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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第壱章  山波神社の雷神巫女
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第十話    ~遺憾ながら一件落着ならず~



「くそが……! 引き際だな……!」


 籠から少し離れた場所に着地した馬の血みどろの鬼。

 突然の出来事に呆気に取られていた武士と陰陽師らも、すぐに我先にと鬼と籠の間に陣取って、最大の脅威と守るべきものの間に壁を作る。

 前線に出ず、姫君を護る最終防衛線であった彼らの実力は尖兵らを上回るものであり、単身の鬼は早々に見切りをつけた。

 背後から斬りかかってきた武士の刀を、高く跳躍することで後ろの相手をも飛び越える形で躱し、宙で軽業師のように回転して着地する。

 後は籠から離れる方向へ駆け、屍人と抗戦する武士らの背後に迫るも、再び高い跳躍で以ってそれを飛び越え、あっという間に屍人の群れの中に紛れるのだ。


『アンズ!』

「皆さん後はお任せします!

 伏鼓(ふつづ)木棉(このわた)!」


 アンズもテンジンに促されるまでもなく、あれを断じて逃がさぬ構えだ。どう見ても敵の首魁。

 伏の字が描かれた太鼓を叩くと同時、敵の密集地の真ん中で高く跳び、放物線の頂点で生み出した雲に両足を乗せる。

 さらに高さを上げ、屍人の群れに紛れた鬼の位置を、高所から決して見逃さぬ構えだ。


火鼓(ひつづ)春告(はるのつげ)!」

「受けてられるかよ、そんなもの……!」


 籠を四方八方から攻め立てる形の敵勢の円陣、その一角から鬼が飛び出してきた瞬間に撃つアンズの雷撃。

 しかし太く威力がありながら、直線的にあまるその砲撃は、警戒されていては些か命中の難が上がる。

 後方からの狙撃とはいえ、屍人の群れを身を低くして潜りながら、アンズの位置を確かめていた鬼は、大きく前に飛び込む形で雷撃を躱してしまう。

 敵を捉えきれなかった砲撃は、鬼の後方の地面を焼いただけに留まり、前のめりに地面を転がった鬼がすぐ立ち上がり駆けだすのもまた早い。


「この雪辱は…………、っ!?」

「んぇ!?」


 ひとまず逃げ切れたことを鬼が確信したその瞬間だ。

 念の為後方を見やった鬼に、こちらも屍人の群れを潜り抜け、矢のような勢いで迫った者がいる。

 そのあまりの俊足には、敵に逃げられそうでどうしようと焦りかけたアンズも、目が覚めるような想いで驚愕だ。

 一番驚いたのが鬼当人であることは言うまでもなく、思わず体ごとその何者かに振り返り、拳を突き出してくるその攻撃を交差させた腕で受け止める。


「ぬが……っ!?

 お前っ……人の子、かよ……!?」


 鬼をも怯ますその一撃。

 屈強な鬼の腕は、構えれば自分以上に大きな岩が頭上から落ちてきても、それを防いでなお折れぬほど強いとされる。

 そんな鬼が、駆け迫ってきた若者、コナツの勢いある正拳を構えた腕で受け、みしみしと筋が軋む実感を確かめたほどの重みと威力。

 こいつは本当に人の子かと、思わず口にした鬼の心境も尤もだ。


「うるせぇぞ外道」


 低く発せられたコナツの声もまた、冷徹で、血が通わぬ、憎むべき敵の皮を剥ぐことも厭わぬ胸の内を匂わせる鋭きもの。

 異常な敵意だ。人の世に仇名す妖魔を憎む戦士は珍しくないが、鬼を間近に見据えるコナツの眼光はそんな言葉で語れるものではない。

 親の仇を眼前にしたかのようなそれは、相手を八つ裂きにしても足らぬ根深き憎悪に満ちたものだ。

 痺れる腕でコナツの拳を押し返し、むしろ鬼の方が後ろに退がったが、そうしていなければコナツの振り上げた回し蹴りが顎を直撃していただろう。

 目の前を、目にも止まらぬ速度で通り過ぎていった素足の一撃は、その足指が頭蓋に当たれば砕いていたことを思わせるもので、鬼とてぞっとするものだった。


「うざってぇぞ、人間が……!」


「コナツ!?

