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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第肆章  近滋国で物見遊山
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第八三話   ~宣戦布告~



「…………」


「なんだよ、黙りこくって見つめてくんな。

 薄気味悪いだろが」


 自分よりも大柄な黒鬼を前にして、コナツは腕組みの仁王立ちで真正面から向き合って、相手を恐れる素振りもない。

 対する黒鬼、伊吹(イブキ)獣士は表情に乏しい鬼の面だが、確かに怪訝な顔でコナツを観察している。

 両腕塞がるような姿でいながら、万一イブキが急襲してきても即座に動けるコナツであるが、害意無きその眼にはコナツもあまり警戒心を抱いていない。


「……お前は、鬼を見れば人が変わったかのように襲い掛かる獣のようだと聞いている。

 鬼である俺を前にして、人は変わらないのか」

「鬼に獣呼ばわりされたらお前が言うなとしか思えねーんだが。

 つーか聞いているって誰からだよ」

「イバラギ様だ」

「あいつか。まあそれなら仕方ねえか。

 獣みてえな絡み方したもんな」

「……俺は、鬼だぞ。

 なぜ、俺とはそう落ち着いて語らえる?」


 初対面のイバラギ相手の己の振る舞いを思い出し、まあ全部含めて仕方ねえなと頭をがりがりかくコナツ。

 イブキは、改めて問う。本当に不思議でならない。

 コナツが鬼にどれほどの怨みを抱いているかも知っているイブキは、他の鬼に対する態度と、自らに対する態度が異なるコナツの真意が何よりも知りたい。


「お前は醜くねえ。

 あらゆる鬼から鼻につくほど匂う、闘争を好む本能みてえな気質を感じられない。

 俺があいつらを見るたびむかつくのは、他者を一時の喜びのために蹂躙し、殺し、すぐに忘れちまうあの醜悪さとその血生臭さだ。

 お前からはそれを感じられねえってだけだ」


 鬼を前にすれば見境なく襲い掛かると思われているコナツだが、それはほぼ正解ではあるものの厳密には異なる。

 現にコナツは、はじめゼンドウには襲い掛かったものの、話がわかるとなれば冷静あるいは概ね親しげにも対話している。

 大和龍山に決意を固めて乗り込んだ上で、最も憎きものの一つと同じ赤鬼の姿を前にすれば、初見はあれだけ獰猛となるのもある意味やむを得まい。

 鬼は総じてコナツの最も嫌う気質を見てわかるほどきつく放つが、そうでない相手と思えばコナツは冷静でいられるのだ。

 次にイバラギと、もしも大和龍山の外で再会する日が訪れれば、コナツがどのように接するかはわからない。


「…………くふっ、くくくく……!

 そうか、そうなのか……!

