第六八話 ~おかえりアンズ~
今朝のアンズの寝覚めは最高に良かった。
疲れと併せて適度な飲酒で深い眠りについたアンズは、二日酔いひとつ無く最高の目覚めだった。
目覚めた瞬間にぱちぃっと開いた自分の目、寝起きすぐに冴える頭。
最高の睡眠明けで完全回復した自分を顧みて、あぁ昨日までの私ほんとに疲れてたんだなぁと、つくづく実感したものである。
寝つきが早過ぎたこともあって目覚めは日も上らぬ早朝、誰もまだいない宿そばの川にて顔を洗い、脱がずに済ませられる範囲で肌も水で洗い流し。
空でも眺めながら時間を潰し、朝日が顔を出した頃にクマリを起こしに行って。
目をこすって起きたクマリに、昨日はごめんねと照れ笑い混じりに謝れば、すっかり元気になったアンズを前にクマリも寝覚めが早い。
なんだかんだで心配させてしまっていたのだろうか。快復した自分へのおはようの声が、昨日よりも元気なクマリの姿を見るとそう思う。
今日は、摂泉村を出発する日だ。
山波村のこども祭りは明後日である。
遠いかの地までは一日かけて帰るのが普通の足取りなので、今日には摂泉の地を出発して故郷に帰り着かねば、祭前夜の準備には間に合わない。
ここ数日間、諸事情あって幾度か雲に乗り、山波村まで超速で山波村まで帰っていたアンズだが、本来あれはなるべく控えたい行為である。
晦日の暮太鼓のためだとか、巫女服を駄目にされただとか、神職者として已む無くやっていただけで、そうでもなければ神様の力を濫用したくはないのだ。
テンジンはその辺りには寛容で、気にせず赦してくれるのであるが、御力を賜れる特権に甘えるばかりでは良くないという矜持がアンズにもある。
立つ鳥は宿を綺麗にしていくのが行儀良く、やはりアンズも自分達が泊まった宿の片付けや掃除を、宿の店主任せなどにはしない。
幼いクマリが自分からそんな配慮で動くのは難しく、それを教える好機でもある。
仲良く二人で部屋を片付け、店主にお世話になりましたと礼を述べ、宿を出発。
二人が最初に向かうのは、何をおいてもまずは村の西の建水大社であった。
あの日の奇跡的な雨により、村が大火の延焼に見舞われなかったことは、水神ミズハ様の名を摂泉村の人々が再び意識するには充分なことだった。
昨日は忙しくて建水大社に寄れなかったアンズであったが、今日アンズ達を迎えてくれたミズハ曰く、昨日は久しぶりに沢山の参拝者が来てくれたとのこと。
思い出すだけで涙が出そうだという。何十年も信心を忘れられていた神様が、どれだけ寂しかったのか、そして昨日が嬉しかったかは想像に難くない。
昨日、復興のお手伝いをする中で、共にいた人々にさりげなく、先々日の雨のことを強調して話していたアンズも、そうしてよかったと思える一幕だ。
その甲斐あったならきっと、今日もミズハを参拝してくれる人は沢山いるはず。
敬虔なる神職者たるアンズしか、今の幸せそうなミズハの表情は目の当たりに出来ぬが、ある意味でこれもまた役得だとアンズは感じるのだ。
幸福に溢れた表情を前にして自分も嬉しくなる感情に、相手が人であるか神様であるかなど関係ない。
幾度も感謝の言葉を述べられたが、満たされた表情のミズハを見られるだけで胸いっぱいのアンズが、勿体ないお言葉ですよと返すのもまた本心である。
『少しは、テンジン様の素晴らしさも語り広めて帰って下さいね?』
「……ま、まあ、多少は、はい」
『重ね重ね、ありがとうございます。アンズさん。
あなたのお心遣いが、私にとっては何よりの幸福です』
流石は神様、お見通しであるかとアンズも言葉に詰まる一幕もあった。
