第七三話 ~もうただの友達じゃない~
「こいつで最後、っ……!」
山波村から西に離れた、真昼も鬱蒼と茂る森の中。
人里に降りてきて被害をもたらす妖魔の調伏を請け負ったアンズが、その妖魔の集う塒に乗り込んでいた。
まさに今、真っ白な体毛を持つ狼のような妖魔が、破れかぶれで襲い掛かってくるところ迎撃するところである。
既に弱ったその妖魔が、一矢報いんとアンズの喉元めがけて飛び掛かってくるのに対し、アンズは振り上げた撥二本でその頭を思いっきり殴りつけた。
腕力のあるアンズなのでこれだけでも結構な打撃なのだが、加えて撥から発せられる、激しい発光を伴う神力の雷撃は妖魔へ劇的に効く。
殴っただけなら決定打になっていたかどうかわからない相手だが、激しい稲妻に晒されて、地面に落ちて痙攣する妖魔の姿からも致命傷なのは明らか。
これまでアンズが調伏してきた妖魔と同様に、神力に敗北した白き狼の妖魔は、灰のように消えていく顛末を迎えた。
「ふゎ~~~~~っ……
よかったぁ、何とか乗り切ったぁ……」
「おいアンズ、血が出てる出てる。
早く何とかしろ、腰抜かしてる場合じゃねえだろ」
「こ、腰なんか抜けてないよ!
コナツ私のこと見くびりすぎだぞっ!」
湿った土の上にぺたんと座り込み、上天を仰いで息を吐くアンズだが、そばにいた友人が駆け寄って、膝を付いてでも案じてくる。
今日は縁あって、共に妖魔調伏に赴いてくれたコナツだ。
彼の方は傷一つ無いが、アンズの二の腕には狼に牙を突き立てられた傷がある。
溢れ出る血は彼女の腕に痛々しく流れ、歯型状に並ぶ人肌に空いた穴は、苦手な者なら目を背けたくなるもの。
残酷な光景を見慣れたコナツでも、アンズが神様の力で傷を跡無く治せることを知った上で、流石に心配せずにはいられないほどの深手である。
アンズは傷を癒す神力を行使するため、"若"の字の太鼓を撥で叩きながら、戦い終えた安堵もあって若干の涙目。
痛みに喘ぐ態度を見せず、気丈に振る舞うアンズであるが、こんなことは慣れっこだと、日常的に傷付いてきた彼女の過去が垣間見える一幕ですらある。
「止血しなくていいのか」
「大丈夫、すぐ止まるよ。
だからコナツ、自分の服を破こうとするのはやめましょ?」
「だったらいいけど無理を押して後からぶっ倒れるようなことすんなよ。
信じて何もしねえだけだからな」
「いいね、信じるって言葉。
私の信ずる、っ、神様の力を信じたまえ~」
「そればっかだなぁ、お前はよ」
今も流血し続けているアンズの腕の深手に、ぱちぱちと小さな火花めいた稲光が煌めく。
傷口に稲妻。コナツはその恩恵を預かったことのある経験者だから、肉体の損傷にそれがどれほどの激痛であるかは身に沁みて知っている。
アンズいわく巫女たる彼女に対してのみは、痛みも控えめな優しい力であってくれるらしいが、流石に無痛とはいかないのだろう。
会話の言葉が一瞬詰まった時間もあったし、頬に一筋涙が伝ったのも、痛みによって目元に溜めた涙が増えたせい。
神様の恩恵を前提に無茶をする彼女のことは、あまり自分も人のことは言えぬという自覚あった上で、コナツとしては気がかりな友人である。
同時に、アンズのことだから俺のことも同じように見ているんだろうな、と、人の振り見て我が振りを見つめ直せる辺りは、コナツも聡明なものであるが。
「よしっ、長居は無用! さっさと帰りましょ!
のんびりしてたらまた新手が"山波天山"から降りてくるからね!
