第七十話 ~また来年も~
「お前なんでも強いなぁ。
毎年きちんと遊んできてるのがよくわかるわ」
「地元だぞ~?
毎年きちんと務めは果たしながらも、催しものにはだいたい顔見せてるからね。
ちっちゃい子達に格好いいとこも見せたいし」
「さてはそれも、ちょっとは信仰のためってか」
「うん、実はちょっとある。
やっぱり山波神社の巫女っていうのは、頼もしくなきゃいけないからね~」
コナツと共に昼までの山波村を練り歩くアンズは、コナツにも格好いいところを沢山見せられたことにほくほく顔。
串焼きお肉をもぐもぐしながら、普段あれだけ明るく元気な彼女にして、それでも滅多に見れないほどの上機嫌である。
めちゃくちゃ得意げだ。今日は凄い。我ながら絶好調すぎてたまんない。
お祭りと言えば、花より団子とばかりに美味しい出店も普段以上に並ぶ景観だが、やはり真の花形はこの日限定の遊び屋台。
アンズはこれらに滅法強い。元より普段から、山波村一の独楽名人と名高いほど、遊びに関しては強い彼女ではあるのだが。
それにしたって今日は強すぎた。器用なコナツも舌を巻いた程に。
例えば、輪投げ屋。
九本の棒が立てられており、客には九つの輪が与えられる。
成功体験重視で大きい輪九つを選ぶか、挑戦心重視で小さい輪九つを選ぶかは客の自由。
無論、自信のあるアンズは小さい輪を選んで。
九本の棒すべてに一つずつ輪を投げ嵌められれば大成功、という店で、アンズは見事に完全制覇を成し遂げた。
器用なコナツでも同条件で六つが限界だった。こっちもたいしたものではあるのだが。
釣り遊び屋。
水に浮かべた木製の魚の模し物を、その口元に付けられた小さな輪に、釣り竿の先の小さな針を通して釣る遊び。
店主のおっちゃんが適度に時間を計ってくれるので、その間に何匹のお魚を釣れるかというものである。
水面上をゆらゆら動く魚の口元の輪に、針を通すのは案外難しい。
だいたい、三匹釣れれば立派なものだと言われる。五匹釣れれば大漁。
コナツも四匹釣って見せた。初挑戦でこれは上手い。
アンズは十一匹釣っていたが。店主のおっちゃんもびっくりしていた。
的当て屋。
弓の形をしたおもちゃで、六つの的を順に一つずつ射抜けというもの。
くせのあるおもちゃなので、だいたい二発目までは手探りで手に馴染ませるのが通例だ。
なので、だいたいの人は六射を二回か三回挑戦する。一回目で得た手応えで、今度はたくさん射抜くぞ、という発想になるのだ。商売上手。
アンズは一発目で的六つを射抜いて見せた。それもそのうち四つが真ん中的中。
コナツですら一回目は手応えを掴むために専念して一発当てるのが精一杯、二回目で三つ当てたのが充分誇れる結果だったのに。
札めくり。
店主のお姉さんが六枚の札を、まず表にして客の前に置く。
一枚だけ当たりがある。客が子供なら当たりを二枚や三枚に増やしたりもする。
それらを裏返し、凄い速度でめちゃくちゃにかき混ぜる。子供相手なら速度は加減する。
そして、さあどれが当たりの札でしょう? と問うのである。嵐のようにかき混ぜられた札の中、当たり札を目で追えたかどうか。
お姉さんの手の動きは本当に上手く、巧みで、大人でも一枚しかない当たりを目で追うのはかなり難しい。
アンズはあっさり当ててみせた。まあこれは動体視力の良いコナツも当ててみせたが。
紐くじ。
十本の紐の向こう側、見えない当たりを引く遊び。
技術もへったくれもない運のみで楽しむものだ。
ここまで絶好調で調子に乗っているアンズは、今の私は運勢だって最強だぞ~、なんて意気揚々と挑んでいった。
それで本当に大当たりを一発で引き当てるんだから、確かに今日の彼女は神がかっている。
コナツもすげえなと驚いたが、アンズ自身が一番びっくりして大喜びだったそうな。
とまあ、どこに行っても超かっこいい姿ばかり見せられたことで、アンズはたいそうご機嫌である。
普段の独楽遊びからしてもそうだが、アンズは子供達に格好いいところを見せたがる。そのためだったら練習だってする。
先ほど彼女も言ったとおり、何でも強くて頼もしいお姉ちゃんだと思われるのは、頼れる巫女だと子供達に信じてもらう第一歩にもなり得る。
大人にしてみれば下らないことでも、無垢な子供達に対しては、そうしたわかりやすいものが一番いいのだ。
日々のそうした日陰の努力、そして祭のたびに店を荒らし回ってきたアンズの腕は、今日コナツにこれ以上ないほどの見せ場を披露し続けてきたのだ。
コナツに対してそれで敬意を勝ち取ろうとは思わないが、感心させることが出来るたび、地元の祭の主催者としても凄く誇らしい。
上機嫌にもなる。食も進む。太りますよ。
「ほらコナツ、これ美味しいよ。
奢ってあげよっか?」
「俺も意外と銭持ってんだよな~。
舐めんなよ、頼れる流れもんの喧嘩商売」
「お祭りに備えてお金貯めてきた感じ?
