第六九話 ~こども祭り~
毎年晩春、山波村にて大々的に執り行われる"こども祭り"は、毎年恒例のものとなって長いこともあり、少なくとも山波国の中では知名度が高い。
この日は近隣の村からのみならず、一日程度かけての範疇であれば、多少離れた場所から山波村まで訪れる人すらいるそうな。
果ては隣国、摂泉や近滋、大奈国からの来訪者も散見されるほどであり、一年で最も山波村が賑わう日の一つでもある。
こども祭りとはその名のとおり、子供達を主役として開かれるお祭りだ。
初春に山波村にて開かれた、特に女の子を主役とする"おとめ祭り"とは対照的に、こども祭りは男の子を主役とするお祭りである。
根本的には男の子達の元気と健勝を願い、特に昨今は武士が隆盛を誇る時代であることもあり、"強い"男の子になりますように、という願いが込められやすい。
この時代においては、強くて頼もしい武士様が、男の子達の最も憧れる大人像の一つだからだ。時代が変わればまたそれも変わるのかもしれないが。
ゆえにこども祭り当日は、山波村の随所、目立つところに鎧や兜が飾られ、子供達もそれに触れる機会が与えられる。
男の子にはとても楽しい催しであろう。憧れの大人が身に纏うもの、それも新品を触ることが出来るのだ。武器とか防具とか無条件にかっこいい。
男の子達の健やかな成長と末永き幸せを第一に願う祭。
そして、その願いを人々が向ける先とは何か。神様に他なるまい。
大衆にとっては、大人も子供もこの日をお腹いっぱい楽しんで、思い出を作って帰ることに一日を費やせるのが祭というものだ。
この日だけでなく、ずっとこんな日が続くのであれば、それが人々の倖いに満ち溢れた世界。
たった一日だけでも、そんな幸福に満ちた日を作り上げることが出来るなら、それは真なる泰平の世への第一歩目とも言い換えられる。
こども祭りの成功は、人々の幸福を叶える神様に寄り添いながら、人の身として社会に関わる神職者であるアンズにとって、悲願と言っても過言無い。
動乱に満ちた摂泉国への滞在期間であったが、彼女が二つ返事で異国に赴いた初心には、そうした想いが根深い所にあったのも事実である。
こども祭りの前夜、故郷に帰ってきたアンズの、祭に向けた多忙さは熾烈を極めた。
祭はそもそも神事であるが、祭を司る神職者はこの村に一人しかいないのだ。
ナルミをはじめとした頼れる大人や、コナツといった気の良い友人の助力もあるとはいえ、真の意味での祭の主催者と呼べる人物はアンズ只一人。
一日中村を駆け回り、今よりも未熟であった昨年よりも多くのことを仕切り。
大人顔負けの指示力で、村の大人達を指導する姿には、やはりナルミ様の愛娘だなと冗談抜きに囁かれたものである。
血は争えないな、とも囁かれた。これは冗談だが。だって血は繋がっていないのだし。
そんなことを実しやかに言われるほどには、祭の成功に懸けるアンズの熱意と行動力は、名士ナルミを引き合いに出されるほど目覚ましかったということだ。
祭の前夜ともなれば、明日が楽しみで眠れなくなる者もあろう。大人でも、子供でも。
アンズも自分がそうなって、肝心の祭当日に寝不足で全力を発揮できなかったらどうしよう、なんて危惧すらしていたのだが。
自分の性格をよくわかっている懸念は結構なことだが、生憎それは杞憂に済んだ。
丸一日、村を駆けずり回ったアンズは、当人も知らぬうちに溜まった疲れにより、すこんと前夜の床であっさり落ちてしまったのだから。
前日に限らず、そもそもは祭のために、摂泉国へと赴いた日々まで遡れば、アンズは実に十日ほどかけてこども祭りに懸けてきたのである。
