プロローグ
あなたは人を殺したことがありますか?
たぶん、ありませんよね。
でも、私は、あなたに押されて死にました。
あの日、金属の悲鳴みたいな音が響く。
次の瞬間、私は自分の死体を見ていた。
線路の上に、バラバラに転がっている。
血が、ゆっくりと広がっていく。なのに、痛みはない。おかしい。
視界が高い。ああ、そうか。私は今、上から見ている。
自分の死体とは別の存在として。
誰かに、押された。その事実だけが、やけに鮮明だった。
振り返る。でも、そこにはもう誰もいない。
さっきまでいたはずの人間も、音も、駅のざわめきも、
全部、綺麗に消えていた。
残っているのは、闇と、壊れた私だけ。
「なんで?」
死ぬ理由なんてなかった。むしろ、うまくいっていた。
恋人がいて、これからの未来も、ちゃんと続いていくはずだった。
それなのに、背中に、確かに残っている。
あの感触。ほんの一瞬、軽く触れられただけのような。
でも確実に、前に押された、あの違和感。
事故じゃない。私は、殺された。でも、誰に?
思い出そうとした、そのときだった。ふっと、頭の奥に浮かぶ。
ホームにいた人たちの顔。すれ違っただけの人。
隣に立っていた人。後ろにいた、名前も知らない誰か。
全員、普通の顔をしていた。
優しそうで、無関心で、どこにでもいる、ただの人間。
でも私は知っている。
人は、ほんの一瞬だけ、自分でも気づかないくらい小さな衝動で、動くことがある。
「邪魔だな。」
「ちょっとだけ前に出たい。」
「どいてくれればいいのに。」
声にもならない、そのほんの少し。
もし、それが同時に重なったら? ぞくりとする。
その瞬間、確信した。あのとき、私の背中に触れたのは一人じゃない。全員だ。
ねえ。あなたは、本当に押していない側だと言い切れる?




