1話 神谷 莉緒
私は、他の人より少しだけ、いい人だと思う。
少なくとも、あの子達みたいに、陰で人を笑ったりはしない。
誰かを貶して、自分の価値を上げようとしたこともない。
だから私は、損をしてきた。でも、それでいい。
心が綺麗な方が、最後に選ばれるはずだから。
そう思っていた。
「莉緒、どうしたの? ぼーっとして。」
向かいに座る将生が優しく笑う。
夜景の見えるレストラン。
グラスに映る光さえ、どこか現実感がない。
「ううん、なんでもない。」
私は慌てて笑顔を作る。
この人は、私を選んでくれた人だ。
三島 将生。
ハーバード卒。大手商社。年収1000万。
そして、こんな私を、好きになってくれた人。
昔から、私は、選ばれない側だった。
可愛くもない。目立ちもしない。
誰かの、ついででしか呼ばれない存在。
友達だと思っていた子が陰で話していたのを聞く。
「莉緒にも優しくしてる私っていい人でしょう。」
慣れている。だから私は、決めていた。
外見じゃなくて、中身で勝つって。
「今日さ、大事な話があるんだ。」
将生が、ナイフを置いて言った。
心臓が跳ねる。来た。やっと。
たぶん、そういう話だ。プロポーズ。同棲。
海外転勤についてきて欲しいとか。私はどれでもいい。
私は、選ばれたんだから。
「うん、聞く。」
そう言ったのに、将生はすぐには続けなかった。
少しだけ視線を逸らす。ほんの一瞬。
でも私は、それを見逃さなかった。
あれ? 違和感が引っかかる。
将生は、基本的に完璧な人だ。
優しいし、スマートだし、何をしても絵になる。
私みたいな人間とは、違う世界の人。
なのに、時々、私を見ていない目をする。
まるで、別の誰かを思い出してるみたいに。
「ごめん、やっぱり…今日はやめとく。」
「え?」
思わず声が出てしまう。
「ちょっと疲れててさ。また今度でいい?」
笑ってる。でも、どこか逃げている。
「そっか。」
私は、笑顔を崩さないようにした。
こういう時、重くなる女は嫌われる。
私は、いい彼女だから。
食事はそのまま終わった。
結局、何の話もなかった。
それでも私は、自分に言い聞かせる。
大丈夫、きっと緊張してただけ。
だって、将生は私のこと・・・。
「このあと、どうする?」
帰り際、私はわざと聞いた。
少しだけ勇気を出して。
「泊まる?」
一瞬の沈黙のあと、将生は頷いた。
ホテルの部屋。夜景がやけに綺麗だった。
逆に、静かすぎて落ち着かない。
「さっきの話、聞いてもいい?」
ワインを飲みながら、私は切り出す。
将生は、グラスを見つめたまま答えない。
「将生?」
「ごめん、今日は無理。」
即答だった。そのままベッドに入り、背中を向ける。
会話は、終わり。なんで?
胸の奥がざわつく。でも、理由はすぐに見つかった。
きっと、恥ずかしいんだ。プロポーズって、勇気いるし。
そういう人だもん、将生は。
私は、自分で納得することにした。そうしないと、怖かったから。
翌朝、将生は早くに部屋を出た。
「ごめん、会議あるから。」
それだけ言って。私の方を、ほとんど見ずに。
「いってらっしゃい。」
笑顔で送り出す。完璧に、いつも通りに。
ドアが閉まる。静寂。
そのとき、床に何かが落ちているのに気づいた。
将生の鞄から落ちたらしい。一通の封筒。なにこれ?
拾い上げる。少しだけ、重い。中に紙が入っている。
一瞬、迷った。でも、すぐに開けた。
恋人なんだから問題ない。そう思ったから。
中には、手紙が入っていた。女性の字。
丁寧で、少し震えている。
「将生へ。私、赤ちゃんができました。」
思考が止まる。
「は?」
視界が、揺れる。そのとき、ふと気づく。
昨日、将生が話せなかった理由。そして、あの一瞬の目の意味に。
私は、ゆっくりと笑った。
「そっか。」
なるほどね。じゃあ、邪魔なものは消さないと。
その時、私は、もう誰かが動いていることに気づいていなかった。




