第八五話 ~キドウマルの切り札~
屍人の何が厄介であるのかを羅列する。
一。腐敗した屍が歩き出したその姿はまず、襲われる者から平常心を奪うほどおぞましい。
二。その腐った牙や爪で傷をつけられると、傷つけられた場所から腐って取り返しがつかなくなることが多い。
三。普通の生物と違っても首を落とされても活動を止めない。ばらばらにしてやっても、その破片それぞれがまた動く。
四。知性は皆無だがそのぶん恐怖心も無く、撤退することも無いので殲滅するまで絶対に始末が付かない。
恐ろしい妖魔には違いない。まして、これほどの大群で現れれば。
その上で、これらを迎え撃つアンズとコナツは、果たしてどのような顔をしているか。
「コナツー、どう?」
「聞くな聞くな、黙ってがんがん片付けてけ。
万が一やばそうだと思ったら呼び合うだけでいいだろ」
「そだねー」
アンズは地上に降りている。
雲に乗って、屍人には手が届かぬ安全圏、上空から稲妻を降らせる援護射撃戦法を取る選択肢もありながらだ。
最初は撥から稲妻を発射したり、交差させた撥から火花散らす稲妻で周囲を痺れさせたり、これまでの彼女らしい戦い方でいたのだが。
そこまでする必要もなさそう、とでも思ったか、今は迫る屍人の攻撃を躱しながら、撥で殴りつけて応戦している始末。
背負う雷神太鼓が放つ光のおかげで視界に困らず、神力を帯びた撥で殴れば、屍人に直接神力の稲妻を流せる。そして、妖魔に神力は実に効く。
アンズの撥に殴られた屍人は、例外なく痺れたように痙攣した末に倒れ、なかなか立ち上がることが出来なくなるばかりだ。
最近、つるべ落としの包囲網やらカネグマやらオオムカデやら、もっと素早くて執拗な敵の攻撃を間近に凌いできたアンズをして、屍人の動きは単調で鈍い。
以前は屍人相手にこんな立ち回りはしてこなかったのだが、なんだ出来るじゃん、とばかりに大立ち回りである。
そして、アンズでも出来るようなことが、元より徒手としての戦い方を極めつつあるコナツに出来ぬはずもなく。
襲い掛かる牙やら爪やらに掠られることもなく、殴って蹴ってぶっ飛ばして、時には敵をその手で捕まえて振り回して周囲の敵みんな殴り飛ばして。
雑にそう説明して妥当なほど、コナツも接敵状況にして神経を遣う必要も感じず、適当にあしらって始末していくのみであった。
「ふふ、退屈よね、タケスエ」
「あの二人だけに任せて、何の懸念もありませぬな」
アンズとコナツが地に倒した屍人は、調伏されきっていないだけでまだ動くのだが、これらも片付けてくれる強い味方がまだいる。
離れたところからナルミが扇を振るうたび、そこから蛍火のように小さな火の玉が流線を描いて、地に屈した屍人に近付いていく。
そして、屍人にそれが着弾するや否や、立てぬ屍人を炎で包んで灰に変えていくのである。
倒した後の始末をアンズとコナツは考える必要が無い。ナルミが焼却してくれる。
本来ならば、しばらく経って持ち直せば這ってでも襲ってくる屍人をも警戒せねばならぬはずが、それに気を配る必要も無いのだ。
アンズとコナツは、以前イナリ姫の護送中に屍人の群れに襲われた時以上に、ずっと戦いやすいのだから、そりゃあその態度にも余裕が出るというものである。
「死して尚、妖と化して非道に与せられる哀れなる魂。
安心なさい、あなた達にこれ以上の罪は重ねさせないわ」
「ナルミ様すげーなぁ。
ユキタダの兄さんも陰陽術の芸達者だったけど、ここまでだけでも圧倒的にその上なのがわかるわ」
「特段に優秀な陰陽師さん達の集う京での指南役だよ?