オオムカデ調伏という快挙を為したのはテンジン様の御力に他ならないが、アンズはそのことを一切自分の口から吹聴していない。
言い広めれば信心の獲得にはうってつけだろう。そのための巫女である立場であるはずなのに、それをしないのには相応の理由もある。
テンジン様の力によって、摂泉村を滅ぼしかねぬ大妖魔が調伏されたことが知れ渡れば、あの日の雨という奇跡と話題を二分するからだ。むしろ食い得る。
お膝元の平穏を心から願い、なけなしの信仰心から絞り出した神力で雨を降らせたミズハ様の尽力は、そんなものに横取りされるべきものではない。
時には異国にての布教にも余念の無いアンズだが、やはりこの地を本当の意味で救ったのはミズハ様であって欲しい。そう認識されて欲しい。
異国の地にて自分が戦い抜いた実績など、クマリやソウサイやヤシマといった、語らずともそれを存じてくれる知己にさえ知られていれば充分だ。
ミズハに別れを告げ、アンズは村の北の広場へ向かった。
そこには、朝の炊き出しを仕切るソウサイがいた。
朝はここにいると、昨晩のうちに聞いておいたから、村を出る前の挨拶のための待ち合わせに似る。
ソウサイもソウサイで、集う屋根無しの子供達へのおもちゃを持ち込んでおり、気の良いおばちゃんの顔で子供達と遊んでいた。
仕事の上では、あるいは大人相手であれば黒い所も多い人だとは知っているが、こんなソウサイの顔もまた、嘘ではないとアンズは見てわかる。
子供達だけで楽しそうに遊び始められたと見れば、さりげなく一歩引いて、寂しそうな子供にこそ寄っていく姿からも、やはり根は優しい人物なのだ。
ナルミもそうだが、強い大人には清濁がある。濁にばかり目を向けて、それで人の本性を知ったつもりになるばかりでは三流だ。
それが護身の秘訣だと過信するようになれば、自分にとって都合の良いことばかり言ってくれる悪人に、最も騙されやすい絶好の鴨になること間違いなし。
「ヤシマさんはいらっしゃらないんですか?」
「あいつはこういう場には来ないよ、怖がられるだけだからね。
男臭い場所での復興指導に大忙しさ。
なんだ、村を出る前に挨拶しておきたかったのかい? だとすりゃ意外だが」
「や、まあ正直あまりお顔を合わせたくはないですが……
縁が無かったわけではありませんからね……
一応、ご褒美に平独楽も頂いているわけですから……」
「あんたはカムロ辺りにも挨拶したかっただろうけど、あいつも忙しいからね。
まあご両人にはよろしく言っておいてやるさ」
「はい、お願いします」
アンズの前では揃い踏みしていたことの多いソウサイとヤシマだが、本来二人はあまり席を共にするようなことも無ければ、それを避ける傾向にすらある。
村の陽を司るソウサイと、陰を司るヤシマで棲み分けているからだ。
どちらも気が強く、譲らぬところは譲らないので、対立すれば村が真っ二つになってしまうことだって充分あり得る。
思い起こせばアンズがこの村に訪れて最初、道端でソウサイとヤシマが顔を合わせた時のぴりついた空気こそ、二人の間では本来どおりなのだ。
意図して関わり合わぬようにすらしている両者なので、ここしばらく二人が揃い踏みしていた時間が多かったのは、それなりに異色の光景だったと考えてよい。
「幸い、あんたが買ったものは多くが無事だ。
預かりを散らしていたことも要因ではあるけどね。
駄目になっちまったものも多いが、概ねは約束通り、祭の当日には山波村に届けられるよ。
上手く管理してたあたしに感謝しなよ? おん?」
「あ、でもそれなんですけど……
沢山の食べ物もありますし、いくつかは遠慮しますよ?
