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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第壱章  山波神社の雷神巫女
9/28

第九話    ~雷神巫女と徒手の武者~



「すっげぇなあ、あいつら……」

「放っておいてもあいつらだけで勝手に片付けそうだが……」


「この混戦で無駄口叩く馬鹿がどこにいる!!

 感心している暇があったらてめぇらもそれ以上の意地を見せろ!!」

「好機であろう! 圧倒せよ!

 一切の慈悲も容赦も無く敵勢を呑み込め!!」


 俄に現れイナリ姫護送の一団を挟撃した数の多きならず者達。

 大方の予想――アンズやコナツの予想すら覆し、この敵勢に人は一人たりともいない。

 すべて、人の形をしただけの妖だ。

 妖とならず者の複合軍勢だと当初は予感された敵勢は、その実、すべてが人ならざる者どもだったというのが真相である。


 腐った皮膚、崩れ落ちた肌から覗く骨や臓物、不快極まりない腐臭、そして何よりも対峙した者の精神を生理的嫌悪感で傷つけるその様相。

 腐敗した屍が動き出した様で生者を襲い、屠り、貪る、"屍人(しびと)"と呼ばれて恐れられる妖魔の集団だ。

 五十人余りの護送団に、その倍近き頭数で迫るそれらは、それ特有の強襲性としぶとさが何よりも脅威的であり、歴戦の武士でも一体一体が手を焼く難敵。

 いかに優秀な武士と陰陽師を選りすぐられたこの一団とて、この兵力差では苦戦必至であり、犠牲者無き勝利など諦めるべきほどの脅威である。


 それが、戦いながらも兵らが無駄口を叩く余地があり、活を入れる将コガラシやユキタダの言葉もあまり戦略的でない始末。

 気を緩める余裕など無いのは確かだが、真の必死とはかけ離れた戦況だ。

 偏にそれは、敵勢に単身飛び込んで、十数もの敵を翻弄、撃破する、一団最年少の二人の圧倒的な活躍ぶりによる。


火鼓(ひつづ)っ、八重咲(やえざき)!」


 最も派手に目を惹くのはアンズだ。

 "火"の字が書かれた太鼓を叩いた撥を振り上げ、伸ばした振り下ろすとともに胸の前方、なるべく自分の身体から離した場所で撥を交差させる形で打つ。

 その瞬間、撥の交点を中心に発せられるのは、目が眩むような激しい光と轟音、そして全方位に迸る人体を痛く痺れさせるような雷の力。

 さながら彼女の撥の交差させた場所に、空からの過程を飛ばした落雷が発生し、アンズを包囲する屍人らを焼く稲妻のようである。

 その威力は、雷光に焼かれた屍人らが激しく痙攣し、アンズに近いものほど倒れて行動不能になり、若干の距離があったものも膝をつく。


「ううぅ~、痛い~!

 でも敵の方が痛いっ! 私の勝ちぃっ!」

『次が来るぞ。

 屍人は味方が討たれようがそれに怯む知能も無い。

 捨て身の殿(しんがり)以上の厄介さだぞ』

(存じてますっ、テンジン様!

 ――さあもう一回! 火鼓(ひつづ)っ、八重咲(やえざき)!」


 再び前方で撥を力強く交差させるアンズの挙動により、眩いばかりの光と爆音、そして稲妻と火花が炸裂する。

 神力で生み出したそれは、巫女アンズの身体を貫く破壊の稲妻とはなり得ないが、余した火花はアンズの肌をびしびしと痛めつけてくる。

 勿論、お構いなし。痛いが、神様の力の使い手であるアンズにはテンジン様の加護もあり、その雷撃が傷をつけてくることはないのだ。

 その稲妻を至近距離で浴びた屍人が多数倒れて二度と動かなくなる、その激烈な効果の前では少々の痛みなど安いものであろう。

 悲しいほど袖と裾が足りていないせいで肌に火花を浴びるこの実状、つくづくこの巫女服はひどいと内心アンズも感じてはいる。動きやすくはあるのだけど。


「こんなに屍人があっさりと、ばたばた倒れてくれるとはな……!」

「陰陽の兄さん方も頑張っちゃいてくれるが、山波巫女ってのもなかなか頼もしいもんだ!

