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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第肆章  近滋国で物見遊山
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第八六話   ~その名はガクダイ~



 キドウマルの肉体を殻のように破り、この世に顕れた新たなる鬼。

 背筋を伸ばして周囲を見渡すその背丈は、大人のそれより頭一つぶんほど大きい。

 周囲の炎に照らされて、岩石のような剛健さをはっきりと目視できる太い手足と胴の筋肉も併せ、鬼の中でも大物にあたる存在であろうとは推察できる。

 腰巻一つ巻いた原始的な姿にして、押しても引いても巨木のように倒れはしまい、そんな漠然とした強さもまた感じられてやまない。

 夜に炎のみを光源として見るその体色は若干判断しづらいが、土色に近い茶色の全身と見える。


 茶鬼、という存在は現世に伝わる逸話が無い。

 アンズもコナツも初めて見る鬼だ。いったい何者なのか想像つかない。

 強さだけはこうして眺めるだけでも嫌と言うほど感じるのだが、加えてその本質不明さもまた不気味さに拍車をかける。


(……テンジン様。

 あれが何者か、ご存知でしょうか?)

『わからぬ。私も初めて見る鬼だ。

 だが、あれほどの風格に加え、ここが近滋国であることを踏まえると――』


 多くを識る天神様すら知らぬ存在。

 だが、それもそのはず。この鬼は、テンジンがこの世に生まれる前の時代に猛威を振るい、既に調伏された大妖(おおあやかし)であるのだから。

 その上で、知識及ばずともこの状況、すなわちキドウマルを犠牲にして新たに生まれたかの如き顕現も併せ、テンジンが仮説を立てるのもまた早い。


 オオムカデが蘇った、摂泉村の出来事が脳裏を過る。

 そして、キドウマルの襲撃には、オオムカデの復活に携わったイバラギとミノヤマも関わっている。

 それに思い至れば、ここがかつてオオムカデが猛威を振るった近滋国であることから連想し、一体の鬼の名がテンジンの脳裏に浮かぶのだ。

 それは伝承に深く名を刻む、近滋国においてはかのオオムカデと共に双璧を為すほど名高き鬼。


『まさか、"嶽大将(がくだいしょう)"ではあるまいな』


 神の言葉を聞いたアンズは、ぞぁ、と背筋が凍る想いと共に小さな悲鳴めいた、か細い息遣いが口端から溢れた。

 隣国生まれかつ、それが実在した時代からは遠く離れた現代に生きるアンズですら、その名は一度聞いたら忘れなくなった名。

 その恐ろしさは、無双の怪力、暴風や雷雨を生み出す力など、伝承に残る能力の数々を聞くだけでも充分に伝わるものではある。

 だがしかし、山波国のアンズにしてみれば、そんな恐ろしい文言すらも些細なこと。

 嶽大将と呼ばれる鬼には、たった一文でその強さを物語る要素があるからだ。


 かつて山波国において、最強の鬼、あるいは永年最強の妖魔やもしれぬとさえ称された大妖、酒呑(シュテン)導獣郎。

 嶽大将は、酒呑導獣郎と真っ向から戦って引き分けた、唯一無二の鬼として現世には伝わっている。


「……ここは、現世か?」


 鬼は構えたコナツと、その遠く後方に佇むタケスエとナルミ、そして雲に乗って低空に浮くアンズを一瞥ずつ。

 特に、雷神太鼓を背にしたアンズのことは、数秒見つめるようにしてよく様子を見る。

 敵が途轍もない大物である可能性を今知ったばかりのアンズは、その眼差しに突き刺されるだけで腰が引けそうだ。

 流石に、心の準備が出来ていない。


「……くくくっ。くははははは……!

 がーっははははははははは!!」


 ここは現世だ。そう確信した鬼は大声で笑った。

 あまりも嬉しい。なんという僥倖。

 人類にとっては夢であって欲しいと思えるほど嘆かわしい復活劇の主役は、歓喜に震えながらも高笑いを抑えられなかった。






「あれが嶽大将か。

 見た目にはさほど怪物的ではないが、言い知れぬ強者の気質はここからでも感じられるな」

「あ、ガクダイ復活した?

