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拳聖ケルナの結婚  作者: 小兎


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第3話 旅立ちと再会



翌朝。


アストレア伯爵邸の門前には、一台の豪奢な箱馬車が停まっていた。


深紅と金で彩られた重厚な車体。

側面には、西方を守護する辺境伯家の紋章――《双頭の獅子と剣》が刻まれている。


その周囲を囲むのは、全身を魔鋼鎧で固めた十名の護衛騎士。


一目で分かる。


これは単なる迎えではない。


王国最重要級の貴族を迎えるための、正式な儀礼だった。


そして。


その馬車の前に立つのは、完璧な淑女そのものの姿をしたケルナ・フォン・アストレア。


白銀を基調にした旅装ドレス。

金糸の髪は美しく結い上げられ、空色の瞳には一点の揺らぎもない。


昨夜、枕を濡らすほど泣いていた少女の面影など、どこにもなかった。


――完璧な伯爵令嬢。


それが今の彼女だった。


もっとも。


家族だけは、その仮面の下を知っている。


「ケルナ、本当に大丈夫なのね!?」


真っ先に泣きついてきたのは母エレナだった。


「今からでも遅くないわ! お母様も馬車に乗ります! あなたが途中で窓を突き破って逃げ出さないか、この目で監視しなくては!」


「お母様、落ち着いてくださいまし」


ケルナは苦笑する。


「わたくし、これでも伯爵家の長女ですのよ?」


「でも貴女、昔から感情が爆発すると壁を壊すじゃない!」


「幼少期のお話ですわ」


「先月もギルドを半壊させたでしょう!?」


否定できない。


結局、暴走する母を父と使用人たちが総出で引き剥がすことになった。


「エレナ! 落ち着け!」


「離してくださいあなた! 母は娘を心配するものなのです!」


「奥様あぁぁ!!」


阿鼻叫喚である。


一方。


弟クリスは静かに姉の隣へ歩み寄った。


「姉さん」


その表情は真剣だった。


「……お願いだから、初夜に旦那様を物理で“あの世”へ送るのだけはやめてね?」


「失礼ですわね」


ケルナは優雅に扇を広げる。


「わたくし、加減くらい会得しておりますわ」


「その“加減”でオークキングが上半身だけ消えたって聞いたんだけど」


「……あれはオーク側が脆すぎたんですの」


護衛騎士たちが震えた。


クリスは遠い目になった。


「未亡人どころか国家問題になるから、本当に頼むよ……」


「そこまで言われると、少し傷つきますわね」


などと言いつつ。


ケルナは弟の頭をそっと撫でた。


「……留守をお願いしますわ、クリス」


「任せて」


短い言葉。


だがそこには、姉弟の確かな信頼があった。



---


やがて馬車が動き出す。


王都を離れ、西へ。


目指すは王国西端――辺境伯領。


魔境と王国の境界を守る、“西の盾”。


馬車で一週間の長旅だった。



---


そして当然のように、旅は平穏では終わらなかった。


三日目。


街道脇の森から、盗賊団が飛び出した。


「へへっ! 女連れとは運がいい!」


「金目の物を置いていけぇ!」


空気の読めない男たちである。


護衛騎士たちが剣を抜くより早く。


馬車の窓が、ガチャリと開いた。


そこから現れたのは――白く細い拳。


「……今、わたくしは猛烈に不機嫌ですの」


ケルナが静かに微笑む。


その瞬間。


空気が震えた。


「消えてくださる?」


ドォンッ!!


衝撃波だけで盗賊団が吹き飛んだ。


馬ごと。


木々ごと。


地形ごと。


森の一部が消失した。


護衛騎士たちは無言で馬車を後退させた。


もはや護衛対象から距離を取るのが最優先である。



---


五日目。


今度は大型魔獣《岩喰い熊》が出現した。


通常なら騎士団案件である。


だが。


「グオオオオ――」


「うるさいですわ」


ボゴォッ!!


拳一発。


巨大魔獣は影も残さず消えた。


護衛騎士たちはそっと祈った。


(どうか怒らせませんように)



---


そして。


一週間後。


ようやく辺境伯領へ到着した護衛隊は、全員どこか疲れ切っていた。


出迎えた辺境伯家の騎士たちへ、隊長が引きつった笑顔で報告する。


「……ご報告いたします」


声が乾いている。


「道中、盗賊及び魔物は“存在しなかった”ことになりました」


「……は?」


「ケルナ様が全部消し飛ばしました」


沈黙。


隊長は遠い目をした。


「ええ……噂通り。“無双の拳聖”でございます」


辺境伯家の騎士たちは静かに空を見上げた。


なるほど。


これはもう人型災害なのだと。



---


荒野を抜けた先。


ケルナの視界に現れたのは、“城”というより“要塞”だった。


切り立った崖と一体化した灰色の外壁。


無数の爪痕。


幾度も魔獣の侵攻を受け、それでも崩れなかった鉄壁。


華美さはない。


だが圧倒的だった。


ここが王国西方最大の防衛拠点。


辺境伯領。


王国を守る巨大な盾。


ケルナは馬車の窓からその姿を見上げ、静かに息を呑んだ。


(……凄い)