もうしんどいです! 撤退!」
「ま、依頼されてたことは終わったもんな。
今後どうするかはまた今度考えるか」
立ち上がったアンズは、コナツと共に、遠き山波村の方角へと向けて帰路を駆けだす。
山中、道無き道。通い慣れてよく知る地でもない。
その上で、標一つ無く方向を誤ることもなく、真っすぐ正しい道を走れる二人の方向感覚は、なかなかたいした技能であるとも言えよう。
流石に地元以外の山林で、同じようにやれと言われると、たとえ野山に慣れた者であっても、自信ないよと答えるものなのだが。
妖魔調伏や修行であらゆる地を歩み果たしてきた二人の技量は、凡人離れしていてもある意味当然である。
「あの"白狼"どもの親玉って、山波天山にいるんだよな。
その親玉ってのはやっぱ、あんなもんじゃねえのか」
「うん、たまに天気がいい日は遠くからでも見えることもある。
空からちらっと見えただけでも、今の私じゃ手も足も出ない気配がぷんぷんするよ」
山林を抜けて平原に出てからは、アンズとコナツは道外れの平野をのんびりとした足取りで進んでいた。
先ほど二人が妖魔と戦っていた場所というのは、山波天山の麓からもうしばし外に出た程度の場所と呼べる山林だ。
その山波天山という地が、恐らく今の山波国においては、人類にとって比類なく、最も危険な地と言われる場所。
その近隣というだけで安心できないのだ。いつ山波天山から、気まぐれに怪物的妖魔が降りてくるかわからないのだから。
そこから離れて、ようやくのんびり歩けるというところである。
「お前がそこまで言うってことは、やっぱ山波天山は修行の場には適してねえな。
化け物の巣なんだろ」
「間違いありませんねぇ。
わかってくれてるとは思ってるけど絶対だめだぞ」
「俺だって身の丈を見失うほどには驕ってねえからさ。
苦境に挑むのが強さを育む近道とは言っても、死んじまったら終わりだもんな。
そういうとこは俺だって案外気を遣ってるんだぞ?」
「どうかなぁ~。
コナツも向こう見ずなとこある気配はぷんぷんするからなぁ~」
「それはお前に言われたくねえわ。
傷口しばくぞ」
「やめろっ、流石にぶち切れちゃう」
並び歩く中、既に血が止まっているアンズの腕の生傷に、叩いてやろうかとばかりに手を振り上げるコナツ。
そんなこと本当にする人じゃないのはわかっているので、アンズはその腕を庇いながら離れつつも、談笑する朗らかな表情はそのまま。
一方で、その時ちらりと後方の山波天山を顧みるコナツの目線を見て、アンズもその巨峰の頂を振り返って見上げる。
山波天山。
かつてはその頂に、山波大社と呼ばれた、テンジン様を信仰する神社の総本山があった場所。
今では力を失った神様の加護を失い、妖魔の巣窟となってしまった山である。
アンズにとっては、この山に棲む妖魔を一掃し、山を解放することが悲願であるのだが、現時点では夢のまた夢である。
何せ山波天山がどれほど危険な場所かと言えば、鬼が数多に跋扈する大和龍山と比較しても、こちらが上だとアンズも直感的に思わざるを得ないほど。
最近、妖魔が支配する地ほど濃くなる"瘴気"が目に見えるようになったアンズだが、山波天山の真っ黒ぶりは大和龍山のそれより遥かに濃い。
地元の鬼の根絶を志し、そのための力を身に付けるため各地を渡り歩いて自らの身を危険に置くコナツすら、初めて山波天山に近付いた時にはぞっとした。
本能に訴えるものがあったのだ。ここに近付いてはいけない。確実に終わる。
強くなるためには危険な地ほど望むところだというコナツですら、アンズと巡り合う前から既に、山波天山に対してはそう感じて近寄らなかったのだ。
コナツが鈍くて過去に山波天山に挑戦していたら、彼はアンズと出会うこともなく、とうにこの世からいなくなっていただろう。
