57.ただ悠々とワルツは奏でられ
学校の最寄り駅から電車で一駅移動し、そこから更に十分ほど歩いて大通りに建ち並んだ高層マンションの真下まで来た名乃と月下は、しばし圧倒されるような形で高々と見上げていた。
「えっと……着きました。どうやらこの建物みたいです」
「凄い所に住んでいらっしゃるんですね。これ何階まであるんだろう?」
「ざっと見た感じでも軽く二十階以上はありそうな高さですね。エントランスホールも広々としていて、セキュリティ対策もしっかりしているようです」
集合玄関機を挟んだ二重構造型の自動ドアの一つ目をくぐり、二つ目のオートロック付き自動ドアの先を見つめながら月下が感嘆の声を漏らす。コンシェルジュらしき人影は見当たらないが、それでも高級感溢れる造りに思わず物欲的な想像を掻き立てられてしまうほどの衝撃を受けていた。
「藍川さんて何号室ですか?」
いつの間にか集合玄関機の前に移動している名乃が入力する直前の構えで月下に尋ねる。
月下は急いでメモを取り出すと、何度かここに訪れていた先生が記入した部屋番号を名乃に伝えた。
言われた数字と呼び出しのボタンを押した名乃がつま先で床を数回叩きながら待っていると、スピーカーの向こうから大人びた落ち着きのある女性の声が返ってくる。
『はい、どちら様ですか?』
「あっ、初めまして。本日予定を変更して藍川さんのお家へ伺わせていただく事になりました、生徒会の柊木と申します」
『あっ、ハイッ。お待ちしておりました』
「本日は突然のご連絡にも拘らずお時間を合わせていただき、本当にありがとうございます」
『いえいえッ、こちらこそ娘の為にわざわざ生徒の皆さんまで足を運んでいただき、本当に感謝しております。今、鍵を開けさせていただきますね』
「ありがとうございます、恐れ入ります」
するとすぐ横の自動ドアが左右に開き、エントランスホールへ入れるようになった。
『十八階なので向かいのエレベーターで上がってきていただいて、到着しましたら右手の方へ歩いていただければ四つ目の表札に藍川と書いておりますので、そちらのインターホンをまた押していただければと思います』
「分かりました、ご丁寧に教えていただきありがとうございます。後ほど改めてインターホンを押させていただきますので、お手数おかけしますがご対応のほど、よろしくお願いいたします」
『はい、お待ちしていますね』
そうして滞りなく通話を終えた名乃が、笑顔で月下の方を見た。
「オッケーです♪」
「すみません、後輩である貴女に挨拶をさせてしまって」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ。さっ、あまりお待たせするのも悪いですし、行きましょうか♪」
妙に明るい表情で、率先してエレベーター前まで歩いていく名乃を後追いする形で月下も歩き出す。
名乃は特に躊躇することなく『↑』のボタンを押し、上部に表示されている各階層からエレベーターが降りて来ているのを静かに眺めていた。この時月下は気にもしなかったが、よく見ると名乃のつま先が先程と同じようにトントンと床を叩いていた。
「柊木さん、何だかやる気に満ち溢れてますね」
「そうですか? そんなことないと思いますけど……結構緊張してますし」
「そうなんですか? 全然そんな風には見えませんし、とても堂々としてるなぁと思って見てました」
「そんなことないですよ、買い被りすぎです」
「いずれにせよ、この後の受け答えは僕が対応するので、柊木さんは一緒に話しを聞いてもらうだけで大丈夫です」
「ありがとうございます月下君。それならお願いしますね♪」
そのタイミングでエレベーター到着の合図がエントランスホールに鳴り響く。
そして名乃を筆頭に乗り込む時、ふと小さな声で「ラスト」と聞こえてきた月下だったが、それの意味するところが分からなかった彼は、特に追及することはしなかった――
――――
「どうぞ、お上がりください」
「はい、では失礼します」
指定された玄関先でとても気の優しそうな女性に出迎えられた二人は、きちんと靴を揃えて脱ぐと廊下を渡った先にある開放的なリビングへと招かれた。途中にあった藍川さんの部屋であろうドアの前で自分達が来たことを伝えてくれていたが、中から返事が返ってくることはなかった。
「ごめんなさい、せっかく来ていただいたのに顔も見せなくて」
「いえ、それは全然構いません。僕達も後ほど声をかけさせていただこうかなと思っています」