 うし……」

「邪魔くせぇんだよ、てめえらずっと」


 あれほど愚直に姫君の籠に向かって前進していた屍人らが、その一部が踵を返し、背後からコナツに襲いかかっていた。

 後ろ、と叫びかけたアンズの声も間に合わない。間に合わなくても関係ない。

 背中に目が付いているかと思うような動きで、振り返りざまに踵で屍人の側頭部を打ち抜き、掌底で別の屍人の胸を突いて吹き飛ばし。

 さらには足払いでまた別の屍人を転ばせ、もう一体の屍人の股に腕を差し込んで振り上げて後方に放り投げてしまう。


 ものの一瞬かと思うような速さで、四体もの屍人を退けてしまったコナツだが、再びぎっと鬼を振り返って睨む頃には、敵も既に離れている。

 今から追っても追い付けまい。そう思えるほどには逃げる鬼の足は速く、仮に自分の方が速くても、捕えるには無理があるほどの距離があった。


「………………ふぅーーーーーっ」


 立ち尽くすコナツは、努めて頭を冷やすかのように、頬を膨らませて吹くほどの長い息を吐く。

 それに続いてもう一体の屍人が、彼の後方から噛みつこうと迫ったところ、その額を裏拳で殴り返しまでして。

 元より八面六臂の活躍であったコナツへの評価は既に高まっていたが、今の一幕を目の当たりにしたアンズも、想像以上の彼の姿に息を呑む。


 そんなコナツの強さそのものにも驚愕のアンズではあったが、彼女もまた、垣間見られたコナツの眼光を目撃している。

 妖魔を討つべき敵だと認識し、強い瞳を持つ者はいる。武士と陰陽師、今日の友軍は皆そうだ。

 だが、あれほどの、憎しみと、怒りと、激しい殺意を孕んだ目で、妖魔に立ち向かう者の目はアンズもそうそう見た覚えが無い。

 妖魔に身内を殺された、ごく一部の武士と陰陽師があの眼をする姿は見たことはあるが――コナツの眼に沈む憎悪は、それ以上に深くすら感じたのだ。


「こ、コナツ……」


「悪い。姫様を護るのが俺達の仕事だな。

 さあ、一掃の時間だぞ。頼りにしてるからな」

「……うん! あと少しだよ!」


 異常だ。そして、どこか危うく、心配すらする。

 己の乗る黒い雲をコナツのそばまで近付けてから着地し、声をかけたアンズに対し、コナツは振り返って低い声で応じた。

 和気藹々と自分と語らってくれていた、その時の柔らかさは無かったけれど。

 あくまでも、戦場の中にあって和気など脇に寄せた、真剣な武人の声と呼べる範疇には収まった声だった。

 冷静さを取り戻したと感じられるそれに、ひとまず胸を撫で下ろす想いで、アンズも気を取り直して発破をかける。

 そうして再び、二人で屍人の群れへと、数の減った敵の殲滅に駆けるのだ。


 アンズとコナツが突然戦場の真ん中から去って、戦況模様が変わった中でも、武士や陰陽師はすぐに立ち回りを改めてくれていた。

 危なげのない戦い方で、本来かなりの脅威たる屍人を捌いていたのだ。

 そこに再びコナツとアンズという、最高の戦力が参じればもう勝負あり。

 かの鬼、この妖魔の群れの首魁と思しき者が去り、これ以上の新たな展開を生み出せぬ屍人らは、間もなくして駆逐され果たしていくのだった。











「イナリ姫様。

 甚だ恐れ多くもお待たせ致しましたが、敵勢の掃伐を完遂致しました」

「よい。

 大義であった」


 (しびと)をすべて討ち果たし、入念に焼き払い、一切の脅威が無くなったと確信できて、ようやく一件落着だ。

 ユキタダが籠の前に跪き、全ての方が付いたことを姫君へと知らせる。