定められた祭の日は待ってはくれない。準備不足で当日を迎えれば一巻の終わり。
しかしそれは見方を変えれば、どれだけ待ち遠しく感じても、必ずその日は延びることなく訪れてくれるということだ。
大人も、子供も、そしてアンズも、山波国の皆が皆、楽しみで楽しみで待ち望んだ吉日。
もういくつ寝ると、と刻まれ続けた日々の果て。
祭日は、いよいよ朝を迎える。
「おはよう! コナツっ!」
「おはよーございます! コナツおにいちゃん!」
「はい、おはようさん。
なあクマリ、アンズ姉ちゃんが同い年みたいに思えることってないか」
「どーいう意味かな! コナツっ!」
「ある」
「あるんかいっ!」
さて、お祭り当日の朝。
山波神社の鳥居前で待っていてくれていたコナツと、さあ今日はお祭りだとうきうきで手を繋いで現れたアンズクマリのご対面である。
昨日は相当忙しくしていたアンズの姿を知るコナツとしては、今朝も疲れが残ってやしないかと少し気にしていたのだが。
わーい今日はお祭りだぁ、と子供のように意気揚々のアンズ。おはようの声もでかい。幼いクマリと同じぐらいに。
コナツにそれをいじられて、突っかかろうにもクマリにも味方して貰えない。そして自分で突っ込み。元気元気。
あまりに子供っぽ過ぎて、コナツに白い目で見られているが。
一晩ぐっすり寝てしまえば、アンズはいつもどおりである。心配する方が損をする。
「なにコナツ。なんか文句ある?」
「お前本当は何歳?」
「十七ですよ。なんか文句ある?」
「おいクマリ、俺とアンズどっちが年上に見える?」
「おにいちゃん」
「え、うそ? クマリ?
お姉ちゃん、コナツよりおっきいよ?」
「こころがおさない」
「クマリ、ちゃんとアンズお姉ちゃんと手繋いどけよ。
でないとこいつ迷子になるぞ、頑張れよクマリお姉ちゃん」
「わたしおねえちゃん!?
ということは……こいつはいもうとなのか!」
「こぉらコナツぅ~!
クマリに変なこと吹き込むなぁ~!
初めてだぞクマリにこいつ呼ばわりされたの! お前のせいだっ!」
「クマリっ、引き止めろ」
「やめろいもうと!」
「あええ!? 前に進めないんですが!?」
愚弄してくるコナツに食って掛かろうとするが、後退したコナツに手を伸ばしたアンズ、前に進めずその手がすかすかと空を切る。
もう片方の手をクマリに握られているのだが、彼女に引っ張られて前に行けないのだ。
両手でアンズの片手を握っているクマリ、アンズの想定を超えてすっかり力も強くなり、アンズの前進を制止するほどの力があるご様子。
そもそもクマリも、普段は地元で毎日農作業をしている農民である。小さな体に見えても案外非力ではない。
「くっ、コナツとクマリを引き合わせたのは失敗だったか……
私の大事な妹を手懐けて裏切らせるとは……」
「うらぎってなどいない!
あるじのあやまちをただしているだけだ!」
「立派な謀反じゃねえかよ」
「おのれ~、謀反を企てておったか~」
「これはたいぎである!
むほんではない!
……お姉ちゃん、むほんってなに?」
親密な付き合いが長いだけあって、アンズの馬鹿らし過ぎる冗談に対してすらクマリの対応力は高い。相方練度が高すぎる。
意味を知らないはずの単語にすら、文脈である程度は意味を想像できて、しかもやり取りが噛み合っているのはなかなか。
こいつら本当仲良しだなぁ、と感じるコナツであるが、こちらもこちらでその親密な会話にしれっと混じれている辺り、順応力の地力たるやたいしたものだ。
二人の地頭の良さが発揮される中、馬鹿では務まらぬはずの神職者が、ただただ幼さを晒しまくるばかりのこの一幕たるや、テンジン様も白眼視である。
お祭りは神事、それを司るは神職者。
