第七七話 ~詠開き~
近滋宮村には、"近宮"と呼ばれる祭殿がある。
厳密な正式名称は"近滋宮"なのだが、公書に記される際ですら"近宮"と記されるのが殆どで、すっかりその呼び名が定着している。
いかにも近滋宮村との響きが近過ぎるからであろう。容易に混ざる。
過去の偉人も関わる地、正式名称は妥協できぬのであるが、世間の耳に馴染みやすいの愛称を新たに編み出されるのはよくある話である。
本日この村で執り行われる、祭にも近しい催しものである詠開き。
会場はその"近宮"だ。
鳥居のような形状の、しかし角材を三本組み合わせただけと見えるような簡素な桐の四角い通り門を通り抜け。
境内のような広場に人々が集い、前方のお社のような堂を見上げる、そんな造りの近宮である。
通り門が鳥居であれば、まるきり神社と変わらぬ全体外観地であろう。
祀るものが神様でないから、鳥居を設けるのは憚って、しかしかつての帝様を神のように崇めるため、神社の様式を模倣したものというところだ。
そもそもこの近宮は、古の帝様へお墓参りしたいという人々のために造られたものである。
遺骨の眠る近滋廟は特段の聖地とされ、一般人立入禁止であるため、庶民が古き偉人の魂に手を合わせに参じるならここへ、というわけだ。
考え方次第では、神様に参拝するために造られた分社と似たようなものであろう。建築様式が似せてあるのも、そうした本質にもよるものかもしれない。
「まあまあ降ってんな。
ご貴族様や関係者にとっては、ちょっと嫌な天気だったりしねえのかな」
「いや~、そうでもないと思うよ。
むしろこれぐらいの雨だったら嬉しいぐらいかも」
「へえ、そうなんだ。
高貴な方々は、濡れるよりも晴れた日の方がお好きそうだけどな」
さて、本日は雨。
さぁさぁと降る、小雨と呼ぶにはちと強いかな、という雨が降り注ぎ、近宮の広い庭に集った人々もみな傘を差して、主催者の開催宣言を待っているところ。
アンズとコナツもそれらに紛れるような形で、傘を構えながら語らい待つ。
「詩を詠むからね。
見渡す景色や空気を文字に起こすのが詩だから、雨の日には雨の日なりの詩が詠めるし、逆に言うと雨の日じゃないと詠みにくいらしいしさ。
今は梅雨時だし、こんな時季にはこんな時季らしい詩を詠むのが風流だから、詩を詠む当日に雨っていうのはやりやすくていいんじゃないかな」
「おお、アンズが詩を語っている。
苦手だって言ってたくせに」
「お母さんの受け売りを喋ってるだけですから。
ちなみに私は雨は苦手だよ。理由は知ってるでしょ」
「濡れたくねえのよな」
強い雨に降られるならやりづらさもあるかもしれないが、傘さえ差せばたいして濡れぬ程度の、風も弱い日のおとなしい雨。
歌人にとってはこの空気を嗜みつつも、傘さえ差せばびしょ濡れになる危惧も無く、風流を楽しめる範疇の雨天である。
お祭り当日が生憎の雨、とでも解釈されそうな天候ながら、実際は良い味付けに留まり、しかも晴れの日よりも味があって良いほど、ということ。
前日は快晴で準備が進めやすく、当日がこの天気、というのは、詠開きという祭において趣ある天気運びですらあろう。
古の帝様が見守りになられる地と呼ばれる近滋宮村だが、ここ二日間のにくい空模様を鑑みると、先人の魂の加護というのもあながち真実味のある話だ。
「気持ちはわかるけどもう少し離れね?