 狭い籠の中、己にこの窮地に抗うすべも無い中、ただ危機が去ることを無力に待つことしか出来なかった身、その不安は想像して有り余るべきもの。

 命を懸けて戦い抜いた者達の方が尊ばれ、守られる身であっただけの者の不安など些事であろうか? そんなはずはない。

 主君の心労を慮り、それを払うために努めた己らの行動の価値を相手に求めぬのが、誇り高き京仕えの心魂だ。


「垂れを上げよ」

「御意」


 外に出るから籠の垂れを上げよと言うイナリ姫に、ユキタダは一寸の間も挟まずに返答し、籠の垂れを持ち上げた。

 ほぼ同時に、武士の一人が籠の前に茣蓙を敷き、裸足のイナリ姫が土の上に立たぬ配慮をする。

 ずっと座り続けていたイナリ姫は、硬くなった身体を一切感じさせぬ、柔らかな佇まいで小雨の空の下に姿を見せた。

 御髪(おぐし)が濡れることを気遣って、持参の傘を差す陰陽師のそば、跪く者達をイナリ姫は見渡す。

 両膝を着くアンズも勿論のこと、コナツとてこの時は片膝付きとし、姫君を相手に頭が高い姿など晒さない。


「みな、無事であるようじゃな。

 まずはそれが、何よりも良い」

「勿体無きお言葉です」

「だが、コガラシよ。

 そなたには、痛い傷を負わせたようじゃ」

「…………」


 時間をかけ、百にも近い護送に選んだ兵らを入念に見渡して、犠牲者が一人もいないことをイナリ姫は確かめて、イナリ姫は全員無事の言を発した。

 コガラシやユキタダのような名高い者に限らず、全員の顔を覚えている証拠だ。

 兵にすれば身に余ることであり、ユキタダの感謝の言葉も控えめなほど。


 だが、首を失い斃れている馬がコガラシの愛馬であることも明らかであり、イナリ姫もコガラシには悼む言葉を向けていた。

 言葉は淡々としたものだが、姫君が下々の者に向ける言葉としては、破格のものであると言っていい。


「恐れ多くも、申し上げます。

 愛馬に潜みし妖魔が、その内より飛び出し、あわや姫様にその歯牙をかけんとする一幕が御座いました。

 間者は、拙者に存じます」

「コガラシさん!?」


 思わず立ち上がったアンズは頭が高く、それだけで姫の御前では不敬だが、姫君と忠臣の会話に割って入るという更なる不敬もはたらいている。

 テンジンも止めるのが間に合わなかった。頭を抱えたい想いである。

 この子は色々わかっている割には、感情が先走ると行動が前に出すぎるのだ。

 昔からそうで、何度テンジンも気を揉んだかわからない。


「控えよ、巫女。

 そなたが案ずるようなことにはならぬ」

「っ、っ……」


 姫君の命を奪わんとした内患があるとすれば自分だと、コガラシの言葉はそう白状するようなものだ。

 この日起こったことを、忠臣として正しく解釈するとすれば、そう捉えるしかないのである。

 コガラシの愛馬に、イナリ姫の命を狙う妖魔が潜んでいた。

 つまりこの馬をこの護送に連れ込んだコガラシこそが、最大の脅威をここに持ち込んだ張本人とも解釈できてしまう。


 十中八九、コガラシがそんな策を講じたわけではなかったとしても。

 つまりあの鬼が、コガラシも知らぬうちに彼の愛馬に潜んでいただけで、コガラシが姫君への一切の害意無き忠臣であったとしても。

 武士の皆様が、致命的な己の非を認めれば自らの命で償う人種だと知っているから、アンズは声を出さずにいられぬほど気が気でない。