そういう意味では、ちゃんと正しい判断が出来ていた過去のコナツに対し、その賢明さにはアンズもほっとする。
親しくなった今だからこそ、出会うことも叶わなかったかもしれなかった世界線を想像すると、アンズも肝が冷えるというものだ。
「だいたい今日調伏してきた白狼どもだって、山波天山の中では下の下なんだろ。
あの程度なら俺でもなんとかなるけど、やっぱやりづらかったもんな。
あんな奴らが小兵でうようよ、それを束ねる親玉がぞろぞろ揃ってるなんて、相当やべえ山なのは今日改めてよくわかったわ」
「あの山の妖の完全調伏が、私の人生の最終目標な気がしなくもない。
生きてるうちに叶えられるのかな、これ」
「最終目標がそんだけ高けりゃ、お前もそれだけ強くなるわな」
「コナツも大概だと思うけどねぇ。
鬼の根絶やしなんて相当だもん」
今日の二人は、比較的山波天山に近い農村から、しばしば山から降りてくる白い狼を何とかして欲しいという依頼を受け、この地に臨んだ形である。
ナルミを介してその依頼を請け負ったアンズは、元は一人で来るつもりだったのだが、たまたま山波村に泊まっていたコナツに協力を仰いだのだ。
元は一人でもどうにかするつもりではあったものの、やはり山波天山の近くで戦うのは、アンズもそれなりに怖かったのである。
流白狼。
真っ白な体毛を持つ山狼という風貌だが、はっきり妖魔と断言される存在だ。
決して和大国には珍しい体毛だからと妖魔認定されているわけではない。もっと大きな根拠がある。
そしてそれに説得力を持たせる一因を物語るかのように、極めて獰猛かつ、その牙と爪の鋭さも獣の狼とは一線を画する。
狼の爪とは、獲物を捕まえるために強い効果を発揮するが、あくまでそのための爪に過ぎぬため、引っかいて敵に深い傷を付けられるような長さではない。
流白狼はその前足を振るうだけで、獲物を切り裂く長く鋭い爪を持っているという時点で、殺傷能力で狼をも遥かに凌駕すると認識していい。
山波天山には、人が数人跨ることも可能な巨体の妖、真白狼と呼ばれる怪物が澄んでいる。
数多ある山波天山の妖魔の中でも上位の存在であり、アンズの言うとおり、今の彼女では手も足も出ないほどの大妖魔だ。
白狼と呼ばれる白い狼の姿をした妖魔は、これを親玉と認識して束ねられている。
ただしその性質は、大親分である真白狼には逆らわず従うという一点のみ守れば、その獰猛さと見境の無さから共食いすら日常茶飯事。
気に食わぬ強者を攻め立てる時に協力する知能は持ち合わせるが、同族すらも理由なく屠るその凶暴性は、流石に獣のそれとは一線を画している。
時には弱者を甚振る悪辣さをも持ち合わせるため、力に乏しい白狼は、山波天山には居られぬものとなり、山から降りて人や畑を襲うこともある。
それが、流白狼と呼ばれる存在だ。
本質的には白狼と変わらないが、山波天山の階級世界からはじき出された流れものということである。
つまり、山波天山に残れる白狼と比べれば能力で劣るということだ。
それらですら、歴戦のアンズにこれほどの傷を刻んだほどには強い。
山波天山に現時点で挑むなど無謀だとアンズも理解しているが、確かに山のはじかれ者が相手ですらこの有様では、そんな見立ても真っ当だ。
山波天山の奪還という悲願は、今はまだ手はおろか目も届かぬほど遠い。
「つーかアンズ、俺のこと誘ってくれたけど、たまたま俺が居合わせなかったら一人で依頼受けるつもりだったんだよな。
それ、死んでたんじゃね?」
「え、いや、あのね?
一人だったら一人なりの戦い方にするよ?
今日はコナツも一緒だったから深いとこまで踏み込んで、白狼の群れを相手にしたってだけだからね?
