#22 マグロ船の昭夫さん
60代か70代、黒々と日に焼けた男性高齢者が、こもれび整体院に入ってきた。
「いらっしゃいませ〜。
ご予約の中川昭夫さんですね。」
と受付の真由美さんが明るく挨拶した。
男性は妙に肉感的なほぼ看護婦コスプレ姿にちょっと驚いた。
看板犬のモフモフちゃんが男性に近寄ってきた。男性はさっと笑顔になった。素早くしゃがみ込み、犬を手慣れた手つきで撫で回した。
「名前は何ていうんだい?」
「モフモフちゃんと言うですよ〜。」
「本当、モフモフだ!」
更に楽しそうに体中あちこち撫で回した。
モフモフちゃんは立っていられなくなり、寝そべって喜んでいた。
「昔、犬、飼っててな〜。
懐かしいな〜。」
男性は笑顔でつぶやいだ。
整体師の野崎が準備を終えて現れた。
「中川さん、初めてまして。
野崎と申します。
よろしくお願いします。」
「中川です。
よろしく。」
「では、こちらに上がって、横になってください。」
昭夫さんが小上がりで横になると、野崎は大きいバスタオルを掛けた。
「今日はどうされました?」
「右肩が痛くてな〜。」
「肩をちょっと触りますよ〜。」
「先生の患者さんで、昔、魚市場にいた藤島さんは古くからの付き合いなんだよ。美味しいエビを食べたくなって、久しぶりに電話したんだ。新宿の海老正を紹介してもらってな。
世間話になって病気のこととか、いろいろ話してな。肩の痛みを話したら、雑色の野崎先生を教えてもらったんだよ。」
「あの藤島さんのご紹介だったんですね〜。
肩コリもありそうですけど、凄く筋肉が張ってある感じじゃ、ないんです。
ところで、どんなお仕事をされているんですか?」
「オレは漁師をやってたんだよ。マグロ船に乗ってな。」
「あの、何ヶ月も航海する船のですか?」
「それは遠洋の冷凍マグロで、オレがやってたのは1ヶ月か2ヶ月くらいの近海の冷蔵、生マグロの方でな。」
「おお〜、生マグロですね!
スーパーでたまに、お刺身を買いますよ。美味しいですよね。
マグロ船というと、未知の世界なんですが、実際どんな感じなんですか?」
「そうだな〜。
オレが乗ってた船は、10人くらい乗ってたな。船長に、コック長、機関長、他は漁する作業員だな。みんな仲はいいんだよ。マグロ漁はチームプレイだからな。大げさだけど、サッカー日本代表みたいな。
閉じられ空間に同じメンバーで、ずーっといるから、ギスギスすると、お互いに嫌な感じになるしな。」
「ストレスためると、血圧が高くなったりで、カラダによくないし。
太平洋に出てると大シケがあって高波もあるし、船はすごく揺れる。サメやシャチにも出くわす。大きいシャチは10m近くあって、なかなかの迫力だぞっ!
そんなのに、一々反応してたら、神経がまいるからな。まあ長く漁師やってると、経験値が上がるからか、精神的に穏やかになるな。平常心というか。
昔は大きな借金の返済でマグロ船にというのもあったけど、今はほとんどいないんじゃないかな〜。
知り合いの船に昔そういうヤツが乗って、借金を返済後は漁が好きになってマグロ船の漁師になったのがいたそうだよ。人生、何があるか分からないな。」
「お仕事はやはり大変なんですか?」
「そうだな〜。
やってたのは延縄と言って、100キロメートルくらいの幹縄に枝縄が3000本くらい付いているんだよ。その先には大きめの釣針があってな。イカやイワシをエサにして、何時もかけて海に放り込んで行くんだ。
入れ終わったら、数時間置いて、今度は引き上げて行くんだ。
漁をしている日は、一日の労働時間は17時間ぐらいかな。交代で夜間作業もあるぞ。漁をしてない移動の日は、釣針や縄の手入れをして、もう少し短くなるけど。」
「なかなか大変ですね〜。」
「最初はキツイけど、慣れると同じ作業の繰り返しだからな。
マグロが掛かると、縄を引き上げる揚縄作業をして、獲れたマグロは、すぐに内臓、エラ、ヒレを処理して、血抜きする。それから冷蔵保存するんだよ。冷蔵で鮮度も大切だから、1ヶ月か2ヶ月くらいで港に戻るよ。」
「オレら、作業員も大変だけど、もっと大変なのは船長だな。
一回の航海で数百万円の経費、燃料代、エサ代、食料費、諸々が掛かってくる。マグロが計画通り獲れればいいけど、獲れないと赤字だからな。今は燃料代が高いから大変だよ。
広い太平洋で、マグロの居場所なんて、分からない。それで、船長は他のマグロ船に無線連絡して、しょっちゅう漁の情報交換しているんだ。
それに、エンジンの故障とかトラブルも無いわけではない。そんな時は助けたり、助けられたりするんでな。食料や水のやり取りもある。」
「いろいろ助け合っているんですね〜。
ちなみに、食事はどんなのが出てくるんですか?」
「マグロや他の獲れた魚も、もちろん食べるけど、肉料理が多いな。肉は冷凍してあって、とんかつとか、コック長が調理してくれたよ。
肉体労働だからな。ハイカロリーなヤツな。食堂のテーブルには、いつもマヨネーズが置いてあって、みんなドバドバ掛けてたな〜。」
「いろいろお話し、ありがとうございます!
