#25 漢方薬局の上野真佐美先生
東京大田区の雑色商店街にある雑色駅は歴史が古い。それは、1901年ー明治34年ーの京浜電気鉄道の駅開業に始まる。駅名は開業当時の所在地である「雑色村」に由来する。
地名自体は明治末期に六郷村へ編入されて消滅し、現在では駅名としてのみ、その名をとどめている。
そして、雑色は大正時代から昭和初期の農産物市場を起源とし、戦後の復興期を経て地域密着型の生活道路として発展した。京浜急行線「雑色駅」の西側を中心に、昭和20〜23年頃から本格的な商店街の形が整えられて、現在、駅は高架になった。昔の踏切のカンカン鳴る警報音が懐かしい。
その駅から徒歩数分のところに、上野漢方薬局がある。この薬局の3代目が薬剤師の上野真佐美先生だ。
普通の処方箋も受け付けるが、中医学と呼ばれる中国伝統医学の知識・経験によるツムラやクラシエ、コタローなどの漢方処方を得意といている。それは幼少期から祖父・父親から自然と教えられた東洋医学がベースとなっている。
「漢方」とは、鎖国していた江戸時代後期にオランダ医学が日本に伝わり、それまであった日本の伝統医学と区別するため、オランダ医学を「蘭方」、従来の医学を「漢方」と呼ぶようになったことが始まりだ。基礎は中国伝統医学だが、日本風にアレンジされた医学である。
こもれび整体院の野崎は、その中国伝統医学を教わりに上野漢方薬局を近所付き合いを兼ねて、整体院が暇な時間にしばしば訪れていた。
「こんにちは〜!」
と大きな声で入店した。
「いらっしゃいませ〜。」
と店主の上野真佐美さんが応えた。
「和菓子屋さんの焼きだんごをお持ちしましたよ。」
「あら、いつもありがとね。
お茶、淹れるわね。上がってください。」
「おじゃましま〜す。」
と野崎は言いながら、休憩スペースに上がり込んだ。
真佐美さんが白い茶器セットを持って来た。
「おっ、もしかして、景徳鎮ですか?」
「中国のおみやげで、お客さんから頂いたのよ。お茶は日本茶だけど。」
「ヨーロッパの王侯貴族に人気があって、それからマイセンとか出来たんですよね。」
「あら、詳しいのね。」
とお茶を注ぎながら応えた。
「母親がアート好きで、昔よく展覧会にあちこち連れて行かれたんです。自宅に会場で売ってる重たい図録が沢山ありますよ。」
「素敵なお母さんね。」
と言いながら、早速、焼きだんごの串をつまんだ。真佐美さんは、お菓子に目が無い。
「それより、こないだお話ししていた中医学について詳しく教えてください。
マッサージ専門学校にも東洋医学の授業はあったけど、治療に活かせるほど、突っ込んだ内容はやって無くて。。。」
「そうなんだよね〜。
あの学校は鍼灸なしの、整体がメインだからね〜。
それに、まあまあ専門的で、古典の本もいろいろあるし、独特だから、教える先生は少ないだろうね。」
「そんなんで、真佐美先生、お願いします!」
「じゃあ、まあ、基本的なとろから行きますか。
中国は歴史が古くて、三国志とか、キングダム的なイメージはあるよね?」
「そこは、さすがに小学生でも分かります。」
「で、古代中国人の思想というか、考え方は物事を何でも、対極的に二つに分けてバランスを取る、世界観、捉え方なんですよ。これがベース。
それを展開したのが陰陽五行の五行だね。木・火・土・金・水とか、肝・心・脾・肺・腎とかね。
おそらく、陰陽の2つだけでは説明出来ない事象が出てきて、考え出されのかな。」
また、焼きだんごの串をつまんだ。
「今日はまず分かりやすい陰陽からだね。
これは、東洋医学の授業でもやったよね?」
「やりました。
昼と夜、天と地、外と内、男と女、とかいろいろありました。」
「中医学で中でも重要なのは、陰・陽、表・裏、虚・実、寒・熱の8つで、これらから八綱弁証をします。」
「弁証とは、何なんですか?」
「診断方法のことで、中医学では他にも臓腑弁証とか、その他いろいろありますよ。
普通のお医者さんで診断する前に検査したり、いろいろ症状を聞いたりしますよね。
