ゆめ、cryコwhy⑤
―――今日はもう会えない気がした。
その予想は幸か不幸か当たってしまった。
寂しくもあったが、嬉しくもあった。
成果はあったからだ。
今日は、どうしようかな。
※
頭痛がヒドイ。
それよりも空腹感が俺を蝕んでいる。おかしいな。
本当はこのまま目を瞑っていたかったが、差し込んでくる光がそれを拒んできた。
仕方なく瞼をあげた。ベランダからは陽が覗いていた。登校中の子供たちだろうか、喧しいと感じてしまう程度には喧騒が耳をつついてくる。
頭がクラクラする。
―――昨日のアレは何だったのだろうか。
ゆめ、ゆめ、ゆめ、ゆめ。
言い聞かせるように脳内で反復する。
考えるたびに映像が鮮明に蘇ってきた。
喉元に一撃で食らいついた。
あの人は「えっ」と短い声を漏らした。どうして、とでも言いたそうな瞳が俺と交錯した。
腹を空かした獣のようにあの人の左腕に食らいついた。
血しぶきが飛ぶ。それすらも御馳走と言わんばかりに顔に降りかかった血を舌でなめ回した。
鋭い爪はまるでナイフの様だった。バターのように足首を削ぎ落すとそれを口に含んだ。
骨なのか肉なのか不快な咀嚼音が鳴る。
ほっておいても死に至るだろう。
見下ろしたそれをどうするべきか分からなかった。
後方から光が漏れた。
誰か近づいているのかもしれない。そう思った瞬間、あの人を置いて俺は跳躍した。
ゆめゆめゆめゆめ。
そうに違いない。間違いであってほしい。
震えながら俺はスマホを手にとった。画面には着信履歴とメッセージの通知があった。
着信履歴は夜中の一時頃と二時頃。どちらも鏡花さんからだった。
メッセージは一時半頃。これも鏡花さんからだった。
「もう寝た?何なら食べれるのさ」と短い文章だけだった。
う、う、う、う。
記憶なのか夢なのか。
映像がこびり付いて離れない。スマホを握る手が震えた。
昨日のアレは。
―――誰だったのだろうか。
考えたくない結末を脳内で想像する。
そうだ、と俺が言う。
違うと、と俺が言う。
ゆめ、ゆめ、ゆめ、ゆめ。
俺は、一体誰を。
体が震える。心が震える。
ガチガチと歯が擦れて不快な音を奏でた。ジメっとした汗が脇の下を伝う。
今更ながら衣類を纏っていない事に気が付いた。
おぼつかない指先でメッセージに返信した。
「今日は休みます。申し訳ございません」
シュポっという軽快なメッセージ音が鳴る。既読はつかない。つくはずがない。
まだ寝ているのだろうか。スマホは七時五分と表示されている。起きていても不思議ではない。
未だに心が落ち着かない。
電話を掛ける事にした。
だが、スマホからは無機質な音が一定間隔で流れるだけだった。
コール音すらならない。電源がきれているのだろうか。
それとも、電話にでられない状態なのだろうか。
それとも、電話をもう必要としない状態なのだろうか。
はぁ、はあ。はぁはぁ。
呼吸が荒い。息が苦しい。
無意識に胸を搔きむしる。
どうして、何故。
はぁ。はぁ、はぁ。
苦しい。
胸が苦しい。
唇を噛む。
味わった事のある味覚が脳を擽る。
俺は―――
※
眠れるはずはなかった。オオカミ男どころか猟奇殺人の現場に遭遇したのだ。
今では怒りよりも後悔の方が大きい。
本来であれば警察に通報するべきだろうが俺はしなかった。
オオカミ男が犯人だなんて信用されるわけもない。もっと言えば俺のような人間は変に疑われるに決まっている。
たちが悪い事に脛の傷は多い。
知られたら困る事などいくらでもある。
俺は現場でとった写真をぼうっと眺めた。当時は気が動転していたこともあったのか、死体の顔を取り忘れた。
―――本当にとり忘れただけなのだろうか。
俺の中の防衛本能が無意識的に撮らないようにしたのではないだろうか。
それがよぎった瞬間に指先が震えた。
慌てて昨日受け取った彼女の名刺を取り出す。
『探偵事務所 美少女名探偵 鏡花』と記載されている。裏面には依頼窓口のメールアドレスと電話番号が記載されていた。
俺はスマホを取り出し記載されている電話番号を素早く入力した。
震える指先を堪えながら発信ボタンを押す。
結果、不安は不安のまま終わった。電話は繋がらなかった。
途端に不安が感情を更に支配してくる。
気づけば俺はホテルの部屋を飛び出していた。時刻は午前九時頃だった。
目的地は決まっている。鏡花の探偵事務所だ。柄にもなく走った。
程なくしてガラス窓の『探偵事務所』とだけ貼りだされている雑居ビル前まできた。外から見上げてみても人の気配は感じられない。確かめなければならない。
俺は雑居ビルの階段へと踏み入れるとコツコツと床を踏み鳴らす音が降りてきた。
「あらら?こんなビルに何か御用がおありで?」
透明感のある声だった。俺が目線をあげると声の持ち主と目が合った。
全身をゴシックファッションに身を包んだ女性だった。人の事は言えないが中々に浮世離れした出で立ちだった。
ドレスのような衣装は古びた雑居ビルには不釣り合いだ。
「あなたこそこのような場所で何を?弁城鏡花が死んだ事と何か関係が?」
俺の感が警戒をする。この女は怪しい、と。
弁城鏡花が死んだ。この言葉を聞いた瞬間に女の目線が僅かながら泳いだのを見逃さない。
「……人を見た目で怪しむ事は感心しませんね。そもそも、貴方も人の事言えませんよ。何です、そのスーツ。控えめに言ってもダサいと言わざるを得ません」
落ち着いた口調で人を見下すような言動に怒りが湧いてきた。
「貴女こそ。まぁ、顔は美しいですけど奇抜なファッションと言わざるを得ないでしょう。質問に答えていただきたい。何故こんなところに?」
「別に。旧友を尋ねに来ただけです。残念ながら今日は休みのようなので会う事は叶いませんでしたが」
女の答えは俺の不安を後押しするだけだった。
やはり、あの死体は―――。
「それで、貴方はなぜここに?鏡花のお知合いですか?」
鏡花という言葉に過敏になる。女は鏡花の旧友という事らしいがどういった関係なのだろうか。少し興味がわいた。
「えぇ。昨日、彼女に取材をしまして。あ、私は月刊むうの高橋といいます」
「あらあら。初対面の人間にけんか腰かと思えば鏡花の旧友と言った途端に下手にでるのですか?名刺を頂けますか?その月刊むうとやらは知りませんが文句の一つでも言いたくなります。あー、でも、昨日鏡花に取材をしたのなら名刺を持っていそうですね。貴方から受け取るまでもないでしょう。それで、鏡花が死んだというのはどういった意味です?あ、やっぱりいいです。喋らないで息臭いです。それでは、ごきげんよう。ツギハギさん」
舌の回る女だ。女は俺の脇を抜けてそのまま駅の方へと歩いて行った。
その背中が見えなくなるまで見届けると俺は改めて雑居ビルの階段を駆け上がる。
事務所の扉の前まできたが、やはり中から人の気配は感じられなかった。
安心なのか不安が行き過ぎたのか。急激に眠気が襲ってきた。
昨日から寝ていないのだから当たり前だ。
俺はホテルに戻って寝る事にした。
また、夜になればオオカミ男を。
いや、岩山を必ず見つけだそう。




