表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/46

第18話「消えたレシピ」

§ § §



 部屋に帰ると、凛がリビングの壁際に立っていた。


「おかえりなさい。帰宅が想定時刻より七分遅れています」


「階段で異常(バグ)を一つ片付けてた」


「……このマンションで?」


「ああ」


 凛の目が僅かに動いた。何かを処理している。だがそれについては何も言わず、遼がコンビニの袋をテーブルに置くのを見守っていた。


 遼は袋からスパイスの瓶を取り出す。

 クミン。ターメリック。コリアンダー。ガラムマサラ。カルダモン。


「……何を作るのですか」


「カレー」


 冷蔵庫から鶏肉と玉ねぎを出す。ヨーグルトも。トマト缶はストックがある。

 遼はエプロンをつけた。いつも使っている紺色の、飾り気のないものだ。

 玉ねぎを刻む。包丁が軽快にまな板を叩く——はずだった。


 手が止まった。

 玉ねぎを刻んだ。それはいい。次は——飴色になるまで炒める。それもわかる。だがその先が——


(……スパイスの順番は)


 クミンを手に取る。油に入れて香りを出す。そこまではいい。その次。ターメリックか? コリアンダーか? どの量で? どのタイミングで?


 指が震えた。

 覚えていない。


 昨日までは覚えていたはずだ。誰かに教わったわけではない。誰かのために作り続けて、身体が覚えたレシピだった。分量も手順もメモなどなかった。手が勝手に動くから。いつもそうだった。


 今夜、手が動かない。


「…………」


 遼はクミンの瓶を握ったまま、コンロの前に立ち尽くしていた。

 ――代償だ。

 階段のバグを壊した代わりに、消された記憶。それがよりによって——このレシピだった。


 スパイスの順番。火加減。煮込む時間。仕上げに入れるもの。全部が消えている。手が震える。頭の中に穴が空いている。穴の形だけはわかる。そこにあったものの輪郭だけは感じる。だが中身がない。


(……誰かが好きだった、味だろ。これは)


 誰かが「美味しい」と言ってくれた。誰かが「また作って」とねだった。その声の調子すら思い出せるのに——声の主の顔がわからない。


 遼はスパイスの瓶をカウンターに置いた。

 玉ねぎは刻んだまま、まな板の上で茶色くなり始めている。

 何も言えなかった。


 食レポどころではない。言葉が出てこない。いつもなら独り言でも感想でも何かしら口から出る遼が、完全に沈黙していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