テーブルに四脚ある椅子の内の一つへ促された月下が一礼をしてから座ると、女性――藍川さんの母親はキッチンの方へ向かいお茶菓子を用意し始めた。
「月下君、私……藍川さんに伝えたい事があるから先にお部屋に行ってていいですか?」
「それは……」
と、月下がチラリと親御さんの顔色を伺うと、彼女は苦笑気味に「お願いします」と承諾してくれた。
「すみません藍川さんのお母さん、無理そうであればすぐにこちらへ戻ってきますので」
そうして名乃が深々と一礼すると、足音を立てずに元来た方へと戻っていった。
「最近の学生の方達は、こんなにも礼儀正しいんですね」
トレイに乗ったお茶菓子をテーブルに置きながら母親が感服したような声を出す。
「いえ、彼女が他の人よりもしっかりしているだけですよ。大抵の学生はご想像の通りだと思います」
「でも、そういう貴方もしっかりした学生さんだと私は思いますよ」
「あはは、ありがとうございます」
少し照れ隠しするように俯くと、月下は断りを入れてから温かそうなミルクティーに手を伸ばした。
目的の部屋の前で足を止めた名乃が、ノックをする前に最終確認をする。
(ファーストコンタクトはイメージ通りにするとして、果たしてどんなリアクションが返ってくるのやら)
せめて相手の表情が見えるくらいまでは持っていかないと、確信を得られないまま帰る羽目になってしまう。
このドアの向こう側にいる、例のクラスの最後の容疑者が白にしろ黒にしろ、せめて結果だけははっきりしておきたい名乃が全神経を研ぎ澄ませながらドアをノックした。
「藍川さん、こんにちは。生徒会二年の柊木です」
瞬間、ドアの向こうでやや慌てるように身じろぐ音を名乃が感じ取る。
(私の名前を聞いて大きな拒絶反応は無し。でも、とりあえず起きてるのは確定。動揺はしてるけど無言を貫いている辺り、分かりやすいほどこっちの出方を伺ってるわね)
この、一見なんてことのないような時間すら名乃は瞬時に考察し、次の一手を素早く用意する。
昨日の放課後、隣に絆が居たのに自分だけが襲われたということは、犯人は何かしらの理由で自分に恨みを持っている可能性が高いと踏んでいた名乃。
いくら皆から慕われているといっても、校内全員から好かれているなど微塵も思っていない。そもそも自分に近寄って来ない男子生徒も居れば、生理的に苦手と思っている人も少なからず存在しているだろうし、同性であれば尚更そう感じている者は一定数居るだろう。
そして犯人も恐らくその内の一人。
生身の人間があんな非現実的な事をやってのけられるとは思っていないが、この身で幽体離脱を経験している事や霊の存在を間近で見ている手前、登校していないからといって一概に無いとは言い切れなかった。
だからわざわざこんな所にまで足を運んできたのだ。
細かい事だが、今回を含め今日会った初対面の人全員に「初めまして」と言わなかったのも、より相手に『私は貴女と貴女のした事を知っている』と思い込ませ少しでも焦りや墓穴堀りを誘発させる為に敢えて伏せた、謂わば小細工の一つだった。
(考え過ぎならそれでも良し)
最低でも確認を取りたいだけの名乃は、門前払いだけは喰らわないよう慎重に言葉を選んだ。
「藍川さんの事情を聞いて、今日は生徒会役員として何か力になれることはないかお話を伺いたくてお邪魔させてもらったんだけど、その前に藍川さんへ言伝を頼まれてるの」
『言伝……? それより、なんで柊木さんが私なんかに会いに来てるのよ……話したこともないのに』
(ハイ、かかった)
登校拒否しているくらいだから一切会話することなく終了も多少は覚悟していた名乃だったが、相手の声を聞いた感じ、憔悴しきっているもののどうやら他人と話すくらいにはまだ余裕が残っているらしかった。
「ごめんなさい、その言伝を私が聞いたものだから、それなら私から藍川さんに直接伝えたほうが適切だって思ったの。ここだと……そのぉ、アレだから……中に入って話しても……いいですか?」
内密な話だからリビングに聞こえないようにした――と相手に思わせるようわざと声のボリュームを抑え、興味を引き立たせる。
「…………分かった……けど、私いま誰かに会えるような格好してないから、あんまり私のことジロジロ見ないでね」
「うん、分かった」
――容易く突破。
名乃は『自分は無害だから安心して』と言わんばかりの落ち着いた声をかけると、ゆっくりと目の前のドアを開けた。