拳聖として数々の戦場を見てきた彼女だからこそ分かる。


この城は、見せかけではない。


本物だ。



---


だが。


重厚な門をくぐった瞬間、その印象は鮮やかに裏切られた。


「ようこそ、西の守りの要へ」


ロマンスグレーの執事が恭しく一礼する。


「外の風は冷たかったでしょう?」


案内された内部空間は、驚くほど洗練されていた。


暖かな魔導ランプ。


深紅の絨毯。


磨き抜かれた調度品。


どれも一級品。


極限の辺境でありながら、王都以上の品格がある。


ケルナは自然と背筋を正した。


(……この家、本当に凄いですわね)


強さとは暴力だけではない。


過酷な地で文化を守り続ける意思。


それこそが、本当の“強さ”なのだと感じた。



---


やがて通された応接室。


中央には巨大な黒檀の円卓。


壁には巨大なタペストリー。


暖炉脇には、グリフォンの剥製。


その空間全てが、“辺境伯家”という存在の格を物語っていた。


そして。


重厚な扉が開く。


現れたのは、赤髪の壮年男性。


辺境伯エドワード。


鍛え抜かれた肉体。


猛禽のような金の瞳。


一目で分かる。


――強者。


「遠路はるばる、よく来てくれた」


低く響く声。


その隣には、美しいブルネットの女性。


辺境伯夫人エレナ。


柔らかな笑みを浮かべる姿は優雅そのものだった。


「主人が無骨でごめんなさいね」


彼女が微笑んだ瞬間、部屋の空気が柔らかくなる。


ケルナは完璧なカーテシーを披露した。


「お初にお目にかかります。ケルナ・フォン・アストレアにございます」


その姿に、辺境伯は満足げに頷く。


「うむ。噂に違わぬ」


そして。


「……さて。紹介しよう」


エドワードが顎をしゃくった。


「我が辺境伯家の嫡男であり、貴女の夫となる男だ」


ケルナは視線を向ける。


そして。


固まった。


「…………は?」


そこにいたのは。


――簀巻きだった。


全身を縄でぐるぐる巻きにされた男が、床で芋虫のように転がっていた。


しかも顔面はボコボコ。


片目は青紫に腫れ上がっている。


だが。


その顔には見覚えがありすぎた。


「……ナグル?」


王都冒険者ギルドで共に暴れ回った腐れ縁。


剣聖ナグル。


その人だった。


「ムグググ!!」


床で蠢く元相棒。


ケルナの完璧な淑女仮面が、音を立てて崩壊した。



---


「あの……辺境伯様?」


ケルナは引きつった笑みで尋ねる。


「この方、確か王都で冒険者を……」


「ああ」


辺境伯は平然と頷いた。


「武者修行と称して家出していた馬鹿息子だ」


さらっと爆弾発言。


「ようやく居場所を掴んで連れ戻したのだが、脱走しようとするのでな」


ゴンッ。


辺境伯が簀巻きを足で転がす。


「少々大人しくしてもらった」


「ムグッ!!?」


「安心しなさい。命に別状はない」


ケルナは思った。


(いや、あるのでは?)


さらに夫人エレナが優雅に微笑む。


「この子、少し元気が良すぎまして」


ドスッ。


「ムギャッ!?」


夫人のつま先がナグルの脇腹へ突き刺さった。


床で跳ねる剣聖。


ケルナは震える拳をドレスの裾へ隠した。


感動の再会。


涙の抱擁。


そんなものはなかった。


あるのは。


“身内にボコボコにされた最強剣士”というシュールな光景だけである。



---


「……ナグル」


ケルナは静かに尋ねた。


「貴方、辺境伯家の跡取りでしたの?」


「ムググググ!!」


「夫人。猿轡を外していただけます?」


縄を解かれた瞬間。


ナグルが吠えた。


「ふざけんな!! よりによって相手がお前かよ!!」


「あら。それはこちらの台詞ですわ」


ケルナも即座に反撃する。


「挨拶もなしに消えたかと思えば、実家で簀巻きとは情けないですわね」


「俺は親父の危篤って嘘に騙されただけだ!!」


「ドラゴンの巣に突っ込む方がマシだとも仰いましたわね?」


「うっ」


青筋。


ケルナの額に浮かぶ。


空気が震えた。


「……ナグル」


にっこり。


「わたくしよりドラゴンの方がマシ?」


「いや待てそれは言葉の綾で――」


「夫人」


ケルナは優雅に振り返る。


「この方、再教育が必要ですわ」


「あら奇遇ですわね」


辺境伯夫人も微笑んだ。


「わたくしもそう思っておりましたの」


恐怖の義母である。


「壊しても構いませんわよ。予備(弟)はおりますし」


「待てぇぇぇぇぇ!!?」


ナグルの絶叫が響く。


だがもう遅い。


ケルナは静かに拳を構えた。


その姿は、どこまでも美しい。


そして。


どこまでも危険だった。


「覚悟なさい、ナグル」


空色の瞳が細められる。


「……物理できっちり清算させていただきますわ!!」


「親父ぃぃぃぃ!! 助け――」


ドゴォォォォォン!!


辺境伯邸の一室から、凄まじい衝撃音が響き渡った。

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