こいつに任せて本当に大丈夫だったものかねと、祭当日に主神に思わせるアンズ。
自覚が無いのもたいしたものである。まったく褒めてないが。
祭は華やかだ。
それは、何によって人々にそう感じさせるのだろう。
鮮やかな色を誂えたこの日限りの暖簾や幟、屋根の軒先に飾られた装飾の数々だろうか。それもある。
村のあちこちに飾られた、ぴかぴかの鎧や兜をはじめとした祭細工だろうか。それもある。
普段よりも多くなった人通りだろうか。半分正解。
こんな日に限って晴れてくれた空模様だろうか。ちょっとだけ正解ということにしよう。
それとも祭当日という空気が生み出す、形容し難い浮ついた空気そのものだろうか。それは正解とするには言葉足らずも良いところであろう。
日々農耕に勤しんで、丸一日遊び尽くすことなど滅多に出来ない農民達にとって、お祭り当日とはどれほど肩の力が抜けるか。
店を切り盛りするために、一日たりとも帳簿との睨めっこから免れる商人にとって、すべて忘れて楽しもうと割り切ったこの日はどれだけ気が楽か。
遊ぶことが仕事と言われる子供達とて、普段は親の仕事のお手伝いは欠かせず、丸一日遊べる日など八歳になる頃には終わっている。
今日は何も考えなくていい。遊べばいい。好きなだけ遊んでいいのだ。
子供達は勿論のこと、大人だってそうなのだ。
俯いて歩く者など誰一人いない。村じゅうどこにでも溢れているはずの楽しみを、自ら探し求めるかのように上を向いて歩く。
幼くばきらきらとした目、老いて尚どこか輝いた目で子供心を思い出すかのように、必ず見つけられる自らの幸せを疑わぬ目を携えて。
迎える商店らの皆々様も、矢継ぎ早に訪れる客の、それもこんなご機嫌な客を迎える中で、面倒な客に疲れる連日の苦が一切無い。
おかしな客なぞ一切訪れぬ店の接客など、対人商売が好きでその仕事を選んだ商人にとっては、夢のような時間が一日中続く吉日だ。
商人にとって一番の悩みの種である売上も、この日ばかりは放っておいても繁盛確定なので、そんな心労も一切しなくていい。
忙しくはなるとも。嬉しい悲鳴でしかない。
飾りも、彩りも、祭を賑やかす大いなる要素には違いあるまい。
だが、祭の最たる華とはやはり、そこに集う人々の笑顔に他ならない。
日々のしがらみから解き放たれ、この日の楽しみを謳歌する人々、それも例外なくすべてそうである眺めこそが、祭の眩しさそのものだ。
誰しもが、明日の幸福をも約束されていない、世知辛い現世であればあるほどに、こうした特別な日の美しさは際立って光る。
「じゃあ悪いけど二人とも待っててね。
けっこう時間かけるけど、勝手にどっか行っちゃやだよ?」
「おう、わかってるわかってる。
流石にお前の晴れ姿ほったらかしてどっか行ったりはしねえよ」
「ことしもがんばって~」
さて、日の出間もなくの山波村の中央広場。
普段は京におわす皇族、イナリ姫の御姿を模した像、稲荷御姿を中心に据えるこの広場ながら、この日だけはその像が取り払われている。
代わりに置かれているのは、アンズが神事に用いる大太鼓。
不可侵たり、それに並び立つ者無しとされる皇族様とは、その御姿を象った像ですら、庶民がみだりに触れることを憚るほど貴ばれる。
そんな像すらこの日限りは、村の中心地という指定席を、神事の主役に譲るのだ。
いかに神の如く崇められる皇族とて、神様の上に立つことは断じて無い。
この認識だけは根強く納得されるものであり、それは信仰の薄れた現世でも、テンジンやミズハが存在を失わぬ最後の綱でもある。
「おにいちゃん、はじめてみる? まつりだいこ」
「初めてだな」
「びっくりするよ。
さいしょは耳をふさいでいたほうがいい」