 どうなることかと思ったが、これならどうとでもなりそうだ!」


 自分達の倍以上の数の屍人の出現には、姫君護衛の武士達とて、決死の覚悟をしたものだ。

 重ね重ねの話ではあるが、姫君の護衛に抜擢されたほど腕が立る、歴戦の武士達だ。それらでさえも、この敵勢には犠牲無き勝利は望めなかった。

 なぜなら屍人は、一体一体の脅威度が、山賊のそれを大幅に上回るからだ。

 その歯や爪で、はなから無い命を惜しみようもなく襲い掛かってくる屍人達は、人と違ってその無力化にひと手間もふた手間もかかる。


 人間だったら頭を割れば、あるいは首をちょんぱしてやれば、問答無用で動かなくなる。その時点で無力化は成功したと断言できるはずだ。

 そこまで確実な絶命を導かなくても、足を切り落としてやればもはや継戦能力は無くなる。痛みで気が萎え戦意を喪失するからだ。

 屍人にはその理屈が通用しない。頭部を失っても、胴体だけでやけくそじみた動きで尚も進軍を止めない。

 腕や足を切り落としても同様だ。武器の一つが欠けただけで怯みもせず、残ったもので生者を攻め立て、這ってでも噛みつこうとしてくる。

 もっと言えば、切り落とした腕さえも、地面を引っかいてでも獲物に迫り、腐食まみれの爪を突き立てようとしてくる始末である。

 知能の乏しい屍人の攻撃は、剣術も機知も無く一度一度の撃退は簡単でも、こちらが返す刃が相手に対する致命傷になりにくい。

 その理不尽なしぶとさこそが、屍人が脅威たる最大の所以であり、だからこそ敵を断ち切ることで勝利を得んとする武士には天敵のような存在なのだ。


「こいつは我々のお株を奪われそうで参ったな……!」

 だが、ありがたい!」

「さあ、我らもその力を見せつけようぞ!

 巫女どのの奮迅の活躍ありて、これほど余裕を以って振るえる戦場となっておるのだからな!」


 妖魔への対抗戦力として現在最も有力視される者達は、何と言っても陰陽師。

 たとえ身体をばらばらに切り刻まれようと、活動を止めぬものが多い妖魔を撃滅するには、物理的な手段以上のものが必要になる。

 細切れにしても尚迫る屍人を滅する最も有力な手段とは、それを焼き払って灰にしてしまうことだ。

 念じ、力を込めた符を屍人に投げつけ、敵に貼り付いた途端に発火する陰陽師達の符は、部位を失い動きが鈍った屍人を焼き、完全に無力化させていく。


 陰陽師の符の最大の強みは、燃え広がらぬようにその火を抑えた上で、敵のみを焼き払えるところにある。

 いかな戦場でも延焼による野火が広がれば、たとえ敵を困らせられても自分達も同様に犠牲が増えるだろう。破れかぶれの敵は必ず自陣に甚大な被害を生む。

 まして最初から破れかぶれ同然の、屍人をはじめとした殺意以外の知性無き妖魔に対し、調整が利く火は最高の制圧材料となる。

 だが、そうした最も都合の合う火を生み出す符を放つには、それなりの集中力を以って符に力を込める時間が必要だ。

 ほんのちょっと念じた程度で望むがままの火を生み出せる陰陽師がいるなら、それは百年に一人の天才だ。ユキタダですらその域には達していない。

 仮にそんな者がごまんといるなら、合戦の歴史は陰陽師らに支配されているはずである。

 火矢に劣る速さの無い陰陽師が、後の歴史を含めても合戦の表舞台に現れぬのは、出来ることの多い符とて扱いがそう都合良くは無いからに他ならない。


「信仰がすごい~~~!

 ひしひし感じますよぉ!」

『これだけ人目を惹ける形で力が振るえれば楽しかろう。

 お前はまだ若いからなぁ』

(ご心配なく! 今すっごい調子乗ってるけど遊んではいませんので!

 ――まっだまだいくぜぇ~! 火鼓(ひつづ)っ、八重咲(やえざき)ぃ!」


「よーく狙えよ! 落ち着いて狙えるからな!」

「ははっ、これはやりやすい!

