#37 漢方薬局の上野真佐美先生 その2
こもれび整体院の野崎は、また近所の上野漢方薬局に転がり込んでいた。
ちゃぶ台の向かいに座った薬剤師の上野真佐美先生が急須から煎茶を淹れてくれていた。この先生はお菓子に目がない。
「今日は患者さんにいただいた、岐阜の栗きんとんをお持ちしましたよ。」
「おお〜、ありがとうございます。
岐阜や長野だと和菓子屋さんで栗の時期になると売ってるけど、東京だとなかなかないんだよね〜。」
「オレも最近まで、おせち料理の栗きんとんしか知らなかったですよ。
栗本来の甘みや風味が感じられて、素朴な美味しいさです。」
野崎は、また怪しい食レポを披露した。
「そうそう、夏場は上野先生に教えてもらったカフェの夏生さんに四柱推命とか教わってたんですよ。」
「占い師もベテランになってくると経験値が上がって、見ただけで、何となく運勢とか分かるそうで、スゴいよね。」
「プロの方は何万人も占うそうです。
経験値といえば、東洋医学は3000年くらいのガッツリ経験医学ですよね。
東洋医学の源流というか中国医学の源流は、そもそもどんな感じなんですか?」
とバカっぽく質問した。
「そうね〜。
いくつか考えられるけど、第一は経験医学だね。
植物、食物、温熱、手当てなどを通じて得られた知識を使った方法だね。薬物療法や手技療法だね。具体的には私がやってる漢方処方とか野崎さんの整体やマッサージ的なやつね。
ヨーロッパだとハーブとか、インドあたりだとスパイスや香辛料とかになるかな。
そうそう、日本でも伊賀や甲賀の忍者は薬の知識があって、その伝統と近江商人の活躍で今でも滋賀県あたりは製薬会社が多いんだよね。」
「古代だと、野生の草とか木の実を薬に使ったり、したんだと想像します。」
「第二は呪術・祭祀・巫術などだね。
「呪術」は個人の目的達成のための技術だね。アニメ化されたコミックでも使われてたわね。。。
「祭祀」は集団の平穏のための儀礼のことだね。
「巫術」は霊媒を介した意思疎通をするわけです。
中国ではもう少なくなったと思うけど、現代でもメキシコではシャーマンが活躍していて、マラアカメやクランデロとか呼ばれてますよ。
彼らは、神々や祖先と人間をつなぎ、治療、祈り、予言、儀式を担ってます。
面白いことに、まあまあ治療効果があったりするから、不思議だよね〜。」
「日本でも恐山のイタコの方とか、修験道の方とか続いてるから、病気を祖先や霊的存在との関係から理解する考え方は、ある程度、普遍的なんでしょうね。」
「第三は、中国なんで陰陽五行と自然哲学だね。
これはもう、こないだ八綱弁証とかやったから大丈夫だね。
自然の変化や相互関係を説明する思想、天地人みたいな世界観で治療する方法だね。」
「さすがに、ここは専門分野だし大丈夫です。」
「第四は神仙思想・道家思想だね。
不老長生、生命の養い方、呼吸、身体運動、静坐、精気神の修養などを追究した流れで、養生法や導引、気功の歴史を考えるうえで重要なんです。
精気神とは、中国医学や道教の思想で、人間の生命を「精・気・神」という3つの側面から捉える考え方です。
これらを説明していきますよ。
精とは、生命の土台・養分で、身体をつくり、成長や生殖、老化に関わる生命の基礎なんです。
先天の精(親から受け継ぐ生命の基礎)や後天の精(飲食で得る栄養)といったり、東洋医学では腎に深く関わるところだね。
気とは、生命活動を支える働きで、呼吸、活動、体温の維持などを説明する伝統的な概念で、肺に関連するね。
神とは、意識・精神・生命の輝きを示していて、意識、思考、感情、目の輝きなどに現れる精神的・生命的な働きだね。中国医学では主に、精神活動や生命の現れを指します。」
「フィジカルも大事だけど、メンタルも同じくらい大事なんですよね。
整体の大先生の流派では、考え過ぎる傾向がある人には何も考えずにポカンとしなさい、とよく指導されます。
頭で余計な気やエネルギーを使わないようにするため、みたいです。」
「まあ、病人はうじうじ病気について、つい考えがちなんだよね。」
「たとえば、夜に考え過ぎで眠れず、睡眠不足で疲れがたまると、身体の活力が落ち、集中力や気分にも影響することがありますね。
このような身体と精神の相互関係を、伝統思想では精・気・神の関係として捉えることができます。
それで、道教の内丹術や気功などでは、精・気・神を養い、変化させていく修行が重視されます。」
「内丹術とは、何なんですか〜?」
「これを説明するには、仙人思想を説明する必要があるわね。」
「お願いします。」
「神仙思想も同じだけど、仙人思想の中心にあるのは、人間の生命を養い、寿命を延ばし、究極的には仙人へと至ろうとする発想なんです。
古代中国では、仙人は山や雲の彼方に住み、通常の人間を超えた生命力や能力を持つ存在として描かれました。」
「仙人は霞を食べて生きてる、という神話ですね。
オレはこれを呼吸法を重視していたと解釈してます。」
「そうです!
