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第15話「機装端末の告白」

 赤い破片が四散し、折り畳まれた空間が一気に解放される。万華鏡が溶けるように消え、本来の路地裏が戻ってくる。コンクリートの壁、配管、室外機。月明かり。


 静寂。


 遼はアスファルトに膝をつき、荒い息を吐いた。右目の奥が疼く。代償——だが、軽い。記憶の棚から何かが消えた気配はあるが、何を失ったのかはわからない。いつものことだ。


「月城、終わっ——」


 振り返った。


 凛が壁にもたれていた。


 左肩から下が、おかしかった。レザージャケットが裂け、その下の肌に——肌に見えるものに——赤黒い線が走っている。シールドの負荷だ。衝撃波を丸ごと「無効化」するという無茶な処理が、凛自身のシステムを内側から灼いていた。


 遼を庇ったせいだ。


「月城!」


 駆け寄る。凛は壁にもたれたまま、銀色の瞳で遼を見上げた。


「……任務完了です。核は消滅しました」


「任務の話じゃない。お前、肩——」


「|左肩の……データ整合性ステータスが……低下して……」


 凛の声が、一瞬だけ揺れた。


 普段の凛の声ではなかった。冷静で正確な言葉遣いが、一瞬だけ剥がれて、その下から別のレイヤーが覗いた。


 だが次の瞬間、凛はいつもの声に戻った。


「——損傷は軽微です。活動に支障はありません」


「軽微って、血が——」


 遼は凛の肩に手を伸ばし——触れた瞬間、指先に違和感が走った。


 温かい。確かに温かい。だが、血の感触ではなかった。赤い液体は流れている。だがその粘度、その温度、その流れ方が——人間の血とは、微かに違う。


 遼は何も言わなかった。指を離し、ジャケットのポケットからハンカチを取り出して、凛の肩に押し当てた。


「動くな。圧迫しとく」


「……不要です。自己修復プログラムが——」


 凛はまた、言い直した。


「——傷は、じきに塞がります」


 自己修復プログラム。


 「傷はじきに塞がります」に言い換えた。まるで、口が滑ったことに自分で気づいたかのように。


 遼は黙ってハンカチを押さえ続けた。


 路地裏は静かだった。月明かりだけが二人を照らしている。どこかの店の換気扇がまだ回っていて、油の匂いが漂っている。


 凛の呼吸が僅かに乱れていた。呼吸が必要なのかどうかすら、遼にはわからない。だが肩が小さく上下しているのは確かだった。


「——なぜ」


 凛が言った。


「なぜ、私と衝撃波の間に入ったのですか」


「は?」


「あなたは能力者(アンカー)です。あなたの能力はシステムの維持に不可欠です。私は管理担当であり、代替可能な存在です。あなたが損傷するリスクを冒してまで、私を庇護する合理的理由が——」


「うるさい」


 遼は凛の肩を押さえたまま、短く言った。


「お前が怪我するのを見たくなかっただけだ。理屈はない」


 凛の口が閉じた。


 銀色の瞳が、遼の顔をじっと見つめている。何かを演算しているのか、何かを検索しているのか。答えが見つからないまま処理が回り続けているような——長い沈黙。


 そして——遼は気づいた。


 凛の目の縁に、薄い液体が溜まっていた。


 涙、に見えた。


「……月城。泣いてるのか」


 凛の目が僅かに見開かれた。自分の頬に指を触れ、その先についた液体を見つめる。


 数秒の沈黙。


 それは凛にとって、とても長い処理時間だった。


「泣いてない」


 声が——揺れた。


 普段の事務的な敬語とは違う。もっと柔らかくて、もっと生々しい。そしてどこか壊れたような響き。


「これは冷却液(れいきゃくえき)の排出です。損傷部位の温度上昇を抑えるための、正常な——正常な——」


 同じ単語を繰り返した。「正常な」が二回。


 凛は自分の口を押さえた。銀色の瞳が、僅かに揺れている。


「……失礼しました。出力に不具合がありました」


 敬語に戻った。だがその移行は、いつもより遅かった。


 凛はまっすぐに遼を見た。その銀色の瞳には、もう揺らぎはない。いつもの、無機質で完璧な管理端末の目に戻っていた。


「訂正して、報告します。私は組織に所属する管理端末。人間と機械を融合させた機装端末(ハイブリッド)です」


「……」


「本機体に痛覚は設定されていません。また、涙に該当する感情表現の機能も実装されていません」


 すらすらと、淀みなく。

 カタログのスペックを読み上げるように、少女は「自分は機械である」と告げた。


 そうか、と遼は思った。


 足音がないこと。食事をエネルギー補給と呼ぶこと。暗証番号を赤外線で解析すること。褒め言葉を記録すること。

 全てに説明がつく。彼女の言う通りなら、彼女は人間ではない。この赤い液体も血ではなく「冷却液」なのだろう。文字通りに。


 遼は凛の肩からハンカチを離した。出血——あるいは、出血に見えるもの——は止まっている。


「……立てるか」


「はい」


 凛が壁から背を離す。動作は滑らかだったが、肩を僅かに庇っているように見えた。機械なら、損傷部位は痛みではなく「エラー」として処理されるのだろう。


「……ハイブリッド、ね」


 遼はハンカチをポケットに突っ込み、ため息を一つついた。

 世界は彼の知らない事実で満ちあふれている。


「じゃあお前、さっきの震えた声も『出力の不具合』ってやつで説明する気か」


「肯定します。音声デバイスに一時的なノイズが——」


「そうかい」


 遼はそれ以上訊かなかった。


 サイボーグ。アンドロイド。機装端末。なんでもいい。

 組織にそう設定されているのか、実際に身体を弄られているのか、あるいは本人がそう思い込んでいるだけなのか、遼にはわからない。


 だが、ただ一つだけ確かなことがある。

 さっき「泣いていない」と声を震わせたのは、完璧な機械などではなく、必死に強がっているただの不器用な子供にしか見えなかったということだ。

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