流石に触れると気まずいぞ、神職者だろお前」
「や、私も気にはしてるけど濡れたくないんだもん。
あんまり意識しないでくれるかなぁ」
水をかぶると薄い巫女服が肌に張り付いてアンズは、コナツの差す傘よりも自分の傘を高く掲げ、空から見て円形の傘が一部重なり合う形を作っている。
コナツとの距離も近く、傘二つの重なる場所の下で、最も濡れにくい場所を確保しているのだ。
女人にここまで近く詰められるとコナツもなんだかむずむずするのだが、アンズも顔同士が近くてコナツを直視するのが若干気恥ずかしく、顔を逸らし気味。
もっとも、コナツから一歩ぶん離れたところでこの密集地、誰かと近い距離になってしまうのは変わらない。
だったら親しい相手に近い方がいい。思うところは無いでもないが、アンズはそう割り切ってコナツとのこの距離感だ。
貞操観念の強さから、絶対に触れにいくこともしないし触れられることも避けるため、まあまあ神経を遣う近さである。
「お、そろそろ始まるぞ。
けっこう待たされたな」
「も~コナツ、そういう風情の無いこと言っちゃ駄目だぞ。
確かにだいぶ待たされたけど」
「乗っかってお前も言ってんじゃねえかよ」
詠開きという催しに対しては良い天気であるこの雨天も、その空の下でしばし待たされる身としては焦れるものだ。
コナツの言い草は趣に欠けるが、人間的には妥当な反応。
アンズも神職者の割には俗物である。自分も同じ考え方だというのを口にすることで、趣が無いとされる発言をも否定しない。
冗談口のようでいて、アンズは言うべきことだけは言いながら、併せて相手を立てることもまた得意。
「お集まりの皆様――」
神社の本殿にもよく似た堂に、主催者と思しき初老の男性――あるいは村長やもしれぬ人物が、詠開き開催の御挨拶、御口上を唱え始めた。
集ってくれた参加者に感謝を述べつつも、御貴族様も参じられた催しということで、言葉遣いも丁寧かつやや長い話である。
お召し物も、京の貴族様の朝服を模した、おめかし感たっぷりの正装だ。
庶民が貴族と同じことをしては僭越なので、安物の布で敢えて雑に繕った、形だけ真似たものではあるが。
ああいうのが正装ってものだよね、とアンズは思う。こんな服を巫女の正装と言い張るうちの神社はやっぱりおかしいと思う。
テンジン様は内心そんなことを考えているであろうアンズの心情など容易に想像つきながら、当の巫女の頭の上で寝転がって知らんぷりである。
そこそこ長い主催者の挨拶ではあるが、地元民にはわかる言い回しで冗談を混ぜたりと、退屈させない話術を披露しているものだ。
普段は経験できないものに触れる機会を楽しもうと集まった客にとっては、雰囲気を味わう意味でもそれなりに楽しめる。
コナツも周りの客がくすくす笑ったりしているのを聞いて、俺にはわからないけど地元の人にはわかる笑いなんだろうな、と空気を楽しむ。
その一方で、余所者かつ余計なことを考えてしまっているアンズには、長いだけで退屈な話でしかないようだ。
仕舞いには首を引いて、目を細めて口を手で覆う仕草すら見せる始末。
こいつ欠伸してやがる、とコナツに苦笑いされていても気付かない。風情が無いなどとコナツに言えた口か、とテンジン様にも悪い笑いを浮かべられていた。
「さて。
それでは皆様、お待たせ致しました。
此度、この詠開きへとご参加下さった、京よりお越しの水原稲荷さま――
そして、山波村からお越し下さった皇室のお方、玉依鳴御さまです!」
退屈そうにしていたアンズも顔を上げるとほぼ同時、広場に会した客による、歓迎の拍手が響き渡る。
傘で片手が塞がっていようとも、腕や脇と首を使って柄を支え、頭上に傘を残しながらも両手を空けた万雷の拍手。
庶民にはその御尊様をこれほど近くでお目にかかることなどまず無いとされる、皇族に名を連ねるお方が御姿を現すのだ。
イナリ姫様の御意向で、頭を下げる必要は無いという赦しを賜っていることも、先の口上の中で主催者が伝えてある。
頭を垂れることもなく、真っすぐに御貴族様を、そして何よりも皇族の姫様を直視できる光栄を、この広場に集いし人々はお腹いっぱい味わえる。