方向的には間違ってないと思います。
この思想は、単なる神話にとどまらず、実際の身体修養や薬物研究、呼吸法などを生み出す動機にもなりました。」
「それで、伝統的な仙人・神仙思想では、外丹・内丹といったのような実践がされたんですよ。
簡単にいうと、外丹は「外部の物質から仙薬を作る方法」、内丹は「自分自身の心身を修練して、体内に仙薬を生み出すと考える方法」なんです。
外丹(外側の丹)は、物質を使う錬金術みたいなことをして、硫化水銀や鉱物などを炉で加熱・加工し、特別な薬である「丹薬」を作ろうとしました。
外丹が目指したものとしては、
老化を遅らせる。
病気を治す。
長寿を得る。
仙人になる。
ということなんだけど、特に、金や水銀などの物質は、変質しにくい性質や独特の色を持つことから、永続性や神秘的な力と結びつけられてたんだね。」
「金はもとかく、水銀は重金属でヤバいですよね。」
「まあ、そうだね。
外丹の実践には大きな危険があって、水銀やヒ素などを含む物質が使用されることは経験上、当然少なくなっていきました。
しかし、その名残りなのか、一部の漢方には、鉱物が含まれているんですよ。
白虎湯の石膏とか。」
「外丹の考え方が現代にも残っているんですね〜。」
「へえ〜、ほぼ薬草とか、ばかりと思ってました。」
「鉱物は他にも滑石、タルクとか、似たようなものだと、牡蛎ー牡蠣の殼ーもあるし、龍骨といって、古代の動物の骨が化石化したものを一部使用する漢方もありますよ。
まあ、ほぼカルシウムなんで、問題ないですね。」
「次は、内丹術の内丹だね。
内丹は、自分の身体と心の内側で丹を練る方法で呼吸・瞑想・身体感覚・心の働きなどを通して、生命の根本である精・気・神を養おうとする修行ですね。
主な方法としては呼吸法、静坐、意識の集中などで、心身の調和、生命力の充実、精神的な変容などを目的としました。
そうそう、導引という運動もここに含まれますね。
ここらへんは、野崎先生の守備範囲かしら?」
「そうですね。
現在の太極拳や日本の伝統的な整体は、呼吸を重視しますし、瞑想なんかは、ほぼマインドフルネスですよね。
さっき、ちょろっと出てきた道家思想とは何なんですか?」
「道家思想は、老子・荘子などに代表される哲学的な流れで、自然の道理に従い、無理に物事を支配せず、執着を手放して生きることなどを重視します。特に老子の『道徳経』、荘子の『荘子』が代表的な古典です。
また、関連して「道教」というのがあるんです。中国三大宗教の一つで、残りの二つは儒教と仏教です。
これは、神々、儀礼、経典、戒律、修行体系などを持つ宗教的伝統で、神仙思想や道家哲学を取り込みながら、独自の宗教体系を発展させました。
なんか、いろいろなことを取り込んでいて、三国志の関羽さんも取り込んで神聖化されてます。横浜の中華街に関帝廟があったような。。。
道教は現在でも香港や台湾でも、占いやおみくじとかで日常生活に深く関わっているんですよ。」
「仙人思想に話しを戻しますよ。
日本ではあまり知られてないけど、葛洪(かっこう、283〜343年ごろ)という東晋時代の思想家がいましてね。
この方は神仙思想、錬丹術、医薬に関する知識を結びつけた重要人物です。
代表作は『抱朴子』で日本語訳でも読めます。