んふふ~、コナツってば子供みたい」
「いいじゃんか、俺だってたまには遊びてえわ」
無論、花だけでなく団子も祭の醍醐味。
アンズは何がこの村の名物で、今日食べておくべきかも網羅している。
普段は定食屋を営むとあるおっちゃんが、祭の日にはこの日限定の特製焼き鳥を売っていることも知っている。
秘伝のたれを塗った鶏肉の間に、葱を挟むという斬新な発想の焼き鳥だ。通称ねぎま。
塩焼きもある。塩は基本的に貴重品だが、この日はお祭りということもあり、店主のおっちゃんも原価を奮発気味。まあ売値もそこそこ増しているが。
たれ味が美味しいよとコナツに勧めて買わせながら、自分は塩焼きを買うアンズ。
二本ずつそれを買って、村を練り歩きながらもぐもぐ。あらやだ美味しい。
旨いことは知っているが、去年の味も知っているアンズをして、またあの人腕を上げてきてるなぁと尊敬する。
「塩焼きも食べる?
こっちも美味しいよ、今年は特にいい塩使ってるっぽい」
「お、悪いな。
アンズもこっちの一口食えよ」
「わーい、ありがと。
――んんん~っ、やっぱり美味しい!」
お互い、一本目の串を半ばまで食べたところで、半端の串を交換して味変えを嗜む。
異性の口にした串を迷いなく口に持っていきながら、照れも恥ずかしげも意識もしない二人。
だってそんなの意識する概念は存在しないのだもの。食べ物は分け与え合うもの、鍋をみんなでつつくのも宴会席ではいつものこと。
間接的な口づけがどうとか、そんなことでどきどきする時代はまだ訪れていない。勿体ねえなぁ。
「さぁて、腹ごしらえも済ませたし、そろそろ昼の祭太鼓やってきましょうかね~。
その後は筆場で催し事。
コナツどうする? お祭り見て回りたかった別行動でもいいよ?」
「いいよそんなの、充分ここまででも楽しんでるしさ。
それに、あんなの見ちゃったら応援してやらなきゃな」
「わ~素敵。
コナツのそういうとこ男前」
「友達だろ。
ほったらかして自分だけ遊びに行ったりしねえさ」
最初はアンズと男の自分が二人きりで歩くことを遠慮していたコナツであったが、しばらく一緒に遊んでいたら、もう抵抗も無くなっている。
確かに道中、年長者の皆様に声をかけられ、またアンズちゃんの新しい婿候補が、とからかわれたりもした。
アンズの対応を見ていると、いつものことだという彼女の主張にも納得がいった。
みんな本気で言ってるわけではなさそうだな、と。じゃあ俺も普通にアンズと遊んでても大丈夫そうだな、と。
この後、正午に控える昼の祭太鼓に向かうアンズにも同行し、またげどげどに疲れ果てるであろう彼女を励まし、応援する役を買って出てくれている。
神事の最中に頑張れと声をかけることは出来ないが、見てくれているだけでも励みになる、というアンズの言葉を信じれば、そばにいるだけでもいいだろう。
現に朝の祭太鼓でも、余裕が無くなってくるとちらちらコナツとクマリの方を見て、格好いいところを見せるぞと再奮起する彼女の姿が記憶に新しくもある。
「昼の祭太鼓は朝よりちょっと長いからね。
終わったら絶対倒れるからコナツがお水持ってきてね」
「お、具体的に手伝える仕事あるじゃねえか。
よーし任せとけ、そのぶん頑張れよ、頼もしい巫女さん」
「んふふ~、任せときなさい。
私はいつでも、どこだって、全身全霊の神職者なんだぞぃ」
始めてしまえば死にかけ確定の祭太鼓が待つ広場に向かう中で、アンズはいつものような陽気さとお日様のような笑顔を、嘘偽りなく振り撒いている。
使命感を以って挑む神事、それも大好きな主神様のための献身とあらば、どれだけしんどかろうとも彼女には苦では無い。
もっと言うなら、アンズに言わせれば吐きそうなほど疲れる仕事も、本当に誇張一つ無く命懸けの妖魔調伏と比べればたいしたものではないのだ。
コナツもそう言われれば納得できてしまう。修羅場をくぐり過ぎると達観が進み過ぎるという好例だ。
もっとも、巫女としては素晴らしい心構えではあるが、やはり祭太鼓は。
しかもお昼の祭太鼓はアンズの仰るとおり、朝より長く、しかも賑わいを増した村の皆様が聞き落とさぬよう、より大きな音が求められる。
つまり朝より強い力で打たねばならない。ずっと。まあ寝起きから時間の過ぎ、腹ごしらえも済んだ昼の方がアンズも朝より力が出せるのも確かだが。
大太鼓の前に立ち、撥を握るその瞬間まで、極限疲労に対する懸念顔など見せもしなかったアンズだったが、いざそこに至った瞬間には流石に少し顔が曇る。
あぁ私これから死ににいくんだな、と、暖かく始めた晩春の真昼時、その暑さとは無関係に汗も一筋流れたものである。
やること自体は朝と変わらぬ祭太鼓。
全力の第一打による爆裂的な音から、賑わう村の様相を朝よりも打数を上げて表現し、朝以上の音をと気合を入れて臨んだアンズ。
疲れが出始めるのも当然朝より早い。あ~あ~もう息が上がり始めてるよ、とコナツも気の毒そうな笑顔を浮かべながら眺め。