 よかった、妖魔転生の儀、上手くいったんだ」

「ガクダイ? そんな呼び方をするのか」

「住処が遠い割には頻繁にあたし達の勢力に絡んでくる奴だったからねぇ。

 親しいわけじゃないんだけど、あいつをどう追い返すかで身内で語らうことも多かったから、うちらの間ではそんな感じで呼んでたのよ」


 離れた樹上にて、遠目でアンズ達と復活した嶽大(ガクダイ)将を眺めるミノヤマ。

 しかし、イバラギはまだ身体を起こさない。

 先ほどまでと違って欠伸する気配は無く、目もぱちっと開いているので、多少はここからの状況を気にはかけていそうではあるが。


「見んのか?」

「いつかぶつかり合うかもしれない相手でしょ。

 あたしはこんな形であいつらの手の内をいちいち観察したくないわ。

 ただでさえ今回も迷惑かけまくってんのに、これもまあ機とばかりに手の内を暴こうとするのはなんかずっこいでしょ」

「ふーん。

 私は普通に観察させて貰うがね」

「別にあんたはいいわよ。

 あたしの拘りみたいなもんでしかないんだからさ」


「それとは別に、久しぶりに目の当たりにする大妖、嶽大将ではないのか。

 強い者を見ること自体は好きなのだろう? 改めて見たいとは思わんのか?」

「いやぁ、あいつはもういいわ。

 飽きてるの。いや本当、飽きるぐらい見てんのよ」


 イバラギは苦笑い気味。

 ミノヤマは個人的感情でも、歴史に名を残すほどの鬼ガクダイがどれほどのものなのか見てみたいという興味がある。

 対してイバラギは、今さらガクダイの戦いっぷりなんぞ、もう一度懐かしんで見たいとは毛ほども思わないらしい。


「それにあいつ、うるせーのよ。

 復活して、アンズやコナツのことを見つけて嬉しそうな顔してない?

 で、なんかすぐにおっ始めるでもなくべらべら喋ってない?」

「ん~……ふむ、確かになんだか知らんが口がよく動いておるな。

 何を喋っているんだかは流石に聞き取れようもないが」

「そっから長いわよ。

 あいつ、めっっっっっちゃ喋るから。

 コナツ辺りが先に動かない限り、なかなか始まらないでしょうね。

 あんたガクダイがどれほど強いか興味あるみたいだし、早く始まって欲しいでしょうけど、多分そう簡単にはいかないわよ」 

「そんなに長いのか」

「長い。うんざりするほど長い」


 これからミノヤマが焦れ始めるんだろうなぁ、と確信してやまぬイバラギは、ちょっと悪い笑いを浮かべている。

 そういうものか、と改めてガクダイを眺めるミノヤマだが、間もなく彼も思い知るだろう。

 もう少しすればミノヤマが、そろそろさっさと始めてくれんものかね……と呟くことにもなる。

 歴史にはわざわざ語られぬ、嶽大将の一面を垣間見る貴重な経験となろう。






「強いな、お前は。

 これまでも、数多くの妖を葬ってきたのではないか?」

「多い方かは知らねえが、まあまあ潰してきたな」

「くくく、鬼を目の前にしても臆さぬその様、いいぞ、いいぞ。

 ところで、そこの怯えた面構えの女はどうだ?

 そんな顔をしていながら、逃げるつもりもなさそうだが」

「だっ、誰が怯えた面構えか、っ……!

 あ、あ、あなたなんか怖くないんだからね!」

「ぐははははは!!

