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行くぜっ!こもれび整体院  作者: 山崎奈緒


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16/20

#16 お蚕さんのイエ子さん

 こもれび整体院の野崎は、東京大田区雑色にある高齢者施設に訪問マッサージ師として来ていた。

 今日は初療日で、新患の小野イエ子は、施設のケアマネジャーからの紹介で野崎の担当となった。

 いつものように、野崎はお部屋のスライドドアをノックして、入室した。

 「失礼します!

 こんにちは。マッサージに参りました〜。」


 高齢者は耳が遠い方が多いので、野崎はベッドに近寄り、やや大きい声で挨拶を続けた。

 「マッサージ師の野崎と申します。

 今日から、よろしくお願いします!」

 「ありがとうございます。

 こちらこそ、お願いします。」


 やはり、少し耳が遠いので、大きめの声で話しを始めた。

 「イエ子さん、今、痛いところや気になっているところはありますか?」

 「腰と肩、それから膝が痛みます。」

 「分かりました。

 それでは、ゆっくり横向きになってください。」

 野崎は、イエ子さんの腰と股関節部分に手ぬぐいを掛けて、筋肉をほぐし始めた。


 「イエ子さん。

 マッサージの強さは大丈夫ですか?

 強すぎとか、弱すぎとか、遠慮なくおっしゃってください。」

 「ちょうどいいです。

 ありがとう。」

 そう言って、ゆっくり目を閉じた。

 「ところで、イエ子さんの出身はどちらなんですか?」

 「私は、長野県の塩尻出身なんです。」


 「ちょっと、ここからは遠いですね〜。」

 「どうして、また東京に?」

 「主人や、たくさんいた兄弟も、みんな亡くなって。。。

 一人暮らししてたところ、東京に住んでいるメイがお世話してくれることになって、こちらの施設に来ました。」


 「優しい姪御めいごさんですね〜。」

 「そうなのよ。

 休みの日には、お菓子とか佃煮とか持ってきて、もう、すっかりお世話になってます。」

 「ご兄弟は、何人いらしたんですか?」

 「8人兄弟でね。

 今では、びっくりだけど、昔はどの家もその位が普通だったのよ。

 昔は、乳幼児がよく亡くなってね。多めに産んでたの。それに、農作業は全部手作業だったからね〜。子供の労働力が必要だったのね。」


 「田植えも手伝いましたよ。

 信州は田植えの時期も、まだ田んぼの水が冷たくてね〜。裸足で入って植えてました。」 

 「何か、稲刈りの時期は学校が一週間くらい、お休みになると聞いたことがあります。」

 「そうそう、今はないけど、秋休みとか言って、昔あったわね〜。

 稲刈りは、家族総出で、ご近所さんも手伝ってくれてね〜。」

 イネ子さんは懐かしそうに、目を細めた。


 野崎は、大腿部と膝裏、足の太陽膀胱経の委陽・委中あたりを優しくほぐしながら、お話しを聴いた。

 「稲刈りした後も、「はざ掛け」と言って束ねた稲を天日干ししてね。

 今では、乾燥まで全部機械でやるから楽になったわね。

 まあ、大変なのは母親よ。

 子育てしながら、掃除・洗濯・炊事、農作業、針仕事、と朝から夜まで毎日毎日。」


 「少し大きくなったら、私もお手伝いしたけど、お洗濯は川で洗濯するのよ。信州の冬の川の水は、凍るくらい冷たくてね。

 手は赤くなるし、指先はヒビ割れたりね〜。よくがんばりました。」

 「川で洗濯、と言えば桃太郎の世界ですね。」

 「昭和の時代でも、田舎ではそれが普通だったの。」


 「まだ、水道が通ってない頃で、井戸から水を汲むのよ。

 だから、お風呂が大変でね。兄弟みんなで水を汲んで、湯船に溜めて、それから薪で沸かすから、何時間も掛かったわよ。

 近所のお宅にお風呂入りに行ったり、してたわ。お風呂は週に2回くらいだったかなぁ。」


 「私は農作業を小さい頃からお手伝いしてね〜。大きくなると、もう嫌で、嫌で。

 家は兄が継いでたから、私は製糸工場に働きに出たの。

 隣りの松本には、カタクラという大きな製糸会社の工場がいくつもあってね。そこで働いてました。」

 「カタクラって、もしかして、あの富岡製糸場の?」


 「そうそう。

 よくご存じね〜。」

 「世界遺産が好きで、よく番組観たり、ネットを見たりして知りました。

 確か、富岡製糸場は明治時代の始めの頃に、官製工場として始まって、それから民間の原財閥の所有になって、その後、カタクラが世界遺産になるまで、長い間、所有・維持されてたですよね。」