 俺はお前から見て、他の鬼とは違うと見えるのだな……!」


「おーい、何なんだよお前は……

 今の答えに笑えるとこあったか?」


「いや、すまない、すまないな……

 あまりにも思いがけぬ答えでな……

 期待していたわけではなかったのだが……あまりにも、な……」


 イブキはその手で目を覆い、天を仰ぐように首を上げ、静かに、しかし寡黙そうな言動からすれば大笑いするかのように笑い声を漏らしている。

 コナツから見れば奇怪な反応だろう。若干、顰蹙の目を向けすらする。

 イブキはそんなコナツの視線に晒されながらも、はぁ~とひとしきり笑った後の息を吐いて、その手を下ろして再びコナツを目視する。


「お前は、強いか。

 大和龍山の鬼を根絶やしにするつもりのようだが、それに相応しきほどの力を人の子が身に付けたのか」

「さあな。

 相応しかろうがなかろうが、俺はそれを成し遂げるまでは止まれねえ。

 そのための力を培うためだけにここまで生きてきた」


「頼みがある。

 一合、打ち合って貰えないか。

 俺は、お前の一撃を必ず身体のどこかで受けてみせる。

 お前は、俺の一撃をどう捌いてくれてもいい」

「……そんな目でそんなことを言ってくる鬼は、俺の知る鬼の姿じゃねえな」


 言動だけ見れば、力比べを望む鬼のそれとも取れよう。

 イブキの目からは、単に闘争を好む鬼のそれとは異なるものが垣間見える。

 それと知性ある鬼本来が同じ言葉を発した時と比較して異なるのは、本質的に知りたがっているのが己の力量か否かである。

 力比べをしたがる者とは、それを通して自分の強さが如何ほどのものか確かめたがっているのが大半だ。

 イブキの目を含む表情は、己の実力を顧みることよりも、真っすぐに見据えたコナツの力量を知りたがっていることが明白だった。


 いつか大和龍山に再び攻め込んでくるであろう、コナツという脅威たり得る存在の力量をあらかじめ計ろうとしているならまだわかる。

 そうした打算の色が、イブキの表情からは一切感じ取れない。

 双方、武人だ。一対一で眼差しを交わし合えば、闘争における相手の心の上澄み程度は、コナツとて見て取れる境地には達している。

 だからこそ確信できる、イブキのあらゆる打算一つ無く、コナツの今の強さのみに強い興味を抱くばかりのあの瞳が、つくづくコナツの知る鬼の目ではない。


「いいぜ、やってやる。

 お前の方から来るか」

「まずはお前の方から来い。

 俺はお前の攻撃を受けきってから、お前に返礼を以って応えよう」

「先手は譲る、か。

 ますますだな」


 自分が赤鬼カネグマを討ち果たしたことも知っているはずであろうイブキが、それだけの攻撃力があるコナツの攻撃を先に受けると言う。

 見くびられているようには見えない。少し強張ったイブキの肩の小さな動きも、コナツの目にははっきり認識されている。

 イブキは既に緊張感を持っているのだ。決して侮られてはいない。

 その上で、痛みを伴ってでもコナツの今の実力を計らんとするイブキの真意たるや、コナツの言うとおりいよいよ迫真だ。


「行くぞ。構えな」

「いつでも来い……!」


 両者、構えた。その時間も僅か。

 五歩までに最高速に至る足を駆けさせたコナツは、そこから一気に地を蹴りイブキに迫る。

 さらなる加速を得たコナツが、一瞬で目の前に現れたかのような錯覚すら覚えながらも、イブキは腰を落として回避の予備動作にも移らない。

 宣言どおり、両腕を交差させ、真っすぐに突き出されたコナツの正拳を、頑丈かつ頑強な鬼の腕で受けきってみせたのだ。


「ぐ、く……! 返すぞ……!」


 コナツは意図して、風の力をその拳に纏わせることをせず、生身の拳を激突させていた。

 それでも、イブキにはそれなりに痛い一撃として響いたようだ。

 その上で、イブキは腕を押し返してコナツを退がらせながら、引いた拳を突き出す形で反撃を撃ち出してくる。

 躱すことは出来る。むしろ大振りで、躱されることも織り込み済みと見える一撃。

 大きく跳び退がることで回避も容易な局面で、コナツは意図して、両掌を突き出す形で、イブキの拳を真正面から受ける形を取った。


「っ、てぇ……!」


 流石にコナツも、人の身で鬼の一撃を踏ん張って受けることはしない。そんな愚直に受けようものなら、頑強さの違いで手と腕を砕けさせられるだけだ。

 受けつつ退がって衝撃を逃がし、掌に礫のようにぶつかった拳の固さと重み、腕まで貫く衝撃に表情を歪めつつ、継戦能力に瑕を残さぬ程度に受けきった。