 努めて集中せずとも、攻めあぐねる的を落ち着いて狙うだけで済むではないか!」


 妖魔の撃退には、陰陽師のみでは難しいところがある。先述のように、符の扱いには集中力が必要で、陰陽師だけで前衛を張るのは不安が大きい。

 武士が前衛を固め、刀のみで敵を無力化することは出来なくともその進軍を抑え、後衛の陰陽師らがとどめを刺すというのが最も安定する戦い方だ。

 それがどうだ。

 陰陽師らが一度の符を放つ間に、三度は神力を発揮して、次々に敵勢の無力化と足止めを成り立たせる巫女がここにいる。

 前衛の武士も想定の何倍も楽。陰陽師らの余裕も生まれる。

 対妖魔の強みという点でアンズにお株を奪われがちな陰陽師らも、犠牲者無しの未来を本気で望めるこの展開には、やっかむ想いすら沸かず士気のみ上がる。

 巫女アンズの存在がこの好況の最大の所以であることは周知であり、確かに今、アンズならびに彼女が信ずる神への敬意と畏怖は最高潮に高まっている。


「やるなぁアンズ。

 俺も負けてらんねぇや」


「つーか、あいつもやべぇな」

「一騎当千、ってあいつみたいな奴のためにある言葉だろ。

 戦い方は滅茶苦茶だが……」


 敵勢の方が頭数が多いというのに、余裕が生まれるという状況だから、コガラシにどやされた直後だというのに武士らに無駄口も多くなる。

 きっかけは、確かにアンズが生み出す快進撃の流れだろう。

 しかし、その空気を生み出す者はもう一人いる。

 それも、こちらはアンズのような神力に頼ることさえなく、その身ひとつでアンズにも劣らぬほど戦場をかき回している。

 神の力など持たぬ若者がそうだからこそ、武士の皆々が目を奪われるのもいっそうというものだ。


「グゲェアァァァッ!!」

「うるせぇよ、くっせぇし」


 気合ともつかぬ狂乱者じみた咆哮とともに襲いかかってくる屍人に、コナツは怯むどころかうざったいだけの顔である。

 腐った腕と爪を振り下ろしてくる屍人の手首を掌底で打ち止め、さらにはその腕を脇に抱え込むようにして両手でがっちりと捕まえる。

 そして相手の腹に草鞋を押し付けて、ぐっと力を込めて、相手を蹴り出すとともに腕には引く力。

 そうして屍人の右腕を、根元から引きちぎってしまうのだ。

 これを流れるような動きで叶え、自身を包囲する屍人らによる追撃が始まるより早く、完遂しているのもまた彼の強さの一つ。


「屍人は鬱陶しいんだよ、なあっ!」


 引きちぎって手元に残る屍人の右腕を、まるで子供が武士の物真似で枝を振り回すかのように、コナツは軽々と振り回す。

 子供が枝を振るうのと異なるのは、ある程度太さと重さがあるそれで、近付いてくる屍人をばったばったと殴り飛ばすこと。

 俵も軽々の腕力、その気になれば丸太を振り回すことも可能な膂力で以って、一対多の中にありながら何者をも近寄らせない。

 屍人はそうして撃退しても無力化しきれないが、とどめを陰陽師に任せる立場としては、数秒相手が倒れて起き上がるまでの時間が稼げれば充分だ。


「グゥルアアアァァァっ!!」

「学ばねぇとこがお前らは好きだわ」


 襲いかかってくる屍人に対し、はいはい結構、と余裕綽々でその腕を取り、背負い込むようにして投げ、地面に叩きつけるコナツ。

 崩れ落ちかけの屍人の身体は、地面に叩きつけられただけで割れるが、コナツは相手の手首を握りしめて引く。

 そのままその場で片脚軸に回り、残った屍人の身体を振り回すことで、迫る他の屍人をもまた殴り飛ばすのである。


 口ぶりからしても、明らかに屍人との戦いに慣れている。それも一対多の。

 徒手で、触れねば敵を倒せぬ戦い方にあって、屍人という厄介な相手をこうも無傷で捌く姿は、もはや対妖魔における歴戦ぶりさえ匂わせる。


『やるな、お前の婿候補。

 私の力を借りた巫女のお前に勝る活躍ぶりではないか』

(誰が婿候補かー!

 ちょっと前に知り合っただけの友達でしょーが!)

『冗談だ、冗談。

 案外お似合いのような気もするがな』

(冗談抜かしてる場合では流石にないと思いますけどねぇ!

