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拳聖ケルナの結婚  作者: 小兎


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第6話 風雲急を告げる



しんと静まり返っていた朝食の空気を切り裂いたのは――。


ゴォォォン!!

ゴォォォン!!

ゴォォォン!!


心臓を直接殴りつけるような、鋭く重い警鐘だった。


辺境伯領全土へ危機を告げる、緊急鐘。


その音が鳴る時は一つしかない。


魔物災害。


「――緊急事態です!! 北の防壁より伝令!!」


食堂の扉が勢いよく叩き開けられた。


鎧を鳴らしながら飛び込んできた伝令兵は、顔面を土気色に染め、肩で荒く息をしている。


「モンスタースタンピード発生!! A級指定個体『アースドラゴン』を確認!!」


食堂の空気が凍りついた。


「数多の魔物が領都方面へ進軍中!! 先遣隊では抑え切れません!!」


「……何だと」


辺境伯エドワードが、ゆっくり立ち上がる。


その瞬間。


部屋の温度が下がった。


先程まで息子を埋めるだの何だの言っていた父親ではない。


西の辺境を守護する、“王国最強の盾”としての顔だった。


「よりによって今か……!」


拳が軋む。


夫人エレナも即座に立ち上がり、テオを背後へ庇った。


「使用人たちに避難準備を。領民の地下区画への誘導を急がせなさい」


「は、はい!」


「騎士団には第一種戦闘配備。城壁砲門を全て開放。魔導兵装の起動確認を」


矢継ぎ早に飛ぶ指示。


食堂は、一瞬で戦場司令部へ変貌した。


しかし。


次の報告が、その場の空気をさらに凍りつかせた。


「さらに報告!!」


伝令兵が叫ぶ。


「ナグル様が――単騎で魔物群へ突撃されました!!」


「…………は?」


ケルナの口から、淑女として終わっている声が漏れた。


「城門を強行突破!! アースドラゴンの進路へ向かわれています!!」


沈黙。


数秒。


そして。


「――あのバカ息子ォォォォ!!」


辺境伯の怒号が食堂を揺らした。


机が砕け散る。


「昨夜のアレをまだ引きずっとるのか!? 一人で死ぬ気かあの阿呆!!」


「兄貴ほんと最悪だな……」


テオがドン引きしている。


一方。


ケルナは完全に固まっていた。


数秒後。


ぷるぷると肩が震え始める。


「……馬鹿」


低い声。


「本当に……」


空色の瞳に怒りが灯る。


「救いようのない大馬鹿者ですわねぇぇぇぇぇぇッ!!!」


ドゴォン!!


感情と共に拳聖の魔力が爆発した。


食堂の窓ガラスが一斉に砕け散る。


使用人たちが悲鳴を上げた。


「ケ、ケルナさん落ち着いて!?」


「落ち着いていられますか!!」


ケルナは叫ぶと、ドレスの裾を躊躇なく引き裂いた。


ビリィッ!!


優雅な純白の朝用ドレスが、戦闘用へと変わる。


白い脚が露わになるが、今の彼女は気にしていない。


「辺境伯様、夫人! 粗相をお許しくださいまし!!」


「う、うむ!?」


「今からあの馬鹿の首根っこを掴んで引きずって参ります!!」


怒気を撒き散らしながら拳を握る。


「ついでに!!」


ゴゴゴゴゴ……。


拳聖の闘気が渦巻く。


「わたくしのドレスをダメにしたトカゲも、塵一つ残さず粉砕して差し上げますわァ!!」


「待ってケルナさん、目が怖い!!」


辺境伯夫人が珍しく引いていた。


だが遅い。


ケルナはそのまま窓枠へ足を掛ける。


「行って参りますわ!!」


「待てせめて玄関を――」


ドォォォン!!!


辺境伯の制止より早く。


拳聖令嬢は食堂の窓を蹴破って飛び出した。


二階から中庭へ落下。


着地。


爆発。


石畳がクレーター状に陥没した。


使用人たちが悲鳴を上げる。


「また庭がァァァァ!?」


「請求書はナグル持ちにしておいてくださいまし!!」


土煙を巻き上げながら、ケルナは一直線に厩舎へ疾走する。


その速度、もはや暴風。


途中で廊下の角を曲がり切れず壁を粉砕した。


「姉上か台風かわからん!!」


騎士のツッコミが飛ぶ。


厩舎へ到着したケルナは、最も大型の軍馬へ飛び乗った。


「借りますわよ!!」


「ヒヒィィィン!?」


馬が泣いた。


拳聖の圧に怯えている。


その時。


「ケルナお姉さまー!!」


二階の窓から身を乗り出したテオが、何かを投げて寄越した。


銀色の光が空中を舞う。


ケルナは片手でそれを掴み取る。


「……これは」


魔力鋼を編み込んだ特製手甲。


辺境伯家秘蔵の対大型魔獣用装備だった。


「兄貴を殴るなら、それ使った方がいいよ!!」


「用途がおかしくありませんこと!?」


叫び返しながらも、ケルナは即座に装着する。


ガチン、と音を立てて腕に固定された。


拳聖の魔力に呼応し、銀の紋様が淡く発光する。


「感謝しますわ、テオ様!!」


「兄貴のこと、よろしく!! 死ぬほど反省させて!!」


「任せなさい!! 半殺しで済ませて差し上げますわ!!」


「基準がおかしい!!」


辺境伯夫妻の悲鳴を背に。


ケルナは馬腹を蹴った。


轟音。


軍馬が弾丸のように飛び出す。


城門へ。


荒野へ。


そして、絶望の渦中へ。


――モンスタースタンピード。


数万規模の魔物災害。


A級災害指定個体アースドラゴン


普通なら、一国の軍勢が総力を挙げて対処する脅威。


だが今のケルナの頭を占めているのは、そんなことではなかった。


(あの馬鹿……!)


昨夜、自分を泣かせた男。


勝手に傷ついて。


勝手に飛び出して。


勝手に死地へ向かった、大馬鹿者。


怒りで頭が沸騰しそうだった。


けれど。


胸の奥では、別の感情が暴れている。


焦燥。


不安。


恐怖。


――もし、間に合わなかったら。


その想像だけで、息が詰まりそうになる。


「待っていなさい、ナグル……!!」


ケルナは歯を食いしばった。


風が金髪を乱す。


空色の瞳が戦場を睨む。


「逃がしませんわよ……絶対に!!」


次の瞬間。


拳聖令嬢ケルナ・フォン・アストレアは、一陣の流星となって、地響きを立てる魔物の群れへ単騎で突撃した。

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