とりわけ「内篇」には、仙人、長寿、仙薬、錬丹術、養生などに関する議論が記されています。
で、葛洪さんの面白いところは、仙人になるための修行だけでなく、病気を治すための処方や薬物の知識にも関心を持っていたことなんです。
彼の著作は、神仙思想と医薬研究がどのように交わっていたのかを示す貴重な資料です。
例えば、葛洪さんが一部書いたとされる医薬書として知られる『肘後備急方』は、急病などへの対応を扱う処方集として医療史上重要です。」
「中国医学の源流の第五は、やはり『黄帝内経』だね。
『黄帝内経』には、健康と長寿を考えるうえで、仙人に近い存在が理想像として描かれる箇所があるんですよ。
特に『素問』の「上古天真論」では、真人・至人・聖人・賢人という段階が語られ、生命を養うことや自然の道理に従うことが重視されます。
まず、真人は、自然の道と一体になった理想像で、天地の法則と陰陽を深く理解し、精・気・神を養い、精神をしっかり保つ存在として描かれます。
不老不死の仙人を連想させますが、古典における理想的人間像として読むことが重要です。
次に、至人は、道を極めた人を示していて徳を備え、陰陽や四季に調和し、精を蓄えて精神を保つ人物です。
真人ほど超越的な表現ではありませんが、普通の人間の限界を超えるような理想として描かれます。
そして、聖人は、社会の中で自然に調和して生きる人です。
世間を完全に離れるのではなく、社会生活を送りながら、怒りや欲望に支配されず、心身の調和を保つ人物です。
最後は賢人は、自然の法則を学び、実践する人で、天地、太陽や月、星、四季の変化を理解し、それに合わせて暮らそうとする人です。」
「どれも微妙に似てるけど、要するに自然にしたがって生きろよ、ということですよね。」
「まあ、そう言うことだね。
そもそも、『上古天真論』は、『黄帝内経』の冒頭に書かれていることなんだよね。
それで、「長寿のための5つの原則」が説明されてます。
それが、陰陽の法則に従い、養生の方法と調和し、飲食に節度を持ち、生活のリズムを整え、無理な労働をしない、という5つです。」
「やはり、陰陽が第一に出てくるんですね〜。」
「まあ後は、当たり前のことばかりですが、どれも大切なことです。」
次に、『上古天真論』の核心といわれる「恬惔虚無」を説明しますね。
心を穏やかに保ち、余計な欲望や執着に振り回されなければ、真気は自然に調和し、精神は内側に安定する。そうすれば、病はどこから生じるというのか、と論じます。
心身一如の考え方ですね。心のあり方と身体の状態を切り離さずに考えている点で重要です。」
「やはり、精気神が基本なんですね。」
「『上古天真論』の後半には、女性は7年、男性は8年を周期として身体が変化するという有名な記述があります。」
「ああ、あれはここに出てくるんですね。薬用養命酒のCMの!
ちなみに、牛乳で割ると美味しいらしいですよ。」
「まあ、中国医学の源流を理解するなら、これくらいをカバーしておけば、大丈夫だと思うけど、どうかな?」
「もう十分カバーしてます!
漢方の鉱物のお話しや仙人思想、そして、『黄帝内経』まで。
改めて、『黄帝内経』はスゴい古典だと、再認識しました!
ありがとうございます!
またお邪魔します。」
元気よく挨拶すると、野崎はこもれび整体院に戻って行った。