 ――さぁもういっちょ、火鼓(ひつづ)ぅ!」


 妖魔との戦いは掛け値無く命のやり取りであり、そこに余裕や遊びは本来挟まれるべきではない。

 そんな中でもテンジンが冗談口を叩けるのは、あまりに戦況に陰りが無さすぎる証拠でもある。

 神様の目から見てもそうなのだ。負けようがない。

 アンズもアンズで、慌ただしい戦場の中で八重咲(やえざき)の詠唱も省いて同じ雷撃を放ちつつ、テンジンに対する応対もまた余裕に溢れている。

 余裕無き戦いであれば、さしもの巫女たるアンズとて、今は黙っておいて下さいとでも突っぱねるところであろう。

 それだけ彼女自身も、コナツが切り拓く戦場も、彼女にそれだけの余裕を持たせるものということである。


 そもそも屍人は本来、肌で触れてはいけない敵なのだ。

 腐った爪や牙、それらは生身の肌に傷をつければ、その傷口を腐らせる毒を最初から孕んでいる。

 腐食した刃の毒は、小さな傷から命を危ぶめるほどのものと見て相違無く、屍人に肌で触れることは自殺行為に近い。

 コナツは相手に触れねば倒せぬ戦い方でありながら、小さな切り傷一つつけられることなく、半ば一人で屍人の軍勢を退けているのだ。


 喧嘩が強い、拳法に秀でる、投げ技も使える。

 それだけでは彼の強さを語ることは出来ない。明らかに、妖魔を相手に戦い慣れた動きだ。

 その頼もしさを視界の端にちらちら捉えるアンズもまた、自身が友軍の士気を高める一人でありながら、コナツの勇姿に士気を賜っている。


『しかし、調子が良過ぎるな。

 往々にしてこんな時は、落とし穴があるものだぞ』

(ええ、存じてます……!

 見えてるはずの落とし穴を、見落としやすくなるんですよね……!)


「ったく、順調過ぎて薄気味悪いぐらいだわ」


 快進撃を続けるアンズとコナツだが、その快刀乱麻ぶりとは裏腹に、内心では訝しさすら敢えて抱いている。

 敵の数は多い、本来ならば苦境、それを霊験あらたか巫女の活躍と望外なる若者の強さが、襲撃者達の想定を上回って優勢にことを運んでいるのは事実。

 こんなに屍人が大量発生し、京の姫君を一点張りで狙い撃ってきたことに、単なる妖魔の自然発生ではなく何者かの思惑があろうことぐらい想定しているとも。

 屍人を率いる妖魔の親玉がどこかにいる。そこまでは最初からわかりきっている。


 はっきり言ってこの戦況は、思惑ありし襲撃者の想定を上回ってこちらが強過ぎることにより、相手を歯噛みさせていると見越しても傲慢ではない。

 有り体に言って、調子に乗ってもいいぐらい。それほどの展開である。

 勢いのある今、考え過ぎて行動力を鈍らせてしまい、慎重という名の消極性で、相手に付け入る隙をむざむざ与えてはならないのも事実ではあるのだ。


「コナツー! 圧勝の流れだよー!

 もっともっと加速して一気に片付けちゃおうぜぇー!」

「くふっ、あいつ……!

 ったく、まだ()えぇよ! 気の抜けねえ時間はまだ続いてんぞ!」


 だからアンズは、敢えて少し離れた場所で戦うコナツに、もっともっと勢いつけて敵を一掃しようと声をかけた。

 コナツも思わず吹き出したほどだ。調子乗ってる発言過ぎて笑える。

 何が何でもあの姫様を護り切らねばならぬ重大な任務であると、あれほどわかっている彼女が浮かれて調子に乗るわけがないのに。

 イナリ姫に不興を買ったとはいえ、護送の少なさにけちをつけて怒っていた彼女が、どれほどイナリ姫の護衛完遂を重んじているかなどはなから明白だ。


「どうだコガラシどの、あれは傲慢か?」

「いいや、二人ともわかってらあよ……!