それに当たるのが、四診です。」
「これも、中医学用語で、4つのアプローチで診ますよ、と言う事ですね。
望診は、顔色や姿勢とか見た感じだね。
聞診は、声や咳の音を聞きます。
問診は、本人から生活習慣や経過を聞き出します。
切診は、触診や脈を確かめます。
この四診を前段階でやって、それから八綱弁証で診断する訳です。
ちなみに、三国志の時代に張仲景さんが書いた「傷寒論」という有名な本に、八綱弁証を使用するのがベスト的なことが書かれてます。」
「そういう流れなんですね〜。」
「まあ、野崎先生も姿勢や歩き方、呼吸を観たり、症状を聞いてから判断して、施術していると思うので、当たり前のお話しではあります。
じゃあ、八綱弁証の陰証・陽証から説明していきましょう。
陰というのは、大地でしっとりとしたイメージね。陰気は大地の冷たい物質的なエネルギーで、下方向や内側に向かう性質を持ってます。
それに対して、陽とは天とか太陽とか活発なイメージね。陽気は明るく温かい運動エネルギーで、上に昇る性質があります。」
「野崎先生は乗り物好きだから、自動車やバイクに例えると、陽はアクセル、陰はブレーキに当たるね。運転にはどちらも必要だよね。
東洋医学はイメージすることが大事だからね。
それで、陰証の人は、胃腸の機能が低下していて腹痛を起こしやすい。顔色が青白い。声は、か細く、話すのが億劫な様子。呼吸は弱く息切れする。口の渇きはないけど、疲れやすい。
という感じで、弱っているイメージだね。」
「陽証の人は、胃腸の機能が活発で食欲旺盛。顔色は赤い。声は力強く、かつ多く話して、呼吸は荒い。口が渇きやすくて水分を欲しがる。そして、イライラしやすい。
と元気一杯のイメージだね。
まず、陰証か陽証か、どちらの患者さんなのか、ザックリと分ける。
これは大丈夫かな?」
「大丈夫です!
陰証は例えば食欲ない寝たきり高齢者の方で、陽証は中年太りの脂ギトギトで常にイラついている営業部長みたいな感じですかね?」
「OKです。
イメージ出来てますね。」
「次は、表・裏の表証と裏証ね。
これは症状の位置関係のお話しで、表証は文字通り、体表の皮膚やのど・声とかに症状が出ます。
裏証は、身体の内部に発症する深刻で厄介な病状を指します。
例えば、表証の症状は、皮膚病、風邪の鼻水やのどの痛みとか、急性の場合が多くて、割と早めに治ります。
対して、裏証は身体の内部なので、臓腑・臓器や気・血・津液の慢性的な症状で回復に時間がかかることが多いですね。」
「これは、分かりやすいです。
表面か内部か。それと、急性か慢性かということですよね。
それと慢性的なのは経過が遅れるよ、という感じです。」
「これはやさしいから大丈夫だね。
じゃあ、次は虚証と実証です。」
「虚証とは、陰気または陽気が不足している状態、または両方共に不足している状態です。
具体的には陰気だったら、津液であるリンパ液や関節液、汗、涙、唾液、尿、胃液など体のうるおいが不足しています。いわゆる陰虚ですね。
そして、血液が不足している血虚があります。症状としては、顔色が悪い、めまいや立ちくらみする、髪がパサつく、爪が割れやすい、月経量が少ないなどがありますね。」
「さらに続けますよ〜。
虚証での陽気には、陽虚と気虚があります。
陽虚とは、体を温める力が不足している状態です。
症状としては、手足がふるえたり、お腹が冷えやすい、腰や膝がだるい、夜におトイレが近い、疲れやすく元気が出ないなどがあります。
こんな方には、生姜やネギ、ニンニク、シナモンを食べると効果的ですね。」
「次は気虚です。
これはズバリ、エネルギー不足の状態です。
症状としては、疲れやすい、声が小さい、息切れしやすい、汗がじわじわ出る、カゼをひきやすいなど、体が弱ってる感じですね。
こんな方には、かぼちゃ、山いも、もち米、ナツメ、はちみつをおすすめします。」
「漢方処方以外にも食事からもイケるんですね〜。」