汗だく、息切れ、ふらふら、失われていく眼力、踏ん張り、足腰まで使っての全力打、しばしばコナツを振り返って自らへの活入れ。
終わる頃には目の前の大太鼓の縁を掴んで、支えにして立つので精一杯。朝見た光景とまったく一緒。
今度は本当に吐きそうになったのか、大太鼓を掴む手の片方を離し、口を覆っていたのが若干異なる程度であろうか。
食べた後にこれだけ長時間の激しい運動は流石にまずかったようだ。
来年は、昼太鼓の前には食べ過ぎないようにしようという教訓が得られたであろう。何よりである。
近場の茶店の床几に倒れ込んだアンズの口に、竹筒からの水を注いであげながら、コナツは思い出すことがある。
そういえばこいつ、俺の砕けた腕を雷の神力で癒す時、歯を食いしばって耐える俺を見てぞくぞくするとか言ってたな、と。
目に光を失って、身体を動かすことも出来ぬ中、水を求めてはくはくと唇を動かし、注がれる水を、こくん、こくんと喉を力無く鳴らして飲む姿。
俺は友達がここまで精も根も尽き果ててる姿を前にして、面白がるような悪趣味は無いはずなんだがなぁ、とは思いつつ。
なんだか滅多に見れないものに興奮するかのように、背筋がぞくぞくしてしまうアンズの気持ちが、この時はちょっとわかる気がするのだった。
そんなことに目覚めんでよろしい。
癖の上に一文字付く、変なそれの新しい扉を開いた者同士、それも男女同士なんてろくな予感がしない。
「コナツありがとうね!
手伝ってくれて凄く助かった!
みんなやんちゃだから、私一人だともっと大変だったかも」
祭太鼓を終えて、しばらく休んで元気になったアンズは、その後山波村の名物である筆場に向かった。
もっとも、一日に二度も大汗かいてしまったので、筆場に行く前にアンズは一度神社に戻って、新しい巫女服に着替えたりもしたが。
他人の体臭を気にする農民なんているはずもないし、現にアンズも他人のそれは全く気にしないのだが、自分のこととなると気になってしまうらしい。
毎日必ず、拭くだけでは満足せず風呂にまで入ることも含めてだが、アンズの己の清潔感に対する意識の高さは、農民のそれとはかけ離れ過ぎている。
それもあるから、農村の生まれとは思えぬほどの色香を常に振り撒いて、本人も根拠に自覚の無い人気を集めているかもしれないが。
「クマリも上手いこと幼い子を纏めてくれてたけどな。
あいつアンズと一緒だと完全に妹だけど、年下相手だと立派にお姉ちゃんやってんだなぁ」
「あの子すごいんだよ?
地頭は良いし、面倒見もいいし、困ってる人を見つけるのが本当に早いし、手を差し伸べるのにも迷いが一切無いからね。
奔放な姿だけ見てると誤解するけど、付き合いが長くなってくればくるほど、あれほどの子は他にいないってつくづく思うんだから」
「お前が育ててるからってのもあるんだろうな」
「そうかな?
一緒にいる時間も多くはあるけど、ずっとってわけでもないから、関係ないと思うけどな」
さて、今は筆場での催し事を終え、コナツと一緒に村を歩いているアンズ。
話題となっているのは、先の催し事で大活躍だったクマリである。
アンズがクマリを褒める言葉が、だいたいアンズ自身にも言える気がするので、コナツはお前があの子を育てたんだろとしか思えないのだが。
子供は親を、兄や姉の姿を見て育つものだ。良く育とうが悪く育とうが、その子が最も見てきた人の影響が強かろうというのは自然な発想である。
実姉でないのでアンズ自身は懐疑的だが、あれだけアンズお姉ちゃんに懐いているクマリなのだから、確実に影響は受けているはずであろう。
こども祭りのお昼の目玉として、アンズの折り紙教室という催しがあった。
紙というものは安くないが、この日はナルミも大量に真四角の手頃な紙を仕入れてくれており、そうした催しを開くに至れた。
興味を持った子供達は、広いはずの筆場が子供達でいっぱいに詰まるほど集い、大盛況であったと断言できる。
まして今日は、摂泉村から訪れた子供も多く、地元の子供達だけではない集まりようだったのだ。
先に結論を言っておけば、子供達はみんな楽しそうであってくれたし、この催しは大成功だった。
ただ、やはり多数の子供が集まれば、統制が難しいのは言わずもがな。
破れやすいから大事に扱ってね、と教えたって、幼い子供は破いてしまう。それで泣いちゃう子もいる。代わりの紙はいくらでもあるが、それでもだ。
喧嘩し始める子もいる。初対面ばかりだから加減の無い関わりも多い。
騒がしくなればなるほど、アンズの声も届けにくく統率が難しくなる。普段、地元の子にやるように、叱ったり咎めたりもしづらい。
アンズ一人で、初対面の子をも多く含む、百人近い子供達を纏めきるのは非常に困難であったし、彼女自身もそこだけは不安だったのだ。
