#24 歯科医師の遠藤先生
こもれび整体院の野崎は、軽めの昼食を食べると、遠藤歯科医院に向かった。
自分の歯の治療ではなく、遠藤先生の首コリ・肩コリ治療にである。
ちなみに、野崎はライオンのチェックアップという高濃度フッ素歯磨き粉をここ数年愛用している。これを使用して、歯ブラシの先端約1㎝だけ指先でつまみ、ブラシの角で歯周ポケットを丁寧に歯磨きすると、効果的だ。もちろん、歯間ブラシや糸ようじも併用しているので、歯は問題ない。
遠藤先生は歩行困難ではないから、医療保険の訪問マッサージは対象にならない。なので実費診療だ。
それでも、忙しい歯科医師は治療院まで行く手間が省けるため、訪問診療を受けるメリットは多い。団塊世代の遠藤先生はベテラン歯科医師だ。患者さんの口腔内を、猫背になり上から覗き込んで治療する。こんな姿勢を何十年もしてると、首肩、そして目にもかなりの負担が蓄積している。
首コリになると、耳がある側頭骨に影響する。めまい、耳鳴り、耳が遠くなったりする。頭部の脳幹にも影響して、酷いと頭痛や吐き気になる場合もある。
更に悪化すると、首の前にある甲状腺にも影響する。ここはホルモンを産生する重要な器官だ。甲状腺ガンまで罹る(かかる)場合がある。
目については、強いライトで患部を集中して見るので、高齢ベテランになるほど、どうしても弱くなる。これは心臓外科、脳外科、消化器外科の執刀医も同様だ。
歯科について、例えば根管治療は神経が通る太さ1〜0.3mmの細い根管を薬剤が入ったニードルと呼ばれる器具で処置する。イリゲーションニードルともいうこの洗浄針は、極細形状で太さが0.25mmや0.31mmなどである。
しかも、根管は曲がっていたり、直線でない場合が多い。
こんな細かい処置を日常的にする訳で、目も酷使する。
野崎は、遠藤歯科医院の二階にある自宅に到着した。この時間は歯科医院のお昼休みだ。
「こんにちは〜。」
と元気良く挨拶しながら部屋に入った。
遠藤先生は薄い敷布団の上に横になっていた。側には読みかけの新聞と歯ブラシが置いてあった。新聞を読みながら、食後の歯磨きをしたのであろう。
「先生、よろしくお願いします。」
野崎はこの「先生」と呼ばれることに、何年経っても慣れない。
「体調はお変わりないですか?」
「いつものように、首肩のしつこいコリがね。」
と遠藤先生は苦笑いした。
「分かりました。」
と応え、側臥位になってもらい、首肩を触診した。
「相変わらず、首肩はカチカチですね〜。」
「やはりね。」
「ドリルや細かい処置で、手や腕の特殊な使い方も肩に影響されているようです。」
「肩コリは学生の頃から、何十年だからね。年季が入っているよ。
大学では長い休みがあると、海外旅行によく行ったんだよ。」
「どちら方面に行かれたんですか〜?」
「アジア方面が多かったなぁ。
ネパールのヒマラヤの方とか、今じゃちょっと行けないけど、アフガニスタンとか。」
「インド、ネパールあたりは行けても、中東はかなり厳しいですね〜。」
「今となっては、貴重だね。
アフガニスタンで日本に馴染みがあるのは、バーミヤン遺跡だな。中華レストランチェーンのな。タリバンに巨大仏像が破壊されたけど、当時は見れたんだよ。他にもアフガニスタン高原にある宝石湖やブルーモスクとか、素敵なとこがあってな。。。」
「ネパールはどんな感じなんですか?」
「まあ素朴な田舎という感じだったな。山が好きなんで、エベレストの麓の村まで行ったんだよ。広大な自然のお花畑があって、素晴らしかったよ。
簡単な歯科治療セットを持って行って、宿で治療してたら、村人がゾロゾロ集まって来て、仕舞いには、内科も診てくれと言われて、参ったよ。」
「医療が行き届いていない地域だったんですね〜。」
「車でも行けない山奥だったからね〜。
まあ、歯科医になって良かったよ、ちょっとでも役に立てて。
子供は内科医になったし、可能ならもう少し歯科医を現役として続けたいので、毎日イヌの散歩したり、たまに泳ぎに行ったり、しているんだよ。」
「ところで、右肩のコリも強いですけど、左肩も、なかなかですね。」