 震える体でそう言い返してみせるか! いいぞ、いいぞ!」


 ガクダイは手を叩いて笑う。いいぞと言う言葉どおり、本当に嬉しそうだ。

 鬼は闘争そのものを好む。赤鬼カネグマも、自分に挑む相手を目の前にした時は嬉しそうだった。

 こいつも同じ穴の狢か、とアンズは少し嫌なものを見る目になる。


「俺は鬼だ。戦いが好きだ。

 飯よりも酒よりも女よりも、何よりも、何よりも戦いが好きだ」

「いらねえよ、知れた自己紹介なん……」


「俺に挑む奴が好きだ、俺から逃げようとする奴を追って仕留めるのも好きだ、徒党を組んで向かってくる奴らも好きだ、敵わぬと後悔して蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う連中も好きだ、そいつらをなぎ倒すのも好きだ、勝てぬとわかってなお意地になって向かってくる奴も好きだ、そいつにきっちりととどめを刺してやる瞬間も好きだ、勝つのが好きなんだ、負けるのはもう戦うことが出来なくなるから本当は嫌だ、だが俺を討ち果たすような奴との戦いに勝る喜びも無いから負けるのも好きだ、激闘の末に引き分けに済ませてくれる奴など本当に大好きだ、酒呑導獣郎のことは本当に好きだった」


 ん? なんかおかしいぞこいつ。

 いつ襲い掛かってくるかわからぬ相手に構えていたコナツも、その名に呑まれていたアンズも、胸を広げて天を仰いで喋り始めるガクダイに若干戸惑う。

 多少はお喋りな妖もいるにはいるし、こいつがそうであっても別に驚きはしないが、想像の倍ぐらいいきなり捲し立てるように喋ってくる。

 これで序の口だと言うのを二人はまだ知らない。


「敵に傷をつけるたびに得られる勝利という最高の結末に一歩ずつ近付いていく手応えが堪らん、傷をつけられるたびにたとえ僅かずつであっても敗北に向けて押されている実感を退けるたびそれを押し返そうと心昂る経験は何度味わっても癖になる、多くの者は種族として俺に劣るにも関わらず挑んできてその大願に向けた遺志の輝きを宿す瞳はどんな星よりも眩しく美しい、しばしば現れる私をも討ち果たす手前まで至った者達の名は今でもすべて忘れ得ぬ、辛うじてそれらを退けた時あわや敗北と消滅が目の前にあったことに背筋が寒くなると同時に得られる安堵感は極上の美酒にも勝る甘美なるものだ、対峙する者の勝利への意志と俺の同じものがぶつかり合う迫真の空気を何度でも味わいたくなるのだ、どのような結末を迎えたとしてもそれは必ず俺を満たしてくれる、例え敗れようともそれはそれで構わぬのだ、それだけの相手と戦う日を夢見て――」


「おい待て、聞いてねえよ何にも。

 興味な……」


「そうだその目だ、人間どもは俺のことをそうして疎ましく恨みがましい目を俺に向ける、ああわかるとも横暴な強さで喧嘩を売り歩き略奪と暴虐を繰り返す俺のことなど憎まれて当然だ、だから俺は何度だって繰り返すのだ、俺を憎む者達が俺に立ち向かってくれる日をずっと待ちながらだ、殆どの者は内心で俺をどう思っていようがいざ俺を目の前にすると怯えた表情となって場合によっては媚びて助命を願うような態度に出る者すらいる、それはつまらん、だがそれも致し方ないことだ、だからこそ俺に挑むことを挑む数少ない者達の存在が俺にとっては尊くすらある、それを俺はずっと待ち続けているのだ、ずっとだ、ずっとだぞ、いつだってこの請い心が淀む日など一度だってなかった、そして今俺の目の前にはお前達がいるのだ、どのようにしてかは知らぬが現世に蘇った俺の目の前にまるでお膳立てしてくれたかのように闘う意志を持った眼を持つ者が二人も、あるいはその後ろにいる者も含めれば四人もいるときた、一度は惜しみながらも去った現世とはやはりなんと素晴らしいことか、しかもお前達は鬼に蹂躙されて然るべき側の人間でありながら見るからにそんじょそこらの小僧鬼など歯牙にもかけぬほどの力の持ち主と見える、これほど俺の心を昂らせてくれる出会いがあるか、いや今後も二度とあるまい、現世に蘇るという望外の喜びに加えてそんな極上の出迎えが加わるというのだぞ、これに勝る経験など今後千年生きてもあるかどうか、いや無いだろうなぁ、堪らんよ、日頃の行いたるものは間違いなく最悪であったはずの俺が何故このような幸福に恵まれたのかがさっぱりわからんほどだ」