「……おぉ」
「綺麗……!」
本堂の奥から並んで姿を見せた、イナリ姫とナルミの姿は、コナツにとっては初めて見る二人の姿だ。
アンズも、そうそう見ることは無いお二人の姿である。
正装し、貴族然として人前に姿を見せるナルミと、皇族として公の場に立つ時のイナリ姫の佇まい。
見慣れた気さくな母と、我が儘で癇癪を起こしやすい姫君の姿を見慣れるにつれて忘れそうになるが、いざ雅に振る舞った時の二人は、やはり本物の皇族だ。
ともに十二単。
正装の中の正装であるそれを、異国の庶民の前に披露するというだけでも大盤振る舞いであろう。
たったこれだけでも、農村に生きる者達にしてみれば非日常極まりなく、優雅なる京という煌めく異世界の一部を切り取った夢絵を眺めるかのよう。
それをよりそう思わせてくれるのが、幾度となく目の肥えた貴族らの目さえも魅了してきた、ナルミとイナリ姫の完璧な立ち姿だ。
手はどの位置に置けばいいのか、背筋は真っすぐよりもどの程度若干に曲げればいいのか、肩の高さ、足運びの速さ、目の細さはどの塩梅が最善か。
二人とも、自分の顔立ちと体格を完全に把握した上で、どのようにあれば自らが最も美しく見せられるかを、精緻に極めるほど追究した身である。
黙っていても美しい、あるいは可愛らしい二人が、貴人の名に恥じぬ完璧な作法と佇まいを、詩を聞くため集まってくれた人々への感謝を込め、惜しみなく。
村一番の美人の話で盛り上がるのが日々の楽しみである男達も、忙しい日々の中でも醜くはなりたくはなく、ささやかに美を追求する女達も。
触れたいとも思わない。憧れもしない。ただただ目を奪われて見上げるのみ。
真の皇族、その中でも随一の輝きを放つ器を持つ二人なのだ。
まるで別世界の、神様が人の世に降りてこられた姿を目の当たりにした農民が、拍手の手も止まり恍然とした顔になるのも無理はない。
癇癪さえ起こさなければお可愛らしいイナリ姫、という目で彼女と付き合ってきたアンズも、神様のような美しさを纏うイナリ姫を前に息を呑み。
親しんだお母さんの、後光すら見えるほどの輝かしい晴れ姿には目も潤む。
強くて、優しくて、かっこいい大好きなお母さん。一目で誰の目にもわかるその姿が披露され、お母さんの魅力が周知される感無量は言葉では言い表せまい。
信ずるものの布教に日々勤しむ巫女ゆえの考えだろうか。いいや、誰だって大好きな人の最高の晴れ姿には、そんな想いで胸いっぱいにでもなろう。
お母さんの晴れ姿を見ればコナツはどんな顔をするだろう、と、開催前までは内心でわくわくしていたアンズも、それを忘れて母から目を逸らせない。
コナツがどんな顔をしていたかは誰も知らない。口が開いたままだったことも本人も憶えてはいまい。
本気を出した皇族様は凄いのだ。農民に、想像もつかなかった世界が現世にはあるのだと、言葉すら無くその御姿でそれを知らしめるほどには。
「…………ふふ」
静まり返った近宮に、集まってくれた人々を見渡したナルミの、静かながらもはっきりと衆耳に届く笑い声が響く。
見下ろしながらも恭しいものに向けるかのようなその微笑みと併せ、それだけで、お集まり頂いて嬉しいという本懐が、すべての者の心に届く。
微笑み一つで胸を撃ち抜かれた者も多かろう。男に限らずだ。
心を奪われた者、僅かであるが数名が傘すら取り落とし、はっとしながらもそれを拾う雑音を立てることすら憚る空気は、既にここに完成している。
「――朝露の、――――」
人を魅了するその器を振るえば傾国の美女と評するにも値するナルミだが、彼女が遂行するのはここへ招かれた本来の使命。
枕詞に始まって、五、七、五、の音数で連ねる詩を詠む。
久方ぶりに訪れた、近滋国の近滋宮村、近宮の情景を見渡して、数年前とも昨日とも違う、空気と空から得たものを詩に詠むのだ。
あらかじめ考えてきた詩などではない。その場で詠むのが詩の醍醐味だ。
「雲間掻き切り、―――――」
そして、ナルミが十七音の短い詩を詠んだところで、今度はイナリ姫が、五、七、の短い詩を詠む。
ナルミの十七音に始まって、イナリ姫の十二音、そして次はまたナルミの十二音。