 技術も併せてではあるが、コナツは風の力を借りずとも、鬼の一撃を躱さぬ上で、受けて生き延びる姿をここに示した形となる。

 腫れそうなほど痛む掌を振り、痛ぇなあという顔でイブキから距離を取るコナツに、イブキも腕の殴られた箇所を撫ぜながら不敵に笑っている。

 それが、コナツの強さを目の当たりにしたことによる満足感を含む笑みであることは、対面するコナツの目にもはっきりと映っている。


「付き合ってくれて感謝する。

 この上なく、良いものを見られた」

「何がそんなに満足なのかは知らねえが……

 まあ、俺もなんだかこの一合は不愉快じゃなかったよ。

 お前の拳にはやっぱり、殺戮と蹂躙を好む乱暴狼藉たる、鬼らしい悪意がねえわ」

「……ふふ、そうか。

 俺はやはり、鬼としては失格なのだな」


 天を仰いでそう言うイブキは、失格なる己を恥じるどころか喜ぶようで。

 真意の読めない敵の言動、態度に不可解さを抱きながら、コナツもまたその姿を憎めない。

 鬼は復讐の対象ではないのか。いま改めてそう自らに問いかけるほど、この黒鬼に対してのみは、胸の奥底から沸く憎しみたるものが生じない。

 ゼンドウとは異なり、いつか必ず敵対することになることがわかっていて尚、イブキに対するそんな自らの認識の由来こそ、他ならぬコナツですらわからない。

 敵をどれだけ見直しても、その答えの本質に届かない。見正すべきは自らだ。


「さて、悪いが俺はもう帰らせて貰うぞ。

 ここでお前とやり合って、討ち取られてもたまらんからな」

「おう、帰れ帰れ。

 やる気なら消し飛ばしてやる気で迎え撃ってやるけど、お前にそんな気ねえのはなんとなくわかるわ」


「ここで、お前にとっては重要な情報だ。

 ここから山をあの方向に突き進んでいった末に、お前の連れのアンズという巫女が今いる。

 イバラギ様とミノヤマが、そちらに向かっていった」

「あ゛?」

「待て、陽動したわけではないぞ。

 イバラギ様もミノヤマも、あいつに危害を加えるつもりで向かったわけではないのは俺も知っている。

 戦いや惨事の予感はしないものだと考えてくれていい」


 流れでしれっととんでもない情報を寄越してきたイブキに、コナツが一瞬で修羅の眼差しとなる。

 まずいと思ったか、イブキもすぐさま用意していた弁明を放つ。

 コナツをここに引き留めて、イバラギ達がアンズに接触する場に駆けつけられないよう陽動していたと、そんな誤解をされてはたまらない。

 そう思われたら今すぐ殺し合いにすらなりかねまい。それはイブキも望むところではない。


「大事にはならぬと思うが、迎えに行ってやるといい。

 その間に俺はとっとと逃げることにするからな」

「言っとくが、アンズに何かあったらお前も只じゃおかねえぞ」

「大丈夫だ、そんなことにはならぬはずだ。

 ……まあ、恐らくだが。絶対とは言い切れんが……」


「ったく……!」

「あ、待て、今アンズとやらは……」


 アンズがミノヤマの敷いた布陣に誘い込まれ、自分が助けに行かなければ彼女の命すら危なかったことが、今のコナツには記憶にも新しい。

 イブキはそうした状況に陥ってはいまいと言うが、鵜呑みにして安心して帰れるような内容でもないだろう。

 知れば行動の早いコナツは、万一あれば許さんぞという太い釘だけ刺し、イブキに背を向け山へと駆けだしていく。

 イブキが引き留めようとしても、類稀なる瞬発力で一気に加速し、山林へと消えていくコナツに、イブキの忠告はもはや届きそうにない。


 アンズは今、丸裸で温泉に入っているのだが……


「……まあ、いいか」


 よくない。

 気が立ってしまったコナツと再び関わるのは危険だと、賢明に判断したイブキは、これ以上の情報提供は諦めてその場から離れていった。

 つくづくアンズは、己の知らないところででも、割を食わされる貧乏くじを引きがちな不運と縁のある巫女である。











「まったく、ひどい目に遭った」

「それはこの子の言い分でしょ。

 あんた馬鹿なこと言ってると本当にちょん斬られるわよ」


 ミノヤマは相変わらずアンズをむかつかせるようなことばかり仰る。

 肩まで濁った湯に浸かり、真っ赤な顔を膨らませているアンズは、背後に顕したままの雷神太鼓を仕舞っていない。

 思ったよりもミノヤマが顔を上げるのが早くて、服を着る暇も無かった彼女は、未だに異性の前で丸裸である。それで機嫌が直るはずもないのだ。