 ずっと喋っている。一回も噛まずに。

 アンズはぽかーんとして口が開きっぱなし。

 コナツとて構えも警戒心も解かずにいるものの、呆れが闘志を上回りつつある。


「酒呑導獣郎の奴との戦いはいつだって最高だった、俺をどこまでも追い詰め仕留める寸前まで至っても、奴は引き分けと言って勝負を終わらせてくれる、おかげで俺は闘争に明け暮れる日々をそこで終わらせることなく長く楽しむことが出来たのだ、もっとも奴の娘を嫁に寄越せと言い寄って挑発した際には流石にぶち切れたあいつに本当に殺される寸前までいったがね、後にも先にもあれだけが俺が逃亡という手段を選んだ一回きりだった、後日手土産と共に土下座して謝ったことも良い思い出だ、あいつとは絶好されたくなかったからなぁ、それだけ好きだったんだ、闘争の好敵手としてあれほどの傑物はいなかったからな、それだけのことがあったにも関わらずあいつは同じ鬼には違いないからと言って情は見せてくれて――」




「イバラギ、酒呑導獣郎の娘とはお前のことか?」

「あーそうそう、何あんた、あいつの言ってること聞こえてるの?」

「いや、暇なので口の形を読んで何と言ってるのか予想して遊んでいる。

 合っているかどうかはあまり自信が無いが、そうでもして暇潰しせんと何も起きなさ過ぎて退屈だ」

「でしょー? あいつ喋り出すと本当に長いのよ。

 酒呑導獣郎(たいしょう)でなきゃあいつの相手は出来ないし、始末に負えないの。

 でも大将があたしを取ろうとするガクダイに対して、本気でぶち切れてくれた時は嬉しかったなぁ」

「親子のような関係とは聞いていたが本当にそうだったのだな」


「で、どう? そろそろ始まりそう? まだでしょ」

「終わる気配が無いなぁ。

 コナツかアンズの方から先に動いておっ始めてくれんもんかな」




「酒呑導獣郎の奴とはまた会いたいものだが俺が一度は滅されたことからも人類は随分と強くなったようだしあいつもこの世にはおらぬやもしれんな、それはもうそうだと考えて諦めるとしよう、その上でもしも再会することが出来ればそれはそれで望外に嬉しくなるであろうしな、そんなことよりも目の前のお前達だ、小僧お前は風の神の力を得ているな? 力を進んで発揮しているわけではなさそうだが臨戦態勢でかすかに溢れる力が風となってお前の周りに渦巻いているぞ、小娘お前も雷の神の力を借りていると見えるな、お前自身の力ではないようだが概ね我が力のように扱えているとも見える、風の力がシズナのそれであるなら俺も知るところであるがその雷神の力は俺もまだ知らぬな、俺が世を去った後に名を馳せた新たなる神か? だとすればかつてない戦いを経験できる好機だ、堪らぬぞ、もはや今から既に興奮が抑えられぬ、ましてそんな二人に続いてあちらで俺のことを注意深く観察している二人も相当な傑物ではないか、刀を握るあの侍は相当の実力者であろう、かつて私を討ち取った将を彷彿とさせる刀気と気魄を纏っているではないか、その後ろの女も同様だぞ、妖である俺を前にして多少の恐れは見えるが戦う力がその手に宿るからこそあのような目を俺に向けられるのだろう、神の力でも武の力でも無い何かがあるあの女がどのような手段で俺に挑む四天王の一人たり得るのか興味が湧いて仕方がない、なんだこれは、なんなんだ、どうなっているんだ、どうしてこんなにも蘇ったばかりの俺の前に突然これほどの楽しみが溢れているのだ、信じられぬ、信じられぬぞ、俺はここで敗れるのか? これほどの余るほどの幸福に恵まれてしまえば後の跳ね返りというものがあって然るべきだろう、いいやそれでも構わんさ、蘇っただけでも僥倖なのだ、これほどの楽しみを再び現世で腹いっぱい嗜めたとあらばその後は跡形も無く消されたとしても充分過ぎる、ああその通りだ、間違いない、素晴らしいぞ、死ぬことすらも怖くないというのは」