 鬼の潜んだ馬を護送に持ち込んだコガラシという事実のみを以って、イナリ姫がコガラシに責任を求めれば、それで彼の人生は終わってしまう。


「コガラシ」

「はい」


 生涯を京の為に捧ぐとした武士の終わりが、このような無念で終わることを認めたくないアンズは、姫の御前でなければ地団駄をも踏む想いだ。

 お願いやめてイナリ姫様、と目で訴えるアンズが、イナリ姫に舌打ちさせる。

 鬱陶しいのう、わかっとるわい、見くびるな、という顔である。


「そなたへの沙汰は、再び京に戻ってから追って告げる。

 早まることなく、妾の護送を完遂せよ。

 そなたが捧げた命は妾のものでもあり、そなたが勝手に使い果たすことは許されぬ」

「…………」

「歌を嗜み合える者がおらねば旅路も退屈じゃ。

 陰陽師ら筆達者の句も良いが、武士の気骨を匂わせる句も捨てがたい。

 妾がそなたをこの旅に招いたのは、ささやかながらそれを期待してでもある」


「い、イナリ姫さまぁ……」

「やまかしいっ!!

 いちいち反応するでないわ!! 目に障る!!」


 懇願が通じたような気がして、うるうるした目で再び跪き、両手を胸の前で握りしめるアンズ。

 それって神様に向けて祈るような姿なのだが。巫女が主神以外に向けてそんな仕草していらっしゃる。

 テンジンも溜め息。イナリ姫もうざくて激怒。コナツもついでに苦笑い。

 でもアンズは、あらゆる白い目を気にも留めず感無量。だってコガラシさん助かった。


 姫君の命を狙う間者であると、ほんの僅かでも疑いが残るのであれば、最低でもこの護送団からはずされて然るべきである。

 もっと言えば、この場で自害を命じられても妥当な処分でさえある。

 それを、幕府までの道、そして帰路も含めて最後まで護送を完遂せよという勅命は、イナリ姫が未だコガラシへの信を一切疑わぬことの表明だ。

 しかしながら、と他ならぬコガラシも思わず口にしかけたところ、主君の言葉に口を挟まぬのもまた忠臣の様である。


「旅路の中でも妾を楽しませる歌をよう考えておけ。

 決して、辞世の句ではないぞ」

「……………………恐悦、至極」


 この一件落着に、異をこの場で唱える者も当然いなければ、内心で否定する者も全くいなかった。

 コガラシがそんなことをするような者だとは、誰一人として思っていなかったのだ。

 ユキタダや陰陽師、そしてコガラシに率いられし武士達も、寛大に余るイナリ姫の暫定的な沙汰に、胸の奥でただただ感服する。

 当然、コガラシも涙を耐えるほどの想いだ。


 貴人が万一を見ず、こう判断したことは甘い話なのだろうか。

 そんなことは、結果を見てからでしかわからない。

 今はまだ何も起こっていない。ゆえに今、姫君の言葉に間違いなど無いのだ。まして、皇家の姫君に。

 非を認めた武士に、美しくも気高い微笑みを向けるイナリ姫はやはり、慈愛にも満ちた名君の器だと、この場の全員に再認識させたものである。


「それはさておいて、じゃ」


 イナリ姫が、ちらと籠を振り返る。

 先程すべてを見渡した際にも、視界の端に映っていたもの。

 これは無視できない。イナリ姫もこんな面白いものは絶対に見過ごしたくない。


「妾の籠が焦げておるのは何事じゃ?」


 アンズに雷が落ちた。あくまで比喩だが。

 だって心当たりがあるもの。指摘されて初めて知ったことだが、知った瞬間に原因はすぐわかった。

 雨が降る中、籠が焦げた要因など一つしかない。


「誰の仕業かのう?