「そんなにか」
組み木の上に鎮座する、米俵を四つ束ねはほどとも思えるほどの径であるその大太鼓は、大人のアンズもゆうに跨がれるほどに大きい。
ここまで運んでくるだけでも大変そうな重さであるのが、見るも明らかなほど大きいのだ。昨晩、アンズが頑張って一人で運んできたものだが。
その日拵えの四本の背低い柱と、それらを繋ぐ注連縄によって四角く囲われて、神職者以外は触るべからずと示されている。
太い梅の木の撥を握りしめたアンズが、その注連縄を跨がず、くぐって大太鼓の前に立つ。
村は既に飾りと活気に溢れ、祭はとうに始まったかのような景観であるが、祭の開催を知らしめる神様の御声はやはり必要だ。神事なのだから。
これよりアンズが始めるのは、それを轟かせるための"祭太鼓"。
朝早くからいつでも開店できる構えに至っている準備万端の店々も、早く祭を楽しみたい客々も。
村じゅうの者達が今、最高の一日のはじまりを告げる、アンズの祭太鼓を待ち望んでいるはずだ。
初めてこれを目にするコナツにとっても、たいそう見物であったのは間違いない。
同時に、見届ければよくわかった。
神職者って、本当に大変なんだなって。
祭太鼓で用いる大太鼓は、大きな音が出る代わりに、かなり頑丈な特注品だ。
有り体に言うと、相当強く叩かないと音が出ない。本当に強く叩かないと音すら出してくれないのだ。
クマリのような少女であれば、分厚い鼓面に体当たりして丁度いいぐらいである。
その代わり、膂力ある大人のアンズが全力で撥を振り下ろせば、どごんと凄まじい音を村いっぱいに響かせることが出来る。
遠方まで音が届くのは神力の添えもあってこそだが、生音を聞いた近隣の者達は、でかい重低音にまずびくっとするものだ。
肝の太いコナツですら、アンズ全力の第一打で鳴った爆音に、少し肩が跳ねたぐらいなのだから。
祭の開催を宣言する第一音がそれほどのものであったのは、掴みとして最高だったとも言えるだろう。
その一打で終わるんだったら話は楽なのだが。
思いっきり、全力で、力を込めて打たねば音の出ない特注太鼓を、アンズはしばらく叩き続けなくてはならない。
朝の祭太鼓はその開催と共に、人の賑わいを増していく村の様相を表すかの如く、少しずつ速く叩くなどの演出も求められる。
一撃でも自分の手の方が痺れそうなほどの全力打を、何度も、長時間、休む間も無く、ゆうに千回以上は繰り返さねばならないのだ。
そんなことを長時間続けていれば、いかに体力自慢のアンズとて、只で済むはずがない過酷な行事である。
長時間の畑仕事にも慣れっこで、妖魔相手の長期戦にも耐え得るはずの、農民でもあり巫女でもあるアンズの息が上がるのが、肩書きに反して実に早い。
百打で汗だくになり、二百打でぜぇぜぇと喘ぎだし、三百打に至る頃には腕の力だけでは太鼓を鳴らせず、足腰も使って身体を前後させて力を振り絞る。
農作業も実戦も、息を入れる時間は必ずどこかで作れる。祭太鼓にはそれが無い。息つく暇も無くずっと打ち続けるばかり。
壁を全身全霊でぶん殴ることを、休む間も、息を入れる暇もなく、何百回と繰り返すことを思えばいい。重ねて言うが全て全力打でだ。
五百打に至る頃には、虚ろな目で一心不乱に太鼓を打つ、拷問のさ中のような横顔となったアンズの姿が、コナツにとっては痛々しくすら見えた。
死にかけにすら見えるその姿に至って尚、まだ半分も終わっていなかったのだから凄まじい。千打で終わりではない、千打以上なのだから。
こいついつまでやるんだ、やれるんだ、とコナツが心配する中で、アンズは周りを見る余力も無く、ひたすら祭太鼓を続けるのみ。