私のこと本物の命知らずのお馬鹿さんみたいに言うのやめて?」
軽いような僅かに真剣なような、さらりと言ってくるコナツの言葉に、アンズも痛いところを突かれたと思うのか抗弁が必死気味。
確かにこれほどの深手を負っていることを考えると、コナツがいなければ危なかったのでは、という見方も出来る。
ただ、アンズも今日はコナツと一緒だったからこそ、山の深いところにまで進み、流白狼の群生地にて一網打尽にしたというのも事実なのだ。
だから一度に七やら八やらの流白狼を相手取ることになり、こんな傷を負うことになったというのがアンズの主張である。間違いでもない。
一人であれば、何日かかけて通うことで、一対多になり過ぎないよう注意しながら、ゆっくり殲滅していく手段をアンズも選んだだろう。
コナツがいてくれたおかげで白狼の群れを一日で殲滅出来たし、明日以降、依頼をくれた村を流白狼が襲うようなことは、当分の間は無いだろう。
地元の夜の山にて、ミノヤマの策で凄まじい数の敵に包囲された経験のある彼女が、一対多の戦況で立ち回りを熟慮するのは当たり前である。
誤解されたくなくて必死だが、アンズとて考え無しで命を張るほど向こう見ずではないのだ。
そうでなければとっくにお亡くなりになっていたであろう場面など、過去に山ほどある。
「お前の戦い方、見ててすげぇ危なっかしいんだよ。
もしも俺が負傷して動けなくなったら、お前盾になってでも守ろうとするのが目に浮かぶんだが。
根本的に身体張り過ぎなんだよ」
「うっ、それは……
でもそんなのコナツも一緒じゃん」
「俺は接近戦しか出来ねえから仕方ねえだろ。
お前は相手から離れても戦えるくせに、自分の身体を餌にして突破口開こうとするじゃねえか。
今日もあったぞ、二回も三回も」
「も、もぉ~~~!
いいじゃんそれが私の戦い方なんだから!
人のやり方に乱雑なけちの付け方するもんじゃないよ!」
『いいぞコナツ、もっと言え』
(んぎーっ! テンジン様までぇ!)
面白そうに口を挟むテンジンであるが、主神ですらもアンズの戦い方には、しばしば肝が冷えるので概ね本心。
ただ、アンズは仕事で"護送"をすることが多いこともあり、そばにいる誰かを守りながら戦う思考が発達しがちで、自ずと立ち回りもそれに寄りがちだ。
今日のことで言うならば、多数の白狼にコナツが包囲される局面となれば、雲に乗って高所にいた自らの位置を下げ、敵の一部を釣ることだって厭わないし。
それが、手の届かない場所から稲妻を撃ってくる面倒な相手にいらいらする敵を、実に釣りやすいものだと知っていて戦術に組み込むし。
実際もしも、コナツが瀕死で動けなくなったところに白狼が襲い掛かれば、アンズはきっとそいつに組み付いてでもコナツを助けようとするだろう。
遠距離戦が出来るのに、わざわざ危うい領域に自ら飛び込んで、己が犠牲を覚悟でより最善の勝利を目指そうとするから、周りにはいっそうそう見える。
博打に対してあんなに苦手意識があるくせに、当人の中では当人なりの勝算ありしとはいえ、その戦い方は極めて博打的だ。
コナツの指摘は主神も同意するほどには的を射ているし、ただし、独りで戦うことが殆どだったコナツには、理解に及びにくい深層概念もかもしれない。
もう少し自分を大事にすることも出来るはずなのだがな、と、すべて承知の上で感じるテンジンがいる以上、身体を張る悪癖が付いているのも確かだが。
「助かってはいるからお前のやり方は否定しづらいとこもあるんだけどさ。
でもお前、どんなに深手を負ったって、死なない限りはなんとかなるって高を括ってるとこもあるような気がするんだよな。
頼むから、危険な線を踏み越えて取り返しのつかなくなるようなことにはならないでくれよ」
『これは本当にそうだな。
お前も最近は、片車輪に八つ裂きにされて死にかけた時の恐怖が薄れかけておらんかね。
私の力があるからといって、死ぬ時には死ぬのだぞ』
「う、うぐぐぅ……
コナツに言われたくないもん……」
「なんか急に反撃が弱くなったな。
神様にでも叱られたか、今」
「ち、違っ……!?
