表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/15

よん

 一度自宅で着替えてから向かったマンションの扉が開いて、顔を出した住人が何と言えばいいのかわからないという複雑な顔を浮かべているのを見て、俺は早くもここへ来たことを後悔した。


「―――来るとは思わなかったよ、正直」

「すいません…。あの、やっぱり俺帰っ、」


 苦笑混じりの言葉に何故だか異様に恥ずかしくなり、身を引こうとしたらがしと力強い腕に引き戻された。驚いて顔をあげると、そこに笑っているのに何故かうすら寒い、そんな顔をした彼がいて口をつぐむ。


「あ、明良、さん?」

「駄目だよ、帰すと思う?忠告はしたのにそれでも来たのは君なんだから」

「え、あの、」

「ほら、入った入った」


 にっこりと微笑む彼は反論を受け付けないと全身で語っていて、絶句した俺は早くと促され慌てて玄関をくぐった。中に入ると背後でばんと扉を閉じる音に加えカシャンという鍵を施錠する音がし、彼が本当に俺を帰す気が無いことを知る。


「ん、どうかした?」

「――い、いやっ別にっ」


 優しい問いかけに一瞬の寒気を追い出し、ばたばたと両手を振った。確かに電話では色々と脅されはしたが、それも一つの優しさみたいなものだろうと俺は解釈していた。いや、さすがに全部が冗談だとも思わないが、それでも彼が優しいのは事実だ。

 お邪魔してすみません、というと彼は苦笑して、俺の背を優しく押した。


「邪魔じゃないよ。ま、酒でも飲もうか。和樹君明日は休みだよね?」

「それは、うん。でもごめん…俺何も手土産がない…」

「えー?あぁ、そんなの気にしない気にしない」


 結構貰い物で一杯あるんだよねと笑う彼に押され、俺はちょっと情けなくなりながらリビングに腰を下ろした。会いたいというその気持ちばかりで来てしまったが、これは失礼を通り越して酷い。ブルーグレーのシャツに黒のスラックスという寛ぎながらも洒落た格好の彼を見ながら、自分の白シャツにカーゴパンツという出で立ちを見て溜め息が落ちた。大人という立場は同じはずなのに、この違いは何だろうか。


「はい、まずは焼酎からいきますか」

「ありがと―――って、うわ、これ森伊蔵!?」


 キッチンから戻った彼がどん、とテーブルに置いた酒の銘柄を見てぎょっとすると、彼は不思議そうに首をかしげた。そうだけど、と事も無げに言う相手に唖然として固まっていると、どぼどぼと惜しげもなくグラスに注がれ慌てて止めた。


「ちょ、ちょ、ちょまっ、これ高いやつ!高いやつだよこれ!」

「え?あー、でも貰い物だから別にいいんだよ。ほら飲むよー、グラスグラス」

「のええええええ」


 やっぱりというか金銭感覚のおかしい彼に進められ、なみなみと注がれた森伊蔵はうん、大変に美味かった。グラスを片手に肩を落とすと、彼が立ち上がりキッチンから何か料理を持ってくる。


「夕食は食べた?まだならどーぞ」

「え、わ、すいません…おお、うまそう」

「美味いよー、それももらい物だけど」

「え、そうなの?俺食っていいわけ?」


 いいでしょと笑う彼は、以前から思っていたがやたら貰い物が多い気がする。それもこれも彼がそれだけ魅力的であるという事なのだと思うが、たまに明らかに女性からの貰い物もありちょっと複雑だ。

 まぁ俺が何やかや言える立場でもないので何も言わないけど。





「…あ、もうないや」

 酒を飲みながら話していると、瓶が空になった。トイレに立った彼を待っても良かったが、酔いと好奇心で気が大きくなっていた俺は、こっそりキッチンに足を向けた。家捜しするつもりはないけれども、ちょっとした探検気分で視線を動かす。

