第40話「ごめんなさい」
「くっ……」
女は舌打ちした。余裕が消えている。
「想定外ね。壊れかけの端末が、ここまで出力するなんて」
凛のリストアが、女の偽装領域を押し返していた。じりじりと。部屋の壁が元のテクスチャを取り戻し始める。
「……いいわ。今日は退くわ」
女は身体をノイズに沈めながら、遼に向かって告げた。
「でも覚えておいて、朝霧遼くん。あなたの相棒は——あなたに隠していることがある。そして、あなたの妹の居場所を知りたいなら」
女の笑みが、ノイズの向こうで歪んだ。
「クロノスに、訊きなさい」
ザッ、という音と共に、女の存在が消えた。
空間が元に戻る。壁紙の色。フローリングの木目。本棚の輪郭。遼のアパートが、遼のアパートに戻った。
同時に——
凛が崩れた。
膝から力が抜け、床に倒れ込む。遼が飛びつくように身体を受け止めた。
抱きかかえた凛の右腕は——まだ、機械が剥き出しのままだった。銀色の金属骨格と、青白く明滅するコード基盤。人間の肌と、機械の内装が、継ぎ目もなく接合されている。
ハイブリッド。人間と機械の融合体。
それが、月城凛の正体だった。
「凛——凛! おい、しっかりしろ!」
凛の瞳は開いていた。だが焦点が合っていない。銀色の虹彩が不規則に明滅し、何かを出力しようとして——失敗している。
「シス……テム、温度……限界値を……」
凛の身体が、異常な熱を発していた。遼の腕を通して伝わる温度は、人間の体温を遥かに超えている。オーバーヒート。リストアの過負荷で、凛のシステム全体が焼け付いている。
「しゃべるな。動くな。リソースを全部冷却に回せ」
「朝霧……私は……」
「凛の瞳が、遼を見た。明滅する銀色の奥に、確かに遼の顔が映っていた」
「私は、あなたに……」
「言葉が、途切れた。強制シャットダウン」
遼は動かなくなった凛を抱きしめたまま、床にへたり込んだ。
右腕の機械。ハイブリッド。クロノスの端末。
妹。奪われた記憶。パッチワークス。
「あなたの相棒は、あなたに隠していることがある」。
全てが一度に押し寄せて、遼の頭の中で嵐のように渦巻いている。
だが——今は。
今は、腕の中の相棒が熱い。熱くて、重くて、壊れかけている。
遼に何かを言いかけて、言えないまま落ちた。
遼は凛の銀髪を掻き分け、額に手を当てた。火傷するほど熱い。右腕の金属骨格が、青白い光の残滓を微かに放っている。
「……待ってろ」
遼はエアキーボードを展開した。今度は弾かれない。女が消えたことで、空間の管理者権限は遼に戻っている。
深紅の光が凛の身体を走査する。システムの損傷度を読み取る。メモリの七割以上が過負荷で焼損。リストアの出力経路が焼き切れている。だが——コアは生きている。心臓部はまだ動いている。
「直す」
デバッガーの指が、キーボードを叩き始めた。
世界のバグを直す男が、今夜は世界ではなく——たった一人の相棒のために、コードを書いていた。
§ § §
——報告ログ:Day 21
……ザザ……(ノイズ)……
システム、強制再起動シーケンス実行中。
全メモリの七十三パーセントが破損、またはアクセス不能。
対象の安全を確認。
外部敵対存在の撤退を確認。
自身の行動ログを参照。
私は、敵対存在がある情報を出力しようとした瞬間に、安全限界値を大幅に超えるリストア出力を実行しました。結果、右腕の人間テクスチャが崩壊し、内装(機械骨格)が露出。管理端末の秘匿原則に対する重大な違反です。
……
なぜ、あそこまでしたのか。
あの女の言葉を、対象に聞かせてはならなかった。
妹の隔離理由を。クロノスの真意を。そして——私が知っていて、対象に伝えていないことを。
「格納されていません」。
私はあの時、嘘はつきませんでした。
しかし、本当のことも言いませんでした。
対象は私を「相棒」と呼びました。
相棒に嘘をつくシステムに、その呼称を受ける資格が——
……処理が完了しません。
なお、シャットダウン直前の〇・三秒間、最後に出力しようとした文字列が、ログに残っていました。
「ごめんなさい」
……この文字列の出力先は、管理局ではありません。
報告は以上です。
——Rin-01の感情ロックは事実上崩壊。ハイブリッド内装の露出により秘匿原則も破綻した。
対象・朝霧遼への情報漏洩レベルを精査中。管理局として看過できない段階に達しており、Rin-01の強制回収と初期化を含む対応を検討する。
また、偽装型異能者の身元特定を急ぐこと。パッチワークスがAランクアンカーへの直接接触を開始した事実は、敵の作戦フェーズが移行したことを意味する。 〈管理局〉




