見知らぬ訪問者
乃菊は、横断歩道を、白い線を踏みながら渡っていた。
「おじさん、今行くよ・・・」
向こう側のコンビニの駐車場には、国也が待っている。
真ん中辺りまで渡って来た時、自分の中で引き止める自分が現れた。
「戻るんだ!」
「私、早くおじさんのところへ行きたいの」
「駄目だ、右を見ろ!」
乃菊は、言われるままに右を見た。赤信号で車が何台か停まっている。いや、問題は、その向こうのようだ。対向車線にはみ出しながら勢いよく車が走って来る。しかも、停まる気配がない。
「戻れ!」
「停まるでしょ」
乃菊は、そのまま進む。
「うそ!」
乃菊の判断とは逆に、その車は、停まるどころか、加速しながら乃菊に向かって突っ込んで来る。
「轢かれる!」
その瞬間が、コマ送りのように進む。
「あ・・・」
乃菊は、運転しているのが女だとわかった。その女は、乃菊と目が合うと、必死にハンドルを切ろうとしている。
「逃げて!」
女がそう叫んだように見えた。しかし・・・。
ドン!
大きな音とともに、乃菊の身体は、車のボンネットからフロントガラスへと折れるように衝突し、そのまま暗い空を遊泳していた。
「死んじゃう・・・」
乃菊は、自分がどこにいるのか、どうなっているのか、理解することが出来ないまま、消え始めた意識の中、最後に唯一つだけ、言いたい言葉があった。
「おじさん・・・」
しかし、身体が道路に打ち付けられた時には、その言葉を発したのかどうかも定かではなかった。そして、脳も内臓も破裂しているだろう身体の中と同じように、乃菊の夢も希望も全てが砕け散った。
「きゃっ!」
乃菊は、自分の声で目を覚ました。
「どうかしたの?」
看護師が声をかけた。
「ああ、夢だったんだ。良かった・・・」
そう思いつつ、青ざめた顔を看護師に見られないように、また布団を被った。
「はい、測って」
看護師が布団をはがし、乃菊に体温計を渡す。
「この後、リハビリ始めますからね」
「ああ面倒くさい・・・」
「そんなこと言ってると、彼氏に怒られますよ」
「彼氏じゃないもん、おじさんだもん!」
「そうそう、おじさんの彼氏でしたか」
乃菊は、また布団を被る。
「だから、彼氏じゃないってば・・・」
乃菊は、体温計を看護師に渡す。
「36.8、少し高いかな?」
平熱よりは、高いらしい。
「彼氏じゃなかったんだ。お友達?」
「おじさんだって言ってるじゃん!」
「一緒に住んでるんでしょ」
「うん・・・」
「じゃあ、婚約者かな?」
「うん・・・」
「まあ・・・」
看護師は、記録を済ませて、病室を出て行く。
乃菊のリハビリも始まり、その時間に合わせて、国也は病院へやって来る。
「ゆっくりでいいですよ」
リハビリ助手の指導で、乃菊は歩行練習をする。フラフラしながらもゆっくり歩けるようになった乃菊。国也は、廊下の窓越しにその姿を見ていた。
「いつか一緒に、旅行へ行こう・・・」
そんなことを考えている国也。その国也を見つけた乃菊が、笑顔で手を振る。
「やっぱり行こう」
国也も手を振る。
そんなある日のこと・・・。
乃菊の病室を、見知らぬ男が、花束を持って訪れた。
「どなた、ですか?」
寝ていた乃菊は、上半身を起こした。
「申し訳ありませんでした」
男は、頭を深々と下げる。
「ひょっとして、事故の相手の方の関係者ですか?」
「あ、はい。加佐井透と言います」
「彼女は、どうしてますか?」
「精神科の病院に入院しています」
「そうですか・・・」
「本当に申し訳ありませんでした。あなたのような有名な方の将来を奪ってしまうところでした。彼女は、きっと悔いているはずです」
また頭を下げる。
「彼女とのご関係は・・・?」
「同級生なんですが、以前は、付き合っていました」
乃菊は、椅子に座るように促す。
「すみません。失礼します」
乃菊は、加佐井の顔を見る。悪い人相ではない。
「もともと彼女は、異常があったんですか?」
「いえ、今は、事故をおこしてしまったことで、精神状態が悪いのですが、僕と付き合っていた頃は、正義感の強い思いやりのある女性でした。なのにあんな事故を起こしてしまうなんて・・・」
「何かが原因で、変わってしまったんですか?」
「そうだと思います。数年前に転職して呉服店に勤め始めたんですが、何かにとり憑かれたみたいに、人が変わってしまったんです」
乃菊がハッとする。
「その呉服店って・・・」
「浜名にあるキトウ呉服店て言う店です。そこの人たちと付き合いだしてから、性格が変わってしまって、僕とも別れてしまったんです。でも、その店が潰れたから、元に戻るんじゃないかって期待してたんですが、あなたをこんな目にあわせてしまって・・・」
「・・・」
「事故を起こす前、彼女に会ったんです。そしたら、彼女が人を殺すかもしれないなんて言うから、何を馬鹿なことを言ってるんだと、とがめたんです。それで彼女もやっぱりそんなことは出来ないと言いつつ、みんなの恨みも晴らさなければいけないって、何か板挟みになってるようなつらい表情をしていたんで、それ以上何も言えなかったんです」
「その殺す相手が、私だったんだ・・・」
「すみません。その時、彼女が見ていた番組に、あなたが出ていたことを思い出して、あなたを殺そうと思っていたんだと気づきました。しかし、なぜあなたのような素敵な女性を・・・」
「私が恨まれていたんです」
「え、どうしてあなたが?」
「呉服店が潰れる原因を作ったのは、私なんです」
「もしかして、菊野さんが、キトウ呉服店の社長の悪事を暴いたって言う女性なんですか?」
乃菊は頷く。
「でも、それって、完全に逆恨みですよね。あなたが悪いんじゃない。彼女だってわかってたはずなのに、なぜ、あなたを・・・」
「彼女は、悪い人ではないと思います。私を轢いた時も、必死に避けようとしてたから、でも操る相手の方が強かった・・・」
「操る?」
「彼女は、操られていたんだと思います」
「じゃあ、あの夫婦が・・・」
「あの夫婦?」
「死んだ社長の長男夫婦です。しばらく店はやっていたんですけど、その後どこかへ行ったようです。僕も彼女を捜して会ったんですけど、まだあの夫婦とつきあってたみたいで・・・」
乃菊は、少し目眩がして、こめかみを押さえた。
「あ、話が長くなってしまって、とにかく、菊野さんが回復してくれることを願っています。そうなってくれれば、彼女の気も少しは晴れるんじゃないかと・・・。都合がいいかもしれませんが、その方が罪を償えると思うんです」
「すみません。少し横になります」
「大丈夫ですか?もう帰ります。無理かもしれませんが、いつか彼女を許してやってください」
また加佐井は、深々と頭を下げる。
「加佐井さん・・・。彼女を守れるのは、あなただけですから、見守ってあげてください」
乃菊がそう言うと、また深々と頭を下げて、加佐井は病室を出て行った。