 全部ひっくるめて頼りになる奴らだわ!」


 ただ、ユキタダやコガラシも思うことであるが、こうもとんとん拍子にことが運ぶと、浮かれ過ぎてしまう危惧は必要でもある。

 眼前の屍人の群れをけしかけてきた、あるいは率いた者がいるとして、この戦況に新たな手を打ってくる可能性は想定されて然るべき。

 ふとした敵の一手で流れが変わる可能性は多分にあり、勢いに乗ることを意図的にでも選ぶ中、その変調の瞬間を見逃してしまうとなればまずい。

 この好調を淀ませることなく、かつ心に視野の広さを保つひとひらの猶予を抱える、絶妙な意識と行動の均衡が今は最も求められる。

 戦闘とはそういうものなのだ。目の前の敵を破るだけなら、力さえあれば馬鹿でも出来るが、最高の勝ち方をしようと思えば馬鹿では務まらない。


「さて、このまま終われるかね」

「どうだろうな」


 加えて、あれば尚良いとされるものがある。それは勘。

 指揮官を任せられたコガラシとユキタダは、武士あるいは陰陽師としての実力の高さも選ばれし根拠であるが、その尚良しを持ち合わせているのも大きい。

 士気は最高、戦力も足りている、状況は上向き、油断も無い。

 このまま最高の形でこの戦いを終えられる要素がこれだけある中で、漠然とした胸騒ぎを抑えられないのだ。

 絶対にまだ何か一山ある。懸念にしては確信に近く、そう思う。

 そこに理屈は無く、数々の修羅場を潜り抜けてきた経験と、その中で養ってきた直感が、無視してはならぬ警鐘を胸の内に鳴らし続けている。

 同じものをアンズとコナツも持ってくれていれば最上なのだが、そこまで贅沢は言えまいとコガラシ達が思うほどには、勘には根拠と呼べるものが無い。


(テンジン様、お願いできますか?)

『承知している。

 姫君の籠の周りに異変は無い』

(恐れ入ります)


 恐らく、その淡い期待は叶えられていたのだろう。

 アンズは自分の頭の上にいるテンジンに頼むことで、屍人と対峙して戦う目を切れぬ自分に代わり、イナリ姫の籠の様子を見守って貰っている。

 具体的には戦いそのものに手を貸してくれない主神様だが、疑似的にでも背中に目がついているというのは、例えようもなく大きなことだ。

 まさか彼女が二人分の目を持っているとまでは思えぬ周囲には、屍人らを稲妻で打ち払うアンズが、現在進行形で籠まで視野に含めているとは思うまい。


「さあーっ!

 皆さん山波神社の巫女、テンジン様に仕えるアンズを応援して下さいねえっ!

 火鼓(ひつづ)ーーーっ、八重咲(やえざき)ぃ!」


「馬鹿野郎! 大の大人が若いのを後ろで応援するだけで終われるかよ!」

「初めて見たがこいつぁ確かにすげぇや!

 あんたや神社の神様ってやつも、なかなか軽く見られたもんじゃねえな!」


「っ、っ~~~……!

 ええ、はいっ! 覚えておいて下さいな!

 巫女アンズを、そしてそれを見守られる天満雷(てんまんらい)真道天神(さねみちてんじん)様を!」

『いちいち泣くな馬鹿たれ』

(嬉しくってぇ……!

 こんなにはっきりと、テンジン様の御力が認められるのも本当にっ、久しぶりなんですものぉ……!)


 屍人らを制圧しながらも、売り込みだけは忘れないのが流石に巫女である。

 そして色よい反応が返ってくるとうっかり涙ぐんで、額の汗を腕で拭う動きに混ぜてこっそり目を拭う。

 両親を喪ったアンズを親のように見守り続けてくれたテンジン様だ。

 そんな大好きな神様が、実在することさえ信じられなくなった日々を何年も歩んでいると、こういう時にたまらない。

 信仰が感じられる。感ぜられると気力が漲る。それ以上に、大好きなひとがやっと認められている。


年長者(せんぱい)! もうちょっと支援願えますかね!

 活躍を示せるのは悪くないんですが、このまま行くと俺が活躍株を全部持ってっちまいますよ!」


「くっそー、悪童(わるがき)め!

 お前がずいずい前に割っていっちまうから俺らもそこまで行けねえんだよ!」

「こっちは安定してるからよ!

 少しでも危うさを感じたら迷わず退いてこい!