 ちょっと離れた場所、若干深くなっている場所で立ち、胸の上を湯面から覗かせるイバラギが、まあまあ落ち着いてと宥めているから暴れていないだけ。

 敵同士だから当たり前、という以上に相性最悪なアンズとミノヤマの仲裁など、イバラギも随分と苦労するご身分である。


 ミノヤマは温泉の縁に腰掛けて、ひざ下のみを湯に浸けて腕組みしている。

 ふんどし姿で頭を覆う頭巾は後ろ前にされて、前が見えない状態にされているので、アンズとイバラギの裸体を視認することは出来ない。

 誰の目にも明らかな変態の姿から、それすら通り越して、もはや意味のわからない存在と化している。


「そんなことより息がしづらいんだが。

 濡れた布が顔に貼っつくと窒息するんだぞ。

 そういう拷問もあるんだぞ」

「めくればいいでしょ、頭巾を。

 目まで上げたら殺しますけど」

「顔を隠すための頭巾だから取るわけにもいかん。

 口元を晒すのもしたくはないんだ。

 ったく、仕方ないな。こうなれば最後の手段だ」


 がるるると敵愾心に満ちた目と声でアンズに恫喝されながら、ミノヤマは自分の後ろから、あるいはどこからともなく竹筒みたいなものを取り出した。

 そして頭巾の下部からそれを入れ、頭巾の下で口に咥えたようだ。

 尺八のように下向きに、頭巾の顎元から生える竹筒で、ぷぴーとそこから呼吸し始めている。なんなんだこいつは。


「さて、話をしようではないか。

 重要な話なんだ、聞いて損はさせん」

「あんたそれどうやって喋ってんの」

「やれば出来る」


 出来てたまるか。イバラギに呆れて問われ、アンズから気色悪い奴を眺める目で猛顰蹙を買うミノヤマ。

 人当たりの良いアンズにこの顔をさせられるのは相当なものである。


「少し、互いの立場というものを整理しようか。

 私は最終的に、憎き京の貴族どもに復讐しようという立場にある。

 アンズは、それを阻む立場になることを厭わんということだな?」

「ああ、その様で普通に真面目に話すんですね……

 ええまあそうですね、神様の力を手に人同士の争いに参ずることはありませんが、私情がもたらす蛮行を差し止めることは躊躇いませんよ」


 竹筒越しにどうやってか喋るあほみたいなミノヤマの姿に調子を乱されながら、アンズは堂々とした声で返答した。

 いちいち突っ込んでいたら話が進まない。これ以上調子を乱されても癪。


「時に、今は玉依鳴御(ナルミ)どのが近滋村に訪れておられるな?

 この辺りについて、まずは誤解無きよう念を押しておきた……」

「お母さんもあなたにとっては復讐対象ですか?」

「待て待て待て、最後まで聞け。

 誤解されぬよう念を押しておきたいという話なんだ」


 これだけは先にはっきりさせておかないとまずい。

 京と皇族に深い怨みを持つというミノヤマ、そして今は籍を抜いたとはいえ皇族の血を引くナルミ。

 ミノヤマが話し終わらぬうちに、食い気味に問うてきたアンズの発する、殺気にも近い気魄は洒落にならない。

 もしもミノヤマがナルミにまで危害を加えようとしていると思ったら、アンズは確実にこの場でミノヤマを葬ることも厭うまい。

 巫女としてではなく、大義こそあれアンズ個人としてだ。それで動き出したら絶対に止まらない彼女を、今ここで敵に回すほど恐ろしいことはあるまい。


「確かに私は京と皇族に深い怨みを持つが、ナルミ嬢は断じて復讐の対象ではないんだ。

 むしろあれとは素顔で語らったことも幾度かあり、人格者であることもよく存じている。

 帝の血族であること自体は私にとって忌まわしいことに違いないが、あれには断じて進んで危害を加えるつもりはない。

 これは本心だ、誓って真実だぞ」


 普段通りの語り口ながら、内心ではかなり焦っているミノヤマだ。湯気にあてられるまでもなく、腋汗がぶわりと噴いた自覚もある。

 仮に、ナルミに手をかける者がいれば、母を奪われたアンズに怨みを買ったそいつはどうなるだろう。

 アンズは絶対、巫女としての仕事も一時投げ捨ててでも、怨む相手をどこまでも追いかけ回して滅するまで止まらない。

 正義感だけで命すら懸けられるほど肝が据わっていて行動力もある奴が、心底怨んだ相手にどのような行動を取るかなどそれしかないのだ。

 こんな奴に怨みを買ったらおしまいだ。ミノヤマ自身も怨みの権現だからこそ、真に迫ってよくわかる。


「私はそもそも、最後の目的のために手段を選ばず動く過程においても、人格者だと認める相手まではこの世からは喪わせたくないと思っているのだ。

 そんなことをすれば人の世に対しての大いなる損失であろう?