それでも上手く最後までその催しを進められたのは、何人もの協力者がいてくれたからだ。
ナルミに仕える好々爺のナベツナと、同様の立場かつアンズにとっては歳の離れた兄のような、面倒見の良いトキガネ。
折り紙教室の時間だけ、ここに参じて子供達を優しく纏めてくれた二人の尽力は大きかった。
そして、近い目線で幼い子供達に、アンズの教えを復唱し、頭を撫で、優しく、時には慰め、励まして、上手く纏めてくれたクマリ。
桑原村のクマリの友達、へこすか や はみみん をはじめとした、子供達にとっては年長者にあたる子も同様だ。
長男であり年下の扱いをよくわかっているコナツだって、どれだけあの場に貢献してくれたかわからない。
少しでも場が混乱しそうになれば、みんなが連携を取るように、動いて、速やかに鎮めてくれていた。
一刻近い、幾多もの子供達を相手にする折り紙教室を、楽しい思い出を作れた子供達の笑顔を前にして終えられた時、アンズが抱いた感情は二つある。
ほっとした。あぁ、上手くやれた。成功してよかった。
本当にありがとう、みんな。上手くいってよかったな、よかったね、という顔を向けてくれる協力者に、アンズはちょっと目が潤んだ。
心も体も強いアンズだが、自分に向けられる献身にはすこぶる弱い。感涙しやすいという一点においては、アンズは存分に泣き虫である。
「やっぱ兜と舟が人気だったな。
兜はこども祭りだからってのもあるけど、あの舟なんつーのかな。
おもちゃになるのが俺も面白いって思ったもん」
「へへ~、あれ私の編み出した自信作。
名を冠するなら"だまし舟"とでもしようか」
「いいな、絶対流行るぞ。
折り紙って、作れるようになりゃそれだけでも楽しいもんだが、あんな遊びも出来るんだったらもっと色々考えていきたいもんだな」
「コナツも暇な時は何か考えておいてね。
修行ばっかりじゃつまんない人間になっちゃうよ」
「わかってるわかってる、一つのことしか出来ない人間ってのは、努めてそれを極め尽くすなら確かに魅力的なんだけどな。
潰しの利かないことを思考放棄して美徳とするのは単なる偏狭だよな」
アンズが自信作と称する、帆を持つ船の形をした折り紙は、子供達の間で特に人気だった。アンズも非常に誇らしげ。
帆をつまんだ子供に目を閉じさせて、誰かがちょっとその船をいじって、さあ目を開けてみて、と言う。
するといつの間にか、帆をつまんでいたはずが舟の舳先をつまんでいたというもの。
子供は純真だ。種を知らなければ、すげー! なんで!? である。
種を知って、なぁんだ、とはならない。そうなんだ~、と面白く感じる。
初見の手品というものは、やはり種明かしも含めて二度楽しい。
こども祭りということもあり、男の子の憧れでもある武士の象徴、やはり兜の折り紙はたいそう人気であった。
ただ、これは初めて折り紙に触れる子供には、手順が多いこともあり、自力で完成に辿り着くまでがかなり難しい。
今日の折り紙教室だけで、手順を最後まで憶えられた子は少数派だろう。明日になっても憶えていられる子となればもっと減る。
それでも、友達と一緒に折り方を思い出す時間が明日以降も続くなら、それはそれで良い財産。
折り紙教室に集ってくれた子供達には、お土産として一人三枚の紙を配ってある。大事に使えば地元でも何度だって使えるはずだ。
お安くないとはいったって、紙そのものは買おうと思えばどこでも買えるのだ。
間接的にだが、この折り紙教室はその遊びを知った子供達に、親が紙というおもちゃを買い与える経済効果をささやかに生み出すかもしれない。
書物や書簡の素材としてしか広くは知られぬ紙が、子供の遊びにも使えるものだと少しでも広まるなら、それもまた文化的な発展の一翼である。
「やっこさんはどうだった?
あれも結構自信作なんだけど」
「袴と組み合わせるのも面白かったけどな。
でもあれ、簡単な上に折り方の手順を覚えるきっかけにもなるし、凄くいいと思うぞ」
「えっ、そんな褒められ方するとは思わなかった。
な、なんか思ったより嬉しいな……」
「おーおー照れてる照れてる」
「いじらんでよろしいっ!」
ぺしぺし叩いて照れ隠ししてくるアンズの掌をぺしぺしあしらうコナツ、共に楽しそうに歩くものだ。
やっこさん。寸詰まりではあるものの、人型を作る折り紙。
両手と足が四角くて短いが、頭は個性的な形に纏めて、人の形をしていることだけははっきりとわかる。
その上、幼い子供でも簡単に覚えられるほど折り方が簡単なのだ。
加えて、難易度は高いものの、これとは別に袴を折ることで、それと組み合わせればより人の形らしくなる。
その袴の折り方が少し難しいことも、先の兜と同様に、明日以降に折り方を思い出す楽しみに繋がると考えれば魅力的でもあろう。
「お前にとっては、今回の祭ではそれが一番大事だったんだろ。
人気で良かったじゃん、帰りの子供達、みんな"あれ"を見上げてたぞ」
「そ、そう?