 名乗りを入れていないガクダイであるが、酒呑導獣郎との思い出をこのように語る時点で、嶽大将そのものであることはまず間違いないと見ていいのだろう。

 長話で聞かされる側も疲れるが、雷神太鼓を背負うアンズのみならず、目に見える形で神の力を顕さぬコナツの力も一目で看破しているのもまた確か。

 伝承上に名を残すほどの強き大妖であることは、その観察眼からも垣間見えると言えるだろう。

 饒舌さに騙されてはいけない。騙されそうなほど、うんざりするほど長いが。


「お前達はきっと俺をこれまでになく楽しませてくれるのだろうな、いいや期待外れであっても失望はせぬ、それはそれで俺が生き延び再び闘争に暮れる生を再び歩み出せるということだ、ああだがしかし出来る限りは楽しませて貰いたいものだ、たとえ俺が敗れて滅びる結末でも構わぬ、それだけの戦いを最期にもう一度叶えられるというのであればそれはなんとも素晴らしいことだからな、だから気にするな、憎むべき鬼族の俺を本気で葬るつもりでかかってこい、遠慮は要らぬし俺も一切そんなものは持ち合わせていない、さあ始めようではないか、俺が現世を踏みしめられた俺にとってはめでたい日でお前達にとっては忌まわしい日だ、俺は俺自身を盛大に祝い、お前達はその忌まわしさを糧に立ち向かってくるがいい、それが最高の戦いを生み出すに違いないのだ。思い返せば俺と人間との戦いの日々は……」


「おい、始めるぞ。

 やりたくて堪らねえんだろ、さっさと構えろよ。

 始めようではないかって言ってからまだそんなに喋るのかよ」


「まあ待て、最後まで言わせろ、ああ別にお前の方からかかってきても構わんぞ、それでも俺は黙らんからな、最後まで言いたいことを言うのが俺の好みだ、俺の喋りが鬱陶しいならひとまず満足いくまでここで喋らせろ、であれば始まった後もある程度は黙って戦ってやるともさ、ある程度でしかないのはご容赦頂きたいところだがな、人の喋りを遮るものではないぞ、反発を買うだけだ、闘争を生き甲斐とする者というのは反発心に溢れているものだからな、下手に刺激するのは得策ではないのだ、そう、思い返せば俺の前口上をそうやって遮る者もかつては多かった、懐かしいなぁ、その都度同じ返答するのも楽しかった」


 コナツいらいら。

 さあ始めよう、と言ってからも喋りが長いのもそうだが、その果てに思い返せば――という枕詞からまた新しい話が始まりそうな予感がすると辟易する。

 こいついつになったら満足するんだ。べろんべろんの酔っ払いを相手にしている気分。

 そのくせこうして見ていても隙一つ無く、下手に感情的な先手を打てば返り討ちに遭う可能性も高く、迂闊に先制攻撃も出来ないのだから尚更たちが悪い。


「鬼は人間よりも強い存在だ、だが俺は人間というものを敗北する遥か以前からしばしば見上げてきた、数人がかりの力を併せようとも俺の指一つの力にすら遠く及ばぬ弱者にしてそれでも幾度と無く俺に立ち向かう英傑が生まれ、追い詰められてきたことも一度や二度ではない、結果的に俺は名高く知れ渡ることになったがそれは俺が各地で暴れたからに限ったことではない、俺が人間達の中でも力有る者を葬ってきた実績もまた俺の名を高めた所以であり、それは大妖たる俺を恐れず挑んできた者がいたことの証明だ、だから俺は人間のことを鬼に劣る種族と認めた上で、決して侮ってはならぬ存在だとも戒め続けてきた。いつだってやり合う前には心躍るのだ、対峙した人間どもはどのように俺の想像を超える?

