ゆめ、cryコwhy⑨
時刻は夜中の一時前だった。
久々に連絡を貰った俺は意気揚々としていた。
興奮しすぎて体が変貌しそうになった。
あぁ、嬉しい、嬉しい。
だが、困った。この姿では窓から出られない。
まぁこの時間なら誰かに鉢合わせる事もないだろう。
俺は急いで軋んだ扉を開けて外界へと飛び出した。
嬉しすぎて叫びたくなる。
アパートの三階から隣の民家の屋根へと飛び移る。
「いつもの場所で」
彼女はそう言った。俺は高揚感を表すようにピエロのように屋根から屋根へと跳躍する。
目的地は車田市駅に隣接する二対の百貨店屋上。
それがもう眼前へと迫っていた。俺は派手に回りながら高く跳躍し彼女の待つ屋上へと着地した。
「わぁ。久しぶり」
まるで飼い主を待ちわびた子犬のように尻尾を振った。
彼女はいつも通り真っ黒な服装に身を包んでいる。ノースリーブのドレスだった。スラっとした長い手足。まるで、俺を取り込むようにその美しく白い地肌をさらけ出していた。
彼女は俺を一瞥し、穏やかな笑みを浮かべて右手の甲を差し出してきた。
片膝をついて差し出された手の甲に口づけをする。見上げれば彼女はまた微笑んでくれた。
「調子は?」
「昨日、初めて人を食べたんだ美味しかった。凄いだろ?」
俺の報告を「そうだね。そうじゃなきゃ困る」と言い彼女は頷いた。
「彼は?」
「あぁ、そっちも大丈夫だよ。彼とは毎日駅で会っていたからね。受け取って貰えたよ。何を仕込んだの?」
指示通りに彼女が何かしらの細工をしたポケットティッシュを渡していた。
彼の人相は彼女から貰った写真で確認したのですぐわかった。
というより、彼女は初めから俺と彼の関係をわかっていたから頼みごとをしてきたのだろう。
だとしても、彼女に求められることは悪い事ではない。
「彼にも君みたいに堕ちて欲しいんだよ」
「どうして?」
俺は疑問をそのまま口にした。
「どういう意図だと思う?」
彼女の問いかけに俺は言葉が思いつかない。言葉に詰まっているのを察したのか彼女の声の方が早かった。
「でも、感心しないな。私から彼へのプレゼントに君が細工をするなんて」
「……ごめん。でも、君があんなに彼へ固執するのはなんでか気になって」
俺がポケットティッシュにこっそり盗聴器を仕込んだ事はすっかりお見通しだったようだ。
それでも、彼女は俺の頭を優しく撫でてくれた。
触れた手が温かい。俺の気持ちも温かくなった気がした。
「逢いたいからに決まっているよ。ところで、付きまとっている男がいるでしょ?」
「あぁ。あの編集者かい?高橋だっけ?」
「ええ。私の事を凄い嗅ぎまわってたみたい」
俺は意図をすぐさま理解した。全ては彼女の為だからだ。
彼女がいなければ俺の自我はとっくに崩壊し化け物になってしまっていただろう。
何でも俺は特異な変異体質らしい。日々、奇妙な空腹感や殺戮衝動が湧いていたが彼女のくれた薬のおかげで以前よりマシになった。
彼女こそ、
モリアキさんこそ俺の全てだ。
「殺せばいいんだよね?」
「……そうだね。それと彼を連れてきて欲しい。決して、傷つけてはいけないよ」
「わかったよ。任せて」
俺は跳躍した。高橋という男を探そう。
どうせ、懲りずに俺を探しているのだろう。見つけるのは簡単だ。
「■■■」
去り際に彼女が何かを呟いた。
俺にはそれが聞き取れなかった。
※
「誰もいない」
俺はそう呟いて扉を閉めた。
「おい、開けろ」
直ぐに声がして扉を叩かれる。
聞き覚えのある声。警官に知り合いなどいただろうか。
しかし、扉の先には誰もいなかった筈だ。
わからない。扉を開けた瞬間に俺が警官を食べてしまったのだろうか。
しかし、血の匂いなど一切しない。暗闇の部屋の中で俺は頭を抱えた。
外からは未だに扉を叩く音。
アケロ、アケロ、アケロ、
アケロ。
一定間隔に刻まれるそれは恐怖でしかない。
誰もいないなら誰が呼び掛けているのだろうか。
部屋が暗い、暗いクライくらい。
それだけで、怖いコワイこわい。
たまらず部屋の明かりをつける。相変わらず何もない部屋だ。
ベッドの横に積まれた本、散乱する衣服。小さな丸テーブルと座椅子。衣類が入ったケースが三つほど。
