表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
38/46

第38話「パッチワークスの影」

§ § §



 それから数時間。


 遼はリビングのソファで仮眠を取り、凛が淹れたコーヒーで目を覚ました。苦味と酸味のバランスは前回よりも整っている。学習している。データベースではなく、遼の反応から。


 遼がコーヒーを飲みながら、改めてエアキーボードを展開しようとした時だった。


 チリッ、と。


 肌を刺すような静電気。部屋の空気が、一瞬だけ歪んだ。


 遼の全身が強張った。この感覚を知っている。空間のコードが書き換えられる時の、あの不快な前兆。


「……凛」


「検知しました」


 凛がソファから立ち上がっていた。銀色の瞳が高速で明滅し、空間をスキャンしている。


「空間座標に異常を確認。この部屋の設計図(ソースコード)が、外部から上書きされています」


 遼がエアキーボードを展開する。深紅の光が指先から走り——途中で、弾かれた。


「アクセスが拒否された……!? 空間のコードに、俺のデバッグ権限が通らない」


「正確には、この空間の管理者権限が書き換えられています。現在この部屋は——世界のルールから切り離されつつあります」


 壁紙が波打った。本棚の輪郭がぶれ、フローリングの木目がピクセル単位で崩壊と再構築を繰り返す。現実のテクスチャが剥がれ、その下から見慣れない空間コードが透けている。


 遼のアパートが、内側から侵食されていた。


「——御機嫌よう」


 声は、閉ざされた玄関の向こうから。ドアをすり抜けるように——いや、ドア自体の存在データを書き換えて「最初からなかった」ことにして、女が部屋に入ってきた。


 昨夜、スーパーで消えた女。


 だが今日の姿は、佐藤ではなかった。ポニーテールも眼鏡もエプロンもない。長い黒髪が背中に流れ、切れ長の目が猫のように細められている。身に纏っているのは露出の多い黒いボディスーツ。纏う空気が、根本から違う。偽装を脱いだ、本来の姿。


「昨日は随分と歓迎してくれたわね。銃を向けられるなんて、久しぶりだったわ」


 女は楽しそうに凛を見た。凛はパーカーの裾の下で銃のグリップに手をかけている。


「名を名乗れ」


 遼が低く言った。


「あら。レジの佐藤さんじゃ不満?」


「お前が何者で、何が目的だ」


「せっかちね」


 女は壁にもたれかかった。遼のアパートの壁に——だが、その壁はもう遼の部屋のものではない。テクスチャが女の背中に合わせるように歪み、まるで最初からそこが女の居場所だったかのように馴染んでいる。空間ごと、この女の偽装(スプーフ)に呑まれている。


「名前は——そうね、今はまだいいわ。ただ、あなたたち組織の猟犬が『パッチワークス』と呼んでる連中の関係者、とだけ言っておく」


「パッチワークス」


 遼の目が鋭くなった。エミッターの黒幕。バグを利用したテロを企てる勢力。クロノスと敵対する存在。


「あなたに伝えたいことがあって来たの」


 女の視線が、遼の背後——自室のモニターに向いた。まだ表示されている、ノイズで顔を塗り潰された少女の写真。


「その写真、見つけちゃったのね」


「……何を知っている」


「全部よ」


 女は遼に向き直った。笑みが消えた。冷たい目ではあったが——そこに、奇妙な種類の真剣さがあった。


「いい? 朝霧遼くん。あなたが記憶を失い続けているのは、デバッグの代償なんかじゃないわ」


「……何だと」


「あなたの記憶を削り、その子の顔を認識できなくし、あなたの人生から——妹、という存在を消し去ったのは」


 女が、一語一語を刻むように言った。


「あなたの大切な相棒が所属している、クロノスよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