神様に仕える身、神事たる祭の成功を祈る儀式に妥協無し。
最後の一打、へろへろの体でよろめくように後ずさり、力無く振り上げた両手の撥を、これで終わりだとばかりに渾身の力で振り下ろしたアンズ。
それで以って、第一打には到底届かぬながらも、かろうじて格好付く程度にどごんと大音を鳴らしたところで、ようやく朝の祭太鼓は終わりだ。
本日の祭太鼓一陣目、打数は実に千二百六十七打。すべて、全力。
衆目は全身全霊を尽くしたアンズに万雷の拍手を贈ったが、太鼓の縁を両手で掴んで項垂れるアンズの耳に、その賛辞が届いていたやらどうか怪しいものだ。
がくがくに震える脚と、力の入っていない腰、俯いて光を失った目に掠れた呼吸音。
赤鬼相手にも戦い抜いた友人が、戦いでもない儀式で、支えなしには立てぬほど消耗する姿に、コナツも渇いた笑いで拍手を叩いたものである。
「おねえちゃん、おみず」
「…………ぁ…………がと………………」
祭太鼓を終えたアンズは、広場の近くの茶店の前、床几に仰向けでぶっ倒れ、クマリに竹筒に満ちた水を貰っていた。
ありがとうすら言えない。そんな状態でも股の間に片手を置いて、太ももの奥が誰の目にも触れぬようにしているのは流石であるが。
自分の流した汗だけで、夕立をくらったかのように全身びしょ濡れで、服が素肌にぴっちり貼り付いてしまっている痴態を隠す余裕も無い。
神様のためなら何だってする、ここまでする、という彼女の生き様を顕す姿として、あられも無い上でこの上ない。
「お疲れさん……」
「んっ……く…………
ぇ、へ………………」
自分で水筒を持つ余力も無いので、クマリにちびちび口へ水を注いで貰い、数滴こぼしつつも喉を鳴らして。
コナツの労いに感謝の言葉を返す口も回らぬが、力無く笑顔だけは作り、嬉しい言葉だと表明する。
こいつ本当に神職者としての使命には身も心も捧げてるんだな、とコナツが彼女を理解するには充分な姿であった。
今日は楽しいお祭りだ。
初っ端からこんなに力を使い果たして大丈夫か。
コナツが心配するのも妥当な反応である。
「昼にも祭太鼓やるからね。
見ていってね? というか、応援していってね?」
「もう一回やんのかよ……」
「朝のも去年よりは長く出来た自信がある。
コナツやクマリが見ててくれたおかげかな?
頑張れ頑張れ、って目を向けてくれる人がいると、やっぱりもうちょっともうちょっと、って力を振り絞れるとこあるんだろうな」
しばらく休んで息を整えたら、待たせてごめんねと謝ったのち、さあお祭りに繰り出そうとばかりにコナツ達を引き連れて歩くアンズであった。
体力と根性のお化け。俺の心配は何だったんだろうとコナツは思うし、そう思わせてくるこいつの蘇りっぷりそのものにも驚く。
コナツも大概、同じ人間とは思えないと言われるほど喧嘩が強いのだが、そんな彼をしてこいつ本当に人間かと思える相手は相当に珍しい。
人間離れした強さを持つ妖魔と幾度も対峙してきた、歴戦の兵にそこまで思わせる十七歳の女はそうそういまい。
「今コナツなんか失礼なこと考えてるでしょ」
「あ、わかる?
お前って化け物なんだなって思ってた」
「素直でよろしい! ゆるさん!」
「拳はやめろやめろ」
冗談どつきにしてはかなり強い正拳を、横並びに歩きながらコナツの胸に向けて放ってくる。
コナツは難なくぱしぱしと掌で受けて捌く。捌ける相手だから強めにやっているのだろう。
許さんと言いながら楽しそうな顔のアンズなので、コナツ相手にしか出来ない乱暴な絡みを楽しんでいるようであり、コナツもそれなりに楽しんでいる。
「去年よりにぎわってる~。
ひとがおおい!」
「つーか子供連れが多くないか?
