ゆめ、cryコwhy⑥
意識がはっきりとしている。
感触も感覚も。
全部、全部覚えている。
彼はとても驚いた顔をしていた。
俺も驚いた。
彼女はなんと言っただろうか。
思い出せない。思い出せない。
覚えているのはあの感覚だけだった。
次に会えるのはいつだろうか。
今日の夜かな?明日の朝かな?
何だか楽しくなってきた。
急に気分が良くなってきた。
俺はベッドから飛び降りる。不快感が俺の気分を害した。
俺は片足を持ち上げて足裏をみるとガラス片が突き刺さっており、赤い血がガラス片を伝って床に落ちた。
遅れて痛みが押し寄せてくる。
何だかムカムカしてきた。
片付ければよかったという後悔なのか。
気を付ければよかったという後悔なのか。
ムカムカしてきたら嫌な顔を思い出した。
でも、あの男だけは不愉快だ。
憎いなんてものはないが。
多分、邪魔だと思う。
はやく陽が堕ちて欲しい。
このまま俺も堕ちちゃおう。
きっと。
それが、一番楽なんだろう。
※
間違いであってほしいとそのメールに願いを込めた。
仮原稿ではあるが取材記事と写真。そして、昨日の凄惨な現場写真。渡しそびれたデータ。
これらを探偵事務所の依頼窓口に送っておいた。
もう確認する者などいないだろうが。
せめてもの俺から鏡花に対する気持ちだ。
はぁはぁはぁ。
呼吸するのが苦しい。
足取りは重い。
はぁはぁはぁ。
会社には取材が長引くと連絡をした。
許可は簡単に降りたのであと二日は滞在できる。
はぁはぁはぁ。
俺は岩山を見つけなければならない。
見つけてどうするのだろうか?
彼女を殺した恨みを晴らすのか?
なぜ?
俺は何故岩山に固執しているのだろうか?
もう理由などどうでもいいか。
岩山がオオカミ男であるならばそれでいい。
オオカミ男の実在と正体を記事にしよう。三か月は連続で特集が組めるだろう。
気づけば昨日のあの場所へ来ていた。
時刻は昨日の同じだった。
だが、それが在った痕跡すらなくなっていた。あの凄惨な死体は見る影もない。
散乱した飲食類も、血痕に至るまで全てなくなっていた。
アレは夢だったのだろうか。
いや、そんな事があるはずはない。あのカメラで写した。データもPCにある。
昨日の殺害現場は紛れもなく現実だ。
俺はスマホを操作し鏡花に電話をかけた。やはり繋がらない。
折り返しもなかった。
風がヒュー、ヒューと吹いている。
昨日も聞いた音だ。
遠くで犬の遠吠えが聞こえた気がした。
犯人は現場に戻るというが今日も岩山はここに現れるのだろうか。
「―――え」
後方から声がした。
俺は急いで振り向くとそこにはスマホのライトを翳している岩山がいた。
彼は驚いた様子でまるで魚のように口をパクパクと動かしている。
驚きたいのはこっちだ。
「なぜ殺した?」
俺の問いに岩山は答えなかった。目を見開き眼球が白い水槽の中を泳いでいる。
明らかに動揺していると思った。
「答えろ、岩山。なぜ彼女を殺したんだ」
俺は岩山へと歩を進める。相変わらず顔は蒼白で何かに怯えた様子だった。
「岩山!」
つい声を張り上げた。直後、彼の体が驚いたように飛び跳ねる。
「近づかないでください」
彼の姿が眼前へと迫った。だが、俺を両手で突き飛ばされた。
「―――すいません」
彼は小さく呟くとそのまま俯いてしまう。
俺は突き飛ばされた影響で尻もちをついてしまった。
情けない姿をさらした事よりも岩山の態度が気に食わない。
「どうした。オオカミ男。俺の事も彼女みたいに殺すのか?」
挑発的な言葉を投げかけて俺はカメラを構える。目の前で岩山の肉体が変貌を遂げればこれほど美味しいネタはない。
どう逃げるか今は考えるべきではない。どうとでもなるだろう。
「あぁ、あ、あ、うううう」
悲鳴、呻き。岩山は頭を抱えて膝をついた。その姿は渇きを思わせる。
そうだ、そうしろ。苦しめ。はやくオオカミ男になれ。
俺は心の内でそう唱えながらシャッターを押した。
「逃げてください」
岩山に残る微かな良心か。元の人格か。
俺の知る由もない感情を彼は吐露した。
どの口が言うのだろうかと切り捨てたくなった。
岩山が蹲りながら吠えた。
「ううううううううううう」
闇に遠吠えが駆け抜けた。
一瞬、天を仰ぐ。
それは、
それは。
――――俺にとっての致命的なミスだった。
視覚よりも聴覚よりも触覚よりも。
肩口から胴体にかけて切り裂かれた衝撃と痛みが俺の感覚を支配した。
「―――え」
零れた声と共に血が噴き出す。
「あ、ああ。あああ」
俺の眼前にいるのはオオカミ男だった。
噂通り二メートルはある体躯を誇っている。
彼の鋭い爪には俺の血と肉がこびり付いていた。
逃げられるはずがなかった。
彼の荒々しい呼吸音。まさに捕食者の吐息が鋭い牙から漏れている。
「岩山、お前やっぱり。ははは。鏡花も殺して俺も殺すのか。この偽善者め」
目の前の化け物は何も言わない。
ただ、最期に俺が視たのは涎を纏った牙だった。