この村も大変な状況ですし……」
「馬ぁ鹿、銭を出した側の小娘が生意気に気を遣うんじゃないよ。
いつからあんたは商人の矜持を蹴飛ばせるほど偉くなったんだい」
「痛ぁ!?」
ちゃんと買い物の銭も先払いした客に、地元が大変だからって契約を反故にするような商人だと思うなとソウサイは笑う。
笑いながらアンズの二の腕を殴ってくる威力が高すぎてびっくりだが。
これでもソウサイとしてはじゃれ合いの範疇なのだろう。
一度もこの人を舐め腐ったことのないアンズではあるが、どつかれた腕を押さえて腰が引けているように、いま改めてこの豪傑への畏怖が蘇る。いらない。
「あんたがうちの職人に注文した、例のあれも無事だったんだ。
祭を楽しんでおいで。
心配しなくても、あたし達は勝手に蘇るさ。
世話されなきゃいつまでも立ち上がれないままの摂泉だと、見くびられる方が気に食わないね」
「……ああもう、わかりましたよ。
でも、忘れはしませんからね?」
「うん、それだけでも充分なほど救われるさ」
ソウサイは、自ら蘇ってく摂泉村に自信がある。
だけど、やはり心のどこかで気にかけてくれる誰かがいるだけでも、それはやはり有難い。
それによって得られる実利など無くてもいいのだ。傷付いたものの痛みを忘れぬ者がいることそのものが、世の明るさを象徴する。
いなくなった時のことを思えばぞっとするだろう。大事なことなのだ。
「あと、これを言うのは若干癪ではあるけどね。
ナルミの女狐に、あたしが感謝してたことを伝えておくれ」
「え? 何かありました?」
「さあね。
あいつに直接聞いて困らせてやりな」
けらけらと笑うソウサイに、何があったのか興味が湧きながらも、なんとなくこの場では教えてくれなさそう。
聞き出すことはせず頼まれたことだけ承服し、アンズはソウサイと別れて村を去る足運びに移っていく。
お世話になりました、とクマリと一緒に一礼し。またおいで、と、社交辞令ではない、本当にまた来て欲しい本心の言葉を受け取って、
離れていく方に歩いていく中、振り返れば見送るようにずっとこちらを眺めてくれているソウサイと目が合って。
アンズも嬉しくて、思わず、あるいはやはり、親愛する人に向ける、腋を晒してでも大きく手を振る仕草を見せるというものだ。
それを真似してクマリが、アンズと異なり両手を上げて振る姿に、腋丸出しを目の当たりにしたアンズは、私もこんなことしてるんだなと再認識。
今後は控えるべきなんだろうなと密かに反省する。でも、どうせいつかまたやる。
知れたことであるのでテンジンはくつくつと笑うのみ。
摂泉村を出るに際し、アンズは寂しさも感じていた。
大変なことが沢山あったけど、終わってみれば悪い思い出にはならない。
賭場で吐きそうになったこと、悪漢どもの前で痴態を晒したこと、美化できぬ記憶もあるが、それさえ除けば良い思い出は多い。
滞在期間の後半に苦難が固まったとはいえ、クマリと一緒に異国の地を巡ったことは、やはりアンズは楽しかったし。
ミズハ様と過ごした時間は、神職者としてもアンズ個人としても、きっと長らく忘れ得ぬ思い出となろう。
「クマリ。
摂泉国は楽しかった?」
「うん! すっごく!
つれてきてくれてありがとう!」
「あははっ、そう言ってくれると嬉しいな」
摂泉国に連れてきて貰えたことが嬉しいというその純真な言葉は、大好きなお姉ちゃんが一緒だから楽しかった、という含みが一切無い。
アンズと一緒であったことなど抜きにして、摂泉国を存分に楽しんだ証。純真ゆえにその本音が言葉によく表れる。
この子を連れてきてよかった。大好きな妹。
手を繋いだ最愛の幼子の、満面の笑みを見られたこの一幕のみを以ってのみで、アンズはこの地で苛まれたすべての苦い思い出も吹き飛ぶというものだ。
大好きな人の幸福が、自分にとっての最大の幸せ。そう感じられる生きとし生けるものは、幸福な生涯を送るにあたり己を最も救うと言って過言ではなかろう。
摂泉村を出発し、泉波街道を行き、可愛がってあげられなかった埋め合わせなのか、道中の津河村に寄り、豊産市場を眺めて回り。
