4話 佐藤 芽衣
人は、壊れるとき音なんて立てない。
気づいたときには、もう戻れない場所にいる。
「芽衣ってさ、いつも楽しそうだよね。」
よく言われる。
「悩みなさそう。」
私は、そのたびに笑う。
「うん、ないよ。」
嘘じゃない。悩む前に消すから。
例えばイライラしたとき。
帰り道、コンビニの前で咲いてる花を見つける。
綺麗だなって思う。
でも次の瞬間、ぐしゃって握り潰す。
花びらが潰れて汁が滲む。形が壊れる。
それを見ると、落ち着く。
ああ、大丈夫って思える。もっと酷いことも考える。
夜道で、猫を見かけたとき。これ、刺したらどうなるんだろと。
一瞬、想像する。悲鳴。血。動かなくなる体。
ぞくっとする。でも、そこまではやらない。やったら終わりだから。
私はちゃんと分かってる。どこまでなら壊れていいかを。
だから私は、普通の女性のままで見られたいから。
会社では、明るくて、素直。
ちょっとドジで、誰からも好かれるアシスタント。
「芽衣ちゃん、癒されるわ〜。」
知ってる。そう思われるように動いてるから。
将生も同じ。最初から分かってた。この人は、特別だから。
頭がいい。余裕がある。人をコントロールする側の人間。
だから私は選んだ。
「三島さんって、すごいですよね。」
少し尊敬を混ぜて、少しだけ距離を置く。
近すぎてもダメ。遠すぎてもダメ。一番気になる距離を保つ。
本当は、すぐにでも欲しかった。抱きしめられたい。
名前を呼ばれたい。自分だけを見てほしい。
でも、それを出したら終わる。
だから、抑える。全部、計算。あの日も、そう。飲み会の帰り。
「少し飲み直す?」
誘われたとき、心の中で笑った。来た。
バーで、少しだけ酔ったふりをする。会話は、ちゃんと聞く。
でも時々、ぼーっとする。隙を見せる。
そのあとは、覚えてないフリ。でも、本当は全部覚えてる。
ホテル、ベッド、抱かれたこと。そして何もつけてなかったことも。
大丈夫。確率は、ゼロじゃない。
次の日、私は何も知らない顔をした。
「ごめんね。」
そう言われたとき、少しだけ笑う。違うでしょう。
謝るところ、そこじゃない。
「彼女、いるんですか?」
小さく聞く。いない、と言わせる。
そのあと、将生の顔を見つめる。
「私と、付き合ってください。」
順番は完璧。逃げ道も、言い訳も与えない。
そして手に入れた。
そこからは、簡単だった。会う回数を増やす。
依存させる。いないと寂しい存在になる。
でも、それだけじゃ足りない。
私は知ってる。男は、理由がないと結婚しない。だから作る。
1ヶ月半後、来なかった。ほら来たでしょう。
病院で言われたとき、世界が、明るくなる。
「おめでとうございます。」
私は、笑った。これで、将生は逃げられない。
将生は、責任を取る人間。逃げるタイプじゃない。
だから結婚できる。
でも、その前に、一人、邪魔がいる。
六本木で見たあの女性。地味で、暗くて、取り柄もない。
なのに将生と腕を組んでいた。
何あれ? 意味が分からなかった。
私の方がいい。全部、上。なのに、どうして?
理解できないものは、消すしかない。
それと同時に、もう一つ、気づいていた。
将生が、何か隠してること。
視線、タイミング、言葉の選び方。
他にも女性はいる。確信に変わる。
じゃあ、いいよ。全部まとめて終わらせてあげる。
私は、手紙を書いた。震える字で。でも内容は、完璧。
「将生へ、私、赤ちゃんができました。」
それを、鞄に入れる。
誰かに見られてもいい。むしろ見られた方がいい。
その日の夜、スマホにメッセージが来た。知らない番号。
「例の件、動いてるみたいですよ。」
一瞬、考える。誰? でも、すぐに理解する。
私の電話番号を知っているのはなぜ?
でも、将生の別の彼女しかいない。
やることは、同じ。私は、短く返信した。
「好きにしていいよ。」
数日後、ニュースが流れる。
「駅で女性が転落。」
私は、テレビを見ながら、ゆっくりとお腹に手を当てた。
「大丈夫だよ」
小さく、微笑む。
「全部、うまくいくからね。」
そのはずだった。画面の中で、繰り返される映像。何度も、同じ瞬間が流れる。
ホーム。人混み。そして、落ちる直前の、ほんの一瞬。
私は、リモコンを持つ手を止めた。
「あれ?」
無意識に、巻き戻す。もう一度。もう一度。
その瞬間、映像の端に、誰かの手が映っている。
白い指。細くて、綺麗な手。
「あ。」
息が止まる。あの手、知ってる。見慣れている。毎日、見てる。私の手だ。
「うそ。」
でも、おかしい。あの日、私は、押してない。はっきり覚えてる。
だって私は、もっといい方法を選ぶはずだから。
直接なんて、しない。
なのに、画面の中の私の手は、確かに前に出ていた。
触れるか触れないかの距離で。
「なんで?」
指先が震える。記憶と映像が、噛み合わない。
そのとき、テーブルの上のスマホが震えた。
知らない番号。ゆっくりと、メッセージを開く。
「大丈夫ですよ。」
意味が分からない。
「ほんの少し、思っただけですから。」
喉の奥が冷たくなる。
「それでも、人は前に出る。」
画面を持つ手に、力が入らない。最後の一文。
「あなたも、ちゃんと参加してます。」
その瞬間、私は反射的に自分の手を見た。綺麗な指。何もついていない。
でも、確かに、押した感触だけが残っていた。