「うーん、やっぱりいい作りしてるよなー。うちと大違いだ」

 別にうちが安普請であるとは言わないが、築十三年のアパートと高セキュリティマンションを比べるとどうしたって違いが目につく。見回した広いシステムキッチンを抜けると、沢山の酒のボトルがしまわれている戸棚を見つけた。どれどれとそれらを覗けば、錚々たるメンバーがずらりと並んでいる。ワイン系は良く解らないが、日本酒はやはり有名どころが一通り確認できた。

「うーわ、百年の孤独がある!すごいなここ…お、大吟醸発見」

 有名な酒より自分が好きな酒に嬉しくなって、ちょっとそれを手に取った。


 と、そこに。


「それ飲みたい?」


「え、―――」


 振り返った後ろ、予想外に至近距離にあった瞳と視線がぶつかり、双方共に目を見開いた。反射で仰け反った体はバランスを崩し、持っていたボトルが傾く。


 ―――あ。


 まずい、落ちる。


 焦っているのか冷静なのか良く解らない思考で、俺は傾く体に転倒を確信し、手に持ったボトルを抱き込んだ。勝手に手に取った挙げ句、落とすわけにはいかない。

 

「――――っ」


 ―――どっ。


 けれど、覚悟した衝撃は無く、変わりに閉じた視界に聞こえたのは、彼の僅かに焦った危なかった、という声。驚いて目を開けると、床に落ちるぎりぎりで右手一本で俺を支え、ほっとしている綺麗な顔がこちらを見下ろしていた。


「ごめん、驚かせたね。大丈夫?」

「い、や、」


 背中を支えられたまま、俺はぎくしゃくと頷いた。大丈夫だ、痛いところは無い。驚いたのも別に問題はないけど、―――やばいというならむしろ、今の方。

 近いのだ。彼の顔が、とても。

 ほっとした顔で俺の背を抱くように起こし、彼が俺の持っていたボトルを手に取った。これ飲みたいの?と笑って言うその顔に言葉が出てこず、だんだんと頬に熱が集まって俺はひたすら口をぱくぱくと動かす。

「和樹君?」

 彼がもう一度、大丈夫かと聞いた。大丈夫。大丈夫―――な訳が無い。

 助けて貰っておいてなんだけど、顔が、顔が近すぎるのだ。近すぎて、もう、ほんとに―――。


「……和樹君」



 ―――上書き、したい。



「……っ」



 どくん。


 ―――和樹。


「…和、」


「―――っ」


 かーっと上った血と早鐘のようになる動悸に、耐え切れずぎゅっと目を閉じた。まずい、まずい。大変にまずい。

 今絶対、俺の顔は。


 ごん、と重いものが床を打つ音がした。同時に体が突然宙に浮き、驚いて目を開くと足早にリビングのソファにぼすんと落とされる。さっきの音は、どうやらボトルが床に落とされたらしい。それを追いかけて床へやった視界を覆うように、影が被さる。


 見上げたそこは、眼鏡の無い端整な、顔。


「あき…っ」

「和樹」

「―――…っ」


 アルコールの混じる吐息が熱かった。

 壊れそうなほど動悸が大きくなる。耐え切れず、俺はまたきつく目を閉じた。


「…っ」


 ふに、と唇に柔らかく、熱い感触が触れる。一瞬だけの優しい啄ばみは甘く、詰まりそうな息に口を開くとそこへ、食い付く様に強く重ねられた。

 びくりとした俺を逃がさないとでもいうように顎が持ち上げられ、熱く濡れたものが唇を割った。驚きに戦慄くと歯列を這い、熱のうねりが口内に伸びる。舌を入れられたのだと、頭のどこかで理解した。


「、―――ぅ、ん、」


 堪えきれない声が漏れた。顎を捉えた手が更に上へ押し上げ、その声すらも掬い取るように口腔を熱い舌が蹂躙する。喉が痙攣しそうになり、ひくりと動かすと肩を掴んでいた手の平が後頭部の髪に潜り込んだ。頭皮を直に撫で上げるように指は動き、背中に真っ直ぐ痺れのようなものが走った。