かみさまをかたるな~! ばちあたりなっ!」
図星ってすぐわかる。アンズって本当に嘘が下手糞なんだなと思う。
コナツに掴みかかってこようとするが、完治にはまだ遠い腕を振り上げて、ずきりと痛んで背を丸めて腕を抱える姿たるや本当に格好付いてない。
痛みにすぐ涙目になって、恨めしげにコナツの顔を上目遣いで睨む顔の、怖くないこと怖くないこと。
頼れる相棒だとは思っているが、可能な限りは守ってやらなきゃいけない奴だよな、と、密かにコナツが気持ちを固めるきっかけとなる対話だった。
あまりに図星を突かれたことで頭いっぱいのアンズは見落としているが、普段の彼女ならもっと喜ぶべき言葉もここにはあった。
今しがた神様に叱られたばかりか、という言葉が自然と出たコナツは、アンズの神様がそばに実在していることを、当たり前のように信じてくれている。
普段の彼女なら、そう思われるようになっていることを認識するや否や、やっとここまで来られたと大喜びするであろうに。
それだけ、自覚ある痛い所を突かれて余裕が無くなっていたということである。
「コナツは明日からどうするの?
最近しばらくはこの辺にいたけど、そろそろ場所を移ろうかなって言ってたよね」
「そうだなー。
今日は山波村に泊まっていくけど、明日は大奈国の南の方にでも出向いてみようかなって思ってる。
山波国の北の方はこないだ行ってきたばかりだし、今度は南の方に向かってみようかなって」
日暮れ時、山波村に帰り着いたアンズとコナツ。
今回の依頼も成功したことを、ナルミに報告すべく玉依御殿に向かうアンズだが、コナツも見送りとばかりに共に歩んでくれている。
依頼者の期待を超える結果であったという、誇らしい成果を胸を張って言えるということで、既にアンズは上機嫌なのだが。
どことなくそれ以上に、見送りだなんてしてくれる、気遣いの出来る友人がそばにいることで、いっそう機嫌を良くしているようにもテンジンには見える。
「じゃあまた会えるのはしばらく後かぁ。
なんか寂しいぞぉ」
「それは俺も思わなくはないけど……
最近は山波国に居座り過ぎてる気もしてるしな。
やっぱ色んなとこ行って、色んな経験積みたいし」
元々コナツは、故郷の和良村を飛び出して以降はずっと根無し草だ。
大和龍山の鬼を根絶やしにするため、それに見合う実力を身に付けるための武者修行の旅をずっと続けてきた。
様々な国に赴き、様々な危険を自ら冒し、服の下には幾度も生傷を負い、死にかけて、今や傷跡だらけの身体はあまり人前に晒さないが。
現時点でも人生の半分以上を、そうして過ごしてきた彼が、ここしばらく山波国に滞在していたのは、かなり長く羽を休めている方である。
「なんで?」
「え、何が」
「なんで最近ずっと山波国にいたの?