 心当たりがある者は妾の前に面を出せ」


 そうは仰るが、イナリ姫はアンズを真っ直ぐ睨みつけている。

 先の戦場で、籠をあれほどはっきり焦がし得るものなど、アンズの雷以外にあり得ようはずもない。

 馬の首から飛び出した鬼を、アンズが稲妻の一撃で狙い撃ったあの時、その余波が籠の上部の隅を焼き焦がしていったことも、音から概ね察していそうだ。


「姫様、それは……」

「よい、ユキタダ。

 敵意ゆえではないことぐらいはわかっておる」


 じゃあどうしてそんなに薄気味悪く笑っていらっしゃるのでしょうね。

 あれは姫様を守り抜くために、と、火中の栗を拾う覚悟で弁護しようとしてくれたユキタダだが、僭越を諫めるイナリ姫は聞く耳持たなそうである。

 蛇に睨まれた蛙のように凍り付いたアンズの怯えっぷりを、この上なく楽しめるこの時間は誰にも邪魔はさせない。


「い……………………イナリ姫、さま…………

 それは、その……私の放った雷が……」

「ほう! そなたは妾の所有物であるこの籠を焼いたのか!

 しかも、妾がその中に居ることを知った上で、稲妻を放ったと!

 皇家に弓引くとはまさにこのこと! 皆の衆も聞いたな!?」

「お、おわた……」


 皇族であるイナリ姫という人物は、それに弓を引いて矢じりを向けただけでも、帝への叛意と見做されて大罪認定されるものだ。

 そして本件は、実際にイナリ姫の籠が焦げている。つまり、イナリ姫の籠に実際に矢を放ち、それに傷をつけてしまったのと同じこと。

 これは事象だけを取り沙汰すれば、途轍もないほどの謀叛行為である。事情など顧みられぬほどの。


「この場で裁いてやってもよいが、あいにく妾も今は幕府への旅を急ぐ身じゃ。

 沙汰は妾が京に戻ってから、追って山波神社に伝えるとしよう。

 そなたのような尋常ならざる無礼者には、よく熟考して最も相応しい報いを与えるのが適切であろうからな」


 アンズは死んだ。放心状態で口から魂が漏れている。

 ちーん、という音も聞こえてきそうである。木魚のぽくぽくという音の後に打つ、おりん、あの音。

 アンズは目線だけイナリ姫に向いているが、充分アンズをいじめ倒して満足したイナリ姫が、籠の中に戻っていく動きは目で追えていない。

 彼女の中ではもう、イナリ姫が幕府から京に帰ってきたその時が、自分の命日になると確定した気分であるようだ。ご愁傷様。


「……一同! 再び出陣だ!