ほんと? ほんとに?」
「そこまでは見てなかったか。
本当だよ、今でもよく見渡せば見上げてる人は多いぞ」
「そっかぁ……うん、そうかぁ……
えへへ、よかったぁ。みんな見てくれてるんだ」
「おーおー照れてる照れてる」
「もぉ~!
いじらなくていいんだってば!」
今度はアンズも、顔を真っ赤にして口を尖らせるが、嬉しくて弛んだ表情はどうにもならない。
それをコナツに笑われても、嗤われている気はしない。
嬉しい自分を見て、共感と共に笑ってくれる友達の姿には、照れ隠しの平手も飛ばないというものだ。
今日の山波村の各所には、今年初めて飾られる大きな見物がある。
できるだけ長い竹を高く地に突き立てて柱とし、そのてっぺんに、染布で形作られたやっこさんが結ばれて、風に吹かれてたなびいているのだ。
一番上に大きなやっこさん、その下に少し小さいもの、さらにその下には子供のように小さなやっこさん。
親子のように、三つのやっこさんが象られたものが旗の如く空高くで踊る姿が、村の各所で存在感を醸し出しているのである。
アンズがソウサイを経由して、職人様に作って貰えるよう依頼していた、敢えて名を冠するなら"かぞく幟"。
男の子達の健勝を願うこども祭りには違いない。だが、子供達を健やかに育てられるのはやはり両親に他ならない。
所によっては子供二人の四人家族、子供三人の五人家族と、家族の個性差を表すように、空高くに踊る健やかな家族の様相を顕した幟。
アンズが表現したかったものは、きっと祭りを訪れてくれた人々に伝わっているだろう。
いつ、どこで、誰が命を落とすかもわからない時世の中、一家揃った家族絵を空高くに描くその幟は、庶民が希う幸福の象徴に他ならないからだ。
父がいて、母がいて、子供がいる。そしてあの幟のように、家族全員健勝に過ごせるのであればどれほど幸せか。
既にそうではなくなってしまった家族など、この山波村にも星の数ほどいる。
そうした人達ですら、家族の幸福たる姿を顕す幟を見上げ、どうかまだ幸せを喪っていない人達に、俺たち私たちのような不幸が訪れぬことを心底に願う。
「無くしたものはもう返ってこない。
でも、俺はあの頃の幸せを今でも忘れてないよ。
みんな、家族と一緒に見送るその日まで一緒にいられたら、それって本当に幸せなことだって思う」
「……コナツには、少し残酷かなとも思ったけど」
「お前だって天涯孤独だろ。
そういうお前が、一番知ってるはずだ。
俺にだって、伝わってるよ」
アンズは自分が発案したこれに関して、ここまで一度もコナツに自慢することは出来なかった。
両親を喪い、行方知れずの弟と生き別れているコナツに対しては、心の傷を抉るかもしれないとも思ったから。
幟を見上げ、それに込められた想いを理解し、美しいものを眺める目で微笑んでくれるコナツは、やはり心優しき上に聡明だ。
救われる。心からの願いを込めたものに対し、理解者がいてくれることなど、言葉要らずの無上の喜びに他なるまい。
それも、腕を振り上げて大きな声を出したくなる喜びではなく、骨身にじわりと宿る温かさを抱きしめたくなる、静謐にして胸に沁み渡る幸福だ。
「ねえ、コナツ」
「ん?」
「ありがと。
――へへへっ」
「おう」
並び歩く中で、満面の笑みと共に感謝を告げるアンズが、何に対する感謝を述べているのかは、案外それを向けられる側もよくわからない。
コナツはわからなくたって、それを受け止めて微笑むことを選べる。
縁切りなんて絶対にしたくない親友と認めた相手が、嬉しそうに感謝の言葉を向けてくれる、そんな姿を目の前にしただけで嬉しいのだから。
何に対して? と答えを尋ねる意味などない。俺の何かが、たまたまアンズを喜ばせられたんだろう。よくわからないけれど。
それでいい。それだけでいい。それだけで、コナツは満足だ。
祭で賑わう村を共に歩む二人は、巫女が男連れで歩いている姿を眺めて微笑ましがる衆目など、もはや意識もせずに談笑するのみだ。
そばにいてくれる大好きな友達との時間が、楽しくて、楽しくて仕方ない。
温かみに溢れた祭の空気に絆されて、いっそうに、晴れた空にも勝る満天の笑顔の絶えぬアンズの表情は、何よりも雄弁にそれを物語っていた。