クマリをもてなすように、限られた時間で数何日とはまた変わり映えた市場を歩くことで、彼女の目を輝かせ。
ちょっとしたお勧めのおもちゃを買ってあげるなりしながら、津河村を出て、泉波街道を再び進み、山波村へと帰っていく。
村に帰り着いた頃にはもう夕暮れ時であったが、そうしてアンズの短くも長い摂泉国への旅は、終わりを告げたのだった。
掛け値無く、一生の思い出となろう。
大変なことも沢山あったけれど、それ以上に素敵な経験も沢山あった。
故郷に帰り着き、長旅の終わりを寂しく思うようなアンズの表情はその象徴であり、その上で、テンジンは微笑ましい想いしか沸かない。
よかったな、と。
親心として、それ以外に想う言葉は一つも無い。
さて。
「よっ」
「えっ」
山波村に日暮れ過ぎに帰り着いたアンズを真っ先に迎えてくれたのは、それなりに意外な人物であった。
彼は根無し草。故郷を離れて各地を渡り歩き、一度別れればどこにいるのかもうわからなくなってしまう人物。
でも、心のどこかではお互いに、今はあいつどうしているんだろうなと、心の片隅で考えてしまう友達。
山波村に久しぶりに歩いて帰り着いたアンズを迎えた最初の人物が、コナツであったことにアンズも思わず足が止まるほど驚いた。
最近はアンズとの縁が生まれたこともあり、根無し草の彼が山波国に留まっていることも多いのはアンズも知ってはいるのだが。
まさか帰郷して最初に迎えてくれた相手が彼であるとは、流石にあらかじめ予想できたことではなかったようだ。
「だれ?」
「あ~、え~と……
お姉ちゃんの友達です。敵ではありません」
「ならばよい」
クマリはアンズに馴れ馴れしく挨拶する男に、妙な警戒心を抱いていたようで、アンズの前に立ちはだかって彼女を守る壁になろうとする。
友達だと聞けばすぐにアンズの後ろに回り込み、初対面の年上相手に距離感を迷う仕草に移る辺り、立ち回りの素早さも見せるのだが。
「そう言えば二人って初対面なのかな?
最近どっちとも長い時間一緒にいたけど、よくよく考えれば二人とも顔合わせたことはないのか」
「そうだな。
よっ、はじめまして。
俺は……えーと、コナツって呼んでくれていいぞ」
「はじめまして、クマリです!
アンズお姉ちゃんのいもうと!」
「お、そうか、お前がクマリか。
可愛くて賢いいい子だってアンズお姉ちゃんからも聞いてるぞ」
「とうぜん。
わたしはてんさいだからな」
アンズに良い紹介をして貰えていたことを知ると誇らしいのか、前に出てきてふふんと胸を張るクマリ。
コナツも実妹がいるせいか、慣れた手で自然とクマリの頭を撫でた。
自己紹介し合っての互いの第一印象は最良のご様子。
もっとも、ちらりとアンズを見て、この子がそうなんだなと確かめるようなコナツには、察しの良さにアンズも感服の頷き。
ミノヤマに人質にされた女の子がいたという話はとうにしており、言葉無くそれを確認したコナツはもう一度クマリの頭を撫でてくれた。
良い子であろうに気の毒なことが一度あったのだ。可愛がってあげねば。コナツも人が良い。
「アンズが言ってたとおり、可愛い子だな」
「やらんぞ」
「いま欲しがる俺だと思われたら心外だぞ。
年の差えげつねえんだが」
「やがて欲しがるに決まってる。
こんないい子はやがて引く手あまたになっていくのだ。
その時、私が認めた男にしかやらん」
「お前お姉ちゃんだよな?
クマリのお父さんにならなくてよろしい」
「妹に変な虫がついたら焼き殺すしかないのが姉だからね。
コナツもフユミちゃんに変な男が言い寄ってきたらぶっ飛ばすでしょ」
「そういや前科あるわ。
セイカの奴がフユミに嫌らしい絡みしてきた時にぶっ飛ばしてるもん」
「ねー」
「なー」
話し始めると話の弾みやすい二人を交互に見上げ、アンズの楽しそうな表情が気になるクマリ。
コナツの方はアンズほど露骨に顔に出さないが、アンズとのやり取りを楽しんでいることぐらいはわかる。
誰に対しても愛想がいいアンズなのはクマリも知っているが、クマリの解釈ではそんじょそこらの誰かと喋る時以上には、アンズが楽しそうに見える。
「……こいつはもしかして、お姉ちゃんのおとこなのか」
「え?
