#19 元内科医の千葉先生
東京大田区雑色にある、こもれび整体院の野崎はこの日、個人宅へ訪問マッサージに行く予定である。
患者の千葉茂太は、元内科医であった。数ヶ月前、腹部に違和感があり、検査したところ、ステージ4の末期膵臓ガンが見つかった。さらに腹腔内のあちこちに転移が始まっていて、手術は手遅れだった。
ロードバイクタイプの自転車に乗るほど健康的にしていたので、ガンの突然の発見には驚いた。膵臓ガンは症状が出にくく、発見は遅れがちだ。
本来なら入院するべき身体状況であったが、抗がん剤の副作用も熟知しているため、早々に自宅に戻って療養していた。
腹水が増加して、訪問診療している医者に来てもらい、注射器で抜いている。昨日は1.5Lもあった。腹部が張って辛くなる症状で、肝機能低下や血中のアルブミン➖タンパク質が異常に少ない状態だ。この状態になると血液中の水分が保てなくなり、血管壁を透って腹腔内に滲み出してくる。
腹水は健康な人なら、まず罹ることはない。昔の難民キャンプの映像で、子どもの腕や脚が極端に痩せ細って、腹部が大きく膨れていた。あの腹部は食物で膨れているのではなく、栄養失調による腹水で膨れている。
ちなみに、腕や脚の筋肉は、糖新生と呼ばれるタンパク質を分解して糖質を作る作用により、痩せ細っている。
野崎は数週間前に訪問した時、今よりまだお元気だった頃の千葉先生のお話しを思い出していた。
「野崎先生、医師のインターン制度というのはご存知ですかな?」
「聞いたことはありますが、詳しくは知らないです。」
「まあ、そうですよ。
今から、60年くらい前の制度だしね。」
千葉先生は、丁寧に説明してくれた。
「今の医大生は6年間医学部で勉強して、2月に二日間の国家試験を受験して合格すると、医師免許を取得します。
その後、2年間以上、初期研修を受けます。これは法令で定められてます。
それから、3〜5年間、後期研修や専門研修を受けます。この期間で専門的な知識・臨床経験を深めて、その専門の学会の試験を合格すると、専門医になれます。
研究職や役人は別として、だいたい臨床医はこんな流れです。」
ここで、千葉先生は口調を変えた。
「しかし、60年くらい前は違ったんですよ。
医学部で4年間勉強して卒業します。その後、インターンとして1年間、病院で無給で働きます。
その後、ようやく医師国家試験を受験します。つまり、資格を持ってない人間が医療行為を無給でしていた訳です。これが悪き、インターン制度です。」
野崎は驚いて、言った。
「やばいです。やばいです!
コンプラ違反に、大事な国家試験前にこき使って人権無視で、ヤバすぎます!」
「そうだよね〜。
それが昔は、当然のようにされてたんだよ。
これが発端になって、東大安田講堂事件が起きたのさ。1968年1月に東大医学部の学生さんがこのインターン制度の撤廃を求めて、授業をボイコットしたんだ。」
「しかし、東京大学はそれを無視した。当時は学生運動真っ盛りでね、一部の学生さんが抗議のため、1968年6月15日に総長室などが置かれていた安田講堂を占拠したんだ。
結局は翌年に機動隊が入って、数百人の逮捕者が出た。ほとんど東大生以外の学生らしいがな。
これを契機に悪きインターン制度を廃止して、現在の研修制度になったんだよ。」
「そもそも、どうして、そんな制度が出来たんですか?」
「それはだね〜。戦争が関係しているんだよ。
太平洋戦争で軍医として召集されて、医師不足になるんだ。それで国は、大学に医学専門部や旧制の医学専門学校を作った。
しかし、医学教育は4年間と時間がかかるから、医師不足は解消されなかった。
そこで、歯科医師を1年間医学部に編入させて、医師免許を付与した。これで国は医師不足を解消しようとしたんだな。医師免許付与の条件として、半年間の診療修練を義務づけた。
ここから、インターン制度が始まったんだよ。」
「そもそも、戦争による医師不足だったんですね。。。それと、よくある前例主義で残ったのかなぁ。」
「戦後の混乱期もあったようだな。