 姫様をお待たせしたことを重んじ、足を急がせよ!」


 助命こそされたものの、姫様の身を危うくさせた事実で気落ちしたコガラシに代わり、ユキタダが一団を指揮する形で、再び姫君の護送行列は東へ進み始める。

 襲撃者達のせいとはいえ、随分と時間を食ってしまったので、のんびり進んでいてはイナリ姫の近滋国入りが遅くなってしまう。

 それを取り戻すため、かつ疲れを溜めすぎぬよう、駆けぬ程度に早足となる行列の足取りは、統合された意志のもと足並みが揃っている。


 二人だけ、一歩もそこから動かない者もいたが。

 茫然自失のアンズと、流石に気がかりなので彼女が自分の足で歩くまで、そばで待ってあげているコナツである。


「いくらなんでも大丈夫だって。

 敵意からの行動じゃないのはイナリ姫様もわかってた口ぶりだったろ」

「さよならコナツ」

「どっちにしたって護送任務はまだ終わってないんだぞ。

 投げ出したりしたら余計にまずいんだから、ほら行くぞ」

「わたしはしんだ」

「あーもう、壊れるなよ。

 こうなっちまったら本当お前めんどくさいな」


 良くも悪くも感情に素直すぎるこの巫女は、精神的に追い詰められるとあっさり抜け殻と化す。

 コナツも溜め息。テンジンに至っては、アンズの頭の上で頬杖ついて大あくび。

 進軍も再開し、ちんたらしている場合じゃないのに棒立ちのアンズを、放っておくわけにもいくまいと悩むコナツったら面倒見の良いことで。


「あのさぁ、アンズ。

 とりあえずだな」

「待って、いま辞世の句を考えてる。

 でも私には詩を作る才能が無い……」

「そのいやらしい恰好どうにか出来ねえかな。

 目のやり場に困ってしょうがねえんだけど」

「我死なむ、山波神社……

 え、なに? 私の恰好がどうし……」


 こういう時はまず、放心状態のこの子の目を覚ましてやらねば。

 こんなことを言うと後から何を言われるかわかったものではない危うさも孕むが、コナツも思い切った切り口からアンズに語りかけてみた。

 多分これは効くだろう。それだけ言って、コナツはアンズから目を逸らして背を向け、敢えて彼女を放置して前進を再開する。


 明日が見えずに茫然自失だったアンズも、コナツの言葉を吟味して、ようやく自分の胸元とその下に目線を降ろした。

 小雨が降り続いているのだ。当然、長くそれを浴び続けた彼女も、先の激戦で自分が流した汗も合わせてびしょ濡れに近い。

 薄い巫女服は肌にぺっとり。肌そのものだけは衣服で隠してある形ながら、衣服の貼り付いた身体の線はすべて浮き彫りだ。

 戦いで忙しかった先程と、イナリ姫と向き合っている間は意に介していなかった、裸を晒すも同然の自分の姿をようやくアンズが自覚した。


 こうなってしまうと、もう忘我でなどいられないのである。

 百人近い衆目の前、女体の形を晒しっぱなしだったことに気付いたアンズは、みるみるうちに顔を紅潮させていき。

 敢えて自分から目を逸らしてくれている周囲をようやく認識したら、置物から人間に戻って小走りで動きだす。


「こなつ」

「うわびっくりした!?

 危ねぇな、反射的に殴るとこだったぞ!?」

「わちゅれろ」


 今すぐ空を飛んで帰りたいぐらいの羞恥で気が狂いそうだったアンズは、後ろからコナツに追い付いて彼の首を両手で絞めた。現に狂っとるやないかい。

 あなたが見た私の痴態を意地でも忘れろと仰る。忘れられないなら死ねと?

 本来ならば護送団全員に言いたい言葉であろうが、気軽に話せる相手はコナツ一人だから、彼一人だけにその主張がぶつけられる形である。

 言いやすい相手だけに周りへの不満も纏めて全部ぶつけるのは、本来よろしくありません。


「ぐええ、締めるな締めるな。

 わかったわかった、忘れてやるから。

 ここから先もお前の方は極力見ねえよ」

「わすれろぉ……」

「あーもうめんどくせぇ~!

 保護者! 誰かこいつの保護者いませんかねぇ!?

 有事以外の時ほんと糞餓鬼なんですけど!」


 もちろんアンズも本気では首を絞めてこないので、あっさりその手を握ってほどいたコナツが振り向くと、そこには猫背で胸元を手で隠すアンズが。

 女の子にこの顔と仕草をされてしまうと、あんまりきついことは言えなくなる。

 本当、駄目になると扱いに困る子だ。保護者を呼んできて彼女を預けてしまいたいコナツの心情には、見て見ぬふりの周囲も共感する。


「ほらもう、行くぞアンズ。

 恥ずかしいのはわかるけどどうしようもないだろ。

 我慢するのつらいかもしれないけど我慢しろ、話なら後でいくらでも聞いてやるから」

「いいからわすれろ。みるな」

「はいはい」


 駄目だ、会話が通じない。心が閉じている。

 対話を放棄したコナツの対応は正しい。

 ちょっと俯き気味で耳まで顔を真っ赤にしたアンズは、片手でお尻を、もう片方の手で胸を隠して涙目なので少々憐れみもするのだが。

 対妖魔の戦いの中ではあれだけ頼もしかったのに、ちょっと弱るとこんなに面倒臭い子に成り下がる。


 もっとも、彼の不幸はそのお人好しな性格そのものかもしれないが。

 だって周囲の武士も陰陽師も、面倒見よくアンズの手を引くコナツを眺めながら、みんな同じことを思っている。

 保護者はお前だよ、と。

 人が良過ぎると、余計な仕事も押し付けられるという好例である。お気の毒。

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