「……なかなか親離れ出来ない子だと思っていたけど、私も人のことは言えないわ」
「ええ、存じておりますとも。
ですから我々も、あなた達が共に過ごせる時間が、もっとあればと常日頃から願っておるのですよ」
新しい友達と共に歩むアンズを、遠巻きに眺めていた貴人が一人。
本当に、本当に、幸せそうな我が子の姿を見て、自分があの子の目に入って空気に水を差してはならぬと、その場を離れたナルミである。
可愛くて可愛くてたまらない愛娘から、子離れ出来ていない、今後も出来そうにない己を恥ずかしげであるが、傍仕えのナベツナは恥ではないと暗喩する。
血すら繋がってもいないのに、あんなにもお母さんお母さんと慕ってくれるあの子を、生涯愛せずにいられぬことが親の恥になろうものか。
「子は親の知らぬうちに育つもの……わかってはいたけれど……
私が何もしなくたって、あの子はちゃんと自分の幸せを自分で見つけて、放さず大事に出来るようになっているのね……」
「歳を取ると目が緩くなって困りものですな。
拙者ですら微かにそうなのですから、貴女はもっと、そうでしょう」
「もう、やめてよ……
からかわないで頂戴……」
袖で目を拭いながら歩くナルミの気持ちは、ナベツナにだってよくわかる。
彼も一人娘の祝言を目の当たりにした日、若造どもに一生いじられてもおかしくないほど、武士らしからぬほど大泣きしたことがあったから。
いくつになっても涙は枯れない。愛する家族の幸福を前にした感無量など、特にそうだと年経た者こそ口を揃えて言うはずだ。
「余計なことをするな、ってあなたに叱られたこと、至言として生涯忘れないわ。
私やっぱり、まだまだあなた達が一緒にいてくれないと駄目みたい」
「ふふ、主君にそこまでの言葉遣いでは迫っておりませぬよ。
そこだけ訂正して頂けぬものですかのう」
「ううん、訂正しない。
私、本当に反省してるんだもの」
「参りましたのう」
ナルミはこども祭りを迎えるにあたり、主催にして立役者のアンズに対し、何らか彼女をもっと労えないかと色々思索していたのだ。
折り紙教室に、ナベツナとトキガネを遣わせたのもその残滓だ。それは、大きな効果をもたらしてアンズを支えたのだから正解だろう。
だが、それ以外のナルミの発案には、腹心であるナベツナがすべて首を横に振った。
とうに成人し、母の手も離れて自らの意志で幸福を見つけられるようになったはずのアンズに、親が手を加えるのは無粋であると。
現にアンズは、ナルミが何もしなくとも、コナツやクマリという若者の輪の中で、あれほど幸せそうではないか。
我が子の幸せを願い、あれこれしたくなるのは当然の親心だ。
だけど、それは我が子が己の手で掴める、掛け替えの無いものに触れるための時間を、愛によって奪いかねないやりきれぬものともなり得よう。
見守ることこそあの子に対しての最善であると、この上ない箴言を腹心に授けられたナルミが、ナベツナに信頼を深めるのもまた順当である。
「私、まだまだ長生きしたいわ。
あの子が良縁に恵まれて、授かった我が子を幸せな顔で抱く姿をどうしても見たい。
それさえ叶うなら……っ、けほっ、けほっ……他に、何も要らないわ……」
「……叶いますとも。
貴女よりも歳を取った拙者が、未だ健勝なのですから」
「ふふっ、そうね……
長生き、しなきゃね……けほっ、けほっ……」
近頃咳が増えてきた、ナルミの背をさするナベツナに支えられ、アンズの母は玉依御殿へと帰っていく。
何歳になっても、叶えずして世を去れぬ夢というものは生じ得る。
それが、長生きするための一番の支えになってくれるのであるならば。
その夢をもたらしてくれているのが、可愛い可愛い愛娘であることそのものもまた、母にとってはたまらないことだ。
あの子を引き取り、育ててきた。費やしてきたものは数知れぬはず。
あの子が今の私にもたらしてくれているものは、与えてきたものを全て返しても足りぬほど余る。
孫に巡り会える日が訪れれば、それもまたきっと可愛くてたまらないだろう。
それでも、きっと、我が子よりも感じられることなんて無い。絶対に無い。
きっと長生きしてみせる。喉の痛みに耐えながら目を拭い、ナルミは今一度、そう強く心に誓うばかりだった。
「あれ?