お祭りってのはそういうものだけど、えらく目立つよな」
「お母さんが誘致してくれたからね。
桑原村からも、周りの村からも――あと、摂泉村からも」
「摂泉からもか。
あぁ、なるほどな。粋な計らいだわ」
「私お母さんのそういうとこ大好き。
長旅になるからって、護送の武士様も京から無理言って招いてくれて、一団招いてくれてるんだ」
「そこまでやってくれてんのか。
お前のお母さん、ナルミ様か。すげえな」
「んふふふ、もっと褒めて。
聞いてるだけで嬉しくなっちゃう」
主神を賞賛された時と同じ顔、大好きなお母さんの偉大さが知れ渡れば我が事のように嬉しがるアンズだ。
コナツもわかっていて言葉を使う。良き友人だ。
こども祭りは主役が主役であるため、親子連れの来客が多い祭ではある。
周囲の村に、この日は寄っといでと誘致をかけるのはナルミも毎年やっていることだが、今年は少し誘致先が増えている。
火に包まれて深い傷を負った摂泉村の民に、護衛も付けるから祭においでとナルミは呼びかけたのだ。
復興支援物資を送ったのも早かったが、恐らくその時点で、そういう段取りを取るというのも伝えてあったのだろう。
もう皇族としては振る舞わないナルミが、伝手を濫用してでも京に訴え、人手を借りるというのは異例のことでもある。
だが、もはや皇族として京を頼ることをしまいとする普段の信念を曲げてでも、そうするだけの価値がこの誘致にはあった。
家を失った子供もいる。死んでいないだけで、思い出の詰まった我が家はもう無い。
お父さんやお母さんとご飯を食べる、嗅ぎ慣れた実家の空気に触れることも、お気に入りの大切なおもちゃも全て灰になって。
生き残ることが出来た幸運だけで、幼い者達の寂しさと心の傷を癒すことなど出来はしないのだ。
せめて祭に訪れて、一日だけでも嫌なことを忘れられるように。
あまりの悲劇に見舞われた子供達に胸を痛めるナルミが、公人としてではなく個人として果たせる、最大限の配慮がそうだったのだ。
広くて大きな山波村ではあるが、顔の広いアンズは知り合いも多く、村を歩いて見渡す顔に、この人初めて見るなぁという相手は多くない。
今日は確実に、初めて見る親子連れが多い。そもそも隣国の着こなしであり、初見の顔だと思ってから服を見ても答え合わせが成り立つ。
想像で補うが、こうした形で祭に招かれた摂泉の親子には、ソウサイ辺りが小遣いでも渡しているだろう。あの人はそういうことをする人だ。
今だけは故郷の傷も忘れ、親に手を引かれるのではなく自ら引くように、お祭りの空気を楽しんでいる子供達の姿がアンズには眩しい。
そして、無力な子供達にそうした救いをもたらしてくれたのが、アンズの尊敬する大人達だ。
社会において、子供は未来を担う宝だとはいつの世も言われる。
言うだけでなく、しっかり導く大人がいてくれることに、やっぱり私は神様だけじゃなく人が大好きだと、アンズが何度だって思う根拠である。
「――あっ! クマリ隊長!」
「おわっ。
だめなやつがあらわれた」
さて、そんな心地良い賑やかさを呈する山波村だが、山を挟んだ隣村、桑原村から祭に訪れた子供も多数いる。
聞き慣れた友達の声に、ちょっと嬉しそうに振り返りながらも言葉は辛辣。
桑原村で自警団なるものを結成することを訴え、子供達だけでそれを発足させた立役者、へこすか君がクマリに駆け寄ってきた。
悪い子ではないのだが、クマリの中ではあまり評価が高くない模様。摂泉国へ向かう前に、彼が軽く下手を打ったことが尾を引いているのかもしれない。
「隊長、一緒に回りましょうよ!
みんなもいますよ」
「むむぅ……
おねえちゃんとのおまつりもすてがたい……」
「クマリ、行こうよ。一緒に遊びたいなぁ」
「へこすかはどうでもいいだろうけど、私達は一緒に遊びたい……」
「副隊長、あんまり強引だとまたクマリ隊長に嫌われるよ」
「行こうぜクマリー! みんな一緒だと楽しいぞ!」
へこすかに続いて、同郷の子供達もぞろぞろクマリのもとへ寄ってくる。
突っ走る副隊長へこすかを、そばで支える面倒見のいい女の子はみみん。
気は弱いのだが案外はっきりものを言う女の子あままらま。
へこすかの弟分のような立ち位置の男の子ぺんたりむ。
思春期真っ盛りで女の子と遊びたがる太っちょの男の子めけもこ。
変な名前ばかりだが、名付けはすべてクマリである。そしてクマリは一つもその名前を憶えていない。名付けろと言われて適当に考えたっきり。