あ~、ん~、そうかも。
コナツは私のものか。それはいいね」
「おいこら、いつ俺は買われたんだよ」
「コナツには私に腕を治して貰った一生の恩があるからね。
すっかり治ってるね。恩返しして貰わねば。のう? のう?」
「俺だってお前がやばかった時に駆けつけて命を救ってるぞ。
あの恩どこいった。のう? のう?」
「あ~だめだめ、コナツそういうの女性にもてないよ。
ちょっと不利になったら、相手に言い返しようの無いこと引っ張り出してきて意地っ張りな論破。
そこは私のように、ちょっと言い返せる程度のものに抑えておいて会話を弾ませなきゃ」
「今のお前のそれもな~んかやらしいぞ。
言い返しにくいようにしてきてるじゃんか」
「私の勝ちだっ!」
「腋が見えとる」
「どすけべ!」
「うるせーよ」
お互い全然男女として意識していないからなのか、おませなクマリの横槍にも動じることなく、それも歓談の種にするばかりの二人。
勝手に勝利宣言して拳を振り上げ、はしたないものを見せたことを即時突っ込んでくるコナツに、しまったと顔を赤くして言い返して。
コナツが避けやすい程度に、彼の顔面を殴る正拳を突き出すアンズに、コナツも余裕で笑いながら回避している。
まあなんて楽しそうだこと。出会って四半年も経ってないのに。
「むむむ……
これがしんあいなるだんじょのいとなみか……」
「こいつ言葉遣い凄くね?
意味わかってなさそうな言い方の割に言いたいこと伝わってくるんだが」
「覚えたての難しい言葉を使いたがる年頃なのですよ。
その割にあまり使い方を間違え過ぎてないのはやはり天才かもしれない」
「そうだ、わたしはてんさいなのだ。
ほめてください、コナツお兄ちゃん」
「おお、敬語もちゃんと使えるのか。
偉いぞ、普通に偉い」
頭を差し出してくるクマリに応えて撫でるコナツの付き合いの良さは流石。
アンズも初めて知る顔だが、コナツは年下にはかなり甘そうだ。
長男だからというのもあるのだろうか。年下の者に求められて喜ばせる行動には機敏で、なんならちゃんと喜ばせる言葉も選んで発するほど。
大事なクマリが頭を撫でられて嬉しそうなのもそうだが、コナツがクマリのことを可愛がってくれる事実そのものもアンズにとっては嬉しい。
自分の好きな人同士が仲良しというのは、それ自体がとても嬉しいものだ。
「ほらクマリ、行くよ。
お姉ちゃん、案外忙しいからのんびりし過ぎてもいられないのだぞ」
「そうだった。
はんせいします」
「よ~し、良い子だ」
良い子だとクマリを褒めたのもコナツである。
ちらちらとコナツの顔色を見ながら、褒めて欲しそうに反省宣言をしていたので、それに対する察しの良さを発揮した形。
これからアンズは玉依御殿へナルミに会いに行くのだが、屋敷の門前でクマリを待たせる際、コナツに子守を頼んでもよさそうだと考え至っている。
クマリと手を繋いで村を歩く中、親と買い物に来ている女の子がクマリに反応した際、アンズはさりげなくクマリの手を離した。
筆場で知り合った友達だろう。行っておいで、と促して、クマリも元気に頷いて友達のそばへと駆けていく。
他愛ない話で盛り上がるクマリを遠目に待ちながら、アンズは短い間であるが、コナツと並んで二人きりの空気。
「……もしかして、けっこう心配してくれた?」
「ん、まあ……
摂泉村が大変だったって話はもう聞こえてきてるからさ。
お前が黙って見過ごすはずもないわけだし」
他にも色々と大変だったアンズだが、摂泉村に出現した大妖魔により、村の広範囲が焼け野原にされた話は、内容が内容だけに千里を行くのも速い。
現地から離れた場所で、そんな話を耳にしたコナツをして、アンズがそれの調伏に立ち向かったことなど、自ずと連想して目に浮かぶ話である。
大妖魔調伏は既に果たされているという話も同時に聞こえたとて、それがアンズの無事を確約してくれる話でもない。
引き分け、刺し違え、あるいはアンズは敗れてとどめを刺したのは別の人。いくらでも共倒れの結末は考え得る。
真に恐ろしい妖魔との戦いに明け暮れてきたコナツだからこそ、人類の勝利という結末があっても、犠牲者不在の美しき勝利ばかりでないことも知っている。
「お前だったら大丈夫だろうとは思ってたけど……