 お前さんは姫様じゃねえが、俺達が威信にかけても守り抜いてやるからよ!」


 武士らの最前列よりもさらに前に出て、群がってくる屍人をその暴れぶりでなぎ倒すコナツ。

 そんな彼の活躍もあって、屍人の進軍最前列にも乱れが生じ、その粗を迎え撃つ武士と陰陽師も対応が随分楽だ。

 だが、武士も陰陽師も、コナツと同じことは出来ない。

 彼らが何よりも優先しなくてはならないのは、姫君の所まで屍人が迫るのを防ぐことだ。前に出るにも限界がある。

 だから、あれだけの活躍をしているコナツが前に出ている中、彼のそばで共に戦うことが出来ず、支援しきれぬ歯痒さがある。


 それでも、わかってくれているのだ。コナツのはたらきがどれほど大きいか。

 まして京仕えでもないのに、あれほど危険な戦域にまで参じ込み、この戦況に多大なる貢献をしてくれている若者。

 だから、そんな奴をこんな所で死なせたくないと、戦術的な意味ではなく心情的な本心からそう思ってくれる。

 やばくなったら俺達のそばまで戻って来い。姫様を護り通さんとする想いに匹敵する全力で、お前を護り通すことに全身全霊を投じよう。

 姫君を引き合いに出すその言葉など、京仕える武士の口から発せられれば只ならぬ重みを持つ。神職者が主神について語る口の重みにも匹敵するほどに。

 可能な限りという括りはあれど、この日初対面のお前を姫様を護らんとする想いで絶対に死なせはすまいという声は、コナツも胸が熱くなる。

 あの言葉には、上っ面ではない責任感がある。それが表せるのが大人だ。命と背中を預けるに値する。


「コナツー! あと少しだよ!

 きちんと詰めたらあとは皆様に任せようね!

 若輩者は出しゃばっちゃ駄目だよ!」

「悪い、もう遅い!

 だいぶ屍人片付けちまったわ」


「ったく、頼もしい生意気さだぜ……!」

「負けてはおれぬぞ!

 姫様をお護りするのは我々だ! あの二人の仕事ではない!

 京に仕えし我らの信念を示せ!」


 コガラシも、ユキタダも、最前線に対する指揮の必要性を感じないほどだ。

 あの二人が戦場を切り開き、あまつさえその言葉で以って、指揮官に代わり兵らの士気を数倍にも高める始末。

 もはやあの空気に、部下の背筋を正させ過ぎる自分達の言葉など、不要あるいは蛇足とさえ感じて、具体的な指示を出さぬ選択を敢えてするほどである。

 そうして二人は、姫様おわす籠の最終防衛線として、普段は指揮に割く意識さえをも必要とせず、姫君の防衛に集中できる。

 指揮官を任せられるほど腕の立つ二人が、それに集中できるとなればもはや、籠の守りは盤石と言ってよい。


 すべてが理想的な展開だった。

 屍人は抑えられている。犠牲者の出る予兆も無い。

 ここまで完璧な流れの中で、未だ気を緩めぬコガラシとユキタダの抜かりなさも含め、隙一つ無い確勝の流れは完成されつつあった。

 いよいよ真の意味で、油断が生じようとも仕方無きほどの運びだったと言えただろう。




「……ちっ。

 こうなりゃ仕方ねぇ……!」




 だからこそ、そんな時ほど何かが起こるのだ。

 圧倒的な優勢の中、その空気を割って差し込み、良き流れに罪無く浮き足立つ者達の隙を貫く一閃の凶兆。

 これが怖いのだ。歴戦の者ほど必ずそう言う。

 何故ならそれは、どれほど用心していても、今ある流れの中に微かに紛れた程度のそれを、殆どの者は見逃してしまうからだ。

 清流の中に髪の毛一本という明らかな不純物が混ざっていても、それに気付いて掬える者などそうそういないのと同じようにである。


『む……!』

(なんかきましたね!

 でもどこから!?)


 ほんの僅かに悪意を露わにした妖魔の気配は、神ゆえの察知力を持つテンジンと、長い側仕えで近いものを養ったアンズの二人が辛うじて感じ取れた。

 だが、どこからかまでは特定できない。


(テンジン様、すぐに教えて下さいね……!