ユキタダさんだって、世代が合わずにナルミ様にお教えを賜れなかったのが残念でならなかった、って言ってたぐらいなんだぞ~」
普通に混戦模様をこなしながら普通に雑談する二人である。余裕あり過ぎ。
コナツは頻繁に屍人の骨を打ち鳴らし、アンズも頻繁に撥を打ち鳴らし、ナルミの方に屍人が行かぬよう敵を引きつけながらである。
それでも飽き足らず、タケスエがそばにいるとはいえナルミが心配でしばしばそちらに目を向けすらするのだが、おかげで集中力すら削がれそうになる。
削がれたところでこの程度の敵勢に、足を掬われたりもせぬ二人だが。
扇を振るう所作一つ取っても、舞に手慣れたその身体すべてに沁みついた動きは、この乱戦の中で二人が目を奪われそうになるほど雅なる残り香がある。
さらにはその一振りごとに放たれる、無数の火の玉。
まさしく初夏訪るるたび湿地にて目の当たりに出来る、無数の蛍が舞いし風流で美しい眺めを、ナルミの操る蛍火が彷彿とさせる。
雨季の今こそ最近幾度も見たばかりのもので記憶に新しいこともあり、それが人の手で起こす景観であることも踏まえれば目を奪われそうにもなる。
あれはわざと魅せてくれているのだろうか? いや、今はそんな状況ではない。ナルミの元よりの感性が、操る火の玉も自ずとそうした動きにするのだろう。
もっとも仮に、この状況でなお敢えて魅せてくれているのであれば、あの人も随分と余裕なんだなと安心できるだけの話であるが。
息一つ乱さず余力たっぷりに、余所見や雑談すら挟みながら屍人を捌いていくアンズとコナツ。
始末のつけにくい屍人は、倒れたそばからナルミが片付けてくれる。
危機感一つ感じることすら難しい戦況で、もしも不測の奇襲があったとて、タケスエがいる限りは盤石にナルミも安全であろう。
加えて言うなら、屍人を燃やす炎が地表低くに燃える小さなものとて、それがもたらす光が視界の悪ささえ取り除いてくれる。
小さくも数多い火に囲まれて炙られるアンズなど、元々汗っかきなのもあって、乾いた後に臭くなったら嫌だななんて考え始めているぐらいである。
一。アンズもコナツも屍人など何度も片付けてきた身ゆえ、大群相手だろうが怯みもしない。討ち慣れた雑魚でしかないのだから。
二。屍人最大の脅威たる腐った爪や牙は、アンズとコナツに掠りもしない。
三。ばらばらにしてやってもなお動く屍人の始末の負えなさは、ナルミがすべて解決してくれる。
四。格下の群れが如何に束になって我武者羅に襲いかかってきても、知性皆無で策も糞も無い馬鹿の一つ覚えの特効の繰り返し。何を恐れることがあろう。
時が経つにつれ、はじめ無数に思えたほどの、次々となだれ込んでくる屍人の群れも後続がまばらになってくる。
火の真ん中で躍るように次々と屍人を打ち倒していくアンズとコナツ。
倒れた屍人に引導を渡すナルミ。
そしてナルミの傍にて刀を構えるタケスエは、もしも屍人に接近されれば武器らしい武器を持たぬナルミをも、確実に守り抜く存在感に溢れている。
村一つを壊滅に及ぼし得るとも思しき屍人の群れを、着々と始末するたった四人のこの姿は、その姿を目の当たりにした夜警者達を目の虜にする。
この日たまたま村に居合わせてくれた、救世主の如き四天王。そう言い伝えて明日の酒の肴にしても、なんら過言無いほどの鮮烈さがそこにあった。
「くそが……!