無事に帰ってくるまでは俺も、少しそわそわしてたかな。
やっぱ、いなくなられたら凄くつまんねえからさ」
アンズは見逃していなかったのだ。
村に入ったばかりの時、アンズの姿を目にしたコナツが、ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ、ほっとしたように頬を緩めたことを。
クマリとのやり取りにだって、彼が年下に優しい人物だと垣間見ると同時、機嫌の良さもまた明白だったと見えている。
付き合い自体は短くて、旧知の仲ほどコナツからすべてを読み取ることは出来なくても、それぐらいのことはアンズだってわかるのだ。
彼女自身、そうしたものを見逃さない目の持ち主だからこそ、みんなそんなものだと思っていて、わかりやすい自分の表情を隠すのを諦めているふしもある。
「ありがと、コナツ。
そういうあなた、絶対もてるよ」
「はは、自信持つことにするわ。
女の子にそう言って貰えるってのはかなりの太鼓判だもんな」
優しい友達。嬉しそうに笑う笑顔で胸を癒してくれる友達。
すなわち、もう絶対に切りたくない縁。
クマリが席をはずす中、友人同士以上に敬意めいたものを確かめ合う二人の笑顔には、それを意識する感情がはっきりと表れていた。
「うむ、大義であった」
「はは~」
要約すると、遠くまでお遣いお疲れ様、というだけ。
玉依御殿の一番奥、村長ナルミ様との謁見で、お褒めの言葉を預かり平伏するアンズ。
実態は、第二の実家に帰ってきてお母さんに労われているだけ。
「巫女アンズ、よく務めを果たしてみせた。褒めてしんぜよう。
褒美として、私に敬語を用いず甘える権利を贈呈する」
「お母さん、扇子あまり似合わないね」
「え~?
これ結構お気に入りなんだけどなぁ」
片手団扇でぱたぱたしながら頬杖つき、似非上流貴族を演じて遊んでいらっしゃるナルミのお姿、別の意味で全く似合っていない。
正真正銘の皇族様であり、本気を出せば作法も佇まいも完璧な人なので、京に赴いた際など公の前での姿は、都の庶民も寄り付かせぬほど高貴な人物と化す。
それを知っているアンズからすれば、中途半端に偉そうな貴人の真似事をされるとかえって違和感が凄い。ご本人は楽しそうだが。
「とりあえずこっち来なさい。
ぎゅ~するから」
「え~?
私もう子供じゃないのに……」
詳しくは描写しない。時間の無駄。
大妖魔に挑んで撃退したというアンズの話を聞きながらも、やはり愛娘が無事に帰ってきてくれて嬉しい、という親心だけは尊重する。
だからって十七歳の娘を抱きしめさせてと言い、アンズもアンズでてれてれしながら甘えんぼさんの顔で近寄っていくのだから、まったく。
ぎゅっとされたり頭を撫でられたり、優しい言葉を耳元で囁かれて蕩けているアンズの表情もだらしない。
しかも長いのだ。これでも絞って描写した方である。馬鹿親と馬鹿娘極まれり。
「あ、そうだ。
お母さん、ソウサイさんが柄にもなくって前置きあってだけど、感謝してること伝えておいてって言ってたよ」
「ふふふ、そう。
あの人、意固地で気の強い人だけど、そういう所はやっぱりしっかりしていらっしゃるわ」
『お前達は先程の阿保らしい絡みから、何故そうもすぐに真顔のやり取りが出来るのかね』
(おだまりくださいませ)
テンジンのごく真っ当なぼやきはさておいて、そうそう頭を下げたがらないソウサイが、ナルミに恩に着るのも相応の理由がある。
オオムカデが摂泉村を破壊したのが二日前の深夜、ないし昨日の早朝。
アンズが山波村に一度帰り、ナルミにそのことを話したのが昨日の朝。
そしてナルミの迅速な手配により、山波村から摂泉村に、多数の復興支援の品や食料が届いたのが今朝である。
つまりアンズが今朝、ソウサイに別れの言葉を告げていた頃には、復興二日目から早々に山波国から施しがあり、当然ソウサイもそれを知るところだったのだ。
無論、この譲渡に金銭のやり取りなど一切無い。
深い傷を負った村に、相応の復興資源を買う体力など求められようか。
困った時はお互い様、なんて言葉で説明するのも馬鹿らしい話だ。
理不尽な傷に泣く隣人がいる時、力のある誰かが支えてあげなきゃどうしようもあるまい。