 火鼓(ひつづ)八重咲(やえざき)っ!」

『いざという時に歯痒いな、信仰が足らぬというのは……!』


 今ぞ戦いの分水嶺だと肌の粟立つアンズは、なおも迫る屍人の群れを炸裂雷光で退ける。

 全盛期であれば、どこから気配がしたのかまではっきり特定できるはずのところ、不甲斐ない今に歯噛みするテンジン。

 さあ何かが起こる。それが判然としないことへの不安は、まさに妖魔が力の源とするものの一つ、人々の"恐れ"に近しいもの。


「なあっ!?

 っ、とっ、とっ……どうどうどう!」

「飛び道具だと!? 屍人がか!?」


 きっかけの一つは屍人の群れから、千切れった自らの腕が投擲されたことだ。

 前衛の武士らの頭上を越え、それは籠のやや近くに構えるコガラシの馬、その足元に突き刺さった。

 その一撃は何者をも傷つけなかったが、知性無き屍人が何らかの狙いがあるかのように、そんなものを投げ付けてくること自体が異常事態だ。

 屍人が自傷しての投擲物を作ったこと自体はおろか、屍人が石を投げ付けたという前例すら、ここ百年の歴史を洗っても無いのだから。


 投げられたものに驚いたかのようにコガラシの跨る馬が暴れるが、手綱を引き絞るコガラシによって馬の動きは制されている。

 籠の方に顔を向けた馬が、あわやそのまま進めば籠ごとイナリ姫を蹴るか踏み潰していたこの局面、馬が進めなかったのはコガラシの剛腕の賜物だ。

 (くつわ)を引かれて立ち上がる馬がいななく姿、コガラシの手綱を引く力がそうさせていることを疑うべき絵ではない。

 だから、この一幕そのものに違和感を抱いた者は誰もいなかった。


 しかし。


「な……!?」


『アンズ!!』

「だめーーーーーっ!!

 火鼓(ひつづ)春告(はるのつげ)っ!!」


 敵は、その一幕の中心に突如として現れた。

 コガラシの愛馬の首が、何の前触れもなく突然根元から落ちたのだ。

 名刀で斬首したかのように、しかも何一つ外から触れたものすら無かったのに、頭部を失った馬の身体が崩れ落ち、コガラシもまた落馬する。

 辛うじて受け身を取るコガラシのそば、ユキタダが目にしたものは、馬の首の切断面から赤黒い影が飛び出してきたというもの。

 傷から噴き出す血に紛れて飛び出したそれが、姫君を擁した籠へと襲いかかった姿に、それを目の当たりにしたユキタダも対応が追い付きようはずもない。


 離れた場所からいきなり放たれた稲妻の砲撃が、あわや籠に手を届かせかけていたそれに直撃していなかったら。

 ちょうど十七歳のアンズと同じほどの体躯のそれを、太い稲妻が呑み込んで焼いていなかったら。

 その一撃で苦悶の声を小さく漏らし、地面に転がるその妖魔という結果を導けなかったら、その悪しき力は間違いなく籠に届いていた。

 籠を破り、中の姫君をその鋭い爪で貫かんとした妖魔の悪意は、まさに間一髪のところでアンズに阻まれたというところである。


 ちなみにこの時、アンズの放った雷が、イナリ姫の籠、その上部の隅を焦がしてしまったのだが。

 アンズ自身も今は必死ゆえに気付いていないのだが、これは後から色々と大変そう。


「んっ、ぐ……!

 巫女め、ことごとく邪魔しやがって……!」


「えっ!? 鬼!?」

『なんだと……!?』


 地面に転がるもすぐに膝立ちの姿勢を作ったそれに、目撃した者は誰しも驚愕した上で、アンズがその根拠を真っ先に口にした。

 馬の血で全身を汚した姿に顔立ちや表情は伺いづらいが、額から生える二本の角は、それが何者であるかを最も雄弁に物語る。

 隣国大奈国(おおなのくに)では度々人の世を乱すことで悪名高くも、山波国では長らく目撃されし実例が無かった妖魔。


 それが、鬼。

 子供でも知っている、最も恐ろしき妖魔の一角である。


 山波国には縁の薄かった鬼が、ここ山近街道に出没したこと。

 それが、明確に京の姫君を狙っていたこと。

 屍人が武器の投擲を実行したことといい、前例の無きことの連続に、テンジンのみが只ならぬ予感を感じていた。

 治安こそ整わぬも、ある程度の平穏は保たれていた山波国に、やがて訪れる激動の日々の予感をだ。

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