大太鼓、片付けられてんだな」
「うん、最後の祭太鼓はいつもの太鼓でやるからさ。
今度は朝と昼のやつみたいな、巫女瀕死確定の苦行ではないのだよ」
時は夕暮れ。
西の空は山々の向こうに沈んだ陽が放つ赤さも広く残すが、上天から東にかけては夜に近い空の色を表し始めた時間帯。
いよいよ、祭も仕舞いの頃合いだ。
品切れで今日を畳み始めた店も増え、地元民でない来訪者により村各所の宿がいっぱいになり、留守を守る母の炊く米の香りが家々から匂い始める時間帯。
そんな祭の締めを司るアンズが、村の広場に再び戻った時、祭太鼓で存在感を示していた大太鼓は既に片付けられていた。
代わりにそこに置かれているのは、アンズが朝太鼓や暮太鼓の時に用いる、小さくも良い音を出す親しみ慣れた太鼓である。
神事に用いる太鼓の片付けなど、神社や本殿に立ち入ることが必須であり、それが赦されるのは本来アンズのみ。
これも、事前にナルミがアンズに律儀な許可を得て、タケスエにさせた仕事。
アンズの仕事を少しでも減らし、少しでも長い時間、祭を楽しめるように。
僭越無き範疇で愛娘の幸せな時間を奪わぬよう、こうした配慮を行き届かせることに妥協無き母を、アンズが慕うのも当然というものであろう。
「おう、アンズ。
祭もそろそろ終わりか」
「おや、クラマさん。
お久しぶりですが見るからにべろんべろんですね」
「祭の日はどこの店もとっておきの酒を封切ってくれるんでなぁ。
飲みが進んでたまらぬわ。
あ、ちなみにまだ酔ってはおらぬぞ?」
祭の締めを司るアンズの祭太鼓を見届けようと、今の広場には人が溢れている。
ナルミも、傍仕えのナベツナも、同じ忠臣のトキガネも、太鼓をこの場に整えたタケスエも。クマリや彼女の友達らも。
みな一様にアンズに語り掛けることをせず見守る、そんな奥ゆかしさとは無縁にアンズに話しかけたのが、顔を赤くしたクラマである。
修験者のような風体でありながら、堂々と酒酔いしていらっしゃるのは良いのであろうか。
酔ってないとか聞いてもいないのに勝手に言い出す辺り、既に相当飲んでいらっしゃるのが明らかなだけに尚更そう思う。
「祭は楽しんだか?」
「はい。
えぐいぐらい楽しんできました」
「はっはっは、それは何よりだ。
祭の主催が楽しみきれぬでは、山波の皆々様もやりきれぬであろうからな」
神事を直後に控えた巫女へのお喋りなど本来無粋なのだが、周囲の人々はクラマの語りにはうんうんと頷きたいばかり。
こども祭にどれだけアンズが懸けてきたかなど、この数日の彼女を見ていなくとも、山波村の人々なら誰しもが想像で補える。
そうした人心を理解しているかのように、よく言ってくれたとばかりに共感を得るクラマの語り口は、なかなか見事なものとも言える。
「お前が作り上げた幸せの時間だ。
村の皆が笑顔で過ごせるこの祭を、お前が作り上げてくれたんだ。
ありがとうな、アンズ。私も楽しかったよ」
「えへへ、そうですか?
やっぱり、言葉にされると嬉しいですね」
「そんなお前にも、間もなくきっと、満たされた時間が訪れるはずだ。
神様は、人の世の幸福に身を尽くす者には必ず報いを齎して下さる。
例えば、そうだな……お前においては、家族や最愛の友と一緒に、じっくりと休暇を楽しめるような日が訪れる、であったりな」
「えぇ~、それすっごい幸せなやつ!
どうしましょ、言うことがよく当たるクラマさんからそういうこと言われると期待しちゃうんですけど。
期待しちゃっていいんですかい?」
「はっはっは、まああまり当てにはするな。
やたらと期待されても毎度当たる話ではないのだからな。
さーて、私はもう一杯ひっかけてくるわ! 祭太鼓の音、村いっぱいに届けてくれよ!
その音を肴に一献も二献も嗜むのが楽しみだ! ふははは~~~!!」
駄目だ、やっぱりべろんべろんだ。
言うだけ言って、さっさとどこかに行ってしまった。
「破戒僧だなぁ」
「あの人はああいう人なので」
「俺けっこうあの人のこと好きになれるかもしれない」
「ね。私もけっこう好き。
時々ちゃらんぽらんだけど、どこか好きになれる人の匂いしてるのよ」
千鳥足をくすくす笑われながら、わらうなぁ~、と陽気な声で叫ぶクラマに、この場に集った人達も大笑い。
この村に定住している人ではないが、訪れてくれることも多いため、それなりに広く顔も知られて親しまれているようである。
コナツもクラマに対しては悪印象が無いようで、クラマと親しいアンズもそれがなんとなく嬉しい。
「さぁて、やりますか」
「よろしくな、アンズ」
「任せとけぇ」
アンズは注連縄をくぐり、ちょこんと置かれた太鼓の前に正座する。
撥を手に取り、一度周囲を見渡して。
家族のように親しむ大人達や、友達や妹のみならず、顔なじみの村人の皆々様の顔を、一人一人見渡すのだ。
巫女としての使命を果たさんとする自分の姿を、今はこれだけの人が見届けようとしてくれるようになった。
正式に巫女を襲名し、主神に信仰を集めることに心血を注ぐようになってから、二年余りの時が経つ。
そんな自分にこれだけの人が目を向けてくれるようになった現実が、きっと少しずつ成果は出てるはずだと、改めてアンズの自信を確たるものにしてくれる。
痛い思いをすることの方が多いこの茨道、つくづく私はこうして沢山の人に支えられて、何とかやっていけてるんだなとも痛感しよう。