 思考はもう真っ白だ。雨あがりの山霧のように濃く白い布が被さり、ただ与えられる熱い感触と胸を打つ鼓動が苦しい。

 どうしよう、気持ちがいい。

 行き場を求め彷徨っていた両腕が、無意識に縋るように彼のシャツを握った。大きな川に放り込まれたような心境で、流されそうになる思考が助けを求めて熱主に縋る。その川を作り出している当人が彼なのに。

 熱い、本当にあつい。体も口も、頭も心も何もかもが、熱くて仕方が無い。


「…、ぁ、…っ」


 飢えた獣みたいに強く貪っていた唇が、くちゅ、と湿った音と共に離れた。つぃと撫でられた喉元に小さく震えを走らせ、目を開けるとぼんやり揺れる彼が映る。

 モノトーンで統一された静かな室内で、唯一色彩を持つ彼の顔がいつもの冷静さを一切消している事に驚いた。目元にうっすら赤味を宿し、俺をただじっと見つめている。初めて見る、彼の雄の顔。壮絶な艶を見たような気になった。


「―――和樹」


 ぴく、と無意識に反応しながらじんじんと痺れを纏う唇を舐めると、彼の喉が静かに嚥下した。その動作に何故か俺の体が更に熱を帯びる。


「あ、明良さ、ん」

「…ん」


 自分でも驚くほどの掠れた声だった。一度唾を飲み込み、再度口を開こうとして再び近付いてきた顔に口を噤む。でも彼の唇は俺の顔には触れず、首筋に埋まるように寄せられた。


 ぬるり。


「―――ッ」


 喉の奥で悲鳴が漏れて、それが恥ずかしくなり体を強張らせた。彼の両腕が俺を抱き込み、熱い濡れた舌が首筋を舐め上げる。ぷつ、とシャツのボタンが外される。どうしよう、どうしよう。

 でも、やめてほしいとも思わない。

 首の筋から鎖骨、柔らかい舌の感触が這った。時折かかる吐息が熱い。妙に鼻にかかった声が漏れ、びくりと動くとボタンを全て解いた彼の手が太腿に移動した。それを意識する前にまた口に食いつかれ、深く重ねて理性を掻き乱される。


「ひ、ぁ、、明良さ…っ」

「何」


 手は止まらず、それでも短い返答があった。潤みかけた視界で見れば、切羽詰り、普段の穏やかさなど欠片もない顔と目があった。それを見て、やっとぐちゃぐちゃだった思考が戻ってくる。唐突に、何故だか我に返った。

 彼の手が服越しに太腿を撫ぜ、顔が瞬時に真っ赤に染まる。やばい。


「あ、――明良さん!まま待った、待った!」

「待てない」

「なっあああき…っ」

「―――和樹」


 声はむしろ、懇願だった。全身で欲しいといわれている。俺は口が戦慄き、ぱくぱくと開閉を繰り返した。

 息がつらく、羞恥と中途半端な快感の体に苦し紛れに視線を壁に送る。その間にも甘い痺れを齎す手は動きを止めず、ズボンの留め金が外される。思わず息を呑んで目を閉じると、ジッパーをおろす音が響き指先が下腹に触れた。その感触にどうしようもない疼きを覚える。

 体はたぶん、目も当てられないくらいに真っ赤だと思う。


「和樹」


 ぞくり。


「…欲しい」


 ―――もう、無理だ。


 俺は両手を伸ばし、彼の背に回した。心臓が早すぎて口から飛び出るんじゃないかとも思ったが、ふっと動きを止めた彼に小さい声でどうにか言った。



「で、できるだけ…や、優しく…っ」



 一拍の間の後に、それは無理かもしれない、と言った彼の顔はこれ以上ないというくらい辛そうで、そんな顔もするのかと俺はのんきにも考えていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