 「そうね〜。とにかく、大きな会社だったわ。

 日本の輸出品で生糸は最大の品で、カタクラはその1割を生産してたかな。多分、当時世界最大の製糸会社でね。韓国の工場やニューヨークにも支店があったのよ。

 諏訪湖のほとりに今でも、片倉館という立派な温泉施設が残っているわよ。その当時の名残りね。

 まだ、化学繊維が普及してない時代で、男性だとあまり馴染みがないかもだけど、ストッキングやタイツの「デニール」という単位も、元々は生糸の太さを表すものだったはずよ。」


 野崎は足関節の運動とストレッチをしながら聴いていた。

 「日本は古くから、生糸作りをやっていてね。歴史があるのよ。

 天然の自然の生糸は、少し黄色い色なんだけど、カイコを品種改良して、真っ白にしていったの。カイコはおかいこさんと呼ばれてね。大切に育てられました。

 信州は養蚕が盛んでね。特に松本はお蚕さんの卵を製造する蚕種製造業があったの。まだ冷蔵庫がない時代は、風穴という夏でも涼しい場所に、お蚕さんの卵を保管してね。秋まで、幼虫を育てられたのよ。

 多くの農家の二階にお蚕さんを育てるお部屋があってね。数千匹の幼虫が桑の葉を一斉に食べると、雨が降ったように、ザーっと、音がしたわよ。」


 「製糸は、まず煮繭しゃけんと言って、熱湯で繭玉まゆだまを数分間煮て、繊維を覆っているタンパク質を柔らかくして、糸をほどけやすくします。

 ほうきで繭玉の表面をなでると、繭から糸が引き出されてきます。一番最初に引き出された糸を「糸口」と言います。

 複数の糸口から同時に糸を引き出し、それらをより合わせて1本の生糸にまとめます。これを「繰糸そうし」と言います。

 「座繰ざぐり」という道具を使って紡いでいくんですよ。

 この座繰器は、江戸時代から使われていて、手です動かしてたけど、明治時代に入ると、器械式になるのよ。」


 「座繰器で巻き取った糸を、専用の枠に巻き直しながら規定の長さに揃え、一定の重さの「かせ」と呼ばれるリング状の状態にまとめます。

 それから、乾燥させて、検査と格付けを行った後、梱包されて出荷されます。

 日本の生糸は高品質でね。ヨーロッパやアメリカに輸出されたわ。

 ポイントは座繰の工程で女工さんが生糸の質を細かく見極めていたところね。これによって高品質が保たれていたのよ。」


 「器械式が本格的になると繰糸機と呼ばれるようになってフランスやイタリアの機械が導入されたわ。

 そうそう!

 昭和になると今の自動車のニッサンも昔、自動繰糸機を作ってたわ。

 ところで、生糸の表面にあるタンパク質を取り除く工程を精錬と言って、精錬された物を「絹」と呼んで、生糸と区別してます。」


 「イエ子さん!

 実際やってた方から教えていただいて、ありがとうございます。

 養蚕とか製糸とか、ぼんやりとしか知らなかったので、大変勉強になりました。

 おそらくなんですが、イエ子さんの肩や腰の痛みは、座繰の作業や家事で手や腕を長年にわたって酷使したからだと思われます。」


 「そうよね〜。

 私が90過ぎまで、生きるとはね〜。

 肩やら腰やら、さすがに痛んでくるわね〜。」

 イエ子さんは苦笑いした。

 「イエ子さん!

 ちょっとでも痛みが取れるように、施術しますので、これから一緒にがんばりましょう!」

 そう言って、野崎は次回の訪問日時を告げてから、お部屋を退室した。

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