二人で詩を繋いでいく連歌を、ナルミとイナリ姫はゆっくりとした首の動きで、景観を眺めつつ紡いでいく。
「群ぐる緑、―――――」
「村在りし日より、―――――」
「陰に報いて、―――――」
「駆け抜く吾子も、―――――」
「…………ふふっ。
慕う親には、―――――」
「見上げる丘も、―――――」
ナルミの詠む詩に、間も挟まずに韻を踏んで返し、詩を繋ぐイナリ姫の語彙力と頭の早さは、アンズの素人目にもよくわかる。
お任せ下さい、と親愛するナルミに、淑やかに収まる限りの中で最大に得意げな表情を浮かべるイナリ姫の無垢さには、ナルミも可愛さ余って笑みがこぼれる。
それを受け取ればナルミはイナリ姫だけに目を向けて、景色ではなく人と人の間の想いを交わすための歌に切り替える。
見上げる背丈の母を丘に例えることで韻を踏むイナリ姫もまた、貴人を山に例えることが適切か否かを踏み越えて、気さくな歌を敢えて詠む。
「貴女の声は、―――――」
「彼方至れど、―――――」
詩らしくもない、字数だけ守った会話のような句すら挟む。
そんなことをしてもいい、あるいはそうすべきですらある場なのだ。
貴族間の趣や様式を重視した、優雅で在れとされる詩を布教する目的で招かれたのではない。
思ったことを、感じたことを、素直なその想いを、使い慣れた言葉でいいから、字数だけ守って詩という形にすればいい。
貴人が舌を巻くような、高級感のある詩をはじめから目指すのではなく、まずは詠む楽しみを覚えて貰うことが第一。
むしろ、それを訴えかけんばかりに楽しそうな笑顔を携え、連歌を紡ぐ二人の姿には、詩など詠んだこともない農民にすら伝わるものが確かにある。
伝える、交わう、そして紡ぎ、繋げる。
言語を得た人類が、獣には果たせぬとされる、想いを伝えてそれを楽しむという至上の嗜み。
そこに高級感や定められた様式は必要なく、それはあくまで、時を経て発達した文化がさらなる発展の末に生じた副産物に過ぎない。
ナルミとイナリ姫が紡ぐ詩には、詩に秀でた貴族の真似事ではなく、思うままに言葉を紡ぎ、伝え、遺すことさえ出来ればそれでいいという真意がある。
貴族ですらも嗜む詩という文化の根源には、言葉で以って心を伝え合えるという、人類に与えられた至上のものがあってこそだと言わんばかりにだ。
だからそこに、庶民には理解しづらい言葉や言い回しは存在しないし、発する者の今の心情を素直に表した声と表情、仕草しかない。
「……詠いしこの日、心満ち」
「集いし耳に、御礼申し」
目配せで、さあ締め括りましょうと詩を寄越したナルミに、イナリ姫は目を閉じて頷く承諾の意を見せ。
今ここで、何よりも言い忘れてはならぬことを最後に、七、七、の音で以って連歌を締めくくる。
それが二人で繋いだ詩の終わりであることを、敢えてゆっくりと詠むことで、衆目にもはっきりと伝えることも忘れない。
イナリ姫が詩を締めた時、すぐには反応が返ってこなかったが、それは終わりが伝わっていないからではないのだ。
生まれて初めて皇族を前にし、その雅さに呑まれ、さらにはそんな二人ですら、隣人のそれで見慣れたような、無邪気に遊びを楽しむ姿を目の当たりにして。
天上界かと思える世界観に始まったのに、そこにおわす神のような存在が、現世の如く俗で楽しく笑い合う様を見れば、心奪われ没入するというものだ。
只一人、集った衆目の中でナルミ達と親しく、地続きの思考で詩の終わりを認識したアンズによる、拍手でようやく衆人が目を覚ます。
忘我の如く、天女二人の優雅なる遊びに心を囚われていた者達が、覚醒するや否やアンズ以上の拍手を個々が鳴らさずにはいられない。
傘を手放して手を叩くことに夢中になる者が何人もいた。心からの賞賛の表れだ。
そこにある賛辞には、辛くもナルミ達が望んだ、詩の楽しさを知る喜びよりも、貴人の優雅な見世物への感動が多く、それは幾許か残念なことである。
それでも詠開きの開幕の見世物として、この盛り上がりは大成功だろう。
正直ナルミもイナリ姫も、内心では、果たして生まれも育ちも違う民草に、詩の楽しさを最初に伝えられるものかは不安もあったのだが。