「まあ、体質改善なので少し時間はかかりますが、ちょっとずつ効果は出てきますよ。
虚証は、まとめると、いろいろ足りないイメージですね。
虚証はこのくらいにして、実証を説明しますね。」
「実証は、反対に有り余っているイメージなんですよ。
「実」とは、本来、体の中にあるべきではない悪い物、東洋医学では「邪気」と言います、この悪い物が体の中に入り込み、暴れている状態です。
この邪気である外からの暑さ寒さや大音量、異臭などの刺激、細菌やウイルスによって、不調になります。」
「実証は自然治癒力が高く積極的に「邪気」と戦うため、逆に激しくなりすぎて病気を引き起こす状態で、急性期に起こりやすいです。
具体的には、顔色が熱で赤い、声は大きく高い、汗をよくかく、便秘傾向、尿は少なく色が濃い、舌は赤く腫れぼったい、痛みがある部分に触れるのが嫌などの症状です。」
「虚証は反対に、いろいろ不足して弱くなって慢性症状が多いです。
実証は、いろいろ過剰なイメージですね。症状は出始めで、急性です。
虚・実はこんな感じなんだけど、イメージ出来ますかね〜?」
「まあ、ザックリとなんですが、虚証は全体的に弱っている感じで、実証は邪気に対していろいろ激しく症状が出ている感じですよね。」
「そんな感じで始めは、OKです。
具体例は患者さんを診ていくと、経験的に分かってきますよ。
では、八綱証弁の最後の寒・熱だね。
寒証は文字通り、体が冷えてスローダウンしている状態です。
自動車に例えるなら、バッテリーは低下して、エンジンもアイドリングみたいに高回転にならない状況です。」
「寒証は外寒と内寒に分けられます。
外寒は、外から侵入する寒さによって起こる冷えだね。
寒いところに長時間いると体が表面から冷えてきて、肩コリや腰痛、手足に痛みが出てきます。
内寒は、体の内部で発生する冷えです。原因としては、過労や慢性的な疲労、冷たいアイスの過度な飲食などで、体を温める運動エネルギーである陽気が不足して、体の内部から冷えが生じ、体内に「寒邪」が発生します。
そして、胃腸の機能低下やダルい倦怠感、冷えの症状が出ます。」
「熱証は原因として、甘い物や焼き肉など脂っこい物、激辛カレーや麻婆豆腐など刺激の強い飲食物の過剰摂取、緊張やストレスによる気の停滞、運動不足による気血の循環低下などで発症します。最近では熱中症もこれに当たりますね。」
「これらの要因が合わさって、体内に余分な熱が蓄積されて不調になります。
また、自動車に例えるなら、オーバーヒートですね。
体内に溜まった熱を外に逃す方法は、発汗、排尿、排便の3つがあります。この3つの働きが滞ると体は次第に熱に傾き、炎症体質に進みます。」
「炎症と言えば、血液検査項目のCRPのイメージです。」
「C-Reactive Proteinというタンパク質だね。
CRPは幅広く使われているけど、急性期では感染症で増加します。
中医学の観点では、ガンも慢性的な炎症といえるので、CRPが増加しますね。」
「寒証と熱証は、イメージしやすいと思います。
ここまで、八綱弁証を説明してきたけど、まとめると、陰証は裏・虚・寒がセットになった静的で内向的な状態です。
対して陽証は、表・実・熱がセットになった激しく外向的な状態と言えますね。
それから、ベースとなる陰気と陽気はどちら共に必要で、バランスよくなると身体は元気になります。
こんな感じで大丈夫かなぁ?」
「いろいろ詳しく説明してくださって、ありがとうございます!
八綱弁証のイメージが出来ました!」
「それは良かったです。
八綱弁証はあくまでも、症状の全体像の把握であり、中医学の基礎部分なので、しっかり復習してください。
また、これだけで臨床・治療するには厳しいので、機会があれば、より専門的な内容をレクチャーしますね。」
「いつもありがとうございます!
また、美味しいお菓子をお待ちします。」
野崎は弾むような足取りで薬局をあとにして、こもれび整体院に戻って行った。




