜しかったですね。」


呼吸が止まる。次の一文。


「でも、ちゃんと触れてますよ」


視線が、自分の手に落ちる。


「四人の中で、一番深く。」


心臓が、大きく鳴る。


「は?」


思わず声が漏れる。刑事が反応する。


「どうしました?」


俺は、ゆっくりとスマホを伏せる。


「いや。」


でも、頭の中では、もう止まらない。一番深く?ありえない。

俺はやってない。やってない、はずなのに。

あの瞬間、ほんの一瞬。


「俺、触れたか?」


誰に聞くでもなく、呟く。そして、理解しかける。

もし、押した”んじゃなくて、乗っただけだとしたら?

誰かの動きに、。全員の動きに。


「はは。」


小さく笑う。


「それなら、全員やってるな。」


刑事が固まる。俺は顔を上げる。はっきりとした声で言う。


「この事件、一人じゃない。」


そして、最後に。


「でも——」


少しだけ、笑った。


「一番やりたかったのは、俺だ。」


その事実だけは、嘘じゃない。


主任は、ここで初めて確信した。この男だけが、事実に一番近い。

だが同時に、一番信用できない。


最後に聞いたのが河野 澪。


「では、河野さん。あの日のことを、順番にお願いします。」


静かな声。無機質な部屋。机の上の録音機が赤く光っている。

私は、少しだけ考えてから口を開いた。


「順番、ですか。」


指先を組む。落ち着いている。少なくとも、表面上は。


「六本木で将生と再会したのがきっかけです。そのあと、神谷莉緒とも会いました。」


刑事は頷く。


「その時の印象は?」


少しだけ、間を置く。


「危うい人だと思いました。」

「危うい?」

「自分で立っていないというか、誰かに全部預けている感じ。」


言いながら、頭の奥にあの日の光景が浮かぶ。笑っている莉緒。

でも、どこにもいない目。


「だから、ああなるのも…理解はできます。」


刑事のペンが止まる。


「ああなるとは?」

「壊れる、という意味です。」


即答だった。


「でも、自殺するタイプじゃない。」


部屋の空気が少し変わる。


「なぜそう思うんですか?」

「彼女は“選ばれる側”でいたかった人ですから。」


私は、まっすぐ刑事を見る。


「自分から終わる人間じゃない。」


沈黙。刑事がゆっくりと口を開く。


「では、押されたと?」

「分かりません。」


初めて、言葉が濁る。


「見てないので。」

「現場にはいたんですよね?」

「はい。」

「どこに?」

「彼女の、後ろです。」


その一言で、空気が凍る。


「かなり近いですね。」

「ええ。」

「何か見えませんでしたか?」


見えなかった。はず。なのに。


「違和感はありました。」

「どんな?」

「誰かが押した、というより」


私は一度、言葉を探す。


「空気が、前に流れた感じがしたんです。」


刑事が眉をひそめる。


「空気?」

「はい。」


自分でもおかしいと思う。でも、それしかない。


「あの場にいた全員が、ほんの少しだけ前に動いたような・・・。」


言った瞬間、自分でゾッとする。


「そんなこと、ありえますか?」


刑事の声。私は、少しだけ笑った。


「普通は、ありえません。」

「でも?」


視線を落とす。指先が、わずかに震えている。


「あのとき、自分も。」


止まる。言っていいのか分からない。でも、もう遅い。


「一歩、出た気がするんです。」


完全な沈黙。録音機の音だけがやけに大きい。


「押しましたか?」


はっきりとした質問。私は、即答した。


「いいえ。」


間違いなく、そう言った。


「触れてません。」


それも、事実。でも。


「じゃあ、なぜ出たと?」


ゆっくりと顔を上げる。


「分かりません。」


本当に分からない。


「ただ・・・。」


言葉が、勝手に出る。


「出てもいいと思った気がするんです。」


その瞬間、部屋の温度が下がった気がした。刑事が黙る。私も黙る。

そして、最後にこう付け加えた。


「でも、それは私じゃない。」


自分でも意味が分からない言葉。


「そう思わないと、説明がつかない。」


録音機のランプが、静かに点滅している。

そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。一瞬だけ、視線が落ちる。

