第8話 拳聖夫婦、辺境に立つ
アースドラゴンの巨躯が、大地を震わせながら完全に沈黙した。
砕けた岩盤。 抉れた荒野。 吹き飛ばされた魔物の残骸。
そして、その中心。
互いを抱きしめ合う『剣聖』と『拳聖』の姿に、辺境の騎士たちは呆然としていました。
「……終わった、のか?」
誰かが呟く。
直後。
「お、おおおおおおおおおッ!!」
爆発するような歓声が戦場に響き渡った。
「勝ったぞー!!」
「アースドラゴン討伐だ!!」
「辺境伯家万歳!!」
「ナグル様ー!!」
「ケルナ様すげぇぇぇぇ!!」
地獄のようだった戦場が、一転して祝祭の空気に包まれていく。
しかし。
その歓声の中心である二人は――。
「……なあケルナ」
「何ですの」
「みんな見てる」
「見せつけて差し上げればよろしくてよ」
「つよい」
ナグルは真顔で呟いた。
ケルナはナグルの胸に額を押し付けたまま、小さく鼻を鳴らします。
「当然ですわ。わたくしは拳聖ですもの」
「いやそこじゃなくて……」
言いかけた瞬間。
ドゴォン!!
「ぐはぁッ!?」
ナグルの後頭部に、凄まじい衝撃が炸裂した。
地面に顔面から突っ込む剣聖。
その背後には、鬼の形相をした辺境伯エドワードが立っていた。
「この馬鹿息子がァァァァァァッ!!!」
怒号が荒野に響く。
「単騎でスタンピードに突っ込みおって!! 貴様は何度親に寿命を削らせれば気が済む!!」
「ぐ、ぐぇ……親父……頭蓋が……」
「黙れ!!」
さらに拳骨。
大地が揺れる。
さすが親子。 普通に強い。
「しかも!! 新婚初日に嫁を泣かせて飛び出した挙句、朝帰りどころか戦場直行だと!? 貴様はどこの三流恋愛小説のダメ主人公だ!!」
「痛ぇ!! 正論が一番痛ぇ!!」
完全に公開処刑である。
騎士たちは視線を逸らした。
誰も辺境伯を止められない。
すると、その横から辺境伯夫人エレナが、優雅な微笑みと共に歩み出ました。
「あなた、そこまでですわ」
「む、しかしエレナ……」
「その続きは後で地下訓練場にしましょう?」
「……そうだな」
ナグルが青ざめた。
「待って!? 今なんか恐ろしい単語が聞こえたんだけど!?」
「安心なさい、兄上」
いつの間にか現れていたテオが、爽やかな笑顔で親指を立てる。
「母上の『お仕置き』で死んだ者はいないよ」
「半死半生にはなるのかよ!!」
辺境伯一家、妙に物騒である。
そんな騒ぎの中。
ケルナはふと、小さく吹き出しました。
「……ふふ」
「ん?」
ナグルが顔を上げる。
ケルナは涙の跡を残したまま、それでも花が綻ぶように笑っていました。
「なんだか、おかしいですわね」
「何がだ?」
「わたくし、一週間前は『知らない方へ嫁ぐ悲劇の令嬢』のつもりでしたのよ?」
「まあ実際めちゃくちゃ泣いてたらしいな」
「うっ……」
ケルナの頬が赤くなる。
「そ、それなのに蓋を開けてみれば、相手は腐れ縁の大馬鹿者で」
「悪かったって」
「しかも初夜に喧嘩して、翌朝にはドラゴン退治ですわ」
「普通じゃねえな」
「全くですわ」
二人は顔を見合わせる。
そして同時に、小さく笑った。
戦場の血と土に塗れながら。 ボロボロになりながら。
それでも今、互いの隣にいることが、どうしようもなく嬉しかった。
その時。
遠方から、新たな馬の蹄の音が響いてきた。
振り返れば、辺境軍の本隊が砂煙を巻き上げながら到着してくる。
その先頭にいた白髪交じりの老騎士が、戦場の惨状を見渡して絶句した。
「……え?」
巨大なクレーター。
沈んでいるアースドラゴン。
消し飛んだ魔物の群れ。
そして中央で抱き合っている若夫婦。
老騎士は震える声で呟いた。
「……我々、援軍……必要でしたかな?」
辺境伯は遠い目をした。
「……たぶん不要だった」
「ですよねぇ……」
騎士たちが乾いた笑みを浮かべる。
その横で。
アースドラゴンが地面に埋まったまま、弱々しく「きゅぅ……」と鳴いた。
まだ生きていたらしい。
「あら」
ケルナが視線を向ける。
ドラゴンがビクリと震えた。
「まだ意識がありましたの?」
『キュッ!?』
「待てケルナ!! それもう戦意喪失してるから!!」
ナグルが慌てて止める。
ケルナは不満げに頬を膨らませた。
「ですが、わたくしの告白を邪魔しましたのよ?」
「理不尽!!」
「トカゲに人権はありませんわ」
「ドラゴン権くらい認めてやれ!!」
そんな二人のやり取りを見ながら、辺境伯夫人は扇で口元を隠して微笑んだ。
「……ふふ。やっぱり、お似合いですわねぇ」
「ああ」
辺境伯も頷く。
「これほど騒がしくて、これほど強く、これほど互いしか見えておらん夫婦も珍しい」
「辺境の未来は安泰ですわね」
「王国の被害総額は不安だがな……」
辺境伯が胃を押さえた。
その時。
ナグルが不意に、ケルナの手を取った。
「……帰るか」
「ええ」
「親父たち、めちゃくちゃ怒ってるけど」
「夫婦ですもの」
ケルナは、悪戯っぽく微笑む。
「二人で怒られれば怖くありませんわ」
「お前、そういう時だけ妙に可愛いこと言うよな……」
「何か仰いました?」
「いえ何でもございません拳聖様」
「よろしい」
そうして。
剣聖ナグルと拳聖ケルナは、並んで歩き出した。
血塗れで。 傷だらけで。 けれど確かに、幸せそうに。
王国最強の夫婦としての、その第一歩を踏みしめながら。




