#21 慢性腎臓病の晴美さん
東京大田区にある雑色商店街は、大田区の商店街で最も規模が大きい。特徴は昭和を感じさせる、たたずまいだ。店舗はいろいろあるが、特にお惣菜のお店が充実している。
丸正食品店も出来たてのお惣菜を販売するお店で、こもれび整体院の野崎は、小さい頃から食事やおやつと日常的にお世話になっていた。メンチカツは最早、彼のソウルフードだ。
丸正を長らく盛り立ててきた女将さんの石井晴美は、お店を息子さんに任せて自宅療養している。糖尿病と高血圧から慢性腎臓病(CKD)- Chronic Kidney Diseaseを発症していた。
腎臓の機能は内部の糸球体の毛細血管で、濾過器のような働きをして尿を作り出す。例えるなら、コーヒーのドリップに使用するペーパーフィルターやネルの役目だ。
糖尿病や高血圧になると、内部の毛細血管が損傷して機能不全となり腎臓病となる。その目安として、血液検査項目のeGFR-estimated Glomerular Filtration Rate-推算糸球体濾過量が指標となる。これはクレアチニン値を年齢や性別から計算した数値だ。90以上で正常となる。詳しくは下記のようにステージ分類されている。
・eGFRが90以上 → G1
・60以上〜90未満 → G2
・45以上〜60未満 → G3a
・30以上〜45未満 → G3b
・15以上〜30未満 → G4
・15未満 → G5
G3aから下の数値が3ヶ月以上続くと腎臓病と診断される。つまり、60が境い目となる。
数値が低いと正常に濾過されていない状態なので、尿毒症になる。本来排出されるべき老廃物や毒素、不要なミネラル分などが体内に蓄積し、病状を引き起こして全身症状に発展する。
しかし、突然に慢性腎臓病(CKD)になるのは例外で、次の症状から発症する。糖尿病、高血圧症、脂質代謝異常症、肥満・メタボリックシンドローム、慢性糸球体腎炎、加齢などだ。これらが複数ある場合、注意が必要となる。
ちなみに、クレアチニンは筋肉を動かした後に作られる老廃物の一種で、通常なら腎臓で濾過されて、尿として体外に排出される。
晴美さんは後期高齢者で歩行も不安定なので、野崎は訪問マッサージ師として、店舗近くの自宅に来ていた。
「こんにちは〜。
マッサージに参りました〜。」
と挨拶しながら部屋に入った。
「晴美さん、体調はお変わりないですか〜?」
「あまり変わらないわね〜。」
と少しダルそうに応えた。
腎臓の糸球体の毛細血管はフィルターのような役割で、これを改善する薬はまだ開発されていない。
なので、糸球体につながる血管を拡張して糸球体内の圧力を下げる薬や、血糖値を下げる薬、脂質代謝異常症の薬で、対処療法的な処方になる。そして、食事療法も併用する。
昭和の時代はただ安静にしているだけ、というのも普通にあった。
しかし、近年、「腎臓リハビリテーション」という治療法が普及してきている。
運動療法を中心として、食事や水分量の管理などをして腎機能の悪化を遅らせ、全身の健康状態を改善する。
具体的には、軽い有酸素運動、筋力トレーニング、ストレッチなどを行って全身の血行を良くして、腎臓の糸球体の機能を維持・向上させる。
1990年ごろまで、人工透析患者の約40%は糸球体腎炎が占めていた。糸球体腎炎やネフローゼ症候群の患者さんが強めの運動をした場合、腎血流量の減少やタンパク尿の増加するデータがあり、ただ安静にして運動制限するのが治療とされてきた。
しかし近年、運動時のタンパク尿は一時的であることや、腎機能への影響が認められないことが示された。
これにより、運動制限から運動推奨に方向転換した。今では透析中の軽い運動もクリニックによっては、されているようだ。
野崎は晴美さんの右脚に手拭いを掛けると、軽擦してからマッサージを始め、会話を続けた。
「ですよね〜。
マッサージしても、すぐには良くならないですよね〜。
マッサージのいいところは、いろいろあるんですが、まず、お薬のような副作用の心配がないところです。患者さんの中には、何種類もお薬を服用している方が多いんですよ。お薬を飲むためにごはんを食べるとか。。。」
「次にいいところは、筋肉を動かすので運動と似たような効果が出るんですよ。
確実に血行が良くなります。中には、マッサージした日は寝つきが良くなる、という患者さんもいらっしゃいます。」
「あらっ、この足のむくみも、良くなるかしら?」
「むくみを改善するには、マッサージ、そして、運動です。お散歩とかスクワットが効果あります。運動が苦手な場合は、湯船で入浴することも効果的です。
そうそう、名古屋の有名な経営者の方が岩盤浴に通って、ゴロゴロ転がって背中とお腹を温めて腎臓病を治したと、昔、聞きたことがあります。
血行促進が病状改善に効果的なんでしょうね〜。」
「では、脚の運動をしていきますよ〜。
右足を曲げますので、力を入れて踏み込んでください。」
野崎は足裏を右手で支えて、運動の補助をした。
「そうです!
良く出来てます!
10回、このまま抵抗運動しますよ〜。」
野崎はやや大きい声でカウントを始めた。
「丸正さんのメンチカツ、コロッケ、唐揚げ、そして、シュウマイを子どもの頃からよく食べてね〜。
それで大きくなったみたいなもんですよ〜。
だもんで、今度はオレが恩返しする番ですからね〜。透析にならないように、がんばりますよ〜。」
「そうだね〜。
私も、ちょっとは、がんばらないとね〜。」
晴美さんは少し笑顔になった。
人工透析になると、週に3回、一回につき約4時間かかる。前腕にシャントを構築する手術も必要になる。
身体への負担は、更にある。10年くらい経過すると心臓弁膜症のリスクが高くなる。心臓には大動脈弁と僧帽弁があるが、これらの弁膜にカルシウムが付着する石灰化だ。
正常な場合、弁膜は閉じるが、石灰化すると、弁膜が硬くなり、閉じなくなったりする。つまり、心臓のポンプ作用が不十分になる。
こうなると、全身の血液循環も悪くなり、じわじわと体調が悪化する。
透析の患者さんを何人も診ている野崎にとって、患者さんの負担が大きくなる透析は何としても避けたい。
その為にも、簡単な運動やマッサージで、施術の効果を実感してもらい、治療に対して前向きなマインドになるように、心を配った。
晴美さんの治療は、まだ始まったばかりだ。患者さんの身体状況と精神的状態を見極めて、焦らず、粘り強く施術することを肝に銘じた。
「晴美さん、お疲れさまでした〜。
今日もマッサージは終わりです。
少し運動もしたので、このままゆっくりおやすみください。
また、来週、参ります。」
そう告げて、お部屋を出た。
そして、お店に立ち寄り、大好きなメンチカツを受付の真由美さんの分も合わせ買った。
「いつも、ありがとうございます!」
息子さんが揚げたてのメンチカツを袋に詰めながら、お礼をした。
「晴美さんは少し治療に前向きになってきました。元気になるように、また来週参ります!」
と少し力を込めて応えて、整体院に戻って行った。