 ナルミ嬢は、巻き込む形であろうともその命を奪いたくなどない人格者だよ」

「……なんですか? 巻き込むって」


 一瞬気が立ってしまったせいもあり、今のアンズはかなり敏感で、言葉尻にもすぐ反応する。

 虎の尾の上で踊っている自覚はミノヤマにもある。かなり危険な対話である。

 イバラギは一切口を挟まない。自分の話術でこの場を最低限の波風で済ませられる自信は到底無い。

 第三者目線、ミノヤマこいつよくそんな馬鹿らしい姿で、こんな真面目な話が出来るなぁと改めて感じて黙る限りである。竹筒ぷぴーの変態のくせに。


「私達は、明日の夜にでも近滋村に襲撃を仕掛けるつもりだ。

 それが、ナルミ嬢を狙ってのものではないことを念押ししておきたいんだよ」

「やっぱりあなた達って、ここで葬った方がいいですよね」


「待って待って、お願いアンズ待って。

 あなたを刺激する内容なのはわかってるし、その危険性も承知であなたにこれを伝えたのには明確な意図もあるの。

 こんな宣戦布告めいたこと、せずにやりたいことをやった方があたし達にとって好都合なことぐらいはわかるでしょ?

 お願いだから最後まで聞いて。絶対、あなたに理のある話のはずだから」

「そちら目線では我々は葬るべき存在には違いないし、それに対してはぐうの音も出ん。

 だが今すぐおっ始めるなら私達とて自慢の逃げ足を発揮させて貰うぞ。

 お前を討ち取る自信を声高に語ることは叶わんが、生き延びることだけは出来る自信に限れば揺らがぬぞ」


 アンズが湯の下で撥を握った気配を感じたイバラギは、たまらずアンズを宥める言葉を紡ぐ。

 何よりも、肩まで湯に浸かって裸体を隠していたアンズが、湯面の上に鎖骨を晒す姿勢に改めたということは、湯の底にて足の裏で地を踏みしめたということ。

 臨戦態勢に移っている。これはどうにか積極的にでも鎮めようとしなければ、即座に爆発してもおかしくない。

 羞恥心の最も強い年頃の処女であるからと言って、まさか丸裸で男もいる状況で大立ち回りは出来ないだろう、と侮るのは確実に甘い。

 こいつは絶対、肚さえ決めればそんなことだって厭わない。

 名も知らぬ人のために命すら懸けて戦える巫女なんて、いよいよとなれば全裸かつ人目ある場所でも戦い抜けるに決まっている。


「私達が妖の群れを村にけしかければ、お前は当然それを守るために戦うだろう。

 私の狙いは、はなからそんなお前だ。

 以前も言ったが、お前は私が京への復讐を果たさんとした時、確実に大いなる障害になる。

 私こそお前を葬ってしまいたいというこの意図、わからぬとは言うまい?」

「……ああ、私の逃げ場を無くしたいんですね。

 村というもの一つを人質に取って」

「知った上で母とともに逃げるなら、悪いがお前という最大の脅威無き村を攻め滅ぼさせて貰う。

 その時は、近滋村が今後の地図から消えることになるだろうな」


「ねえイバラギさん。

 よくこれを"損はさせない話"って言ったものですよね」

「うぅ、だってこれ私の発案じゃないし……

 仮に私が止めたって、ミノヤマは絶対強行するつもりだったからさ……

 だったらあなたにしっかり話を聞いて貰って、最悪の結末を免れる可能性を残した方が最善じゃない……」


 顎を引いて頭を下げんばかりの姿のイバラギの、心底申し訳なさそうな態度に嘘が無さそうなのが尚更に不可解だ。

 ミノヤマとイバラギも、一枚岩ではないのだろうか?

 イバラギがミノヤマの企みに肯定的でないとすれば、このミノヤマは鬼を相手に優位な立場にでもあるのだろうか?