調子に乗ったその鼻をへし折ってやる……!」
「おっ、なんか変なのがいるぞ。
アンズどうする?」
「私が迎え撃ってくるね。
コナツは適当にその辺の奴らをよろしく」
なおも押し寄せる、しかしそうは言っても少なくなってきた後続の屍人の中に、かなり大きな狼のような形の影が見えた。
最近たまたま流白狼と戦ったアンズ達の目線では、今日はこんな奴も混ぜてきたか、という印象。
人が跨がれそうなほど大柄なのが離れていてもわかる。野生の狼ではなく、それを超えた体躯の妖魔だろう。大した問題ではないが。
自身を包囲する屍人をばしばし撥で殴り倒して、その輪から飛び出して前に出たアンズに、その狼は勢いよく飛び掛かってきた。
アンズはちょっと困惑する。えぇ……、とばかりに。
流白狼は結構手を焼く妖魔だったのだが、それは奴らが知性ある立ち回りで、こちらの攻撃を容易には受けぬ回避をその敏捷性で以って為すからだ。
真っ向から襲い掛かってくる狼は怖くない。迎撃余裕。
大口を開いて真正面から遅い掛かってくるそれに、本当にこんな簡単な迎撃でいいの? という不安すら覚えながら、アンズは狼の額を二本の撥でぶん殴る。
大太鼓を全力打ちする時と同じ、腰の入った強打に加え、直撃の瞬間に激しい光を放つ雷の炸裂を伴いながらだ。
飛び散る火花は彼女の肌もびすびす焼いてくるが、後方から彼女に襲いかかろうとした屍人にすら浴びせられ、それらを痺れさせて止める利の方が勝つ。
「死ね……っ!?」
「もういいから、それ」
狼の全身が痙攣し、のけ反った矢先、その首が根元から落ちた。
そして首の断面から飛び出してきた、血みどろの全身で間近のアンズに襲い掛からんとする鬼は、仕留められたとでも思っていたのだろう。
まるで最初からそう来るのがわかっていたかのように、アンズは二歩ぶんほど軽く後退して、足元に用意していた光輝く稲妻の塊をひょいと蹴り上げた。
まるで、ではなく本当にわかっていたのだろう。あらかじめ用意していたのだから。
狼の首から飛び出してきたキドウマルは、アンズの蹴り上げた光球に自ら突っ込んでいく形となり、触れた瞬間に炸裂する稲妻に全身を焼かれる。
かは、と息を吐いた矢先、俯きかけた顔をぐいと上げてアンズを睨もうとした矢先、彼が最も予想していなかったものが顔面に突き刺さる。
アンズの草鞋の裏である。人間の足の裏で顔面を蹴られ、しかも脚力あるアンズの蹴りは、腰の入っていなかったキドウマルをぶっ飛ばす。
ごろんごろんと転がされて、膝立ちでどうにか体勢を整えたキドウマルであるが、想像だにしていなかった屈辱的な展開に頭も追いつかない。
「てめ、え……!」
「いや、だってそれ前に見たし」
あっさり退けられたことに歯を食いしばるキドウマルだが、返すアンズの態度たるや、呆れ気味やら白け気味やら。
ほんの三ヵ月前、同じ手口でコガラシの跨る馬に潜んで奇襲してきたばかりではないか。
アンズも流石にあの時のことをすぐ思い出せるとも限らないが、ここまであの日と似た敵勢では、あの日のことも自ずと脳裏に蘇るというもの。
ここまであの日を彷彿とさせる展開にしておきながら、その日に見せた奇襲と同じ手口がまた通用するとでも思ったのだろうか?
アンズはキドウマルを見下げ果てるどころか、既にキドウマルから目を切って、背後から襲い掛からんとする続きの屍人を撥で殴り飛ばし始めている。
「っ……生意気な、人間風情がああああああああああっ!!」
「……もぉ~」
激昂したキドウマルが鬼の脚力で、アンズに背後から襲い掛かる。
殺気だだ漏れ、わざわざ吠えて襲撃を知らせる。アンズも無意識にぼやきが出る。
ミノヤマの敷いた布陣に包囲された中ではキドウマルの襲撃も脅威だったが、平場であるなら何ら怖くない。
所詮は中鬼。もっと怖い妖魔との戦いなど、アンズは初めてキドウマルと戦う前から何度も繰り返してきている。
まして最近、カネグマやらオオムカデやら一人では勝てないほどの怪物との戦いを生き抜いてきた彼女をして、背後からでもこの急襲は怖くもなんともない。