理由はある? あるなら、言える?」
立ち止まり、コナツの方を向いて尋ねてくるアンズ。
さて、どうしたものか。コナツも理由はわかっているのだが。
片方は照れ臭くて言いづらいが、もう片方は別に顔を赤くすることもなく言える。
しかし、目の前のアンズが期待している答えはなんとなくわかるし、たとえ嘘でも前者を答えた方がアンズを喜ばせられそうなのはコナツにもわかる。
いや、でもなぁ。すっと言えるほど俺も快男児じゃないしなぁ。
悩ましいコナツである。
「……お前、ちょっと図々しいとこあるよな」
「やめて、的外れだったら大恥かくのわかってて言ってるの。
私これでも結構、今どきどきしてるんだからね」
「まあ、その、仲良くなった友達がいる村のそばだし、居心地はいいんだよ。
色んな場所を渡り歩いてきて、縁もそれなりにあったけど、ここまで一緒に並び歩く同い年の友達はお前だけだったし」
「んふふ~、よかったぁ。
それ以外の答えが返ってきてたら私すっごい馬鹿みたいなやつだった」
はぁ~っと安堵の息を吐きながら、握った両の拳を胸の前で上下させるアンズ。嬉しいとすぐ挙動に出る。
腕の傷はもう大丈夫なんだろうか。あの深手であったせいか、まだ傷跡のようにはなっているものの、もう塞がっているようではあるけれど。
流れて乾いた血は道すがらの川で洗い流してきた後なので、痛々しい傷跡が邪魔者無く見えるから尚更そう思う。
あ、いや、こいつまだちょっと痛いのに、嬉しくってそうせずにはいられないんだな、とコナツも理解が早い。
ずっと一緒にいると、どういう子なのかはよくわかってくる。
「山波国は妖魔が多いから、毎日の修行に適してるってのもあるけどな」
「うん、それを最初に言わなかっただけでも良しとします。
黙っておいてくれたらもっと良かったけど」
「いーだろ別に、わかってるよ。
照れ臭くなるようなこと聞いてるのお前もわかってるだろ、ちょっとぐらい照れ隠ししてもいいじゃねえか」
珍しく赤面して頭をがりがりするコナツは、不機嫌そうな顔を作って抗議するが、不快感など感じていないことはアンズにもわかる。
アンズはちょっと頬を染めつつも、自分が山波村にいることを少なからず意識して、根無し草のコナツが長く行動を選んでくれているのが嬉しい。
明日別れて、仮に一生再会することが無くなったとしても、きっと私は、俺は、あいつ今頃どうしてるのかなって時々思うのだろう。
それだけの縁に恵まれたことの幸せは、なかなか味わえるものではない。
図々しいと言われようが、はっきり言葉にし合って、胸いっぱい堪能しようとしたアンズの問いかけは、ある意味まあまあ欲張りなのだろう。
だけど、次があるかもわからぬ機が、はっきりと目の前にある今のうちに味わっておかねば勿体ないのも確か。
この世界は、一度別れた相手と半月会えねば、片方が世を去ったことも知れぬまま二度と再会できぬことなど何ら珍しくもない。
毎日顔を合わせる者を最も大事にする、村社会と言われる概念が農民との間で無意識のうちに強まるのも、ある意味では当然のことである。
「というわけで、これからもよろしくコナツ」
「何がというわけなんだ。
っていうか、というわけで、って変な使い方する奴多いよな」
「ね。
どういうわけなのよ、って突っ込みたくなるやつが非常に多い」
「今のおめーだよ」
「明日の私もだよ」
「ちっとも反省しねえのな」
立ち止まって話していた二人だったが、これ以上向き合って話すとむず痒くなってくるので、どちらからともなく再び歩き出す。
話題は何の変哲も無いものへ。さっきの話はとっとと流す。
少なくともアンズは、今日の寝る前にでも、さっきの嬉しい会話を思い出して、布団をぎゅうっと抱きしめられれば満足である。
「……………………あっ、閃いた」
「ん、なんだ。
ろくでもないことか」
「なんでよ」
「脈絡が無さ過ぎる突然性と、本日のお前に対する評価の低さから」
「え~、そんなに私の戦い方って格下がる?