 イバラギの煮え切らぬ態度がアンズにまずそう思わせて、ミノヤマもその思考に囚われたアンズの隙を突いて立ち上がる。

 咥えていた竹筒を吹き捨てて、温泉の縁に背丈がアンズを見下ろすかのように影を落とす。


「伝えるべきことはこれだけだ。

 悪いが、付き合って貰うぞ。

 オオムカデをも討ち取ってみせたお前の力量をよく知った上で差し向ける刺客だ。

 生き延びられるものであれば生き延びてみせるがいい」

「あんた竹筒捨てて格好よく決めてるつもりかもしんないけど、今も充分変態の姿のままだからね」

「前が見えん。息もしづらい。

 だがこんな状態でも私は逃げ延びることなど造作も無いぞ。

 目になど頼らずとも気配と空気の流れで、周囲のものなど見えているにも等しいのだからな

 今も湯から出た見目麗しき巫女の柔らかな肩の肌の形さえ……うをーーーーー!?!?」


 一言も二言も多いミノヤマにかちんときたアンズが、火雷鼓を打って差し向ける撥の先から稲妻砲撃を発射した。

 いきなり撃たれたのでミノヤマも焦ったが、ちゃんと高く跳躍して上方の枝を掴んで危機脱出。

 なるほど、仰るとおり目が見えているにも等しい挙動だ。

 つまり自分の裸体もずっと見られていたようなものだと感じるや否や、アンズもぶるぶる全身わなないて顔も真っ赤にする。


「はっはっは! さらばだ詰めの甘い巫女よ!

 イバラギもさっさと撤退しろ! 丸焦げにされるぞ!」

「ちょっとぉ!?

 やべー奴に火を点けるだけ点けてさっさと逃げないで!?」


 もう追って捕まえられる範囲から逃れ、高所の枝を飛び移りながら去るミノヤマの口からイバラギの名を聞いた、アンズの眼光がぎらりとそちらへ向く。

 イバラギも大慌てで術を行使する。温泉の底から、太い樹木を一瞬で柱のように突き出させ、それに捕まる形で自らも高い位置へ。

 湯の中でじゃぶじゃぶ走ってアンズから逃げきれるわけがない。こうでもしないと濡れた身体に神のいかずちを受けて本当に滅されかねまい。

 高所に至るや否や、自らが生み出した樹木の柱を蹴り、温泉の縁に近い地面に着地する。

 素っ裸だがとりあえず、水の抵抗を受けずに走れるところまで到達できた。未だアンズが湯に足を取られる中、この状況になれば逃走も容易。


「悪いけどそういうことだから!

 あたしはあんたのこと応援してるからね!