背中に目でもついているのかと思えるほど、アンズは紙一重でキドウマルの突き出してきた爪の一撃を躱す。
服にかすかに掠ってしまい、背中に小さな破れ傷が出来た程度。動いたことで肌から浮いた布まで計算して動けるはずもないから、これは仕方ない。
紙一重に見えて余裕充分。片手間で屍人を捌きながらアンズの方を見やるコナツも、何回こいつがアンズに襲い掛かっても無理だろとは思うほど。
そして、返す刃のようにアンズの振るった撥は、冷静さを失っているキドウマルのこめかみに直撃し、殴り飛ばしながら神力の稲妻を流し込む。
「があっ、ぐっ……ぐあああっ……!」
たまらず殴られた箇所を手で覆いながら、アンズ達から離れる方向へ跳び退がるキドウマル。
追撃など来ない。眼中に無いと言わんばかりに。
もはや数の残っていない屍人の最後の一掃に手をかけて、残る一匹になってからキドウマルをゆっくり仕留めればいいと言わんばかりのアンズの動きだ。
舐めやがって……! と、憎々しげな目を向けたところで、ついで程度に放たれたかのような稲妻の光球がアンズからキドウマルに向けられて。
はっとしてさらに後退して躱すキドウマルだが、どんどん彼女から距離を取らされて、その間にアンズは屍人を片付けきる。
気が付けば勝負あり。
ナルミに処理されていく屍人が火に包まれ、それらの真ん中にいるアンズは、たった独りとなったキドウマルを真正面に見据えて。
しかも、きょろきょろと周囲を見渡し、さらなる脅威が迫ることは無いかと警戒すらする余裕もある。
実際アンズはもう、キドウマルのことなんてたいして気にも留めていないのだろう。
そんなことより、いつどこで自分達の想定を超えた仕掛けを打ってくるかもわからない、この場にいもしないミノヤマの方が余程に怖いのだから。
「あ゛ぁ~…………もう、いいわ。
どうなろうと、知ったこっちゃねえ……!」
侮られ、見下され、今や無視すらされかけている中、キドウマルの我慢は頂点に達した。
後悔させねば気が済まない。どんな手段を用いても。
理性をも振り切ったキドウマルは、なんとその爪を自らの胸に突き立て、深く抉るようにして深手たる傷を、身体の真ん中に斜めに刻んだのだ。
流石に視界の端にはキドウマルを常に含んでいたアンズも、この行為には再び真っすぐキドウマルを見据えるよう視線を戻す。
「コナツー!
なんか様子がおかしいぞ~!?」
「流石に舐め腐り過ぎたか。
まあいくらなんでもここまで無策じゃ来ねえわな」
二人とも、いつミノヤマやイバラギが真に仕掛けてくるかと警戒し過ぎて、キドウマルをけちょんけちょんに眼中の外に捨て過ぎた。
いくらなんでも怒るよな、とはアンズもコナツもわかる。相手してる暇なんてなかったので勘弁して貰いたいが。
結果的に、キドウマル自身の想定をも遥かに超え、彼から最大の切り札を早々に吐き出させたと思えば悪くもないのだが。
「く、く、くく、くひひひ……!
てめえら二人とも、血の海に沈めてやる……!」
自らで自らを傷つけたキドウマルの奇怪な行動だが、それによって得られたものがキドウマルには実感できているのだろう。
自信を取り戻したかの如く、アンズとコナツを再び鬼に劣る人間を見下す目を向けてくる。
さて、屍人の数も零になった今、二人もまた改めてキドウマルに向き直る。
先程まではあれほど侮り倒していたキドウマルに対し、今一度要注意にて迎え撃つ精神模様に切り替える二人もまた柔軟だ。
キドウマルはもはや、かつて自分に苦い土をつけてくれた二人に対する復讐心に胸を染め、離れた位置のナルミやタケスエに目もくれない。
よって、アンズ達はやりやすい。後ろを気にせずキドウマルとの戦いに集中できる。
やはり戦いは力が全てという側面あれど、屍人を引き合いに出すまでもなく、勝負を優位に進めるためには知恵というのも必要である。
「おいおい、キドウマルの奴め、さっそく封切りおったぞ」
「早っ。
駄目な奴は何をやっても駄目だわ」
村の外の、何の変哲も無い樹上。
太い枝に腰掛けて、手で筒を作ってそれを覗き込むように、遠い遠い近滋村におけるキドウマルの戦いを遠目に眺めているミノヤマ。