 お前達は俺の強さを現には知るまい、だから恐れ知らずに立ちはだかるのか?

 俺がお前達の想像を超えた強さを示せば、お前達は尻尾を巻いて逃げ出すか?

 きっとそうではないことを、俺はお前達の眼差しからは感じられてならぬ。

 だから、これほど饒舌にならずにはいられぬほど楽しみで堪らぬのだ」


 ガクダイが腕を振り上げ、開いた掌にどこからともなく、あるいは無数の石が宙に現れ、その掌に集うようにして一つの塊を作り上げる。

 金棒のような形をした、岩石の塊であるガクダイの武器がその手に握られる。

 それを一振りして構えたガクダイは、ただでさえ人間離れした長い腕に加え、長い得物によって敵を自らの懐へ容易に踏み込ませぬ射程を示す。

 鬼に金棒という言葉がある。目の当たりにすれば、その言葉の重みは嫌でもわかる。


 ガクダイの眼は既に、あるいはようやく臨戦のもの。

 うずうずとした足を一歩踏み出して、今にでも襲い掛かってきそうな構えであるが、ぶはあと息を吐いて間を挟む。

 コナツはアンズを見上げて、アンズもまたコナツを一度見下ろし、開戦目前の前傾姿勢だ。

 後方の護るべき人も気がかりではあるが、この怪物を近い位置に構える前衛たる立ち位置では、もはや後方を振り返る隙など晒せる暇も無い。


「人間どもよ、俺は戦いが好きだ。そして、好敵手たるお前達が好きだ。

 力乏しき矮小の身で俺に挑むその愚かしさと勇ましさをここに讃え、その果敢たるその姿を俺は永劫この記憶に刻もうではないか。

 ここで俺と対峙することになったお前達の未来が閉ざされることになろうと、その光栄を以って恥じることなく世を去るがいい……!

 お前達、無謀なる蛮勇者に栄光あれ……!

 そして何よりも、すべてに先立ち、貴様らを破りこの輝かしき現世を歩み出す俺に栄光あれ!!」


 要するに、ガクダイはガクダイが好きと。

 最後まであほらしい口上を元気良く唱えたガクダイは、まずは一気にコナツへと駆け迫った。

 しかし迫力は凄まじい。巨体にして見た目に似合わぬほどの瞬発力。

 ほんの数歩で、その数歩もあまりに速く、ほぼ瞬時にコナツを岩石金棒の射程内に捉えたガクダイは、小手調べとばかりに得物を一振りだ。


 言うまでもなく直撃を受ければ即死間違いなしの一撃を、コナツは冷静に三歩ぶんほど後方に大きく跳んで躱す。

 目と鼻の先を金棒が掠めていくあわやの一幕と見えながら、しっかり相手の射程距離を一瞬で見極めた最低限の回避だ。

 まぐれではない。それが真正面のガクダイの目にははっきりと理解できるもので、小手調べの一撃で得られた情報としては最上の類である。

 やはりこいつは強い。楽しい勝負になりそうだと口の端も上がる。


「さあ、いつでも来い!」


 豪胆そうな巨躯と語り口でありながらも存外慎重なのか、ガクダイは金棒の射程をいっぱいに使って、コナツとの距離を詰めずに何度も金棒を振り迫る。

 米俵をも担げるアンズですら、持ち上げることも出来そうにない太く長い岩石の塊を、ガクダイは子供のおもちゃのように軽々と振り回す。

 連続攻撃としても一級品の速さで、掻い潜って相手の懐に飛び込もうにも、距離があり過ぎてコナツも機を見つけづらい。

 こちらも現段階では、様子見に徹して隙を伺うしかない局面だ。


「打破する……!