取り出してはいけないと分かっているのに。

画面を見る。知らない番号。短い一文。


「ちゃんと出てましたよ。」


呼吸が止まる。次の一文。


「一番きれいに。」


私は、ゆっくりとスマホを伏せた。顔は、崩さない。

でも、はっきりと分かった。

私は、見ていただけの側じゃない。


主任は、全員の証言を並べた。

押された(将生)、事故(咲希)、見ていない(芽衣)。

誰かが押した(悟)、空気が前に流れた(河野)。バラバラだ。


「逆だな」


部下が顔を上げる。


「え?」

「全部、同じことを言ってる」


沈黙。主任は、現場図にペンを走らせた。

被害者を中心に、五人の位置を書き込む。


「この配置で。」


一人が押した場合、他の四人は押していないと証言する。

だが今回は違う。


「全員が、押していない側の証言をしている。」


部下が息を呑む。


「それって・・・。」


主任は、静かに言った。


「全員が押した場合だけ、こうなる。」


空気が凍る。


「そんなこと、ありえますか?」

「物理的にはな。」


主任は、監視カメラの映像を再生した。

スロー再生。人混み、被害者、その背後に四人。


「止めろ。」


画面を止める。誰も、はっきりとは動いていない。


「今、見えたか?」

「分かりません。」

「そうだろうな。」


主任は、苦く笑った。


「同時すぎるんだよ。」


結論は出ない。出せない。なぜなら上司の指示があったから。


「証拠不十分。事故扱いで処理しろ。」


上からの指示は、それだけだった。

ファイルを閉じる音が、やけに大きく響く。部屋には、もう誰もいない。

主任は、しばらくその場に立ったまま動かなかった。


「誰も嘘はついてない。」


ぽつりと呟く。


「ただ、自分に都合のいい真実を見てるだけだ。」


窓の外。電車が走る音。そのとき、ふと違和感がよぎる。

五人じゃない。あの現場。五人だけじゃない。

もう一人いた。確信に近い何かが、胸の奥に引っかかる。


「誰だ?」


資料をめくる。監視カメラ、証言、位置関係。何度見ても、五人しかいない。

記録上は。でも、いた記憶だけが、消えない。

そのとき、机の上のパソコンが、ひとりでに点いた。

スリープのはずだった画面が、ゆっくりと明るくなる。


「?」


操作していない。なのに、画面が切り替わる。監視カメラ映像。

あの日のホーム。スロー再生。誰も触っていないのに、勝手に進む。


「止まれ。」


思わず声が出る。止まらない。再生速度が、さらに遅くなる。

一コマずつ。人の流れ。足の動き。視線。そして。


「今だ。」


映像が、ぴたりと止まる。主任の呼吸が、浅くなる。

被害者の背後。五人のさらに奥。

人混みの中に、不自然に動いていない一人がいた。


顔は、ぼやけている。輪郭だけが、そこにある。

でも、その視線だけは分かる。まっすぐ、こちらを見ている。


「誰だ、お前は?」


無意識に、画面に近づく。その瞬間、映像のそれが、ゆっくりと口を動かした。

音はない。でも、はっきりと分かる。


「見てるよ。」


主任の背中に、冷たいものが走る。次の瞬間、画面が暗転した。

部屋は、元の静けさに戻る。数秒の沈黙。

やがて、パソコンが完全に落ちる。何もなかったみたいに。


「なんだ今のは?」


震える手で、もう一度電源を入れる。通常通りの画面。

履歴にも、再生記録は残っていない。監視カメラ映像を開く。

同じ場所。同じ時間。だが、さっき見たもう一人は、どこにもいなかった。


主任は、ゆっくりと椅子に座る。心臓の音だけが、やけに大きい。

そして、初めて理解した。この事件は、証拠がないんじゃない。

証拠が、消されている。


そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。知らない番号。開く。


「気づいてしまいましたね。」


息が止まる。


「でも、大丈夫です。」


何が大丈夫なんだ。


「あなたも、もう見ている側ですから。」


指先が、わずかに震える。最後の一文。


「次は、どこまで見えますか?」


その瞬間、主任は、はっきりと感じた。

この事件は、まだ終わっていない。

いや、最初から、終わるように作られていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