そばにはイバラギもいる。今のところはキドウマルがどの程度やれているかにすら興味なさげで、枝の根元に腰掛けて幹に背を預け、あくび一つ挟んでいる。
「ちょっとは見る気にならんのか。
そろそろお前の"妖魔転生の儀"の結果が形になるんだぞ。
それぐらい、自分の目で確かめたくならんものかね?」
「どうせもう少し時間かかるでしょ。
ちょっと強くなったキドウマルが多少はあの子達を押して、でも賢いあの子達に押し返されて、それぐらいの頃合いでぶっちゅんでしょ。
その時にでも見ればいいわ、展開早まったら教えてね」
「お前、キドウマルのことは本当にどうでもいいんだな。
腐っても大和龍山の同胞ではないのか」
「あたし能無しのくせに口だけ達者な奴って嫌いなのよ」
なるほどな、とミノヤマは思った。
アンズとコナツに計二度敗れた屈辱を果たすべく、力を求めたキドウマルに対し、快く"妖魔転生の儀"を施したイバラギ。
本来それはキドウマルに対して残酷なことなのだが、二つ返事でそれを施したイバラギの態度は、身内の復讐心に応えたものだと思ったのだが。
そうではないらしい。どうでも良い奴だから捨て駒として丁度いいと思ったのだろう。
「そういえば、イブキはどうした?
しばらく姿が見えんのだが」
「え? あんたのとこにいるんじゃないの?
あたしあいつに関しては、どうこう指示せず好きにさせてるから、あたしに訊かれてもわかんないわよ?」
「……ふむ。
それも含めると面白い展開も拝めるかもしれんな」
「面白くはないでしょ、あいつのことは愚弄しないでやってよ。
あたしだって、あいつのことは少なからず見上げてるんだから」
「ああ、すまんな、決して嗤うつもりはないんだ。
……あいつの行く末は、私も気がかりであるぐらいだからな」
キドウマルとはまったく関係ない話すらし始める二人。
本当にまったく、キドウマルのことなどどうでもいいのだろう。
これよりキドウマルに訪れる運命も含め、哀れ極まるばかりである。
「ほらほらほら、どうしたよ!?
少しはやり返してみたらどうだ!」
「調子乗ってんなぁ、こいつ……」
キドウマルの猛攻だ。
直感的に嫌な気配を感じたアンズは既に、雲に乗って少し高い場所、キドウマルが跳ばねば手の届かない場所に退避している。
その直感は正解だったのだろう。幾度と無くコナツを攻め立てるキドウマルの爪は、一振り一振りがあまりに速く、コナツも回避一辺倒を強いられている。
コナツですらこうなのだから、アンズが接近戦を仕掛けられてはまずかったのは間違いない。
自ら傷つけた胸からどくどくと流れていたキドウマルの血は、いつの間にか止まっている。
そして、明らかに速くなっている。端的に言うと、先ほどよりも確実に強くなっている。
少なくとも今のこいつは、かつてはコナツに楽々で捌かれていた時のキドウマルとはまるで別人。
追い詰められるという程ではないが、コナツが慎重策を選んで観察に回り、防戦一方の構えとするには警戒すべきほど速い。
「どうだ、俺様の速さは!
言っておくがまだまだ……」
「うるせぇな」
流石に鬱陶しくなってきたので、コナツは爪を突き出してきた敵の手を躱し、裏拳を一発キドウマルの鼻っ柱を叩き込む。
風の力を纏いはしていないが、それなりに痛烈な一撃には違いない。人が受ければ鼻骨が砕け、最悪首の骨まで持っていかれそうな威力。
これも様子見。どの程度効く?
「ッ……軽い軽い軽い!
所詮は人間だなぁ!!」
「っ、と……!
おかしなことになってやがんな……」
大鬼相手でものけ反らせるだけの威力を経験則で知るコナツをして、多少首を引いた程度ですぐさま反撃してくるキドウマルは頑丈すぎる。
赤鬼カネグマほど強い鬼が相手なら、この威力の攻撃であろうがこれに近い反応も見せてくるかもしれない。
理解し難く認め難いが、今のキドウマルは色鬼と同じほど頑丈な肉体を得ているのではないかとさえ思える。
「アンズ~、頼むわ。
こいつどんどん速くなってて、長引くとまずいかもしんねぇ」
「はいはいっ!