この大いなる拍手と、良いものが見られた喜びに満ちた人々の笑顔を前にすれば、使命を果たせたという実感を得るには充分だ。
異国の民に、我が村の民に対するほどの思い入れなどなくたって、同じ空の下、親しみ慣れた人々と同じく、その地で多くの苦を乗り越えて生きてきた農民達。
それらが己の演じたもので、こんなにも喜んでくれたことに、ナルミの心もまた震え、彼女の瞳は少し潤みつつあった。
思えば彼女の愛娘もまあまあな泣き虫だ。あれが誰に似たのかと言えば、今の彼女の目元を見れば明らかというものである。
血の繋がりなどなくたって、子は親を見て育つという好例であろう。
「……イナリ、ありがとうね。
あなたがそばにいてくれてよかったわ」
「……ふふ、勿論です。
未熟なる身ではありますが、詩では誰にも負けぬ妾ですので」
拍手が響き渡る近宮で、お互いにだけ聞こえ合える小声で交わされる二人の言葉。
詩にしたためて残してもいいほどの想いが込められた短い会話であれど、それでも意図的な小さな声が表すとおり、二人だけの内緒話だ。
広く知らしめることが出来るのも言葉の紡ぐ大いなる力の一つ。しかし、大切な人にだけこっそり伝え合い、独り占めし合う楽しみもまた魅力的な嗜みの一つ。
人は大声で話すことも、小声で話すことも出来るから、そんなことも出来る。
つくづく神様がそんな身体を人々に賜ったのであれば、本当に人というのは、どんな生き物よりも恵まれたものである。
「さあ、皆様。
詠開きは始まったばかりです。
ここからは、皆様が詩を詠む番ですよ」
いつまで経っても鳴りやまぬ拍手、傘を構えず濡れるばかりの人々を憚る意図も含め、ナルミは手を叩いて目を惹いて声をかける。
下々に声を届ける皇族の顔ではなく、親しみ慣れた大人同士で交わすような砕けた笑顔も、貴人らしくない言葉遣いも、意図してであるし自然体でもある。
元より山波村でも、元皇族でありながらも何故か親しみやすいと感じられるナルミだが、それはこの時代錯誤な貴人の振る舞いが所以と見て間違いあるまい。
だからこそなのか、今しがた心震えていた人々も、優しく呼びかけるナルミの言葉には、耳を傾けてその言葉も心まで届く。
言葉は人の耳に意志を届ける。心まで届くか否かは、やはり人次第だ。
「今日は、心ゆくまで楽しんでいって下さいね。
村の各地には、詩に嗜みのある主催側の方々がいらっしゃいます。
この日が皆様にとっての良き思い出の日となることを、心から願っていますからね」
そう言って一礼したナルミに、また大きな拍手が向けられた。
さっきと同じぐらい、一同揃った大きな拍手である。
えっ、何故? 流石に今のは単に挨拶しただけよ?
確かに御挨拶ではあるけど、そこまで盛り上がらなくても。
顔を上げて、民衆に淑やかに手を振るナルミだが、内心では、今のでここまで持て囃されても照れるというか、気まずいというか。
隣にイナリ姫もいるからだろうか? いや、イナリ姫はナルミの方だけ見上げて、戸惑いを愛想笑いに隠す姿を楽しそうに眺めていた。
こちらは筋金入りの皇族である。下々に愛想などわざわざ振り撒かない。ナルミがいなければやるかもしれないが、いるんだから全てナルミに任せている。
どこかしら顔が赤く見えるナルミの戸惑いを、遠目からでも感じ取れるのはアンズぐらいのものだろう。
アンズは観衆と同じ意図での拍手などしない。静かに手を叩きながら、大好きなお母さんのそんな姿を目に焼き付けるだけ。
高齢の母に、あんな顔で穏やかに過ごせる日が訪れたことが、ただただ嬉しくて仕方ない。
主催者の長々とした御挨拶に退屈していたアンズが、母の晴れ姿を嬉しそうに眺める横顔もまた、そばのコナツには心安らぐ眺めであっただろう。
言葉無く伝わるものはいくらでもある。
そのきっかけをこの場で作ったのは、言葉を紡ぐことで想いを伝える詩開き。
言葉無く――それが美徳のように人々に認識されるのは、言葉を用いて伝え合うことが常習化し、その上位を求める想いが為す新たな欲によるものだ。
しかし、その源泉にあるものもまた捨てがたい。詩や達文でなくてもいいから。