あんまりしつこく言われるとへこむぞ? 自覚はあるし」
「悪い、それなら今後は控えるわ。
で、なに閃いた?」
コナツも咄嗟に口をついて冗談が言えるものである。
受け身になるだけでなく何らか自分から言えば、アンズが勝手に話を広げてくれるし、主体的にそれが出来ると楽しいというのも、親しい相手との会話の妙味。
そろそろしばしのお別れというのもあり、コナツも今のうちにアンズとの会話を、出来る限り堪能したいという意識もあるのだろうか。
コナツ本来の性分にしては幾許か積極的だ。
「え~と……いや、待って。
後で話す。玉依御殿も近付いてきたし……」
「いや、着いたら解散だろ?」
「あ~その、えぇと……
コナツ、しばらく門の前で待っててくれない? 時間ある?」
「それはまあいいけど……」
ナルミの御屋敷の大きな門が見えてきた辺りで出た、アンズからの提案にコナツも怪訝顔。
その後、門番時金があくびしながら立っている門前まで辿り着き、アンズの挨拶一つでトキガネが門を開けてくれて。
コナツもこういう所を見ると、忘れがちだがあの奔放でお転婆なアンズも、御貴族様の愛娘たる御嬢様なんだなと思い出す。明日にはもう忘れそうだが。
しばらく待っていて、と言われたとおり、加えて言うなら門をくぐりながら、絶対待っててよ、と念を押されて。
コナツは敬える年上と認めるトキガネと、アンズのことを話の種にして談笑し、時間を潰していた。
あれがあんな感じなので、アンズを話題にするといくらでも話せる。
しばらくすると、アンズが内側から門を開いて再登場。
結構大きな門なのだが、自分一人の力で押し開けてきた。あの細腕のどこにそんな力があるんだろうか。
「ねえコナツっ。
今度私、お母さんと一緒に近滋国まで旅行に行くんだけど」
「ああ、そういえば今朝村を出発してすぐの時に言ってたな。
覚えてるよ」
「コナツも一緒に来ない?」
「え、俺?」
水入らずの家族旅行だろ? と戸惑いながら尋ね返すコナツだったが、アンズは既に少しの汗をかいている。
友達を誘っていい? とナルミに確認してきて、良い返事が得られたから、嬉しくってここまで走ってきたことまでよくわかる。
よっぽど嬉しかったのだろう。断られる想定が顔に出ていない。
別に断る気もないけれど、ここで冗談でも一回渋ったら、この明るい表情がぶっ壊れて凍り付く予感しかしない。
いたずらしてみようかな、とは一度思っちゃうコナツ。
でもやめておく。まさかとは思うが泣かせかねない。こいつ案外泣き虫だし。
ついでに、もしもそんなことになろうものなら、今はそばで微笑ましく見守っているトキガネが、妹を泣かせたコナツに対して羅刹化する予感もする。
「――まあ、俺も行っていいのならお誘いに乗るけど」
「やったっ! 俄然楽しみになってきた!
コナツっ、悪いけどあなたの数日間、私に貸して貰うからね!」
コナツは若干戸惑いが抜けぬまま快諾した。
瞬間、飛び跳ねたのかと思うほど、アンズは両肩を浮かせての大喜び。
怪我人の動きとは思えない。いちいちつい身体が動く性分は、恐らく今後も治るまい。
「じゃあねコナツ!
忘れて当日すっぽかしてどっか行ったら一生怨み倒してやるから!」
「物騒なんだよ、洒落になんねーから」
笑顔で釘を刺し、痛くない方の腕を振って神社へ帰っていくアンズを、コナツも苦笑気味で手を振り見送る。
感情が昂った時のあいつには追い付けないな、と思う。
ああした感情まっしぐらの行動力で、大和龍山の鬼退治にまでついて来てくれたアンズなので、コナツは彼女のそういう側面を絶対に否定することは無いが。
あんな彼女だから人を翻弄することも多いだろう。コナツに対してもそうだ。
あんな彼女にしか果たせないこともあるだろう。コナツも経験を以って知っている。
あいつよりも優れた所は俺にもあるという自負はありながら、コナツはこんな時、たまにあいつには敵わないなと思うのである。
「お前、あいつに惚れられてねえよな?」
「え、絶対無いです。
たまにそういうからかわれ方しますけど、絶対無いのはわかります」
あまりにアンズが嬉しそうなので、トキガネが戸惑い気味にコナツに尋ねてきた。