昭和22年の医学部卒業生から1年間の実地修練制度、インターン制度が始まるんだ。医師国家試験の受験要件になった。また、この年が第一回医師国家試験になった。」
「インターン教育では、医師資格を持たないインターン生が医療行為を行うから、無資格診療となって医療事故の責任の所在も明確ではない。そして、インターン生は無給であった。
それらもあって、昭和42年に東大医学部のインターン生が、医師国家試験ボイコット運動を起こした。そして、その翌年にインターン制度は廃止されるんだよ。」
「僕の先輩にあたる先生は、インターン制度がまだあった頃でな。
大学医局では無給で奴隷のように働いて、収入がないから医局の過酷な仕事の合間を縫って、市中病院で夜間当直医のアルバイトするんだよ。しかも、国家試験対策の勉強もしなければならない。なかなか大変な生活だよ。診察や処置していたインターン生も患者さんも、いろいろ負担があっただろう。」
「インターン制度が廃止されてから、2年間の臨床研修制度になるんだけど、医局での働き方は、それほど変わらなくて、給与も月3万円くらいだったよ。まあ、私立大学は、まだ無給のところも多かったよ。
待遇など問題が指摘されて、ようやく2004年に新臨床研修制度が始まるんだ。スーパーローテーション制度とも呼ばれて、まあ、いろいろな科に行って経験するプログラムになった。
報酬もきちんと支払われるようになったし、出身大学の医局以外でも研修を受けられるようになった。大学医局の封建的な体制は崩れてきていて、今では、大学の医局の人手不足が問題になっているんだ。」
「大学医局というと、ドラマ白い巨塔の財前教授のイメージですが、いろいろ変わってきているんですね〜。」
「日本の場合、少子化で学生さんが減ってきているから、医学生も変わらざるを得ないだろうな。
例えば、最近だと「直美」という事象がある。昔だと美容外科や美容クリニックに就くのは、内科や外科など一般的な保険診療を経験した後であったが、今の若手医師は研修後、すぐ直接美容医療に就職する場合がある。」
「テレビCMでも美容クリニックは、ここ最近本当に増えました。」
「国公立大で医学部の学費は400万円くらい、私大で2000から4000万円くらい掛かる。大学の6年間と研修2年間という時間も掛かる。
まともな若手医師は、直美という選択を取らないと思うが、社会状況や意識の変化もあるかもしれんな。。。」
野崎や千葉先生との会話を思い出しながら、お部屋のドアをノックした。
「失礼します。
千葉さん、マッサージに参りました〜。」
ベッドの千葉さんは右側臥位で、浅く呼吸をしていた。
腹部からカテーテルが出ていて小型の疼痛管理機器に接続されていた。おそらく、タイマーでオピオイド系鎮痛剤が投与されるのだろう。在宅での緩和ケアだ。
野崎はそっとタオルケットをまくり、腰部を優しくさするように施術を始めた。主訴は腰痛と肩コリであった。しばらくすると、千葉さんは野崎に気づいた。
「野崎先生、いつもありがとうございます。
ご覧のとおり、だいぶ弱って来ました。。。」
「こちらこそ、ありがとうございます。
楽になさってください。」
さっきお会いした奥様の話しによると、もう食べることは出来なくなり、水分を舐めるくらいになっていた。
千葉先生は、ややかすれた声でお話しされた。
「先日は、国家試験のお話しとか、いろいろしましたな。
医療は保険制度も含めて、変わり目にきてるだろう。ライフサイエンスは予想出来ない早さで進化している。例えば、ガンは初期であったら、だいたい寛解するし、昔は不治の病であった白血病もかなり治るようになった。
未来の医療は予防医学が中心になると思っているんだよ。リハビリや、野崎先生のような整体・マッサージ、鍼灸、スポーツジムなどが担い手になるだろう。
先生のご活躍にも期待してますよ。
薬が効いてきたかな、またちょっとおやすみしますよ。」
そう言って、目を閉じた。
腹水や身体状況から、おそらく余命は2週間ぐらいかもしれない。
丁寧にタオルケットを掛けながら、挨拶した。
「ありがとうございます。
ゆっくりおやすみください。
また、来週参ります。」
野崎は静かに退室した。




