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控えめなノック音が部屋に響いた。
ナタリアは反射的に、どうぞ、と短く告げる。
――私を訪ねてくるのはアレクセイ様ぐらいだろうと思い――きゃあっ! という黄色い小さな短い悲鳴とともにエカテリーナが入室してきたではないか。
「まあ……! ナタリア様、そのドレス、とっても似合っています……!」
「っ、エカテリーナ様……!」
アレクセイだとたかを括っていたナタリアは、立ちあがろうとして、侍女の一人にそれを制される。まだお支度が終わっていませんよ、という小言付きで。
「そのドレスはどちらが選んだもので?」
そう声をかけたきたエカテリーナは、身支度を完璧に終えている様子だ。
深い青の瞳と色を合わせたような濃紺のドレス。冴えざえとした金の髪も相まって、どこか夏の空を思わせる出立ちだ。
「……アレクセイ様ですね……」
「やっぱり! 真っ白なドレスなのだもの。そうだと思いました」
「……その……なんと言いますか……お恥ずかしい限りで……」
「恐縮することありませんよ。そのドレス、本当に似合っていますもの」
鏡越しに見るエカテリーナの表情に、嫌味っぽさは毛ほども感じられなかった。本当に、ナタリアとの会話を楽しんでいるような、そんな様子だ。
――今、ナタリアは、王宮の控え室にて夜会の準備に追われているところだ。
白か赤か迷い、最終的にはアレクセイが選んでくれた白いドレス。それに、公爵令嬢のナタリアですら慄くような宝飾品の数々を、丁寧に丁寧にその身に施されているところだった。
「それにしても」
侍女達に目配せしながら、エカテリーナが耳打ちしてきた。
「アレクセイ様、本当にナタリア様のことがお好きなようで」
「そっ……そそそそんなことは……っ」
「ありますよ。でなければそんな高価なドレスを選ぶわけがありませんもの」
ね? と微笑むエカテリーナに、ナタリアは返す言葉がない。
実際その通りだったからだ。高級なドレスだとは思っていた――が、曰くこのドレスは、年にほんの少ししか採取できない貴重な糸で織られたもの、デザインも王室御用達の人間が記したもので――と、とにかく、驚くような裏話ばかりのドレスだったからだ。
「あぁ、けれど……、……ナタリア様。私は、本当に、貴方に感謝の意があるのです」
支度が終わったのか、周囲の侍女たちがさっと引いていく。
鏡越しではない。対面する形で向き直ったナタリアに、エカテリーナは突然、頭を下げたではないか。
「エッ……エカテリーナ様……!? 突然どうされたのですっ……!?」
「……ナタリア様。貴方の不幸を利用する形になってしまったこと。改めてお詫び申し上げます。さらには国のためにアレクセイ様の元に嫁いでいただけることになったのも……」
「そ、そんな、頭を下げていただくようなことでは……!」
「そうだとも。ナタリアは国のために私の元に嫁ぐのではない。私が好きだから私の夫になった。そうだろう?」
「そ、そうですよエカテリーナ様っ……! 私はアレクセイ様が好きで……、………………アレクセイ様……!?」
あまりにも自然に会話に入ってきたことに、ナタリアとエカテリーナは共々驚愕の表情を浮かべる。
そしてアレクセイその人は――尻尾をゆらゆらさせながら、楽しげにナタリアの顔を覗き込む。
「あぁ、よく似合っている。やはり白いドレスで正解だったな。私の女だと一目でわかる」
「あ、ありがとう、ございます……」
「照れるな。こちらまで恥ずかしくなる」
そこまで会話を交わしたところで咳払いが。
エカテリーナが、困ったように二人を見つめていた。
「……思っていたよりお熱いことで……」
「あっ、……その、……すみません……」
「あ、いえ、揶揄っているとかではなく……その、相思相愛っぷりでこちらまで安心したというか……」
「そうだとも。私とナタリアは相思相愛だからな。なぁナタリア?」
いつものようにアレクセイが腰を抱こうとして、けれどそれは侍女に止められた。
「しばしお待ちを! せっかくのお衣装が崩れてしまいますよっ!」
「別にそこまできつく抱くわけでは、」
「街中を散策する折、二人三脚でもする勢いで歩いてらしたと報告が上がってるんですっ! 特に、開場前には注意しろとお達しがきているのですよっ!」
むう、と不満そうにしながらも、アレクセイは渋々引く。ナタリアはもう、なにも言うことができなかった。
「……それでだ。エカテリーナ嬢よ、今一度、関係者であるお前にも確認するが、今夜の夜会は、私とナタリアの婚約発表ということで大丈夫なのだろうな?」
「問題ありません。……ですが、その……その点について、私からも確認したいことがあったんです」
「なんだ、言ってみろ」
腕組みをしながらアレクセイが言う。
エカテリーナはちらりとアレクセイを見てから、ナタリアに向き直った。
「ナタリア様の妹君と元婚約者のセルゲイ・マルシャン、――ナタリア様は、あのお二人をどうしたいと思っておりますか?」
突然話を振られ、ナタリアは固まる。
どうしたい? どうしたいもなにも、なにもないはずで――
「ぎゃふんと言わせたい、とか」
――次にエカテリーナが口にした言葉に、ナタリアは言葉を失う。
「ぎゃふんは……まぁ物の例えだとして……昨夜も言ったではないか。お前自身の言葉で鬱憤を晴らしたいだとか、そういった欲求はないのか、と」
「で、ですが私は後ろ盾と言いますか……そういうものがないはずで……それに夜会の場を乱すなど……」
と言いかけて、ニコニコと笑うアレクセイとエカテリーナが目に入る。
笑ってはいる。が、底意地の悪いものに見えた。
「後ろ盾? あるだろう? 一体私を誰だと思っている?」
「後ろ盾ですか? ありますとも。私を誰だとお思いですか? そもそも、自分が主賓でもない夜会の場において、私的な感情を振りかざし、先に場を乱すのは言語道断の行いをしでかしたのは向こうではありませんか。ナタリア様にはぎゃふんと言わせるだけの権利がありましてよ?」
「……失礼ですが、今、私に勧められているのは『私的な感情で場を乱すこと』では……?」
あら、とエカテリーナとアレクセイが顔を合わせる。
「今夜の主賓は私で、お前はそのパートナーなんだぞ? 場を乱す権利などいくらでもある」
「今夜の主役はナタリア様ではなくって? むしろ大暴れしたらよろしいのでは?」
ここまで言われてしまえば、ナタリアはもうなにも反論することができない。
ぎゃふん、と口の中で繰り返して、まだ始まってもいない夜会に思いを馳せる羽目になっていた。