コナツも色恋に鋭い方ではないが、ここでは自信を持って正解を答える。
あいつは敵対してでもいない限り、誰に対してもあれぐらい人懐っこい奴だ。
同い年の異性かつ、共に戦えるという珍しい立場だから他より親密にもなっているが、トキガネが言うような見られ方をしていないのはコナツにもわかる。
「いや、別にお前さんがあいつとそういう関係になっても俺は構わんのよ。
お前は器量も良さそうだし、話も冗談もわかりそうだしな。
さっきちょっとだけ、あいつのお誘い断るふりして困らせることも考えたろ」
「げー、なんでわかるんですか。
良くないですよ、経験豊富な大人だからって勝手に人の内心読み取るのは」
「くはっ、悪い悪い。
でも別に責めてるわけじゃねえんだ、俺もそういうことあいつによくやるし。
親しい間柄でもきちんと線を引いているのなら、尖った冗談をぶつけ合って、軽い喧嘩をするのも楽しいもんだ」
快活に笑うトキガネは、コナツのことを割と好いている。
先程もアンズを待つ間に話したし、それ以前にも実は面識もあるのだが、トキガネはコナツが無為に人を傷つけることを嫌う人物だと既に見立てている。
復讐を人生の軸とする彼の精神を、武士たるトキガネをすれば危うくも感じているが、事情を聞けばそれも致し方無し。
その上で、鬼と対峙しない限りでなら好漢のそれでいられるコナツのことを、ある意味では傑物だとも感じている。
身内を取られたことで、日常の中でもそれを忘れることが出来ず、言動が荒れて儘ならぬ者など、武士たる彼は星の数ほど見てきたから尚更だ。
「俺の可愛い妹みたいな奴だ。
仲良くしてやってくれ、友達としてな。
なんならそれ以上の関係になったとしても、お前だったら認めるぜ?」
「勘弁して下さいよ、あいつ神職者でしょ。
俺みたいな根無し草がそんな関係になっていいわけないんですから」
「ははっ、まあその辺は好きにしてくれ。
あいつはお前と一緒にいる間は楽しそうだし、そばにいてくれるならそれだけで俺としては有難く思うだけだからよ」
気兼ねない掛け合いでアンズをぷんすかさせることも多いトキガネだが、幼い頃からアンズを知るだけあり、血の繋がった兄妹のように彼女を愛している。
コナツにもよくわかる。妹の幸せを心から願う兄の笑顔。
実妹を持つ自分もそうだから、この眼差しの意味はわからずにはいられない。
「ただ、泣かすなよ? 斬り捨てるぞ?」
「笑顔で言うのやめて貰えます?
かえって怖い顔だってあなたもわかるでしょ」
「くはははっ、真顔で言っちゃ洒落になんねえだろうが。
冗談だと思って頭の片隅にでも置いといてくれりゃあ結構よ」
だから、わかる。そうだよね。
妹を泣かせる男がいたら殺したくなりますよね。
表向きには先ほどまでと何ら変わらぬ快活な笑顔だが、今のトキガネと間近に対面すれば、その内心の迫真を感じ取れぬ者はまずいまい。
この人は、もしもアンズを泣かせた男がいれば、流石に殺しはしないだろうけど、拳で血祭りにあげる程度のことはやりそうな予感がする。
コナツは自分に対して考える。実際のところ、俺も妹を泣かす男を前にしたらそうなるんだろうか? 本当にやっちまうだろうか?
わからん。わからんが、やりかねん。だったらこの人も多分そうだ。
「心配しなくても、俺はアンズのことを泣かせたりはしませんし、なんなら親友のあいつを泣かす奴がいたら俺がぶっ飛ばしますよ。
一緒にいられる時間は今はもう俺の方が長くなっていきそうですし、任せて貰っていいですよ」
「お、言ったな?
男の約束だぞ? 俺の大事な妹、頼んだぜ?」
「ええ、よくわかりますから」
仲良くなっちまった二人である。
可愛い妹を傷つける奴は絶対許さん、という魂の共感を以ってだ。
いつの世も、家族愛に満ちた者は最強である。
力強い握手を男同士で交わす二人だが、こんな奴らに怨みを買ったら人生おしまいだ。
いや、本当に、冗談抜きで。
怨みというのは恐ろしいのだ。
鬼に大切なものを奪われたコナツの姿を顧みれば顧みるほど、月並みなその言葉がどれほど真理を突いているかがよくわかるはずである。