一気にいくよ!」
キドウマルとコナツが至近距離で交戦する中、敵だけを狙撃するのは難しいほど二人の動きが激しい。
アンズはお構いなしだ。火雷鼓を叩き、撥を振り抜いて放つ光輝く雷球を、キドウマルの首筋後ろに直撃させる。
コナツの動きはよく知っているのだ。他人と息を合わせるのは彼女の得意技。
「っぎ……!
効かねえ、なぁ……っ!?」
「あっそ」
どうやら妖魔としても屈強になっているようで、これまでのキドウマルなら膝から崩れそうなほどの神力稲妻を浴びても、一瞬怯む程度で耐えている。
それでも一瞬動きが止まれば充分だ。目の前で獲物が一瞬無防備になるコナツ。
キドウマルが真正面の彼を見失いかけるほどの速さで懐に潜り込み、股の間に手を入れてもう片方の腕は肩に回し込み。
瞬く間にキドウマルを持ち上げながら自らは後方に身をひねり、立っている状態から一瞬でコナツを飛び越え、頭を下にされたキドウマル。
人間相手に仕掛ければ確実に首の骨が粉砕される、えげつなく豪快な投げっぷりにはアンズですら乾いた笑いが出た。
しかも、それだけで終わらず、倒れたキドウマルのすぐそばで立ち上がったコナツが、全力でキドウマルの頭を横から蹴飛ばすのである。
大鬼相手でも、この連撃は勝負を決められる威力があるはず。さあどうか。
「く、くく、くへへははははは……!
効かねえ、効かねえなぁ……人間如きの軽い攻撃なんぞ……!」
「むむむむ……」
「なんだこいつ、しかもちょっとずつでかくなってねぇか?」
むくりと、ゆっくり立ち上がるキドウマルだが、背中を丸めてコナツを睨んでいるはずなのに、コナツは相手の眼を見上げる形で見据えていることに気付いた。
明らかにキドウマルの背丈がおかしい。気付いてしまえば、いつの間にやら腕や脚、胴も太くなっている。
見た目だけならあの筋骨隆々、赤鬼カネグマと並んでも見劣りしなさそうなほどだ。
時間経過とともに身体を変容させていくキドウマルの姿には、コナツもそろそろ様子見をやめにして、早く仕留めないとまずいという想いに駆られる。
「死ね……!」
いや、どうだ? 大振りな拳を振り上げて、コナツの脳天を叩き潰そうとしてきたキドウマルの初撃は確かに速い。
後方に跳び退がったコナツの目の前で生じる風が、少し離れてもコナツの前髪を揺らしたほどだから、当たっていれば命はなかったかもしれない。
だが、前に踏み出して追撃してくるキドウマルの攻撃は、確かに一撃一撃は速いものの、二発目三発目と攻撃ごとの間隔が先程より空いている。
これは凌ぎやすい。一撃避けて体勢を立て直し、次を躱して立て直し、その次も躱して立て直して、というのがコナツであれば余裕で間に合う。
しかも、コナツが横に避けて離れてみたところ、振り返って襲い掛かるまでにも僅かに時間をかけてくる。
なぜか肥大していく身体に比例して、力は強くなっているのだろう。
だが、小回りが利いていない。どんなに速い一振りも一突きも、コナツは当てられる気がしない。
「はぁ……はぁ……
逃がさ、ねェ……てメえら、ここで……」
「……何が起こってんだ?」
思わずコナツは、敵に問いかけずにはいられない。
キドウマルは全身に荷を巻き付けたかの如く、のそのそと離れたコナツに重々しく歩み迫ってくる始末であり、先程までの機敏な猛襲性は影も形もない。
まるで図体だけは御立派だが、走ることも出来ないうすのろのようだ。
しかも最も怪訝なのは、キドウマルはその不自由となった肉体にあり、コナツに触れも出来ぬまま、苛つく態度も見られない。
力を得た自らへの恍惚感がその笑みに表れるばかりで、戦況とその態度に一致するところが無い。
状況が悪くなっていることに、気付いてすらいない素振りだ。
「ウるせぇ……! ダマって、死ネ……!」
コナツの頭を根元から千切らんばかりに、なおも巨大化しつつあるキドウマルが、腕を振るう豪快な一撃だ。
冷静に身を低くして躱したコナツの目の前には、振り抜いた腕をそのままに、がら空きのキドウマルの胴。
隙だらけだ。最後に一度、試みる。
コナツはその手に携えていた風の力を掌に固めて、それを打ち出す形で掌底をキドウマルの胴にぶち当てた。
衝突の瞬間に炸裂する風の力は、大鬼級の体格と化したキドウマルをよろめかせて後退させる。
その程度にしかならないのだ。本来ならば、大鬼すらも吹っ飛ばして、地面に頭を打ち付ける形で倒せるはずの力でだ。
打たれた箇所を手で覆い、呻きながらもコナツを睨みつけるキドウマルの表情に、ようやく再び怒りの灯が戻ってくる。
「ッ……ちょこマか、と……!