「いいじゃん、行っておいでよクマリ。
みんなとお祭りを楽しめるのも今日だけだよ」
「ううっ、おねえちゃんがひきとめてくれない。
わたしにはもうあきたのか。
もてあそんでぽいなのか」
「あんた本当どこでそんな言い回し覚えてくんのよ」
クマリは私と遊ぶんだい、とでもアンズに言って貰えたらちょっと嬉しいクマリだが、彼女もやはり地元の友達とお祭りを巡りたい気持ちはある。
アンズはちゃんとわかっているから背中を押す。馬鹿みたいなやりとりはおまけみたいなもの。
冗談を軽く終えて後腐れ無く、クマリはへこすかを筆頭とする友達の輪へと駆け混ざる。
「クマリ、お昼は筆場に遊びにきてね? 言ってたとおり、あれやるから。
え~と、名前もよくわかんないみんなも来てね?」
「はい! へこすかです!」
「はみみんで~す」
「……あままらま、です」
「ぺんたりむですっ!」
「めけもこだぞ~」
「はいはい、わかったから」
「おねえちゃん、またあとで!」
案外みんな、使い慣れてきた団員名が気に入っているのだろうか。
アンズに覚えて貰えるよう自己紹介して、クマリを囲うようにして祭へと繰り出していった。
あの陣形は、面白そうなものを見つけたら突っ走っていくクマリを見失わないための、身内の性質を良く知る子供達の習わしなのだろう。
友達っていいなぁ、とアンズは微笑ましく見送っていた。
「おい、二人っきりになったぞ。
誰か他に誘える奴いねえの?」
「なんだい、私と二人っきりは嫌なのかい」
「神職者だろお前。
こんな歓楽の場で男と二人っきりだと良からぬ噂が立つぞ」
「いいのいいの、いつものことだから」
至ってまともに案じたコナツであったが、へらへらっと手を振って笑うアンズには杞憂だと突っぱねられた。
巫女のアンズは旦那様選びが極めて慎重にされるべき立場である。
ただの巫女ならそこまで厳格な話にはならないが、宮司もいない山波神社唯一の神職者、それも一子相伝の巫女ともなれば、ろくでなし相手には嫁げない。
こんな流れ者の俺とそんな噂が立ったら神職の名に傷が付くだろう、と気遣えるコナツは立派な思考回路である。驕りではない。
もっとも、アンズは慣れっこなので関係ない。村の人気者ゆえ、男と一緒に歩いているだけで、おばちゃん達についに男を見初めたかとからかわれるのが日常。
今さらどうでもいいのである。
「出会って最初のお祭りだよ?
せっかくなんだし目いっぱい一緒に楽しも。
来年はまた新しい相手探すしさ」
「まあ、お前がいいならいいけどさ。
わかった、楽しいとこ案内してくれよ」
「うへへへ、任せときなさい。
地元だぞ? しかも私が仕切った祭だぞ? 何でも知ってるぞい」
クマリが離れたことにより、お互い期せずして二人きりとなったアンズとコナツ。
程良い年頃に至りながらも、照れ一つ無く共に歩き始める二人の姿には、愛娘の婚期がまだまだ遠そうでテンジンは複雑な想いにもなるのだが。
しかし、そんな想いにもすぐ蓋をして、これもまた良しと微笑む主神もまた年の功。
十七歳などまだまだ遊んで過ごすべき年頃だ。にも関わらず、神職に身を呈する彼女には、同じ年頃の女の子ほどには遊べる時間も少ない。
祭はその浮かれた空気に絆されて、番が生まれることも多い好機でありながら、テンジンはもうこの日アンズにその幸福を期待することをやめにした。
いっぱい遊んで、楽しい思い出を作ってくれればいい。
祭のためにと隣国まで赴き、使命に応えて異国の大妖にも立ち向かい、今朝はあれほど身体を酷使してでも祭太鼓に尽くしてくれた愛娘。
大火に見舞われ、傷ついた子供達が一日でもこのお祭りで心を癒してくれれば、というナルミの想いよりも、テンジンがアンズに抱く似た想いは遥かに強い。
ずっと尽くし続けてくれる、可愛い可愛い愛娘が、たった一日でも一生の思い出となる日を作ってくれるなら、これに勝る喜びは無い。
神様は、あまねく誰をもを等しく救うべき存在と言われる。
テンジンは割り切らない。アンズは特別だ。献身に報いる特別扱いを依怙贔屓と見做す、そんな冷徹な神様ではないということだ。
祭は神事。神様と、それを信ずる人々のためのもの。
そしてその他ならぬ主神が最も望むのは、たった一人の女の子にとっての最高の一日となること。
きっと神に仕える巫女として、これほど幸せなことなどそうは無い。
良く出来た大人とは、頑張る子供に報いることを決して忘れぬということだ。