 火鼓(ひつづ)、春告(はるのつげ)!」


「ふむ……!」


 雲に乗って雷鼓を叩いたアンズがガクダイ後方に回り込んで、突き出した撥の先端から稲妻の砲撃を放つ。

 ガクダイも気配は感じている。躱すことも不可能ではなかった。

 だが、一度は線を引かねばならない。それもまた長き戦いのはじまりの中では必要なこと。

 放たれた稲妻に対し金棒を握らぬ左掌を突き出して、それを受けきりどれほどの威力かを確かめることを重視した。


「なるほど、これは怖いな……!」


「あぁぁ強い……!

 やっぱり嶽大将は嶽大将なんだ……!」


 痛みはあるしまったく通用していないわけではないのだろうけど、ガクダイに大きな動揺を与えることも出来てはいない。

 事実、アンズの方に気を取られたガクダイにすかさずコナツが接近するが、触れられるより早く蹴りを返し、その回避を強いてコナツからの攻撃を遮断する。

 つまり、稲妻砲撃であろうともガクダイに隙を作ることも出来ないということだ。


 これまでアンズの稲妻砲撃は、弱い妖魔ならば一撃で調伏し、格の違う妖魔相手であろうとも、当てさえすれば怯ませることはせめて出来てきた。

 アンズが思わず口にしたとおり、やはり嶽大将はこれまでに調伏してきた敵とは次元が違う。

 果たして、どうすればこいつを撃ち滅ぼすことが出来るだろうか。途方も無き命題に感じてしまうのも無理はない。


『アンズ!』

「わか、っ……ひゃあぅぅっ!?」


 そして、空に身を置くとは言っても、断じてそこは安全圏ではない。

 岩石金棒をその手に出現させたのと同様、左手に拳大の石を作り出して握ったガクダイが、それをアンズに投げつけてきたのだ。

 ガクダイの手元と動きから飛来するものは想像がついたアンズの回避も早かったが、それでも身を捻ってなお後頭部のそばを駆け抜けた投石の風切り音は近い。

 耳が切れたかと思うほどの近さで、直撃していたら頭が粉々にされていたのは間違いなく、全身から汗が噴き出るほどぞっとする。


 それで一瞬心が怯みかけたアンズであったが、遠方で金属音のようなものが聞こえて目が覚める。

 ナルミの方からだ。その音は、ガクダイに投げつけられた岩石を、タケスエが受け流すように刀で凌いだ衝突音だった。

 刀を一振りした後のタケスエの姿を目にした瞬間、冷え切りかけていたアンズの心には一瞬で火が灯る。

 何故ならタケスエが凌がなければ、あの石がナルミに直撃し、最愛の母の命が奪われていたかもしれなかったということなのだから。


「さあ、もっと闘志を剝き出しにしてみせろ……!

 全力のお前達との闘争こそが俺の本懐だ!」


「やろう、コナツ……!

 こんな奴には、絶対負けない……!」

「おう」


 本気でやれとそこまで煽ってくるなら、望み通りやってやる。

 大好きなお母さんをお前なんかに取られてたまるか。

 嶽大将の名を聞いて気持ちが退がっていたことなど一瞬にして過去。

 ただでさえ鬼を前にして気が立っていたコナツではあるが、それ以上に頭にきて不退転と化したアンズの声は、かえってコナツを幾許か冷静にしたほどだ。

 自分よりも冷静じゃない奴がいると、自分の方が冷静になれるものだ。

 つくづくこいつは俺とよく噛み合う相棒だというのが、この時コナツがふと感じた所感である。


 伝説の大妖魔の復活。オオムカデに次いで、嶽大将。

 アンズ達が直面した現実たるや、またしても彼女らの想像を超えた苛烈なもの。

 そんな想像以上の艱難をも覚悟してこの道を選んだ山波巫女は、一度魂を立て直してしまえれば決して折れない。

 道半ばでなど果てられないのだ。アンズの眼差しは、勝利のみを見据える灯に満ちていた。

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