「――――――んっ」
胸の内に湧く感謝の想いを敢えては発さず、あるいは出そうになった声を呑み込むかのように、短い息遣いをはじまりの音とし、アンズが太鼓を打ち始める。
まずは力もほどほどに、一秒に十度は打つかのような連打にて始まり。
長く続くその連打の合間、まばらに一瞬の無音を挟み。
ゆっくりと、不規則ながらも小気味よく、それでいて一つ一つの音がはっきりとする強い音の重ね技に移していく。
祭の村を人々が去り、家や宿に帰り着いた人々の足音が失せ、徐々に静かになっていく村の様相を顕すかのように。
この場に集った人々のみならず、神様の力でこの音を聞く村じゅうの人々は、暮れの祭太鼓を通して、楽しかった一日が終わりつつあることを実感するだろう。
いつまでも続いて欲しかったとさえ思う、楽しかったお祭りの一日。
終わりをわざわざ告げられるのは無粋だろうか。もっと、夢心地に浸ったままにして眠りにつく方が幸せではないだろうか。
閉幕を悲観する必要はない。二度と無いお祭りではないのだ。
山波村と山波神社がここにある限り、一年後、こども祭りは必ずまた開かれる。
来年のこの晩春の日を迎えることが出来れば、今日と同じ楽しい日は必ずまた、お腹いっぱい味わえる。
それも次は、その日を楽しみに待ち望んだ末に訪れてくれた人々を、きっと祭は今年とはまた違う形や顔で迎えてくれる。
今年初めて、折り紙教室やかぞく幟があったように、来年はまた新たな催しがあるはず。
だから、生きていこう。今日は終わる。お祭りの歴史は終わらない。
人によっては一生の思い出となろう最高の一日も、それ以上の最高が未来のどこかで必ず待っている。
閉幕を告げる音でありながら、甲高く希望ある明日を示唆するアンズの打つ太鼓の音は、そんな想いが乗せられていて。
それは単に、そんな想いを言葉で告げられるよりも、遥かに雄弁に人々の胸に届き、明日を生きていく力となる。
しばしば、音楽は言葉以上に偉大な声。
そしてそれを、そうたらしめるのは、我が手の音にずっと想いを込めてきた、演者の魂そのものだ。
今日も一日、素敵な日になりますようにと、毎日叩く朝太鼓。
祝言、元服、出産、豊穣。村の誰かがめでたいことに恵まれた日、心からその幸せを祝福するために打つ、頻度の高い昼太鼓。
ひと月を生き延びた人々を祝いながら、来月の今も健勝たる皆様の耳にこの音が届けばと願い打つ、毎月叩く暮太鼓。
いつだって、アンズは家族の、隣人の、村全体の、そして果てには人の世の、倖いを願い、叶えば喜びに満ちるその想いと共に太鼓を打ってきたのだ。
幾度となくそんな彼女の祈りを耳にしてきた山波村の人々には、今日も言葉一つ要らぬまま、祭太鼓を通してアンズの願うものの本質が自ずと知れる。
そしてそれは、初めて彼女の祭太鼓を耳にするコナツや、今年初めてこども祭りを訪れた訪問者達の胸にも届くほど、完成された願いの声。
祭は神事。神様のために行うこと。
そして神様は、人々の幸せをいつだって願い望んでくれている。
神事によって救われるべきものとは何か。
そう問えばテンジン様は、迷わず、己ではないものを口にしてくれる。
人の世に倖い多かれ。
今日だけではなく、明日も、来年も。果ては、未来、永劫に。
祭太鼓を打ち終えて、空を見上げて息を吐くアンズを、この場に集った人々の慎ましやかな拍手が包んでくれる。
彼方からも、かすかに聞こえる手を叩く音。
こども祭りに満足し、それが終わってしまうことを惜しみながら、その締めくくりに温かいものを賜れた人々の、ささやかであり大いなる返礼。
人目も憚らず、ぐしっと目を拭うアンズの胸に、それが届いて沁み渡ったことなど言うに及ばぬ話である。
(テンジン様)
『うむ』
祭の間、ほんの一言も言葉を発することなく、見守ることに徹し続けてくれていた主神様。
アンズも、その意を理解して、ここまで一度も話しかけることをしてこなかった。
だけど、今は伝えたい。
そして、それに対する優しいテンジン様のご返答を賜りたい。
(……この世界は、私達の大好きなものばかりですね)
『そうだとも。
だから私も、神であれることを幸せに思う』
人の世の泰平のために、尽くすことが出来る神様であれることが。
そしてアンズも言わずもがなとして、そんな主神のお傍で力になることが出来る、巫女であることの幸福を言葉にはしない。
敢えて言おうかとも思った。だけど、やっぱりやめておこう。
私は貴方がくれた最も嬉しいその言葉を、私の言葉をその後に続けて、じんとするこの胸の余韻を薄めさせたくはない。
大好き、神様、お父さん。
みんなのことが大好きで、みんなの幸せを願いやまぬあなたを見習うように生きてきたから、私は今こんなにも満たされている。
何があっても、あなたが私の一番であることは、生涯、絶対、変わらない。
「――えへへへっ」
友に幸あれ、家族に幸あれ、神に縁に深く幸あれ。
そして、広く眩いこの人の世に、あまねく倖いあらんことを。
私の幸せは、その先にある。
胸いっぱいの想いが溢れた笑顔を、空と衆目の前に晒すアンズの姿は、今まさに幸溢れし山波村の真ん中で、それを誰よりも嬉しく思う巫女の姿そのものだ。
他者の幸せを心から望み、それが叶いし時に心から喜べる者こそ、この世で一番の幸せ者。
無上の幸福を探すなら、きっと、そこに答えがある。