古くは摂泉国とて、山波国が不作に苦しむ時には、相応の食べ物を他国から買い集めてでも、纏めて譲って幾多もの山波の民の命を救ってきた過去がある。
お隣様同士ではないか。平常時の商売の際には駆け引きもするが、助けてという声が聞こえたような気がすれば、手を差し伸べることなど厭わない。
自分が逆の立場になった時、そうして貰えればどれほど嬉しいか、それに思い至れば実行せずにいられぬのが、和大国の民の気高き精神――
いや、それに値打ちをつけてはいけないのだろう。それはやはり、人として当然のことだと言われて然るべき。
ナルミの仕事は迅速だった。
とりあえずの食糧を送るだけでも、村一つに数日ぶんのものを送るとなれば相当な量になり、ただちに扱える蓄えを投げるだけで足るものではない。
人脈を用いて迅速に集め、その大量のものを運搬してくれる者達を同時に揃え、半日でも早く摂泉村に届けんとする。
その結果が、話を聞いてからの一夜で届く、家を失った数多き摂泉村の者達も、向こう数日は飢えずに済むだろうと安心できる食糧である。
ソウサイが感謝するのも当然だ。これだけで、何人の命と心が救われるか。
村全体の復興に、財も資材もいくらあっても足りぬ中、それに腹を割かずに済むことがどれほど助かるか。
逆の立場ならソウサイも必ず同じことをする。それでも、いざ我が身にその善意を向けられようものならどれほど嬉しいか。
重ね重ね、時には豪商として張り合うナルミが相手であろうと、意地一つ張らずソウサイが深々と礼を垂れる感謝の言葉を向けるのも当然ということだ。
「ただ、そうは仰るけど今朝、山波村にもちゃんとあなたが買ってきてくれたものはしっかり届いてるのよ。
ソウサイさん、今は何がどれだけあっても足りない復興中であろうのに、商売のことだけは意地でも貫き通すんだから。
私の方こそ、頭が上がらないわ」
「やっぱりお母さんって、ソウサイさんのことは好き?」
「う、う~~~ん……
好きかどうかで言われると、苦手なとこもあるけどね……
商売でけちょんけちょんにいてこまされたことも多々ある相手だし……」
頬をかきながら照れ臭そうに話すナルミだが、こちらもソウサイと同様に、相手に対しては複雑なご様子。
敬意よりも畏怖が相手への印象の大半を占めるため、商売敵としては若干腰が引けるほどであるようだが。
さりとて、お互いが向け合う言葉ほどには敬遠し合わない、良き間柄であることもアンズには窺える。
互いのことを多少は悪く言い合いながらも、なんだかんだでその縁をどこか心地良く感じる、悪友のような雰囲気を匂うというものだ。
「おかげで、お祭りの当日に向けてあなたが用意してくれたものは全て届いてるわ。
あなた、一番忙しくなるわよ? 覚悟は出来てる?」
「うん、もちろん!
全部やる! 任せといて!」
「……ふふ、頼もしいわ」
明日は祭の準備に大忙し、そして祭当日もアンズには役目がある。
祭は神事だ。神職者が一番忙しい。
最も人生を謳歌できる年頃にあって、可愛い一人娘が年に一度の故郷のお祭りの日、仕事で手一杯だというのは母としてもどかしいところもある。
それがアンズ自身の選んだ道かつ、悔い一つ無いその表情を常日頃から目の当たりにしながらも、親心としての複雑さは如何ともし難い。
アンズがその開催に向けて大きな一役を買った上で、やがて迎えるこども祭り。
今から既に楽しみだとばかりに肩をそわそわさせるアンズの前、微笑みながらもナルミは一計を考え始めている。
何か、私の愛娘に素敵な思い出を用意してあげることは出来ないか。
献身的な我が子は誇らしいが、やはり親として、彼女自身の最上の幸せを望まずにいられぬのも人情であろう。
たとえ親馬鹿だと言われようと、ナルミはきっと顧みまい。
年に一度のこども祭りだ。
誰しもが、心の奥底では願うこと。
一生忘れられない思い出が作れればいいな。
そしてそれは、自分一人だけがどれだけ頑張ってそうしようとしても、決してそれだけでは叶えられないことでもある。
では、何が必要なのか。
アンズはきっと、それを知っている。だから彼女も、密かに期待している。
きっと今年は、私にとっても素敵なお祭りになるはずだって。




