死の臭い
死の臭い――初めて耳にする言葉である。
大精霊ボルゾイに目配せし、知っているか問いかけてみたものの、首を横に振っていた。
「旦那さん、それはなんなの?」
「〝死の瘴気〟――死を目前とした者が放つ臭いを感じることができる、俺の祝福だ。それを、死の臭いと呼んでいる」
「死の瘴気……」
なんでもわたしと初めて出会ったときも、わずかな死の臭いを感じていたという。
「この娘は長くない。そう思って、あまり深く関わらないようにしていた」
必要以上にぶっきらぼうな様子だったのは、わたしにまとわりついていた死の臭いを感じていたからだったようだ。
「なんだ、あまり驚いていないようだが、もしや命が脅かされるような持病か何かあるのか?」
元気なわたしの様子を見て、旦那さんはおそらく死因は事故などの不慮の事態によるものだろうと判断していたようだ。
「持病はないわ。驚かなかったのは、わたしの祝福も死にまつわるものだから」
「そう、だったのか」
「もしかしたら祝福の関係で、死の臭いがまとわりついていたのかも」
なんと言ってもわたしは一度死んでいる。
体に残っていてもなんら不思議はない。
死にまつわる祝福について説明したものの、旦那さんの表情は晴れない。
「まだ、何か気になることがあるの?」
「いや……」
「大丈夫だから、話してくれないかしら?」
旦那さんは眉間に深い皺を刻み、大きなため息を吐く。
それから目も合わせずに言った。
「会った日から、日に日に死の臭いが濃くなっている」
「それは――」
「もうすぐ死ぬ日が近い、ということだ」
どういうことなのか。
大精霊ボルゾイを見ても、わからないと言わんばかりの困惑の表情でいた。
「俺は元処刑人で、死にゆく者達の臭いをたくさん嗅いできた。お前が放つ死臭は、処刑を受ける前の者の臭いにそっくりなんだ」
「……」
衝撃を受け、言葉を失ってしまう。
せっかく二度目の人生を歩み始めたばかりだと言うのに、また死ぬというのか。
いいや、そんなわけはない。
わたしの祝福である【因果応報=雌犬の仕返し】が、なんらかの影響を及ぼしているに違いないのだ。
「あまり無理はするな」
「え、ええ……ありがとう」
出発前にこんなことを聞いたら、出かける気が失せてしまうのだが。
今日は大事な商談の日。
すっぽかすわけにはいかない。
旦那さんと別れ、わたしは予定通り公衆浴場に出かけたあと、エドウィン・フェレライと馬車で合流する。
商談に行く前に、身なりを整えて食事をするようだが、いったいどこでするというのか。
「ねえ、これからどこのお店に行くの?」
ブティックか、エドウィン・フェレライが経営する商店かと思いきや、行き先は思いがけない場所だった。
「俺の家だ」
「はあ!?」
どうしてわざわざエドウィン・フェレライの屋敷に行くというのか。
理解ができず、我が耳を疑ってしまった。
「ねえ、わたし達の関係がマルティナ夫人に疑われているって、言ったわよね?」
だから疑われないように、商会で会うのは止めて、逢瀬に使わないような賑やかなお店ばかりに行っていたのに。
「今日、妻は家にいない」
「そういう問題じゃないの! これ以上、あなたとの関係を疑われたくないのよ!」
「妻も男を家に連れ込んでいるんだ。別に問題でもないだろう」
「大ありよ!!」
エドウィン・フェレライがよくても、わたしがまったくよくない。
「妻は愛人と旅行に出かけたから、数日は戻らない。前みたいに、鉢合わせにはならないだろう」
「それを聞いて、よかった! って言うと思う?」
エドウィン・フェレライとそんな言い合いをしているうちに、屋敷に到着してしまったようだ。
「早く下りろ」
「嫌よ!」
「お前が着るドレスも、着用する商品も、ぜんぶ家に置いてある」
「持ってきて、別の場所で準備すればいいでしょう」
「いいから下りろ。命令だ」
だんだん瞳に怒りの色が混じってきたので、ここまでかと思う。
「こういうのは、これっきりにしてよね!」
「覚えておこう」
まったく信じられないが、今日のところは商談もあるので従う他ない。
エドウィン・フェレライの屋敷は豪壮とした造りで、迷子になりそうなくらい広かった。
玄関で別れ、わたしはメイドの導きでドレスに着替えるための部屋を目指す。
廊下には金の女神像や、金色の額で額装された肖像画など、趣味が悪いとしか言いようがない調度品が並んでいた。
うんざりしながら部屋にたどり着く。
ドレスは胴体人形に着せられており、胸元が大きく開いた一着だったので、思わず「うわあ」と言ってしまう。
通常、こういうドレスはイブニング・ドレスと呼ばれ、夜にのみ着用を許されるものである。昼間に着ていくようなものではない。
おそらく、このドレスがもっとも商品のネックレスが美しく見えるのだろう。
そういうふうに思っておく。
メイドの手を借りてドレスを着用し、化粧を施してもらったあと、髪を結ってもらう。
身なりが整った私は、エドウィン・フェレライの愛人その一、としか言いようがない、下品で派手な女という感じだった。