それ以外は何もない。テレビもPCもない。どちらかは誰しも持っていそうだが俺はそういった類を買わないようにしている。
深い理由はない。ただ、欲しいと思わないからだ。
やはり、常人の感覚ではないのだろうか。
ドンドンドン
アケロ、アケロ、アケロ。
ドンドンドン
アケロ。
視えない誰かがまだ俺を呼ぶ。
転がっていたジャージに着替えて逃げるようにしてベランダに出る。
ひんやりとした風が肌をなぞる。くすぐったくも感じたが気持ちよかった。
少し、頭が冷えた気がする。
だが、直ぐに嫌なものが視界に入った。ハザードランプを点灯させて停車している。
嫌と言う程見覚えのある車が止まっていた。
どうして、どうして。
やっぱり、やっぱり。
なんで、なんで。
頭がもうおかしくなりそうだった。
また不安が押し寄せてくる。
アケルゾ、アケルゾ。
外の声が警告に変わる。
がちゃがちゃがちゃ。
不穏な音が聞こえてくる。
がちゃがちゃがちゃ。
目を凝らしてそれを凝視した。
閉めたはずの鍵がゆっくりと回転していく。
まるでスローモーションになったように、ゆっくりとゆっくりと。
―――カチ。
まるで、ピースが嵌ったかのように鍵が開けられてしまう。
俺は怖くなり体が石のように重たくなった。金縛りというやつだろうか。緊張で滴る汗に不快感すら感じらない。
「おい、開けるぞ」
あの人の声がした。
どうして?
なんで?
俺の頭が混乱してくる。
そんな事情もお構いなしに俺の家の扉が勢いよく開けられた。
「なんだ、いるじゃないか」
あの人は律儀に靴を脱いで俺の家に侵入してくる。
どうしてここにいるんだ。
どうして入って来れるんだ。
はぁはぁはぁはぁ。
俺はそれと向き合っていた。
はぁはぁはぁはぁ。
呼吸が苦しくなる。
頭がおかしくなる。
いや、とうの昔に俺の頭はおかしくなっている。
「何をしているんだ?」
あの人は俺を見つめたままいった。
あの人の赤い瞳に俺が映る。
俺の瞳にあの人が映る。
そんなことあり得ないはずなのに。
俺にそんな力などない。
死んだ人間が俺に視えるわけがない。
こわいこわいこわいこわい。
あの人が幽霊になって俺を殺しに来たんだ。
そう思った瞬間、俺は跳んでいた。
ベランダを蹴る。それだけで、五メートルは跳躍した。
「待て」
あの人の方が後方で残響した気がした。
でも、俺は振り返らない。
民家の屋根の上に着地する。痛みは無い。驚きもない。
幾度となく見てきた行為。
これで、二回目だ。
……二回目?
誰が?俺が?
二回目?
初めては昨日。
恐ろしくてあの人を殺した現場から逃げ去った時。
俺は初めて屋根の上を飛んだ。
―――え?
俺はいつから化け物になったんだ。
じゃあ、アレは?
さっきのは?
昨日のは?
俺は誰だ?
アレは誰だ?
いつからが夢で。いつからが現実なんだ?
―――昨日、死んだのは誰だ?
―――今、視たのは誰だ?
―――昨日、視たのは誰だ?
―――昨日、殺したのは誰だ?
―――昨日、殺されたのは誰だった?
ううぅううう。
頭が痛い。昨日の事を思い出そうとして、記憶を呼び戻そうとしても。
何かがそれを阻害するような感覚になる。
頭が痛い。
頭が痛い。
うううう。
痛みを紛らわすように頭を振る。
はぁはぁはぁ。
誤魔化すようにもう一度、俺は跳んだ。
月と目が合った。
凄く綺麗だった。
今日は満月らしい。
「―――あっ」
よそ見をしていたら、着地する筈の屋根がなかった。
俺はそのまま落下しコンクリートにぶつかった。地面が抉れ、破片が舞う。静寂とした夜に衝撃が音を奏でた。
「いてて」
の一言で済んだのはよかったが、ジャージの右肩口が破れてしまった。
「あれ、ここ」
俺は見覚えの在る場所に来ていた。
昨日、誰かが誰かを殺した場所。
路地裏への入り口がまた俺を誘っている気がした。
―――え?
頭がクリアになってきた。
昨日、俺はここで何を視たのだろうか。
「うぉぉおおおおおお」
獣の遠吠えが聞こえた。野犬にしてはやけに美しい遠吠えだった。
まるで、月が似合うような。
もう一度、路地裏の入り口をみる。
それは、やはり俺へ手招きしているようだった。