マグロ船に乗る機会は、まずないので興味深いです。
ここからは、中川さんの状態を説明させていただきます。
まず、腹診すると東洋医学で診る肝臓の肝の場所、お臍の左上が硬いです。
それから、東洋医学では肝臓は目に関連しているんですが、目の白目が少し黄色くなってます。これは黄疸という症状で、ビリルビンという黄色い物質の処理がうまくいってない、つまり肝機能の低下を示しています。」
「それから、中川さんが気になっていた右肩の痛みは、おそらく肝臓からの関連痛です。
肝臓が腫れたり炎症すると、その刺激が横隔膜を動かす横隔神経を通じて脊髄に伝わります。その神経信号が首から右肩の感覚神経と合流するため、脳細胞が痛みの発生場所を右肩だと錯覚してしまうメカニズムなんです。
だから、こんな離れて場所に痛みが出てしまうんです。」
「ちなみに、お酒はよく飲まれます?」
「漁の間は飲まないけど、港に帰ったら、それなりに飲むな〜。昔に比べたら量は減ったけど。。。」
「美味しいお魚とかあると、最高ですよね〜。
原因はお酒よりも、マグロ船のハイカロリーな食事と不規則な仕事にありそうです。」
「ああ〜、そうだな〜。それもありそうだ。
船長も休憩や寝る時間が必要だから、船乗り用語の「ワッチ」と言って、航行中、他船や障害物の見張りを交代でするんだよ。
ちなみに、船は自動車と違って、船舶免許を持っている人が乗船していれば、免許なくても操船できるんだ。
まあ、漁もあるし、かなり不規則だな。」
野崎は施術しながら、話しを続けた。
「ちょっと肝臓までの栄養分の流れをご説明しますね。
口から食物が入って食道を通り胃に行きます。胃では胃酸の分泌により、食物は強い酸性になります。
次に小腸に入ります。ここでは、アルカリ・フォスタファーゼというアルカリ性タンパク質の分泌により食物は、ほぼ中性になります。」
「例えば、お米の糖質なら、ここまででグルコースにまで分解されます。グルコースは水分と一緒に小腸の上皮細胞から血管に吸収されます。
それから、グルコースは腸管膜の血管を通り、肝臓に接続する門脈を通って、ようやく肝臓にたどり着きます。
グルコースは肝臓に入ると、グリコーゲンに合成されて、貯蔵されます。」
「肝臓は内臓で最大の臓器です。重要な臓器なので、もう少し説明させてください。
さっきの門脈には、小腸などの消化管、膵臓、脾臓、胆嚢からの栄養豊富な静脈血が流れ込みます。そして、肝動脈からは赤血球の酸素が供給されます。門脈の血流量は肝動脈の約4倍です。
肝臓の働きは、4つです。
合成分解の代謝、解毒・排泄、貯蔵、胆汁産生、といろいろやっているんで、肝臓は化学工場と呼ばれたりします。」
「肝臓は、2/3ほど切除しても、元の大きさまで回復することが出来ます。なので、移植手術も行われます。昔、大物政治家が親子間で生体肝移植して話題になりました。
肝臓はこの回復する予備能力があることによって、沈黙の臓器と呼ばれることがあります。
障害が起きても、様々な機能が維持できてしまい、重症になるまで気付きにくいからです。なので、血液検査して数値をチェックすることが重要です。」
「そういえば、ここのところタイミングが悪くて、健診受けてなかったなぁ。。。」
「突然ですが、「病膏肓に入る(やまい、こうこうにいる)」という中国の言葉をご存知ですか?」
「なんか、聞いたことがあるような。。。」
「一般的な意味は、病気が体の奥深くまで進行し、治療の施しようがない状態になることを指しますが、具体的には、どこなのか、というお話しです。」
「中国の古典のお話しなので諸説ありますが、「膏」とは黄帝内経霊枢という中国最古の医学書によると横隔膜を意味し、ゆったりと深く呼吸出来るように回復させるのが、みぞおちにある鳩尾穴です。
また、「肓」とは先ほどの腸管膜を意味して、腸で吸収された養分を肝臓に運ぶ役割があります。その本来の力を回復させるのが、お臍の下にある気海穴です。
つまり、呼吸が深くなり、栄養が肝臓に届けられると免疫力が高まり、回復に向かいます。」
「先生、要は深呼吸を多くして、バランスの摂れた食事をする、ということだな!」
「そうです!さすが鋭いです!
そして、受診して肝臓の検査をしてください。
肝臓には回復力があるので、早期なら問題ありません。」
施術を終えた昭夫さんは会計を済ませ、またモフモフちゃんを撫で回して喜ばせた後、お店を出て行った。