 ちゃんと勝ってよ!? あんたの負けはあたしも望んでないから!」


 敵とは思えぬ、しかも本心と思しく伝わる切実な声を最後に、イバラギもまた危険な巫女から逃げるべく駆け去っていった。

 意地でも追ってもいいのかもしれない。ただ、捕え切るのは難しいだろう。

 さしものアンズも、裸で目の薄い追走劇は選べない。

 このむかつきを発散すべく罵倒する相手すら失って、行き場の無い怒りをほっぺたを膨らませる空気に込め、アンズは再び肩まで湯に浸かることしか出来ない。


「…………あいつら、いつかぜったいぶっころしてやる」

『逃げ足の速い奴らはいつの世も厄介だな』


 不可解なことの多いミノヤマとイバラギの言動であり、冷静にあれらの言葉を聞いていたテンジンは、その多くの矛盾に隠された裏を探り始めている。

 底を見せずに去っていったミノヤマだが、無理のある言葉を紡ぐような奴の本質は、年の功極まる神様に言わせればかえって推察が立ちやすい。

 すぐには結論を導き出せぬ程度にはミノヤマも煙を焚いた語り口であったが、時間をかけて解けば有益な結論を導き出せる、そんな自信がテンジンにはある。

 思わぬ邂逅であったが、情報と呼べるものは手に入れることが出来たと言えるだろう。

 アンズは最後まで翻弄され、今も屈辱的な想いに湯の中で地団太踏んでいるが、有益なやり取りがあったことは事実である。


 テンジンが唯一心残りなのは、可愛い愛娘の肢体と心が、またもあのミノヤマに弄ばれてしまったことだけだ。

 正直、機会が巡ってくるならテンジンだってミノヤマのことは、一回ぐらいぶん殴ってやりたい。

 あんなあほみたいな姿をしていながらも隙が無く、無理をしてまで稲妻を撃っても当てられまいであったから、黙って見守っていたけれど。

 いつかは天罰の一撃でも食らわせてやらねば気が済まない相手、という認識を得た点では、アンズの過激な発言と心境そのものは同志である。




「――――アンズーーーーー!!」




「……へっ!? はえっ!? うそ!?」

『待て待て待て、それはいかんぞ』


 今度あいつらに会ったらどうしてやろうかと怒りを募らせていたアンズだったが、聞き慣れた声が木々の向こうから聞こえればそれも全て吹っ飛ぶ。

 しかも割と近くないか? コナツの足の速さは知っているし、応えて招くのは簡単だが、自分の居場所が知れたら服を着る間も無く到着されそう。

 どういうきっかけかは知らないが、夜の山間に独りの自分を何故か案じて迎えに来てくれたことは喜んでいいものの、いま来られてもすごく困る。


「っ、っ…………!

 コナツーーーーー!! ここにいるけどまだこっち来ちゃ駄目ーーーーー!!

 私いま素っ裸だから!! 来たらあんたの目ぶっ潰すからね!?」


「はーーーーー!?」


 ずがあ、と地面を踏み擦って急停止するような音が聞こえた。

 かなり近い場所からである。危なかった。

 自分が裸であることを口にするのはそれだけでも恥ずかしいのだが、恥をかなぐり捨ててでもそれをしなかったらどうなっていたやら。

 にょき、と木々の間から顔を出したコナツに、今は湯の中に隠しているとはいえ全裸の自分を目の当たりにされていた予感しかしない。

 危ない危ない。いやはやおっかない。そんなのされたら死ぬ。


「コナツ!? もしかしてその辺にいる!?

 ぜえったいに覗くなよ!? 私が服着ていいよって言うまでじっとしてなさいよ!?」

「なっ、まっ、そっ、そりゃわかったけどさ……!

 な、なんでこんな山奥で素っ裸なんだよお前っ!

 頭おかしくなったのか!?」

「ちちちっ、違ーっ!?

 ちゃんとわけがあるの! 後で説明するから!

 そんなことより絶対来ないでよ!? まじ殺すからね!?」


 縁切りしたくない間柄の男に裸体を見られ得る窮地にあるアンズも、理解の追い付かない危険な状況に追い込まれたコナツも動転。

 コナツはアンズの声が聞こえる方を背に向ける形で樹に背を預け。

 アンズはコナツの声が聞こえる方向を重々気にしながら湯を上がり、自分の全身に濡れを吹っ飛ばすための稲妻を駆け巡らせる。服を乾かす時によくやるやつ。

 一気に乾くよう強い稲妻を流すのでかなり痛いのだが、この際もう気にしていられない。一瞬でも早く濡れた身体と髪を乾かさねば。

 痛みに耐えてあっと言う間にからっと乾いた身体で、いそいそ畚褌とさらしを締めて、巫女服を纏って帯を締める。早い早い。

 急ぐから、女体に布が擦れる音も普段より大きく、そんなものを聞かされるコナツも勘弁して欲しい。

 思春期真っ只中の男に、同い年の女の裸が嫌でも想像できてたまらないものを聞かされる身にもなれと。


「はい着ましたよ!

 コナツどこ! 帰るぞっ!」

「あ~いよ……」


 呼ばれて顔を出したコナツと、返事に向かって歩いたアンズがご対面。

 言わずもがな、双方耳まで真っ赤っ赤である。この暗い森の中にあっても、相手もそうだとはっきりわかるほど。

 お互いそれで何が脳裏にあるかなど分かり合えてしまい、ここまで気まずいのは今までで一番かつ、今後これ以上があるかどうか怪しいものですらある。


 山を降りる足を進め、摂泉村の方へと帰っていく二人。

 照れ隠しなのか、でかい声でべらべら雑に喋り倒していたアンズだが、生憎すべてコナツの耳には、右から入って左に出ていき一切頭に入らなかった。

 仮にも夜の、山の中。獣に妖、危険がいっぱいのはず。

 そんな世界で怖がりもせず、敵を呼び寄せすらしかねない大声を耐えも咎めもせず、お互いのことで頭一杯の若者二人。

 怖いもの知らずの二人である。すけべやら淫乱やら、親しい友達にそう思われる方がよほど怖いそうな。

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