いイ加減、に………………ッ、ガ……!?」
だが、そんな表情を見られたのもここで最後にして短く。
強烈な違和感を得たキドウマルが目を見開いて、わなわなとその両腕を震わせる。
ゆっくりと、その手で自らの顔を覆うように持っていくような仕草を見せるが、その中でキドウマルの表情には動揺の色しかない。
それは、自らの腕の自由が利かないからだと、アンズもコナツも見て取れるほど明白である。
「ま、待テ……やめろ……!
俺は、まダ…………ぐぎゃ!?」
キドウマルの意志とは無関係に動くその手は、顔に指先が届くや否や、額に爪が突き立てられる。
ずぶりと頭蓋まで届くのではないかというほど、額の肉を貫いて。
指の間から垣間見えるキドウマルの目はもはや、苦痛のみならず恐怖に染まっている。
「ち、違……ウ……
俺は……キドウ、マル……お前、じゃ…………な…………」
爪は果たしてどこまで深く食い込んでいたのだろうか。
キドウマルが――いや、キドウマルの肉体は、自らの頭部を自らの手で、果物を両手で開き割るかのように真っ二つにしたのだ。
キドウマルの頭があった場所の向こう側に星空が見えたコナツも、あまりの異常事態にキドウマルから距離を稼ぎ、構えも先程以上に力強く取る。
何故ならば、頭が真っ二つに割れて尚キドウマルの巨体は倒れておらず、それどころか、自らの頭を割ったばかりの指先がわきわきと動いているからだ。
だが、間もなくして唐突に、キドウマルの両腕がだらりと落ち、頭の割れた鬼の肉体が仁王立ちの様相となる。
そしてさらに続いた光景とは、キドウマルの首から、胸へ、腹へ、そして股へ。
肉体そのものが左右二つに割れていき、さながらキドウマルの膨れ上がった肉体を一枚の皮に、新たな存在が中から姿を見せる。
つくづく異常なのは、血も流すはずの鬼の肉体から血は一滴も滴らず、さらには割れた肉体は地面に落ちるや否や、灰となって風に吹かれて去る。
それは神の雷を浴びて調伏され、灰となって消えていく妖魔の姿と同様であり、キドウマルの肉体が滅びてこの世から消えたことが何より明白であった。
「コナツ……!」
「おう。
こいつは相当にやべえな」
まるで羽化するかのように、キドウマルの肉体を繭にしてこの世に降り立った新たなる存在。
額に長い角を持つ、これまでにコナツが見てきたどれとも違う、しかし間違いなくそれだと確信できる存在。
現世のどのような鬼とも似つかぬ姿でありながら、それもまた紛うことなき鬼には違いないと、コナツもアンズも自ずと感じられたものである。
並み居る強豪と渡り合ってきたアンズとコナツの直感は、一目見ただけで感じ取らずにはいられない。
あの日あれほどの死闘の末に討ち取った赤鬼を、遥かに凌駕する怪物がここにいる。
さしものコナツですら、首筋をつたう冷や汗を抑えられぬほどの難敵だと、疑うことなく確信するばかりだった。




