3話 桜井 早希
男性は、勘違いする生き物。
少し笑えば、少し黙れば、少し震えた声で話せば勝手に勘違いをする。
この子は、守ってあげなきゃいけないって。
簡単すぎて、笑える。
「私、こういうお店、慣れてなくて・・・。」
グラスを両手で持つ。目線は少し下。
声は、ほんの少しだけ震わせる。これでいい。
三島 将生は、すぐに引っかかった。
やっぱり。
心の中で、小さく笑う。この手の男性は分かりやすい。
自分に価値があると思ってる男性ほど、純粋な女性に弱い。
だから私は、何も知らない女性を演じる。
本当の私は、そんなものじゃない。
大学の頃から、同じことを繰り返してきた。
男に近づく。好かれる。信じさせる。
そして使う。お金。時間。コネ。全部を。
使えなくなった男性は捨てればいい。
罪悪感? そんなもの、最初からない。
だって向こうも同じだから。
男性はみんな、可愛い女性を所有したいだけ。
なら私は、所有されるふりをして、奪う側になる。
それだけの話。将生は、その中でも当たりだった。
顔、地位、金。全部揃ってる。
これで最後にしようかな。そう思った。
適当に結婚して、遺産でももらって、あとは楽に生きる。
それでいい。そのために必要なのは、ただ一つ。
完璧な彼女を演じること。
「早希って、本当にいい子だよね。」
将生が笑う。知ってる。
「そんなことないですけど。」
少し照れた顔で、目を逸らす。こう言えばいいんでしょう。
全部、分かってる。将生が何を求めているか。どんな表情に弱いか。
どこで手を握ればいいか。全部。
だから、落とすのは簡単だった。部屋に誘った夜も、計算通り。
ワイン、距離、沈黙。
「帰らなくていいんですか?」
この一言で、終わり。将生は選ばれたと勘違いする。
実際は逆なのに。
でも、ひとつだけ想定外があった。
六本木で将生を見た日。知らない女性と、腕を組んで歩いていた。
誰? 正直、驚いた。
あのレベルの男性が、あんな普通の女性と一緒にいるなんて。
綺麗でもない、華もない、どこにでもいる顔。
なのに、やけに距離が近い。
あれ、彼女?
一瞬で、頭の中が冷える。別にいい。将生が他の女性と遊んでても。
でも、選ばれるのがその女性なのは、許せない。
私は、そのまま後をつけた。
女性は、つまらない生活をしていた。
家と会社の往復、誰とも会わない、笑わない。
夜、公園で一人で、月に向かって何か叫んでいた。怖いやつ。
でも、その直後、スマホを見て、気持ち悪いくらい嬉しそうに笑った。
ああ、なるほど、分かった。
あの女性は将生に依存してる。完全に。だから離れない、捨てられない。
面倒なタイプね。そういう女性は、壊れると厄介だ。
でも、大丈夫。壊れる前に消せばいい。
その頃から、少しずつ準備を始めた。
タイミング、場所、状況。事故に見える方法。
一番いいのは駅のホーム。
人も多い、混雑してる、証言も曖昧になる。
ほんの少し、押すだけでいい。
それだけで終わる。でも、その前に、もう一つ問題が起きた。
将生から言われた。
「別れよう」
は? 思考が止まる。
「他に、好きな人ができた。」
一瞬で理解する。ああ、あの女性じゃない。
もっと厄介なやつ。
「それ、本気で言ってる?」
声が、自分でも驚くほど冷たかった。
将生は気づいていない。私が、どこまで知ってるか。
どこまで準備してるか。
いいよ。そこまで言うなら全部、壊してあげる。
その日の夜、スマホに一通のメッセージが届いた。
知らない番号。
「お嬢様、計画、進めますか?」
短い一文。私は、少しだけ笑った。
そして返信する。
「予定通りで。」
数日後、あの女性は駅のホームから落ちた。
人は騒ぎ、誰かが叫び、電車の音がすべてをかき消す。
私は、その映像をニュースで見ていた。
「やっぱりね。」
小さく呟く。計画通り。完璧だった。
ほんの少し、押すだけ。それで終わる。そのはずだった。
グラスを持つ手が、わずかに止まる。おかしい。
映像の中の、あの瞬間。何度も、何度も、頭の中で再生する。
タイミングは完璧だった。位置も、距離も。私の手は、確かに届いていた。
でも、触れてない? ぽつりと、声が漏れる。
記憶が、ずれている。押したはずなのに。
あの感触が、思い出せない。
代わりに残っているのは、別の違和感。
視界の端で、誰かの腕が動いた。
私じゃない。
もっと近い位置から、自然に、何気なく。
まるで、最初から、そこにいたみたいに。
息が浅くなる。ありえない。
あの場にいた人間は、全員把握している。将生、あの女、もう一人、そして私。
それ以外は、ただの群衆。なのに。どうして、一人だけ思い出せないの?
背後で、声がした気がした。振り返る。誰もいない。
スマホが震える。知らない番号。開く。
「見えてないだけですよ」
喉が乾く。
「あなたも、押してない側ですか?」
その瞬間、背中に、あの日と同じ寒気が走った。