「ああ、そうだね〜。
電子カルテに入力したり、パソコンをよく使うからね。」
「だいたいの患者さんは、腕は右効きの関係で、左足の重心になる場合が多いんです。」
「歯の場合は、それも関係してるかもだけど、左上の奥歯が虫歯になることが多いんだよ。
磨きにくい、ところも影響してるかな。」
仰向けになってもらい、野崎は左上肢のマッサージを始め、話しを続けた。
「頭蓋骨は重量もあるから、噛み合わせの関係もありそうですね。」
「それはあるね。
ストレスがあったり、力を入れる時は、奥歯を強く噛み締めるからね。」
「歯ぎしりをよくする患者さんには、マウスピースを作るそうですね。」
「保険適用で作れますよ。3割負担で3千円くらいかな。アメフトとかボクシングとかスポーツ用マウスピースは数万円します。
歯とか口腔内はもう臓器として認識すべきなんだ。例えば、歯周病菌は40年くらい前から、いろいろ疾患を引き起こすよ、って内科医とか医者にしつこく言ってきて、ようやくここ、20年くらい前から注目されてきた。」
「歯周病菌は約800種類あって、高血圧、脳梗塞、心筋梗塞、誤嚥性肺炎、心内膜炎、動脈硬化、糖尿病、低体重児出産、早産など、いろいろな疾患の原因になって、注意しなければならないんだよ。」
「ぼんやりとは知っていましたが、血管関連の疾患が多いですね。」
「そもそも、歯周病菌が歯茎の歯肉から血管内に侵襲するからな。厄介だよ。」
「それと近年は、ミューイング、と言って、舌を本来の正しい位置に置くことによって、口腔周囲の筋肉バランスを整えて、歯並びや顎の成長にいい効果を与えるセルフケア方法が広まりつつあるんだよ。
具体的には舌全体を上あごに密着させて鼻呼吸を促します。イギリスの矯正歯科医ジョン・ミュー親子が提唱し始めてな。」
「それもあって、MFT - Oral Myofunctional Therapy、口腔筋機能療法と呼ばれるトレーニング方法も普及しつつある。
これは、舌や唇、頬など口周りの筋肉を鍛えて、バランスを整え正しく機能させるんだ。
その目的や効果はいろいろあって、まず、歯並びの改善と維持だな。舌を上あごに密着させて、中から歯や歯茎を軽く圧迫する。頬で外から歯や歯茎に圧をかける。
そうすると、歯や歯茎は両サイドからの圧によって安定する、というメカニズムなんだ。」
「よく出来てますね。」
「他にも、口を正しく閉じることによって、口呼吸から鼻呼吸に改善したり、咀嚼、嚥下、発音の正常化の効果もあるんだ。」
「具体的には、どんなことをトレーニングするんですか?」
「最初は、スポットポジションだな。舌をスポットを呼ばれる上あごに密着して、正しい安静時の位置を覚える訓練です。」
「次はポッピングで、これは舌先をスポットに当てたまま、舌全体を上あごに吸い上げてから口を大きく開けて、勢いよく舌を離して、「ポン」と鳴らすトレーニングです。
そして、あいうべ体操だな。「あー」「いー」「うー」「べー」と舌と口を大きく動かし、口周りの筋肉を全体的に鍛える体操で、リハビリの言語聴覚士の先生もよく患者さんの指導で使います。」
「あいうべ体操は、患者さんのお部屋の貼り紙で見たことがありますよ。」
「高齢者は口腔や、のどの筋肉が弱くなって、飲み込む力や吐き出す力が低下してくるから、特に誤嚥性肺炎の予防にも効果的だな。」
「遠藤先生も、そろそろ後期高齢者が近づいてきたので、意識されますよね。」
「まあ、たまに、むせたり、ちょっとづつ気をつけないとな。若い頃は全く気にかけなかったことが、だんだん出来ずらくなっていくんだよな。。。」
「遠藤先生!
筋肉は神経細胞とは違って、何歳になっても、100歳でも、トレーニングしたり、マッサージすれば回復します。
今後もサポートさせてください!」
「そうだな!
まだまだ現役続行だから、よろしく頼むよ。」
「一緒にがんばりましょう!
まずは、いろいろ筋肉をゆるめたので、このまましばらくおやすみください。
また来週、お昼ごろに、おうかがいします。」
そう挨拶して退室した。




